|
① 1996年2月 感動の中国編 ~桂林・昆明・広州~
これが中国デビュー。当時、個人旅行などは思いつくすべもなく、朋友の「やー」とツアーで行った。ありがちな桂林、昆明、広州を周遊する旅。2月というのにかなり暖かかった記憶がある。桂林の奇岩奇石、昆明の石林、西山が特に印象に残っている。昆明の民族村では人生初の乗馬に挑戦。思ったより馬の背は高いもので、スリルは満点。 |
|
② 1997年4月 もうすぐ返還 香港編 / 2019年8月 再び香港、そしてマカオ 意図せず深圳
香港がついに返還される!これは歴史的なことだ。そんなことから、母提案で家族など総勢7人の大ツアーが始まった。おやじといったシェラトン最上階のラウンジでカクテルを飲みながら見た夜景は最高だった。ところ狭しと林立しているビルやマンション群には圧倒される。そして、香港島や狭い海峡を見ながら歩く海辺の遊歩道は気持ちよかったものだ。 |
|
③ 1998年7月 腹痛の中国編 ~天津・北京~
会社にアメリカから研修に来ている中国人と日本人のハーフがいた。彼が言う、「親父は福建省出身だが、俺は中国に行ったことがない。」その一言で中国行きが決定。福建省ではないが、アメリカ帰る前に万里の長城に行きたいとのこと。それなら一緒に行こうではないか!そう決まったのはよかったが、人生最悪の旅行になるとは・・・。 |
|
④ 2001年4月、2002年11月、2004年9月以後多数通過 躍動の街 上海編
経済発展し続けている中国、その中でも爆発的な開発が進んでいる上海。この街は行く度に街の様子が変わる。そして、新しいビルが建ち続けている。そんな上海もバンドの夜景は素晴らしく、また日本人の口にあう料理も美味しい。最近では世界初のリニアモーターカーが開通し、430Kmのスピードであっという間に駆け抜ける! |
|
⑤ 2002年11月 長江・三峡徒歩旅行編
昔から行きたかった三峡。その中でも特に瞿塘峡は夢であった。そして、初の1人個人旅行であるにもかかわらずその瞿塘峡を徒歩で歩こうという大胆な計画を立てた。劉備臨終の地、白帝城を出発し、景色を堪能しながら古棧道を歩く。船からは味わえない感動だ。しかし、残念ながらその後、三峡ダムにより水位が上昇、今、古棧道は・・・。 |
|
⑥ 2003年9月、2004年3月 ここは中国か!青島編
山東半島の美しい街、青島。青島ビールが有名で、海水浴場も沢山ある。そんな青島は中国とは思えないほど綺麗な街だ。海があってしかも海水浴場もあるほどの大都市は、中国ではほかにはあまりない。海辺をのんびり歩いていると、中国にいることを忘れてしまうほどだ。 |
|
⑦ 2004年3月 諸葛亮故里を訪ねて
三国志の名軍師といえば諸葛亮孔明!世に見出されたのは荊州(隆中)のため、そのあたりの出身かと思いきや、実は山東省の出身である。荊州には学問のためにはるばる行っていたというわけだ。青島からバスで5時間かかる臨沂まで行き、そこからさらにバスで2時間の沂南が出身地。こんなおそろしい田舎からかの大賢人が出たとは驚きである。 |
|
⑧ 2004年5月 綿が舞うたく州と北京 自転車疾走編
諸葛亮の故里に行けば劉備や張飛の故里にも行かねばならぬ!そう決意したときにはネットで自転車を購入。北京からそれほど遠くない場所なので、自転車を持ち込んで北京ーたく州を自転車で走るという無謀な計画を立てた。しか
し、普段の運動不足からかたく州内であえなく撃沈。挙句の果てに北京のホテル前で・・・。ハプニングの連続である。 |
|
⑨ 2004年9月 劉備、孫権の願いかなう街、鎮江、そして南京で孫権墓参り編
三国時代、孫権の呉が統治していた南京そして一時首都であった鎮江を訪れた。南京では孫権の墓があまりにも邪険に扱われていることにショックを受ける。しかし、石頭城では城壁に圧倒され、三国終焉を偲ぶ。鎮江では、三国演義には欠かせない甘露寺に行き、演義の世界を堪能。長江の眺望も素晴らしく、大満足の寺であった。 |
|
⑩ 2005年9月 項羽最期の地、烏江、そして伍子胥が作った呉の国、蘇州編
春秋戦国時代は面白い!そして、その時代に活躍しその名を後世に残すこととなった項羽と伍子胥。今回はその2名をテーマにした旅だ。項羽は劉邦との戦いに敗れ烏江で自刎した。その場所は南京から車で1時間のところにある。そして、伍子胥の墓は蘇州郊外にひっそりとある(はずであった)。伍子胥が仕えた闔慮、夫差関係の遺跡も盛り沢山。 |
|
⑪ 2006年3月 韓信と項羽のふるさとを訪ねる編
400年続いた漢の国を作ったのは劉邦だ。しかし、韓信なくして劉邦は項羽に勝つことはできなかった。大将軍韓信が生まれたところはどんなところだ?またくぐりやおばあさんにおにぎりをめぐんでもらったところは?ということで江蘇省淮安に行った。そこからバスで2時間強の場所に項羽のふるさともある。そして、思いがけず張良の遺跡にも行けたのだった。 |
|
⑫ 2006年9月 劉邦故里と垓下の地を訪ねる編
漢の高祖である劉邦の故里は「豊沛」と呼ばれることもある。しかし、豊県と沛県は車でも30分は離れているところだ。しかもどちらにも劉邦故里がある。はて、どちらが本当の故里なんだろうか?劉邦が生まれたところは沛県の北にある劉邦店というところのようだが。しかも沛県は劉備が駐屯していたこともあり、是非とも訪れてみたかった街である。 |
|
⑬ 2007年4月~5月 湖北の三国遺跡めぐり編
いろんなテーマがあった旅だ。襄樊の古降中と南陽の臥龍崗に行き、どっちが諸葛亮が潜んでいた場所?趙雲が活躍した当陽長坂坡はどんな場所?張飛が仁王立ちになった長坂橋はどんなとこ?麦城から遠安まで関羽がどんな気持ちで逃げていたのか?など三国志中盤の名場面が目白押しの旅。三国遺跡34箇所をめぐることができた。 |
|
⑭ 2008年9月 河南の古戦場めぐり編
今回のテーマは古戦場だ。河南では数限りない戦いがあったが、虎牢関、函谷関、そして官渡と春秋戦国時代や三国時代に多くの戦いがあった場所を訪れた。そして、都があった洛陽も少しだけだが行くことができた。鄭州、洛陽、三門峡と河南の中央から北西部をわずか2日間で駆け巡った、気力と体力との戦いとなった旅である。 |
|
⑮ 2010年5月 劉邦が天下取りの準備をした漢中と諸葛孔明臨終の地編
いつかは行きたかったのが五丈原。三国の三大遺跡のうちのひとつでもある。諸葛亮が五丈原で没し、その後、漢中に引き揚げ勉県に葬られた。その場所は劉邦が項羽に左遷されたものの、韓信を得て大元帥とし、東進の準備をした地でもある。蕭何が韓信を追った処や張良廟にも訪問し、劉邦の腹心が活躍した地をめぐる。 |
|
⑯ 2011年5月 孫堅・孫策・孫権故郷と越王が肝をなめた地編
当初は四川に行く予定だったが予定が入ったり、東日本大震災があったことで気分的なこともあり、急きょ日程を短縮して中国の大地を踏みしめる。上海から入り、時速350Kmの新幹線で杭州まで、そして、富陽までちんたらバスで向かう。その後、紹興まで足を延ばし、越王が君臨した地をめぐる。臥薪嘗胆の図には感激だ。 |
|
⑰ 2012年4~5月 魏と呉が争った合肥、張来々! と周瑜のふるさと編
当初は四川に行く予定だったがまたしてもいけず。とても短い日程で、上海から合肥まで向かう。昔なら、7~8時間かかっていたところが、今や和諧号(新幹線)でわずか3時間。合肥は張遼の街だと実感したと同時に、中国での生活様式が急激に変わっている様子に、少しがっかりもあり。合肥から近いところにある周瑜のふるさとにも訪れた。
|
|
⑱ 2013年5月 ついに初入蜀!劉備と孔明のお墓参り&蜀滅亡を感じる旅編
中国も交通が発達したものだ。行こうと思えば、短時間で結構遠くまで行ける。今回は4日ほどの休暇であるが、念願の成都に行くことができた。そして、劉備のお墓の前で厳粛な雰囲気を感じつつお墓参りをする。蜀滅亡の地に行った後、武侯祠に並ぶ蜀の重鎮たちを見てしまうと泣けてしまうものである。劉備の墓は毎朝行きたい場所である。 |
|
⑲ 2014年5月 ようやく赤壁!周瑜活躍の地&雄大なる長江編
映画レッドクリフで少しは有名になった赤壁。三国志前半のハイライトだ。袁紹を破り勢いを増す曹操、それを阻止する孫権軍。そのなかでも主役は周瑜。いつでも行けるだろうと思っているうちになかなか行かなかった赤壁。行っていると巨大テーマパークになっており風情がイマイチ。それでも雄大な長江のほとりで赤壁大戦に思いをはせる。 |
|
⑳ 2015年5月 再び鎮江。甘露寺に佇み長江からの心地よい風を受ける編
鎮江は二回目。前回行ったのはもう11年前になる。あれから新幹線もでき、鎮江の街もかなり発展した。300Kmで走れば鎮江までも1時間弱で着く。そして甘露寺から西の川沿いもかなり綺麗に整備されている。何よりも甘露寺の多景楼自体が建て替えられている。時代の移り代わりを感じつつ、それでも長江の悠久さは変わらない。 |
|
21 2016年4~5月 三国遺跡めぐり最終章!? 剣閣と昭化古城、そしてろう中編
14年続いた三国遺跡巡りの旅も最終章か!?四川省で行けていなかった広元、ろう中、そして思い立って南充まで訪れることができた。剣閣で姜維、ろう中で張飛の無念さを想像し、三国志の終焉間近の寂しいときを偲ぶ。成都、広元、ろう中を回っても中国の発展ぶりと中国人民の豊かさをさらに感じることができた。 |
|
22 2018年5月 思い出の地を巡る 湖北省の宜昌と荊州で張飛と関羽を偲ぶ
周りたかった三国遺跡はほとんど訪問できた。しかし5月になるとやっぱり中国に行きたくなってくる。こうなれば思い出深い地を巡ろうと思い、まずは湖北省だ。遺跡のなかでも最も好きな像である張飛像を見に宜昌へ。そして時間があったので荊州も周った。新幹線ができてほんと早くなったものだ。長江の流れは相変わらず悠久であった。 |