昼からの出発というのもいいものだ。のんびりできる。関空に15時前に到着し、たまたま香港から来ていた知り合いを出迎え、JRまで送り、そしてイミグレへ。ラウンジでも少しはのんびりでき、16時に搭乗。パンダの飛行機かと思っていたが、普通のANAだった。16:10の定刻に出発!しかし、やっぱり体調はよくない。機内食を残したのは初めてかもしれないが、とにかく食べれない。それでもチキン南蛮、ハム、サラダ、ごはんまでは食べた。申し訳ないと思いながら、残りのものは食べれない。そして、すぐに爆睡。上海までは2時間ほどのフライト。機内食を食べる以外は、すべて寝ていた。そして、予定どおり17:20に到着し、17:35にはイミグレも通過し、外にでていた。夕方の便というのはすいているのだろうか。機内の搭乗率はざっと見た感じ60%程度だったように感じた。
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2011年5月1日
関空⇒上海
上海滨江欣景大酒店(リバービューホテル)泊 |
5月2日
上海⇒杭州⇔富陽(孫権・孫策・孫権故里)
杭州欧陸風情假日酒店泊 |
5月3日
杭州⇒紹興(越王殿・会稽山)⇒上海
ウェスティン・バンドセンター泊 |
5月4日
上海⇒関空 |
5月4日
今回はいつものように遺跡をそれほど巡っていないものの、十分満足できた。上海のバンドでもゆっくりできたし、中国の活気と元気な中国人民を見れたし、それと中国人民の優しさや客への対応など、少しずつ変わりつつある中国人民を感じることもできた。そして、何より新幹線など、ハード的にも変わりゆく中国を垣間見ることができた。これからもどんどん変わっていくだろう。そんな中国をこれからも定期的に見ていきたいと思った。
この日は帰るだけ。行きで懲りたので帰りはリニアだ。50元するけどチケット見せれば40元になる。10時発のリニアだったが、ほとんど満員だった。日本への便が多い時間帯でもあるので、日本人も多くいた。そして、431kmの最高を出し、わずか数分で浦東空港に到着。時間帯によっては300Km運転をしているようだ。少し時間が余ったので、浦東空港のレストランでコーヒーを飲む。ラウンジではなく、たまにはこんな店にも入ってみたくなる。12:10定刻だが少し遅れて出発し、関空には15:20に到着。今回も充実した旅ができた。そして関空には家族が迎えに来てくれていた。娘が名前を書いたボードまで用意してくれていて、添乗員気分なのか。それにしてもうれしかったというものだ。家族の支えがあってこそ、中国にも行ける。さー、次はどこに行こうか。
~完~
5月3日
この日はのんびりと8時に起床。体調はもうだいぶまともである。孫権故里に行けたこともあり、気分がよくなったのかもしれない。9時にホテルを出発し、紹興に向かうために杭州駅へ行く。最初に電車の時間を調べておけばよかったものを、コーヒーが飲みたくなってバーガーキングに入りのんびりとすごす。そのあと、チケット売り場に行くが、紹興行きの電車がいい時間がない。1時間ぐらい待たなくてはならない。17時の上海行きのチケットを買っていたのでそれほど時間もないので、電車はあきらめバスを探す。呼び込みのおっちゃんに言われるがままついていくが、駅からだいぶ離れたところがバスの出発のようだ。でもバスはまだまだ出る気配がない、というかバス自体がきていない。ところで何時出発だ?と聞くと11時と言われる。えー、そんなん電車のほうが早いかもと思い、再び電車のチケット売り場へ。すると、長蛇の列となっており、タイムアップ。10:41の電車には乗れず仕方なくバスにいくことにした。バス乗り場に再びいくとすでにバスがきていた。乗り込むとほとんど座席が埋まっているぐらい人が乗っている。一番後ろを確保するが、後から乗ってきた子どもを抱えた若いおかあさんと座席を変わってくれと言われ、一番後ろの真ん中の座席になってしまった。おかあさんは一番端で、抱っこしやすいような席だ。まー、仕方ない。でも子どももまだ2歳ぐらいだしかわいいので許す。しかし、なかなかバスが発車せず、ようやく11:30に出発した。
雨が降り始めるなか銭塘江を越え、のどかな田園地帯を走り、電車の線路の横を撮りながら、紹興市内に突入。地図でみると杭州と紹興はほんとに近いので、すぐに紹興に入った感じがした。でも、ちんたらとバスは走るので、紹興についたのが13時前。1時間30分もかかったことになる。あー、かなりのタイムロスだ。日本で電車に時間を調べておけばよかったと後悔。しかも、バスの終点は紹興の街の北はずれ。仕方なくタクシーを拾い紹興駅までいってもらう。駅に着くとまず、帰りの切符を買う。ちょうど15:40ぐらいの電車があったのでラッキーだった。そのあと、短い時間だけど市内見学だ。
とりあえず駅前の売店で地図を買う。売店のおばちゃんは営業熱心なのか名産品も買わないかと言ってくる。中国の売店でそんなの言われたの初めてだ。紹興はいわずと知れた紹興酒の産地。観光客も多いからかもしれないが、それにしても営業という考え方があったのか。そして、まず向かったのが府山公園だ。ここは越王である勾践ゆかりの地だ。時間ないのでタクシーで向かう。5分もすれば到着し、古い街並みを通り過ぎていい雰囲気の山麓にある公園入口についた。入場券を買ってすぐに入る。越王殿があるのでそこに向かうが、これがまたいい雰囲気を醸し出している。勾践がここにいたのだろうが、いいところを選んだものだ。
紀元前500年頃の話だが、広い中国大陸にいくつかの国があったのだが、今の蘇州を中心とする呉と、紹興にある越の国は近いということもあり争っていた。いわばライバルだ。春秋時代末期の紀元前496年、呉王闔慮は越に攻め込んだが、越軍の自殺部隊を繰り出すという奇策に破れ闔慮はそのときの傷がもとで死ぬ。その子、夫差は復讐を近い、2年後、越を打ち破った。そのとき伍子胥は越王勾践を処刑することを進言したが、夫差は勾践夫妻を呉に監禁することにした。蘇州にある霊岩山の中腹に観音洞があるが、そこに幽閉されていたと言われている。その後、越は呉の重臣へ賄賂を贈ることで勾践は釈放されることになり、そのとき美女西施が夫差に送られた。夫差は西施におぼれ、西施のために霊岩山の頂上に豪華な宮殿を建て、そこで夫差と西施は遊んだといわれている。勾践は帰国した後、国力回復につとめ、屈辱の敗戦から23年後に蘇州を占拠し、夫差を自殺させた。夫差は父の仇をとるために薪の上で寝、勾践は肝をなめることで呉への復讐心をあおった。このときの夫差と勾践の争いは「臥薪嘗胆」という言葉が生まれたのだ。「呉越同舟」という言葉ができたのもこのころだ。
どんな感じだろうと思いながら、越王殿に向かう。そして入った瞬間に感動的な絵があった!まさに越王が肝をなめて渋い顔をしているではないか。それがまた見事な表情をしている。しばしその絵に見入ってしまった。また、その周りには越と呉の戦いで起こったことが書かれている。なかなかやるものだ。ひとしきり見入り写真を撮る。これを見れただけで紹興に来た意味があった。府山公園にはそれ以外にも散策すると、見どころはいくつかあったようだが、越王殿だけを見て府山公園を後にする。また、タクシーを拾うために大きな道まで歩いていると、水郷地帯になっていることに気付く。確かに紹興の地図を見ると、川が多いし、蘇州のように水路が張り巡らされている様子がよくわかる。舟で行き来するような感じになっていた。観光客もいた。
次に向かったのが会稽(かいけい)山。闔慮が幽閉されていた場所であり、また、呉越の戦いもあったようだ。会稽というのは由緒ある名前であり、昔このあたりは会稽と呼ばれていたのだ。ただ、来てみるとここもだだっ広い公園ということがわかった。しかもかなり規模が大きいようだ。国家AAAA級の旅遊景区となっているので、さすがに入場料も高く50元もする。そしてはるかかなたの山の上に大きな像が建っている。ここは呉越というよりも、それよりもっと前の夏の時代の遺跡のほうがメジャーらしい。夏といえばほぼ神話や伝説の域になるが、紀元前21世紀ごろの王朝だ。その始祖である禹(う)の陵と廟がこの地にある。史記によると「禹、諸侯を江南に会し功を計りて崩ぜり。よりてここに葬る。なづけて会稽という。会稽とはすなわち会して計すなり。」とあるため、ここに陵や廟があるようだ。えらい昔のことである。山の上にある像も禹のものである。ひろーい公園を小走りに回り、禹の像が見えるところで引き返す。時間がなくてほんと残念であるが、電車の時間もあるので紹興駅に向かった。でも、会稽山に行けただけでも良しとしよう。なお、日本からも紹興へのツアーがあるためか、日本語で看板に案内を書いていたりした。
紹興駅に着いたのが15:30前。もうぎりぎりだ。改札を通るとすぐに電車がきた。よかった間に合って。新型車両だし、中の座席も快適だ。上海と杭州を走る新幹線ほどではないが、100KMはゆうに超えているので、杭州までも早い。45分で紹興に到着。バスの約半分だ。そして17時の上海虹橋行きの新幹線に乗り上海に18時前に着いた。なんと快適な旅であろうか。沿岸部ということもあり、ほんとに便利になったものだ。従来の中国旅行は、鉄道乗るには長蛇の列、そして、乗っても人が多くてかつ遅いというイメージだったのだが、それを覆すほどのものである。駅の看板にもあったが、まさに「鉄道新時代」だ!
上海でもラーメンが食べたくなって、日本のチェーン店である味千ラーメンに行く。味はまずまずであるが、ラーメンと餃子を食べることができて満足だ。上海で日本の料理屋をやれば必ずもうかるように思う。今や中国人の舌は、外のものを食べたがっており、そこに日本のおいしい料理を持っていけば、はやること間違いなしのように思う。そして、この日はホテルを取っていなかったので、どこにしようか迷う。とりあえず空港にも近いし、バンドに行ってみることにした。ここは何度来てもいいものだ。また夜景をしばらく堪能する。そしてバンド沿いのホテルを見てみるが、由緒あるホテルばかりであり、設備は古いが高そうだ。しばらく歩いていると、パイナップルのホテルが見えた。ウェスティンだ。少し高くなるけど、ここにしようと思いフロントへ。英語で話してみるが、パスポートを見せると日本語が返ってきた。よく見ると日本人だった。あれっ、失礼、ということで難なくチェックイン。そして部屋ももちろん綺麗なので、BBCなどでビンラディンが亡くなった、というニュースをずっと見ていた。快適な夜である。
完全に観光地化されている龍門鎮。古鎮に入るにもお金がいるし、孫権故里も見ごたえあるが作られた感じがある。
そこから20分ほどいくと龍門鎮となる。ここは古鎮(古い街並み)ブームに乗っかって、浙江省のなかでも有名な古鎮になっているようだ。そして、ここにも孫権故里の話があるので、それに乗っかっている。入場料もとられるし観光客も多い。観光地化されているだけあって、孫権以外の、孫子など、孫家の家系図があったり、孫権のお父さんである孫堅、お兄さんである孫策なども感じられる場所になっている。そして極めつけは孫権の大きな絵もあるのだ。孫権は三国時代でも一番目立たない皇帝であったのだが、曹操、劉備に比べて若かったこともあり、一番長生きした。呉の国を繁栄させたという功績は大きいものの、晩年は迷君となってしまった残念な人でもある。そして孫権の孫の代になると、さらに残虐非道な皇帝だったようで、ついに魏を奪った晋(司馬家)に滅ぼされてしまった。ただ、孫家というのは、代々、質実剛健な者が多くて近代だと孫文もいる、などと紹介されている。なるほど。孫家というのは、歴代、いろんな著名人を出しているのだと、改めて思いながら、その観光地化された場所を後にする。
そしてもう1か所行きたかったので、タクシー運ちゃんに交渉してみると、もう17時前だし、飯食べたいしダメだといわれる。明日はどうだ?と言われるが、そんな予定なし。できれば、というような遺跡だったので、じゃーいいや、ということで富陽のバスターミナルに戻る。そして再び3元の路線バスに乗り、杭州に帰る。杭州についたのが19時であった。ちょうどいい時間だ。麺が食べたかったので駅ビルに入っている店にいき、牛麺を食べる。独特の味でかなり濃いが、まずまずいけた。コーヒーらしき飲み物もつけたので、満足だ。その日はのんびりしながら0:30頃就寝。
(左)いつもこんな感じで、現地のじいちゃんやおっちゃんがいろいろと教えてくれる。ありがたいことだ。
(右)のどかな上沙村。このあたりは水郷地区なのか川がとても多い。こんなところを通って孫権故里碑まで歩く。
富陽のバスステーションについたのが14時前になっていた。そこからさらに奥地なので白タクに乗る。なんともやる気のなさそうなにいちゃんだったが、それしかなかったので仕方ない。孫権故里いってくれ、ということで車が走る。30分ぐらいすると幹線道路から田舎道に入り集落n入っていった。すると、碑が見えてくる。これだこれだということで、降りて堪能。ただ、集落の真ん中にあるので、ふるさとという感じはしない。でもそこからあぜ道のようなところを通ると、田んぼの真ん中にこれまたポツンと碑がたっている。こんな遺跡は大好きで、劉備故里もこんな感じだったな、と思い出しながら、石碑の周りの景色を目に焼き付ける。あとはその集落には、「呉大帝廟」があったが、今では廃れていて閉鎖されている。場口鎮上沙村というところであるが、少し離れた(後から行く)龍門鎮のほうが古鎮めぐりで有名になってしまい、そっちのほうに孫権故里をとられてしまったようだ。中国ではよくある話で有名人の出身地となると、その町が潤う。よって、出身地やら死んだ場所やら、いろんなところで街どおしの争いになってしまうのだ。負けてしまった村は無残なものである。そんな悲哀も感じながら、上沙村を後にする。
そして、富陽にいきたいのだが、駅前のどこを見ても書いていない。なので近くにいた客引きの運転手に聞いてみると、この車に乗っとけと言われる。大丈夫そうなので乗っていると、富陽行きのバス乗り場まで連れて行ってくれた。そこまでわずか10分ほどだったのだが、5元とられる。そして、富陽行きのバスに乗るが、路線バスなのでとても安い。なんと3元。そして座り心地の悪いバスに乗って延々と1時間30分がまんする。途中、たまらず爆睡。逆流で有名な銭塘江という大河の横を通るのが唯一の見どころぐらいで、あとは田園風景であった。
車窓を楽しみながら10:20に杭州に到着。杭州は前から行ってみたい場所ではあったが、初めて訪れる場所である。さすがに観光都市だけあって、駅を降りると客引きがすごい。蘇州なみだ。そして、よくある光景であるが、客引き同士のおばちゃんが何やら喧嘩している。いつも思うのであるが、中国人民の喧嘩というのはすごい。手足はでないものの、口の攻撃が半端ない。機関銃のように話しているので、大阪のおばちゃんでもかなわないかもしれない。いや、むしろいい勝負かも。一度、中国のおばちゃんVS大阪のおばちゃんの対戦を見てみたいものだ。
それはさておき客引きの中でも、人のよさそうなおばちゃんに声をかけて、今晩のホテルを紹介してもらう。手数料が入っているので高いのではあるが、めんどくさかったので、おばちゃんに頼んだ。すると、駅に近い「欧陸風情」というホテルに連れて行ってくれた。要はヨーロピアンスタイルというホテルなのであるが、部屋や作りからして、そうは思えない。まー、そんなに高くないしいいか。中国のホテルは朝からチェックインができるので便利だ。部屋に荷物を置いて11時過ぎにホテルを出発。
これが新幹線!
なお「和諧号」とは、中国政府のスローガンである和諧社会からきているようだ。
↓は280元ほどする超高いシート。さすがに誰も乗ってなかった。
本語で「調和」の意である。。
せっかくバンドに来たからということで、しんどい体に鞭打って散策をした。上海でもこの地区は特別に好きで、時間があれば来ている気がする。成長著しい上海の象徴のような場所でもあり、租界時代の古い建物と、対岸に見える真新しい建物の対比が何とも言えず好きだ。
バンドの景色を堪能し
ぶらぶら30分ほど歩いて
ホテルに帰る。
0時ごろ就寝。
そう思いながら18:20頃、地下鉄が発車。いつもはリニアが多いので、あっという間にすぎる期間がやたら長い。乗換駅の世紀大道駅のときは、1時間近くたっていた。そして小南門駅につくと1時間強。かなりの時間、地下鉄に乗っていた気がする。しかも、この駅、どこにあるのかよくわからない。仕方なくタクシーを拾い、予約してあった上海リバービューホテルまでいってもらう。
上海リバービューの名の通り、バンド地区にあるホテルであるが、4つ星の割に、格安ネットで予約するとめちゃ安かった。しかもリバービューの部屋を予約。期待していくと川沿いとは程遠い道を挟んだ奥にあり、しかもリバービューといいながら、それほど川が見えない。目の前に大きなビルがあり視界が遮られている。それでも安いし、設備はそこそこ新しいし綺麗だしで、ひとまず満足した。
ビルの隙間から見えるホテルからの景色。まー満足だ。
上海に近づくと見えてくる風景というのはいつも心躍るものだ。
手持ちの元がなかったことから、今回は空港で5万円を両替する。関空では1元が14.43円とかなり高いと感じたので変えなかったが、浦東空港では13.55円であり、関空よりは安かった。しかもびっくりしたのが、銀行の窓口のおばちゃん、綺麗な日本語でしゃべってくる。しかも、敬語を完璧に使ってくる。接客というのを中国でも覚えたのだろうか。今回まず最初に感じたうれしい驚き。
リニアで市街地までいこうかとも思ったが、この日は上海で泊まるだけなので、のんびりと地下鉄に乗ることにした。小南門駅がホテルに近いと思ったので、そこまで買う、6元。そして中国は何に乗るにしても手荷物検査があるのだが、そこに荷物を通す。地下鉄ホームで電車を待っていると、駅員さんらしき人が何かを持って歩いている。するとこっちをじっと見ている。なんだよ~と思っていると、なんと私のパスポートを差し出してきた。そうなのだ、どこかでパスポートを落としてしまっていたのだ!海外では命の次に大事なパスポートを落とすなんて!まったく気づいていなかったが、おそらく切符を買うときか、手荷物検査のときだろうと思われる。ほんとにいい駅員さんでよかった。こんなに親切にしてくれるなんて、これが2回目の驚き。とともに、体調が悪いこともあって、自分のあまりにも不注意さに嫌になった。パスポートを無くしていたら、どれだけの期間、日本に帰れていなかったのだろうかと思うと、ぞっとする。逆に以後、気を付けようと心に近い、ズボンのチャックがあるポケットにずっと入れていた。
当初、四川にいくつもりだった。成都にいき、綿陽、徳陽をめぐり、広元まで三国遺跡三昧の旅のつもりであった。しかし、東日本大震災がおこり気分的な問題と、予定が入ってきたこともあり、変更することにした。中国にはやっぱりどうしても行きたい、ということで、近場で手軽に行くようにした。また、マイルが切れかけていたので、無料航空券で行ける日程ということで、5月1日から4日となった。上海から手軽に行けるとことはだいぶ行ったものの、杭州方面にはいってなかった。そもそも、呉関連の遺跡が多いので興味がなかったこともあったが、孫権のふるさとをめぐるのと、越王のゆかりの地である紹興に行くことにした。しかしながら、ほとんど直前に日程を決めたこともあり、ほとんど準備できず。そのため、現地でもかなりのタイムロスがあったりして、事前準備の重要性を痛感した旅でもあった。
5月1日
この日は朝にソフトボールの試合が入っていたので、夕方の便としていた。ただ、前日からお腹の調子が急激に悪くなり、かなり下す。1日の朝もかなり調子悪い。でも、幸いにも朝から雨が降り、ソフトボールは中止。睡眠時間を確保して、なんとか出発するが、前日ほとんど食べていないこともあり体重が激減。しかも、頭がぼーっとしてて、体もフラフラ。それでも、中国にでかけていく精神力というか気力というか執念というか。中止も少しは考えたものの、なんとななるやろと思いはるかに乗る。
5月2日
活動開始。この日は杭州までいき、さらに富陽というところまでいく予定。まずは三国遺跡だ。7時に起きるが体調は少しはマシになっている。7:45にホテルを出発し、上海虹橋駅まで行く。虹橋(ホンチャオ)と言えば空港が思い浮かぶが、最近は新幹線のターミナルステーションも作られている。杭州までわずか50分ほどで着くのである。行ってみると地下鉄駅から直結になっていて、しかも空港も近い。そして、真新しくて大きな駅にびっくり。さすが中国、スケールがでかい。自動販売機までできていて、チケットを簡単に買うことができた。今までは長~い行列に並んで、窓口の無愛想なおばちゃん相手に切符を買う必要があったが、それがなくなった。ただし、杭州までの新幹線(CRH)に限るが。9:30の座席なしのチケットが取れた。82元だから1,000円ちょっとで、杭州まで新幹線で行けるのだ。かなりリーズナブル。そのためか、座席はほぼ満員状態。30分おきにでているにもかかわらず、この混みようはさすが中国。ぼろもうけだろうな。立ったままではあるが、外が見える位置を確保し、車窓を楽しむ。かなり早い。時速は350KMまででるので、日本の新幹線並みである。快適である。
ここで、CRHであるが、中国政府は国産と言い切っているが、どう見ても新幹線にしか見えない。しかも、一度、国産で失敗したことがあって、やむなく海外から技術を導入(購入か?)しているのは間違いなさそうだ。社内もかなり快適で、音が静かである。日本の新幹線も今やいろんな種類があるが、東北か上越あたりを走っている新幹線に似ている気がした。駅のコンコースにも、「高速新時代!」なるようなポスターも貼ってあったりして、もう、昔の遅い鉄道じゃないんだよというようなものも見かける。そのポスターを見ていると、近くにいた中国人が何やら話しかけてきて、「こりゃすごいぜ、便利になったな~」的なことを言っている気がした(まったくわからなかったが相槌だけはうっておいた)。この手の中国人民はよくいて、何かに見入っていると、必ず同調を求めてくるような感じで話してくる。それはそれで愛嬌がいいのであるが。