第二次世界大戦の日本軍基地があり、激戦地でもあった場所。ラバウルという言葉の響きもいいのか、郷愁を駆り立てる。行く前にラバウルで活躍されていた日本軍兵士の本をいくつか読んだ。戦時中の悲惨な状況が描かれている。ラバウルも当初はガダルカナル島をとるために、積極的に攻撃していた最前線の基地であった。ガダルカナル島には、当初、日本軍が空港を建設した。しかしそれを狙っていた米国に占拠された。陸軍は上陸作戦を繰り返すが、銃刀対機関銃では勝てるわけがない。全滅、玉砕を繰り返す。生き残った者は飢えと闘いながらガダルカナル島で過ごす。その頃ガダルカナル島は「餓島」といわれていた。
次第に米軍優勢になるなか、今度はガダルカナル島から順次北に向かって島を占拠されていく。ラバウルにも連日、空襲があったようで、多いときは200~300機がやってくる。対する日本軍は零戦50機ほどしかない。日に日に消耗しきり、最後には防空壕に逃げるしかなかった。ガダルカナル島攻撃をしている時ぐらいから「パイロットの墓場」といわれるようになっていた。
当時は飛行場も何か所かあったようだが、1994年9月にラバウル市の南端にあるタブルブル火山が噴火し、その後、シンプソン港をはさんだ市の南西端にあるブルカン火山も噴火をはじめた。それにより、ラバウルの街は火山灰でおおわれてしまった。残念ながら、飛行場も灰に埋もれてしまい、形がないらしい。零戦や陸攻などの残骸はいくつかあるようである。
2019年4月30日 シンガポール⇒ | |
5月1日 ⇒ポートモレスビー⇒ラバウル Rapopo Plantation Resort (ラポポ プランテーション リゾート) 泊 | |
5月2日 ラバウル⇒ポートモレスビー Grand Papua Hotel (グランド パプア ホテル) 泊 | |
5月3日 ポートモレスビー⇒マニラ⇒シンガポール⇒ | |
5月4日 ⇒羽田⇒伊丹 |