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三国遺跡めぐり最終章!? 剣閣と昭化古城、そしてろう中

旅程

   2016年4月30日
伊丹⇒羽田⇒成田⇒成都
成都・西藏飯店泊
5月1日
成都⇒広元(明月峡)
広元・万達嘉貨酒店(Wanda Realm Guangyuan)泊
5月2日
広元⇒剣閣⇒昭化古城⇒広元
広元・万達嘉貨酒店(Wanda Realm Guangyuan)泊
5月3日
広元⇒ろう中
ろう中:花間堂ろう苑(Blossom Hill Fairyland Sichuan )泊
5月4日
ろう中⇒南充⇒成都
成都・西藏飯店泊
5月5日
成都⇒成田

(写真は四川省・剣閣)

旅行記

2年前に四川省に行き、とても過ごしやすいところだと思ったものだ。四川には三国遺跡がやまほどある。前回では到底すべて行くことができなかったが、今回は広元、ろう中を回れるぐらいの休みがとれそうだ。そして今回が2002年11月に三峡下りから始まった14年間の三国遺跡めぐりの最終章になる。行けていない遺跡は山ほどあるが、当初から行きたかった場所には今回ですべて行けることになる。最後の場所が四川というのがこれがまたいい。劉備の最期の場所である白帝城で始まり、張飛の最期の場所であるろう中で終わる。

今回は成田から成都までのANA直行便とした。成都につくのが22時すぎだが、その後の予定も十分回れる。
中国の変わり様は毎年すさまじいものがあるが、成都の地下鉄は2年前は2本だったが、今回は4本になっていた。帰りにろう中からバスで成都に帰るつもりだったが、南充からCRHができていた。バスに乗っても高速がかなりできているので、かなり移動が速くなっている。逆に、成都から広元までバスで移動したが、乗客が6~7名しか乗っていなかった。昔なら超満員のバスや電車で移動していたのだが、人の流れも変わりつつあるのか。それを感じるのも楽しいし、中国はすでに先進国になっていると何度も感じた。それでいて成都駅前の食堂にいくと10元(180円)で牛肉面が食べれる。そのギャップもいい。中国の人たちも裕福になったと街を歩くとすごく感じるし、歩いている人たちの顔もとても明るい。14年前とはかなり変わったものである。


4月30日(土)
今回は成田から成都だ。大阪からいくと一度東京にいって、また引き換える形になるが、成都への直行なので楽である。しかもその便が夕方の便なので、早朝のソフトボールの練習に参加し、いつもの喫茶店に行き、そこから出発だ。いつもの土曜日を過ごした後に中国へ出発。伊丹から羽田に行き、羽田からバスで成田まで移動する。結構時間に余裕を持たせたつもりであるが、羽田着が遅れ結構ぎりぎりになる。成田に16時に到着し、ダイヤモンド会員専用入り口から入り、いつものラウンジへ。煙草を免税店で買って、両替をしていると時間がたってしまって、ラウンジにいれる時間が20分ぐらいしかない。そういえば、昔は日本で中国元への両替ができなかったのだが、今ではできるのだ。これも以前と違うところ。ラウンジでは食べたかったうどんを食べて搭乗口へ。バスで飛行機まで移動だ。

無料航空券でビジネス予約していたのだが、ゆったりできるシートで、そこそこシートが倒れるタイプだったので、リラックスできる。途中マップを確認していると、南京や鎮江、合肥と思われる都市の灯りがよく見えた。いずれも昔、遺跡巡りで訪れた都市だ。そのなかでも三峡の真上になると、雲があったのか、そもそも灯りがないのかわからないが、真っ暗であった。三峡下りで訪れた奉節、雲陽、巫山がとても懐かしい。長江の水位がかなり上がっているだろうが、もう一度行きたい場所だ。成都までは5時間30分。ビデオ見たり映画見たり三国遺跡の予習したりしていると、あっという間に成都に着いた。成都に飛行機が駐機して10分でイミグレを通過できた。タクシーが並んでいたが、白タクにつかまってしまい、150元と言われる。それはタイクイラー(高い!)ので、100元にまけてもらい出発。それでも高いことに後で気づくのだがまあいい。そして2年前と同じチベット(西蔵)ホテルにチェックイン。ここは安いわりにグレードが高いので大好きだ。成都駅にも近いのでとても便利。すこし遅くなったが2時前に就寝。

(左)羽田を使うことが多くなったが、成田空港はやはりノスタルジーだ。 (中)途中、南京、鎮江、合肥、武漢、三峡の上を通るが、昔行った都市なので感慨深い。 (右)西蔵酒店のエレベーターホール。この雰囲気が大好きだ。


5月1日(日)
この日は成都から広元への移動日。時間次第ではあるが明月峡に行ければと思っていた。朝ホテルの朝食会場へ行く。前回は時間の関係で行けなかったが、とても綺麗な朝食会場だ。しかもほとんど中国の方々。とても裕福そうに見える。裕福な感じでいけば、日本よりも裕福なのではないかと感じる。再度このホテルには帰国前日に帰ってくるがいったんチェックアウト。9時にホテルを出発。事前調べでは成都から広元まではまだCRHはない。そこで電車より早いと思われるバスで行くことにした。ホテルで広元行きのバス乗り場を教えてもらい、そこまでタクシーで行く。ホテルの人に書いてもらった乗り場にいってもらうようにタクシーの運転手に紙を渡すと北門車駅に着いた。なんとなく違うなと思いながらチケット売り場にいくと、広元行きはないといわれる。やっぱりと思い、近くで成都の地図を買う。すると成都駅の北側に大きめのバス乗り場がある。五?石客運駅だ。ここは大きいので期待が持てる。が、ここでもチケット売り場にいくとメイヨー。これはまずい、と思いその近くの城北客運駅へ再度行く。すると12時発の広元行きはある、でも最終目的地は許昌(曹操の故郷)になっている。ここも広元行きのバスは頻繁には出ていないようだ。この時点で10時で2時間ほど待たないと行けないが、12時発のバスで行くことにした。成都駅が近かったので、そこまで歩いてみる。電車の時間を見ていると何本かはあるようだが、またチケットを買っても、電車は5時間以上かかるのでやめておいた。アイスを買って成都駅を見ながら食べる。成都はこの時期、30度を超える暑さ。とてもうまい。

ようやく12時近くになり、バス乗り場に行く。しかし広元行きはどこにも見当たらない。許昌行きも見当たらない。不安になりながらもチケットに書いている乗り場で待っていた。広元に向かうと思われる人たちがいたので、一緒に待つ。するとバス会社の人がGuangyuanと叫んでいる。おー広元だ!と思い、その人についていく。まだバスは来ていなかったが少し待つと、洗車されている前まで連れてこられる。その場所でバスに乗り込む。大型バスだが、それほど客がいないので結構ゆったりと座れる。結局12:45出発で、かなり遅くなってしまった。朝から電車で移動しておけばよかったと思いつつ、中国ではよくあることさと開き直る。あとは快適な高速の旅だ。後で気が付いたが2年前は成都駅の東北にある昭覚寺汽車駅に到着したのだった。中国人の友人にメールで聞いてみると、バス路線検索のサイトを送ってもらう。それで調べると昭覚寺からは1時間に1本は広元行きがでていた。次に行くときは気を付けよう。

広元に着いたのが16:40。成都からは4時間だ。まだまだ明るいので、ここでタクシーを拾って明月峡に行くことにした。しかし流しのタクシーがあまりない。どうしようかと思っていたら、白タクが目の前にいた。明月峡と伝えると120元と言っている。距離がよくわからないが、それほど高くもないのでそれでいいと乗り込む。これが結構遠くて、途中工事中の道路もあり未舗装道路も通りながら40分ほどかかってしまった。途中、広元から漢中へ抜ける高速道路の横を通る。高速道路は川沿いを橋脚で走っているが、地震が起こってしまうと崩れそうなつくりをしている。このあたりは地震がないからいいのか。明月峡は観光地化されており、立派な門ができている。門票を売っている窓口は閉まっているが、門が開いていたので入ってみる。するといきなり諸葛亮の像がある。ここは諸葛亮が魏を攻めるときに、道が作れないので、崖に木の棒を差し込み、そこに橋をつくることで兵糧などを大量に輸送できる道を作ったところだ。しかも景色もよい。嘉陵江はとても大きな川で長江に流れる支流のなかでも最も大きいものだ。重慶で嘉陵江と長江が合流しているのだが、重慶でみる2つの大河の合流は雄大であり迫力があったものだ。

明月峡は公園として整備されていて、諸葛亮が作った桟道も新しいものになっている。風情というものがなくなっているが、諸葛亮の像と嘉陵江を両側から挟んでいる険しい山を見ていると、とても雰囲気はある。ここをどんな気持ちで諸葛亮は通過していったのであろうか。出師の表もここで書かれたものと言われている。整備された公園の奥までは遠すぎて行けなかったが、嘉陵江の流れを見るだけで十分満足であった。チャーターしたタクシーの運ちゃんを待たせていたので、30分ほどいて広元に引き返す。ホテルに着いたのが18:30。思ったより大きくて豪華なホテルである。フロントはかなり豪勢だ。部屋に行くと1万円とは思えないグレード。バスタブもきれいなので風呂にゆっくり入れる。これで疲れを癒そう。後で聞いたが、このホテルは昨年にオープンしたばかりでとても新しい。隣にショッピングセンターもあるので、Wandaグループが一体を開発しているのであろう。広元の市街地からはかなり遠いものの、とても快適なホテルである。ホテルの周りを歩いていると、マクドナルドがあったので思わず入ってしまう。ハンバーガーと思っていたが、牛丼のようなものを売っていたのでそれをテイクアウトする。近所の女の子が話しかけてくる。でも何を言っているかわからないが笑顔で返していると微笑んでくる。四川の広元という片田舎でも、ショッピングセンターは多くの人でにぎわっており、マクドナルドの子供たちの笑顔を見ているとこちらまで癒される。明日はこの旅のメインとなる剣閣と昭化古城だ。そのために2230と早めに就寝。

(左)成都でようやく広元行きのバスにありつけた。 (中)広元バスターミナルの前。あまり人がいない。 (右)明月峡で。のどかな流れの嘉陵江。


5月2日(月)
6:30に起きてホテルで朝食。ホテルロビーの横にあるレストランだが、これもまたゴージャス。メニューも豊富でおいしい。中華が基本だが、フルーツも多い。ここでも西洋化が進んでいるのか。いいホテルなのでのんびりしたい衝動を抑えて、8時に出発。フロントにいってタクシーを呼んでもらおうと思ったが、ホテルにハイヤーがあるとのこと。そっちのほうが安いと言ってくれる。では、そっちでお願いすることにしたが、ドライバーがあいにくいなかった。しばらく待つとベンツがやってきた。しかも後部座席にゆったり座って運転手つきのような車だ。ドライバーは手袋までしている。どこかの社長になったみたいだ。8:45にホテルを出発。とても快適だし、音楽も流してくれる。これまでの遺跡めぐりとはまったく違った感じで出発だ。違和感はあり。

剣閣までまずは行くが、高速がある。しばらく市街地を走った後、高速に乗ると剣閣ICまでは30分ほど。そこから山道を上がっていくが、なかなか景色がいい。川沿いの道を険しい山の中を走っていく感じ。ホテル出発から1時間ほどで到着した。剣閣の入り口までタクシードライバーが案内してくれた。チケットを買うが115元とそこそこ高い。それでは南門で会いましょう、ということでドライバーと別れる。入ると公園内はとても広そうだ。まずはロープウェイに乗る。これも別料金で50元。ロープウェイに乗るとぐんぐんと上がっていく。確かにこれを歩こうと思えば大変だ。50元の価値はある。降り場から少し上がったところに展望台があるが、これがまた素晴らしい眺望だ。ここは剣閣という歴史的な場所でもあるが、観光地としても十分に成り立つ場所でもある。中華の平原になれた人なら、ここは特別なものを感じる場所かもしれない。ふと上を見ると岩があるが、それがまた険しい。さらによく見るとその岩の途中にくりぬいたところがあり、そこを人が歩いている。ほー、あそこを今から歩くのか。かなり危険そうである。その道は烏道と書かれている。とりあえず歩くことにするが、人が多いうえに一人しか歩けないし、ハイヒールやらおじいさん、おばあさん、小さな子供もいるので、とにかく遅い。こんな険しい道を歩くのは大変だろう。行きは止まり、行きは止まるを繰り返し進む。ほとんど崖のようなところを上ることもある。とても危険であるが、これも中国か。上にいくとかなり景色が広がっている。さっきよりも高いので、より雄大に見える。それにしても、崖なので足を滑らせると真っ逆さま。景色を楽しみつつも、細心の注意を払う。ようやく普通の道にでてきた。

ここにきて、剣閣にきた目的は何だったんだと考えるが、剣閣に行きたかったのだ。早くそこに行こうということで、なだらかな道を下りる。しかし、広大な公園だ。ひとつのテーマパークになっているのだろう。ところどころ蜀か魏の将兵の像がある。その前でこどもが写真を撮っていたりする。完全な観光地だ。しばらく下りていくと、分岐点がある。地図を見てみると、姜維城行きの道があった。そっちにいくと索道があった。つまりロープウェイだが一人用のものだ。とても怖くて乗れない。仕方なく歩いていくが、とても険しい谷を一度降りて、しかも同じ距離を上らなければならない。時間の都合もあるので、少し下りたがあきらめた。剣閣に向かう道にいってみる。しばらくいくと岩の間を通る道があったりするがあまり興味なし。とにかく広い。そして、ようやく剣閣が見えてきた。姜維が守っていたのは、もっと上なのだが、ここは観光地開発で作られたものである。それでもとても雰囲気はある。なかなかのものだ。ひたすら写真を撮る。そして門をくぐると諸葛亮や姜維の像がある。姜維は3カ月、ここで持ちこたえたが、別ルートの険しい山越えをした鄧艾が成都を陥落させた報をうけ、対面していた鐘会に降伏した。その降伏時の悔しい感じを像n出している。それがまたいい感じだ。多くの観光客が像と一緒に写真を撮っている。ここは立派な観光地である。それだけで三国志が注目されていることで嬉しいものだ。

気分よく南門に向かう。姜維に関連した廟もあるとのことだが、行く道が通行止めになっていた。しかも相当山を上らないといけない感じだ。十分に満足したこともあって、そこはあきらめた。剣閣の門から南門まではすぐだった。剣閣に入って出るまで3時間30分以上かかった。運転手は待っているのかと案じていたが、ちゃんと出口で待っていてくれた。いったん広元に帰っていたのかもしれないが。するとiPhoneの翻訳ソフトで、昼飯はいらないの?と聞いてきた。あいにく持参していたカロリーメイトを食べていたので、いらない、次のここに行きたいと伝える。そこは劉備の子供の劉禅が植えたといわれている柏の木があるところだ。翠雲楼という場所で、剣閣から20分ほどで到着した。ここもきれいに整備にされている。50元を払って中に入る。しばらく歩くと柏の巨木がたくさんある道にでた。ここのひとつに阿斗柏があり、降伏した後、成都から洛陽に護送されるときに雨宿りしたといわれている場所だ。今から1800年も前のことだからどの柏がわからないだろうが、まー、このあたりは柏の木が多いので、それもありなん、だろう。しかも、観光地化するときにとってつけたのだろうが、黄忠、魏延のほか張飛に関する柏の木もある。ここまでくると嘘くさい。一通り回ったものの、散歩のようなものだ。それよりも素晴らしかったのは、翠雲楼だ。すこし山の上に上る必要があるが、楼閣の上にいけば、剣閣がきれいに見える。剣閣と言われるだけあって、剣のような峰が続いている。しかも剣も何個もある。ここは素晴らしい。昔はこの道を通って洛陽に行っていたのだろうが、その風景は変わっていないのだろう。ここでも十分に満足できた。

(左)剣閣ICから剣閣に行く途中。期待が高まる。 (中)雄大な景色である。 (右)烏道から。とても怖いが景色は最高。

この時点で15時過ぎ。そろそろ急がないとということで、昭化古城に向かう。ここは昔は葭萌(かほう)関と言われた。「蜀は葭萌(かほう)に興り、緜竹に滅んだ」と言われている。つまり、この昭化で蜀が始まったわけだ。劉璋の天敵である張魯を討つべく、劉璋の要請で劉備はここに来た。昔は行きにくい場所だったのだが、今では高速のICからすぐ。剣閣ICで乗りすぐに下りてしばらく行くと昭化古城だ。ここもかなり開発されている。広い駐車場にチケット売り場。ここに入るのも58元だ。ここは小さな街で、昔の風情が残っているところなのだ。街に入るのになんで金がいるのか!?と思いながら進む。道の両側にはいろんな売店が並んでいる。完全に観光地だ。チケットに書いている遺跡を順番に回ることになっている。劉備が昔ここにいたことを感じることはあまりできない。ひととおり回ったあと、西門にあるのが戦勝はと書かれた場所がある。張飛と馬超が戦ったところだ。どちらも豪傑、かなりの長時間戦ったが、結局決着はつかなかった。その場所だ。どちらの蜀の5虎将になった人である。その先にあるのが費い墓。費いは諸葛亮の次の次に蜀の国を預かった文官である。酒好きがたたったのか、宴席で魏の投降兵に殺されてしまったが、蜀の国を安定させた功績は大きい。費いが亡くなってから、姜維の歯止めができる人がいなくなり、蜀は滅亡となったといっても過言ではない。費いの祠はとてもキレに整備されており、墓もなかなかのものである。昭化古城のなかよりも、外にある遺跡のほうが見ごたえある。これで見たかった遺跡はすべて見れた。

昭化古城を18時に出発。ホテルに帰るまで45分ほどであるが、中国の旅も楽になったものだと実感。もはや先進国の仲間入りではないかと思えるぐらいだ。高速もあるし、移動もベンツ、剣閣と昭化古城を1日で効率よく周れるなどは、昔ならあり得なかっただろう。ホテルについて、ドライバーに1000元を渡す。十分すぎるぐらいのサービスだったので、とても安く感じる。フロントの英語ができるスタッフにろう中に移動するためのバスと電車を調べてもらった。19時前には部屋に帰る。こんなに効率的な旅でいいのだろうか、と疑問さえおこる。少し部屋でゆっくりして20時からホテル内の中華にいった。チャーハンとラーメンを食べたがこれがまたうまい。大満足の1日だった。1:30に就寝。

(左)剣閣の裏側。のどかである。 (中)昭化古城。賑わいがあるのだ。 (右)昭化古城には漢時代の城壁も残っている。


5月3日(火)
8時前に起床。この日は広元をあとにしてろう中に向かう日。レストランでのんびり朝食をたべて、せっかくいいホテルなので、少しのんびりすることにした。中国の汚い空気といえども朝は気持ちいい。のんびり散歩する。そして部屋から外を眺める。ゆったりした遺跡旅行である。そして調べていたバスの時間に間に合うようにバス乗り場に向かう。タクシーに乗ってバス乗り場にいくが、どうも広元についたバス乗り場と違う。ま、いいかと思って切符を買いに行くがろう中行きはメイヨーと言われる。ここじゃなくて長途汽車客運駅だよと言われる。またタクシーに乗ってそっちにいく。今度はあってそうだ。11:50発であるが、11:20に着いた。バス乗り場まで2回タクシーに乗って28元。広元からろう中まで2時間のバスが58元。なんのこっちゃ。バスにはそんなに人が乗ってない。これもゆったりした感じで移動する。ホテルの人がろう中にはふつうは電車でいくよと言っていたので、電車のほうがメジャーなのかもしれない。山道の一般道をしばらく行き、高速に乗る。高速も西安に行く道などもあって、かなり整備されているようだ。ろう中までは2時間、ろう中バス乗り場についたのが14時前だ。まずはホテルにチェックインだ。バイタクが営業してきたので、バイクの後ろに乗ってホテルまでいく。バイクは危険だけど、気持ちいい。ホテルは旧市街地のなかにある。車が入れないようになっているので、しばらく歩く。観光客がここも多い。花間堂という昔の家を改造したようなホテルだ。中庭があって、離れのようなところにお茶を飲めたり本を読んだりするところもあったりして、日本にある旅館のようだ。部屋はロフトになっていて、1階にバス、トイレ、小さいリビング、2階にベッドがある。なかなかのホテルである。

荷物を置いてさっそく街を歩く。かなり暑いのでアイスを食べる。その店に観光地図があったので買う。ろう中の旧市街地だけが書いた地図だ。そこからしばらく歩くとお目当ての張飛廟がある。張飛は劉備と義兄弟の契りを交わした豪傑。劉備が蜀をとったあとに、ろう中の太守としてここにいた。もうひとりの義兄弟である関羽が孫権に殺された後、総反対にあったにもかかわらず劉備が呉に攻めることを決断した。そのとき、張飛が部下に無理難題を言ってしまい、その部下二人が張飛に殺されるのを恐れて寝首をかかれてしまった。首をとって呉に亡命する途中、長江に張飛の首を捨ててしまった。その首が流れ着いたところが雲陽というところで、三峡の途中にある街だ。今では雲陽にも張飛廟がある。そのろう中だ。張飛の聖地でもあることから、ここは必ず来たかったところだ。張飛廟は今でも綺麗に整備されており、今でも張飛が愛されていることがわかる。廟の入場料は58元。廟をまっすぐ進めば張飛像があるのだが、両側にある建物の中には、三国志にまつわる名場面が見事に再現されている。桃園結義からはじまり、張飛と馬超が戦った戦勝はなどなど。張飛の奥さんの像もある。三国志好きにはたまらない場所である。そして張飛像とご対面。張飛の像はだいたい決まっていて、黒い顔にひげだ。ここも同じ。そしてその裏には巨大な墓がある。この墓はでかすぎてよくわからないのである。山のようにも見える。これほどまで張飛は街の人たちに愛されていたのだろう。墓の周りは休憩所になっていて、しばらく休む。お土産物屋もあったので、そこで三国志にまつわるおみやげを購入。鏡と写真スタンドを購入。三国志にでてくる人物の人形もある。買いたい衝動にかられるが、家に何体もあるので抑制するのに必死。1時間以上いただろうか、16:30でそろそろ閉まるので出ることにした。三国志最終章の旅でここにこれるとは幸せである。

ろう中には張飛像が、中央を走る張飛北路か南路にあるという情報がある。ホテルから遠いものの、そこに行ってみることにした。広元から着いたバス停の近くでもある。中国は地図上は少しの距離だが、歩いてみるとかなり遠いといういうことは今まで何回も経験してきた。そこも例外なく遠い。張飛北路が遠方まで見えるポイントに来たが、ロータリーのようなものがそもそもない。やっぱりかなり昔の情報なので撤去されたのだろう。あきらめて、ろう中の街歩きをすることにした。旧市街地は確かに風情があって、歩くのにとても楽しい。すこしはずれにいくと麻雀をしていたり、足裏マッサージがあったりする。2時間以上歩いたのでそろそろ疲れ、食事をすることにした。牛肉麺を食べたかったので、食堂に立ち寄る。張飛牛肉麺というのもあるようだ。それを注文するが、期待どおりの味ではなかったが、まずまずおいしい。張飛は犬の肉を売って生計を立てていたので、犬の肉だったのかもしれない。わずか10元(180円)というのがうれしい。そのあと夕暮れになるので嘉陵江ほとりに出る。ゆったりと座って夕陽が沈むのを待つ。ゆったりとしたいい時間である。気付くと周りにも夕陽を見ている人たちが大勢いた。ホテルに帰ると19:40.いい時間だ。離れに行って煙草をすったり、部屋でのんびりと時間を過ごす。いい時間だ。すこし夜更かしして寝るのが2:30になってしまった。

(左)ホテルの中庭。風情がある。 (中)ろう中には嘉陵江が流れている。 (右)ろう中の夕暮れ時。街並みが美しい。


5月4日(水)
ろう中でのんびりする予定だったが、中国での移動時間がかなり短縮されたこともあり、この日は成都に帰るだけとなった。でも快適すぎる三国遺跡めぐりというのもあまり面白くない。そういえば近くの南充に王平に関する遺跡があることに気付く。せっかくだからそこに行くことにした。急きょの予定変更だ。ゆっくりするはずだったので、朝の始動が遅かった。ホテルを出たのが11時だ。すぐにバス乗り場に行く。昨日は街の中にあるバス乗り場だったが、南充行きは郊外の開発区にあるバス乗り場になる。昨日、成都行きのバスを前日に買ってしまっていたので、それを南充に変更してもらうように依頼する。なかば無理かとも思っていたが、快く変更してくれ、しかもお金が返ってきた。ラッキー。すこし予定よる遅れて12:25に出発。南充までは近いので1時間20分ほどで到着。ろう中と南充はさすがにバスは満席だ。バス乗り場で買っていたスニッカーズを食べながら快適な移動をする。南充につくともう14時前だ。4つの遺跡に行きたくてバスのなかでルートを考えていた。まずは一番遠い王平の昔の墓に行く。最初のタクシーの運ちゃんに言うと、わからないし遠いから拒否られた。次に小太りの運ちゃんにいうと、いいよという。ちょっとインキ臭い感じだが、結構優しい運ちゃんだった。南充の市街地を抜けて田舎道をひた走る。30分ほど経過すると、この辺だという。用心深く外を見ていると、王平墓という石碑を発見!ここだということでタクシーを降りる。でも民家の前にあって、墓はどこにもない。すると近所の人たちが寄ってきて、話しかけてくる。何を言ってるのかわからないということを伝えると、筆談をしてくれた。要はこの上に王平の墓があるよ、といいたかったのだ。タクシーの運ちゃんも一緒に行ってやれ、と言われて二人で山を登る。運ちゃんとても太っているので汗だくだ。申し訳ない。100mほどいくと、あった!草が生えていてわかりにくいが、王平墓とかかれた石碑もある。そして墓もある。王平が死んだあと、王平のふるさとに死体を運ぶ途中でここに葬ったと思われる。王平のふるさとは、もう少し先のところだからだ。しかし今でもこんなところに墓が残っているとは、王平もたいした将軍である。

こんな墓を発見すると、これぞ三国遺跡巡りという感じがする。ベンツで観光地を回るのが遺跡巡りではない!そう強く思うとともに、とても満足度があがる遺跡であった。そんなことを考えながら、南充の街に引き返す。運ちゃんに汗ふくか?とウェットティッシュを渡そうとするが、いらないと言われる。あとの3つは街の中にある遺跡だ。白塔公園のなかにも王平墓がある。運ちゃんが公園のなかまで車を走らせてくれる。さっき行ったところは遠いので、ここにも墓を作ったようだ。これで街の人も墓参りができるというものだ。ここは人民の憩いの場になっており、麻雀などを楽しんでいる人がたくさんいる。そして何よりも素晴らしいのが白塔だ。誰も見向きしていないが、なかなか素晴らしい塔なのである。墓ももちろん素晴らしい。説明書きまである。そして次はショウシュウ墓だ。ここは文化村というところにある。ショウシュウは正史三国志を書いた陳寿の師匠。ショウシュウがいなかったら、この時代に三国志を楽しむことができなかったかもしれない。とてもあいrがたい人だ。文化村でタクシーの運ちゃんともお別れにした。最初100元を渡したが、少ない!と言われた。王平墓まで一緒に行ってくれたし追加で100元払ってあげた。しかし、ショウシュウ墓がない。文化村を3周ぐらいしたがない。その近くの公園も周るがない。でもそれらしいものがあったので、これがショウシュウ墓とすることにした。看板もないのでわからない。

そろそろ時間がやばくなってきた。最後は陳寿万巻楼だ。ここは観光地にもなっているのですぐ行ける。そうタカをくくってバイタクに乗る。しかしバイタクのおばちゃん、知らないようだ。ちょっと違うなと思いながらもしばらく様子を見る。ほんと中国は広い。地図でちょっとに見えても、かなりの距離を行かなければならない。間違った方向に行き、そのあと引き返す。そして山を上るとあった。ショウシュウ墓から30分もかかってしまった。もう17時前だ。大急ぎで中に入る。陳寿の生家があるが、なんといってもここで280年頃から三国志を著したと言われている。また、陳寿記念館の隣には、世界中で出版された三国志を収集した蔵書楼もある。三国志の名場面を描いた壁もある。とても見所の多いところだ。ほんとならゆっくりまわりたいところだが、時間がない。駆け足になったのが残念だ。山になっており、そこから見る南充の街もなかなかのものだ。1時間ほど回って汗だくになり、下の道路までおりる。なかなか空車がなかったが、客が乗っているけどとまってくれたタクシーがあった。それに相乗りして駅まで行く。相乗りしているおっちゃんがいろいろと話しかけてくる。日本人だからわからね~と言いつつ、中国語で駅を連呼したりして遊ぶ。10分ほどで駅に到着。南充はCRH、つまり中国版新幹線の駅がある。ろう中からバスでのんびり帰るよりも、ここで新幹線に乗ったほうが早いかもしれない。18:47発に乗れ、成都東駅に着いたのが20:18だ。バスなら3時間はかかると思われるが、わずか1時間30分で到着。しかし、成都東駅はCRHの基地になっているようだが、寂しい。駅前はとても広い広場になっているが、人があまりいない。しかも暗い。タクシーの客引きが多くいる。すぐに飛び乗り、初日に泊まった西蔵ホテルに向かう。ここでも相乗りになっていた。距離は結構あったのだが、20分ほどで到着。21時前にはチェックインできた。夕食を食べてなかったので、ホテルの外に出ることにした。が、何もなさそう。そこで地下鉄に乗って成都駅まで行く。1駅だからすぐだ。駅前の食堂に入る。そしてここでも牛肉麺を食べる。ろう中で食べたものとほぼ同じ味だ。しかも10元と同じ値段。成都最後の夜は牛肉麺で締めくくる。

(左)王平墓近くの近所のおっちゃんたち。いい人たちだった。 (中)王平墓捜索中のタクシーの運ちゃん。汗だく。 (右)南充での遺跡巡りに満足して火車駅。満足感でいっぱいだ。


5月5日(木)
この日は帰国するだけ。成都⇒成田直行便でとても便利だが、9:05発のため朝は何もできない。6時に起きて、ホテル前でタクシーをつかまえて、双流空港に行く。ホテルから30分ほどで到着。メーター付きタクシーで61元だ。行くときに乗った100元はやっぱり高かった・・・。前回はターミナルを間違えた。今回は毎違いなく行こうと思いターミナル2にいく。しかし、前回は上海までの国内線だったので2だったのだが、ANAはターミナル1だった。前回と同じ間違いをして、今度は逆を歩く。空港職員に聞くと、連絡バスもあるとのことだが、時間もまだあるし歩く。朝7時過ぎだしとても気持ちがいい。ターミナル1に行く途中、長途客運駅、つまりバスターミナルもあるのは前回と一緒。8時にはチェックイン、イミグレ通過して中に入れた。スターアライアンスのラウンジもあったのでゆっくりする。中国らしく飲茶の食事が多かった。9時前に搭乗し、定刻の10分前に出発。成田に着いたのが15:25とほぼ定刻だ。ANAの旅は誠に快適である。次の日は東京で仕事があったので、そのまま羽田に行き中国での荷物をコインロッカーにいれる。次の日仕事した後、羽田から大阪に帰るので、1日預けるためだ。三国志最終章の旅が終わった。来年は三国志の旅にするのか、違う場所に行くのか考えていたが、来年に決めることにした。三国志に関係ないが、同じ中国のチベットかウイグルに行くか、モンゴルか中央アジアにするか。この1年かけて考えよう。とにかくこの14年、行きたかった三国遺跡はすべて行った。中国の旅もこれで20回目となるのだ。とても幸せな旅であったし、中国の激動を間近で見ることができた。過去に行った三国遺跡も、今行くと様変わりしているところもあるのだろう。多くの感動を与えてくれた三国遺跡に感謝である。

(左)西蔵酒店。一番上の赤いところが特徴的。 (中)成都駅前の食堂で食べた牛肉麺。 (右)成都双流空港のターミナル1からターミナル2への道。慣れたものかも・・・。

~完~