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岩の上の城跡から見たジャングルが素晴らしいシギリア
【旅の前】
以前から行きたかったスリランカのシギリア(Sigiriya)。岩の上に城を作ってしまった王の遺跡。スリランカの人に聞いてみると、綺麗なビーチもあるとのことだったが、やっぱりスリランカに行くのならシギリアに行きたかった。コロンボからかなりの時間がかかるとは聞いていたが、レンタカーを借りれることもあり、思い切っていくことにした。しかも、バングラデシュに出張に行っている間に、3日前ぐらいに予約したものだ。当初はシンガポール経由も考えたが、かなりしんどいもののスリランカ航空の深夜の直行便にした。いつものエクスペディアでホテル付航空券のセットと、レンタカーを予約。急きょ決めたものの、行くとなればワクワク感がある。地球の歩き方は昔行きたいと思い買ったもので、2009年から2010年版。かなり前から行きたかったところではある。


【ドライブ】
バンダーラナーヤカ空港⇒キャンディ 109Km ⇒シギリヤ 214Km ⇒クルネーガラ 308Km ⇒コロンボ 404Km ⇒ バンダーラナーヤカ空港 435.5Km


【旅行記】 5月27日
1日目 ダッカ⇒コロンボ(バンダーラナーヤカ空港)⇒シギリヤ(泊)
ダッカでの仕事を終えて週末を迎える。バングラデシュはイスラムだから金曜と土曜が休暇となる。コロンボ行きは深夜2時40分発だ。仕事を終えて夕食を食べて、少しホテルでゆっくりして、ホテルを0時に出発。ホテルの無料送迎で、しかもなかなかいい車で送ってもらった。平日はすごい渋滞になるのだが、さすがに夜はすいている。わずか10分ほどで到着した。空港もあまり人がおらず、チェックインもすぐ。イミグレもすぐ。0:50には空港の中に入っていた。ダッカ空港の出国も慣れたものだ。チェックインでは、係員の人が深夜にもかかわらずとても陽気で、バングラデシュには仕事か?スリランカに何しに行くの?などと聞いてくる。アップグレードしてあげたから、と格安航空券なのにビジネスにしてくれた。嬉しいが、どうせ深夜便なので寝るだけなのであるが。搭乗まではloungeの近くの喫茶店で煙草を吸いながらぼーっとする。疲れているのでガイドブックを読む気にもならず、iPhoneで音楽を聞いたり、映画を観たり。そして2時に搭乗。定刻は2:40なのだが、2:15とかなり早くに出発した。ビジネス席は結構埋まっていたが、エコノミーのほうはあまり客がいなかったように思う。眠さMAXで、座ると同時に寝ていたような気がする。

コロンボの空港はコロンボから北に30Km強のところにあるバンダーラナーヤカ(カトゥナーヤカ)(Bandaranaike (Katunayaka))だ。コロンボ到着は定刻は5:35だが、4:50にはついていた。レンタカーの予約が6:30なのであまり早くてもな〜と思いながら、イミグレに向かう。スリランカの国は種のような形をしているのでおもしろく、空港内に案内地図などがあり、気分が盛り上がる。ガイドブックにはビザ不要と書いていたのだが、40USドルが必要とのこと。25ドルしか持っていなかったので、日本円で支払う。6,000円支払うと律儀に500スリランカルピー(Rs)を返金してくれた。イミグレ手続きしてくれた警察官もとても気さくで、ホリデーか?いいところだから楽しんでね、などと話して、出口まで案内してくれた。5:30過ぎにはイミグレ通過していたので、レンタカーカウンターに行くと、予約を6:30にしていたので、まだ車が来ていないとのこと。しまった。しばらく空港で待っているが、あまりの眠さに寝ていた。7時前に起きて手続きをする。いつものハーツはスリランカにないので、最近たまに使うEuroCarだ。空港に迎えに来てもらい、少し離れたレンタカーセンターへ行く。その係員もとても気さくで、どこに行くの?などと聞いてくる。手続きを終えた後、車チェックをして出発!この時点で7:40だ。


(左)空港内のスリランカマップ。ワクワク感マックス。 (中)空港からキャンディに向かう道は最初はかなり細い。 (右)目的地はまずはキャンディ。

目的はシギリヤだが、途中、キャンディ(KANDY)という街があるので、そこを目指すことにする。空港から出て運転するが、道はとても狭いし、リキシャが走っているし、予想どおり走りにくい。幸い軽自動車だったので、小さくてよかった。最初は慎重に運転する。幹線道路までは細い道なのだが、わずか30kmの道をいくのに1時間もかかった。これは先が思いやられる。幹線道路にでても、道幅は広くはなるが基本は1車線。トラックも走っているし、のろのろ運転には変わりない。キャンディに近づくにつれて車が多くなり、結局キャンディに着いたのは11時。空港から100Kmほどのであるが、3時間以上もかかったことになる。キャンディはシンハラ王朝がインドからの侵入者に追われて南下し、最後にこの地を選んだ。スリランカの古都である。スリランカで最もスリランカらしいと言われている街だ。街は活気があふれて、欧米系の観光客も多い。街に湖があり、そこでのんびりしようと思い、車を停める。なかなか風情があっていい街である。時間の都合で街歩きはせず、キャンディの郊外にあるKFCで昼食をとることにした。値段が高いせいか、地元の人もまばら。決しておいしくないハンバーガーを食べる。ま、お腹が膨れたのでよしとしよう。

(左)キャンディは湖があり、周りを散策している人が多かった。 (中)キャンディのKFC。 (右)こんな巨木が道沿いにしばらく続く。

キャンディを過ぎると明らかに風景が変わってくる。丘陵地帯で、田園風景が広がり、日本の原風景的な感じだ。道路の周りにも大きな木が並木道のようにあり、マイナスイオンを浴びながらドライブしている感じ。とても気持ちがいい。しかも交通量も明らかに減っているので走りやすい。かなり気分よく走ることができる。シギリヤへの期待も膨らむというものだ。キャンディから2時間ほどたつとダンプッラ(Dambulla)の街だ 。文化三角地帯と言われている一角に入ったわけだ。この街にはスリランカ最大の石窟寺院がある。行きたい衝動に駆られるが、もうすでに14時。この日はシギリヤでのんびりしたかったので、あきらめる。ここからシギリヤまではもうすぐ。道も極端に広くなり走りやすい。観光客が多いからだろうか。シギリヤへ入る道はわかりにくく、一度通り過ぎてしまった。引き返してシギリヤという看板のところを曲がり、あとは一直線。だんだんと雰囲気がでてくる。しばらく走っていると、ついに岩が見えてきた!アメリカの国立公園で有名な岩を見つけた感覚だ。岩を横目に見ながら、まずはホテルにチェックイン。シギリヤビレッジというホテルで、一番奥にあるホテルだ。ホテルの入り口は未舗装道路で、しかも相当なでこぼこ。これも雰囲気がある。まだ14:30だから人もまばら。チェックインして部屋にいくとコテージ風になっている。ひとつの独立した家だ。中の雰囲気も素晴らしい。テンションがあがる。

(左)幹線道路からシギリアへ向かう分岐点。 (中)シギリアビレッジの部屋。 (右)シギリアロックに行く途中の蓮の水路。

そしてさっそくロックへ行くことにした。最初から入り口に行けばいいものを、ロックを一周できる道路があったので遠回りしてみた。すると、かなりの遠回りになってしまい、時間ロスだ。しかもロックがよく見えない。15:30にようやく入り口につき歩き出す。すると、日本語ガイドがついてきた。いらないと言ったが、ずっとついてくる。よくよく話してみると、日本語がうまいし、公式ガイド証持ってるし、誠実そうな若者だし、地元貢献ということで、お願いすることにした。まずはチケットを買うが、これが結構高い。4,260Rsだから3200円ほどか。チケット売り場のすぐ近くには、最近JICAの支援で作られたシギリヤ博物館がある。ここには上まで行けない人のために美女の絵のレプリカなどがおいているそうだ。しばらく歩いていくと、昔ワニがいたという蓮の水路や水の広場がある。ひとつひとつ丁寧に解説してくれる。このあたりから見るシギリアロックはとても美しい。期待感が高まる時間だ。

ロックに近づきいよいよ登頂開始。階段があるので登っていくが、全部で1300段以上あるとのこと。出身地の香川県にあるこんぴらが本堂まで785段なので、いつもそれから換算してしまうが、それのほぼ倍となると結構きつい。段々と景色がよくなってくるが、3分の1あたりにくるといよいよ美女のフレスコ画がある。しかし、岩の中腹にあるので、結構怖いらせん階段を上らないといけない。その階段が岩の端に取り付けられており、何とも言えない不安定感と、その下は100m近くはあろうかというところ。さすがにビビる。このらせん階段はイギリス統治時代の1938年にイギリスが作ったものらしく、かなり古いのも恐怖に拍車がかかる。それでもひーひー言いながら上りきると洞窟のようなところにあった!王様が抱えていた美女500名の絵があったそうだが、今では18しか残っていない。それでも現存しているフレスコ画はなかなかのものである。ぜーぜーと息が上がっているが、しばらく堪能。1年ほど前までは撮影OKだったのだが、今では撮影禁止になっている。ひとしきり堪能したあと、またあの怖いらせん階段を降りなければならない。一気に駆け下りた。その下にはミラーウォールと呼ばれる鏡の回廊があり、3mほどの高さの壁は鏡のような光沢をもっていたという。昔はミラーウォールの反対側に美女の絵があったのだが、それがなくなった。でも、今でも光沢は健在で、風景を映していた。

(左)シギリアロック正面。 (中)恐怖のらせん階段。 (右)ミラーウォール。


そこからさらに上がっていくと、平らなところにでる。ガイドは獅子と言っていたが、獅子の足が残っている。昔は大きな獅子の顔と胴体もあったらしいが、今では足しか残っていない。この時点で高さ300mのうち約3分の2で、獅子の顔は一番上のほうにあったというから、巨大な像であったのだろう。シンハラ語で獅子(ライオン)はShinha(シンハ)といい、喉はGiriya(ギリヤ)というようで、それがシギリヤの地名になったようである。ここでも十分に景色がいいので、休憩がてら一服する。そして、最後にとても不安定そうな階段を上ると頂上だ。ほとんど岩に階段を取り付けているので、それがどうも怖い。途中、スズメバチの巣が大量にあったりもする。そこもぜーぜー言いながら上ると、ようやく頂上だ。頂上につくと水くみ場があり、そこを上ると今まで苦しい思いをして登ってきたことが吹っ飛ぶような景色が広がっている。北と東はジャングル、西は田園風景、南は小高い山が連なる何ともいえない風景である。城跡がいくつか残っているが、日本流でいうと天守閣にあたる部分は2階建てだったらしい。ここで王は何を想ったか。

このロックは古代から仏教僧たちの修練の場であったが、459年から477年にかけてここを統治したのがカーシャパ王である。カーシャパ王は、貯水池を建造した父であるダートゥセーナ王を監禁して王位をはく奪した。弟のモッガラーナに王位継承権を奪われるのを恐れたためだ。カーシャパは父に対して、財産をすべて出せと要求したが、父は貯水池を指して、これが私の全財産だと言った。するとカーシャパは父に恨みをもつ家臣に命じて、父を殺してしまった。それからこのシギリアロックの上に城を作り始め7年後に王座をこの岩山の頂上に置いたのである。しかし、長くは続かなった。11年後(ガイドは18年間と言っていたが)、インドに亡命していた弟に攻められ、カーシャパは自ら命を絶ったのである。その後、弟であるモッガラーナ王は、シギリアの王宮を仏教僧に寄付して、首都を北方にあるアヌラーダプラに戻したのである。その後、シギリアロックの宮殿が発見されたのはイギリス植民地時代に入ってからの19世紀後半というから驚きである。現地では伝説になっていたのであろうが、しばらくこの王宮が忘れ去られていたということだ。美女のフレスコ画も、1875年にこの岩山を望遠鏡で眺めていたイギリス人がたまたま見つけたというのだから驚きである。そんなことをぼーっと考えながら、ジャングルや田園地帯をぼーっと眺める。1500年前にここで起こっていたことを想像するだけでおもしろい。王のプールには水がたまっており、その向こうにお妃の家がある。また、王の台座の前にダンス場があり、多くの踊り子を踊らせていた場所もある。

(左)恐怖のらせん階段2. (中)獅子の足。真ん中の階段から頂上まで上る。 (右)頂上からみたロックへの道。


夕暮れのシギリアロックを十分に堪能した後、行きとは違う道で降りた。土産物屋があったので、収集しているピンバッチをひとつだけ見つけたが、1,500Rs(1,100円ぐらい)とふっかけてくる。ありえねー、じゃいらないと行きかけると1,000Rsと言ってくる。それでも高いが、ほかでバッチはあまりないだろうと思い、購入してしまった。そして、日本語ガイドが案内してくれたお茶屋でチャイを飲むが、これがまたうまい!大汗かいた後だが、暖かいチャイは格別にうまかった。そして、駐車場まで歩くが、最後に夕陽に染まるシギリアロックを見れた。すこしだけ赤くなったロックもなかなかいいものである。最後に日本語ガイドにお礼を渡してさよならするが、なかなかいいやつだったのでチップも弾んでしまった。途中、道行くひとたちに声をかけられるし、落し物があったら、わざわざ拾いに行って岩の下まで持って帰ってくる、とてもいいやつであった。日本語ガイドはバイクで帰っていったが、そのあと、夕陽スポットを探しているとまた会ってしまい、こっちにいってもずっと平野だから何もないよ、と。最後までいいやつだった。大満足でロックを離れ、ホテルに帰る。ホテルは夕食は19:30からで、ビュッフェ形式だった。中華が中心であったが、これがまたうまくて、Lionビールも飲めたし、食事も満足であった。昨夜は飛行機で3時間も寝てないことから、この日は21時過ぎには寝ていた。

(左)ジャングル方面。 (中)手前が王のプール。プールの上にお妃の家があったそうな。 (右)のどかな田園風景。池に見えるのはすべて人工の農業用貯水池。


2日目 シギリヤ⇒コロンボ⇒バンダーラナーヤカ空港⇒ダッカ
スリランカはこの1週間前にサイクロンが襲い、コロンボあたりはかなり浸水したと聞いていた。しかし、1日目も2日目もとてもいい天気でほんとラッキー。疲れていたのか10時間以上寝て目覚めるととても気持ちいい朝だった。コテージなので木の中だし、爽やかだ。そして昨夜の夕食会場で朝食を食べる。昨夜と一部同じものもあったが、朝食もうまい。満足して食べていると、日本にいたというシェフが声をかけてきた。でも、ほとんど片言の日本語だったので、あまり意味はわからなかったが、やたらフレンドリー。朝食後に部屋でのんびりしていると訪ねてきて自分の名刺を差し出してきて、そして名刺をくれという。チェックアウトするときも、フロントマンがわざわざ電話して、その人を呼び出し、フロントまで来てくれた。そして、車まで送ってくれた。よほど日本のことが好きなのか、日本で親切にされたのかだろう。こんなところにも日本のファンがいるんだと嬉しくなってくる。

ホテルを出てすぐのところに、シギリアロックを見れる場所がある。そこでしばらくのんびり岩を見ていた。よく見ると頂上に人が立っているのが見える。昨日はあそこにいったんだと感慨深い。時間さえあれば、今日ももう一度行きたいぐらいである。手前に広がる池と岩の感じがなんともいい。しばらくぼーっとする。この日はあわよくば文化三角地帯の遺跡に行こうかと思っていたが、ホテルがよくてのんびりしすぎた。この時点でもう11時。コロンボには行っておきたかったので、文化三角地帯はあきらめる。シギリアに別れを告げて、まずはダンプッラの街へ。ガソリンがなくなってきたので、満タンに入れる。軽自動車なのでそれほどお金がかからないだろうと思ったら、結構かかった。しかも、その金額のルピーを持っていなかった。なんとかUSドルで払わせて!とお願いすると、ガソリンスタンドのお兄さん、どこかに電話していた。するとOKとのこと。20ドルと1,000ルピーで許してもらった。

そこからはひたすらコロンボに向けてひた走る。しばらくは田園風景や巨木の横を通ってとても気持ちのいいドライブだったのだが、クルネーガラというちょうど中間地点の街に近づくにつれて俗人的な風景となる。しかもかなりの渋滞。片側1車線なのに、片側をストップして工事しているからそりゃ渋滞する。しかも、何か所もそんなところがあった。だんだん疲れてきたし、2時間以上走っていたし、食べるものを調達しようと思い、その町の売店に立ち寄る。日本人がよほど珍しいのだろう、店員さんがじろじろ見てくる。うまそうなおかしとスプライト、そして煙草を購入。たばこは切れかけていたので、助かった。1本ごとに売ってくれるが、10本の大人買い!これでスリランカにいる間は煙草が持つと安心して、出発。この時点ですでに13:30だ。再びコロンボに向かうが、だんだんと渋滞がひどくなってくる。さすがに悪路はなくなってきたが、車の数は多い。コロンボまであと10Kmというところあたりでタワーのようなものが見えてきた。ようやくコロンボだ!と喜ぶ。そこからは結構大きな道になる。すると旧市街地に入ったようで、観光客が多く歩いている。西洋人が多い。そこをさらに突っ切っていくと、イギリス統治時代の建物が見えてくる。目指すところはもうすぐだ。当初、泊まろうかと思っていたヒルトンも見えた。そこからしばらくいくと、海岸線にでた。ここだ!ということで駐車場にとまる。シギリアから6時間だ。ぐったり。するとおじさんが近寄ってきた。完全にタダのような駐車場なのだが、30Rs必要とのこと。駐車禁止とかレッカーとかされたら洒落にならないので、払うことができて良かった。

(左)シギリアビレッジ近くから見たロック。 (中)ダンプッラを出るとしばらくこのような景色になる。 (右)途中の街では住んでいるひとたちが近くで見れる。

ここから見える景色はインド洋であるが、これまた荒々しい。砂浜になっているので、多くの人たちが思い思いに過ごしている。海岸沿いを歩いていくと、国旗のあるところに観光用の波止場があった。そこにいってみるが、とても美しく海岸線が見える。とても新しいビルと、建設中のビルと、。そして先ほど見えたタワーも建設中であった。コロンボも発展しているのだ。インド洋の荒波を見ながら、この旅がとても良かったことを振り返る。ちょっと無理したが、スリランカに来て良かった、と実感。1時間ほどのんびりして、それから空港へ向かう。空港は30kmほど離れているが、おそらく道が悪いだろうから1時間以上はかかることを予想する。案の定、道は狭いし、道端にたまに牛がいる。中央分離帯の草を牛が食べていたのびはびびった。しかも何頭も。車と接触でもしたら、大変な事故になるだろう。夕暮れで暗くなりかけて、視界も悪い。それでも途中からは交通量がかなり減り、1時間20分ほどでEuroCarの返却場所に到着。途中、リキシャがストップしてバックしてきてコツンといったきもするが、車の傷については何も言われなかった。距離が所定よりも100kmオーバーしているので、追加料金はとられた。走行距離は435Km。長い間、運転していたように思ったが、距離はそれほど走っていないというのが実感か。EuroCarの方もとてもいい感じの方で、気を付けて!と握手をして別れる。

(左)コロンボの英国統治時代の建物。 (中)ゴールフェイスグリーンと呼ばれる芝生の公園。 (右)空港でシギリヤに再度であえて幸せ♪

空港のイミグレ等は難なく通過し、時間もあったのでお土産を買う。スリランカと言えば紅茶だ。それしかない。紅茶を売っている店がたくさんあった。店員にきいて最も好きなものはどれ?と聞いて選んでもらったものを購入。おなかもすいていたので、バーガーキングにいく。ハンバーガーとナゲットをほしかったのだが、英語がうまく通じず、ハンバーガーのセットが2つでてきた。21ドルとは高いと思ったのだが、失敗だ。それでもおなかがすいていたので、全部食べてしまった。その後搭乗口へ。ダッカ行きの飛行機は確かに表示があるのだが、乗客がどうも少ないようだ。どうも不安になる。搭乗口にいっても20名もいないぐらい。しかも薄暗い。すると搭乗口が変更になったという。また搭乗口を出て、違うところまで移動して、しばらく検査官が来るのを待って、再度荷物検査。しかも飛行機が遅れているようだ。ネパールでの5時間待ちという悪夢がよみがえったが、1時間と少しだけの遅れで出発。ダッカ到着は定刻1:40だが、結局2:50になってしまった。スリランカとバングラデシュの時差が30分というのも微妙ではある。ダッカ空港でも、またいつものようにイミグレ通過した後、もう一度、パスポートを見せないといけないのだが、どこにハンコあるんだ!と探せられない様子。ここだよ!!と言ってすぐにタクシー乗り場へ。深夜なのでホテルまでもすぐに到着だ。1泊2日の逃避行のようであったが、スリリングであり、気分転換になるものであり、そして大満足の旅であった。

完〜