インフラ整備が急務な自然が残るネパール
【旅の前】
以前から行きたかったネパール!バングラデシュに2週間行くので間の休みに行くことにした。ダッカからわずか1時間強で行けるし、バングラデシュのビーマン航空を使ってホテルつきのパックで3万円と安いのも魅力。
地球の歩き方も昔買ったのが2007年版と9年も前のものだ。寺院に入るのは寄付のような入場料を取られるが、当時の値段から2~5倍になっているのが面白い。エベレストを見れるとは思っていなかったものの、カトマンズの仏教とヒンズー教寺院を見れ、ヒマラヤ山系が見れたらいいな、という思いでダッカを出発。
【旅行記】 2月18日
1日目 ダッカ⇒カトマンズ(タメル散策)(泊)
ダッカでの仕事を終えて週末を迎える。バングラデシュはイスラムだから金曜と土曜が休暇となる。ホテルからタクシーに乗って空港へ。平日はすごい渋滞になるのだが、さすがに休日はすいている。9時過ぎにホテルを出たが、20分ほどで到着。空港もあまり人がおらず、チェックインもすぐ。イミグレもすぐ。渋滞などを考慮して少し早めに出発したのだが、結局、空港で搭乗まで2時間近く待つ羽目になった。レストランでコーヒーを飲みながら、ネパールの予習をする。カトマンズをのんびり歩けばいいかなと思っていたけど、カトマンズ近くにナガルコットという街からヒマラヤが見えるようなので、そこに行きたいと計画を立てる。カトマンズ中心部からも40Kmもないぐらいなので、最悪タクシーで行ってもいいかと考える。ナガルコットにはいいホテルがあるようで、テラスからヒマラヤ山系が見えるようだ。もっとよく調べて、そこに泊まるようにすればいいかと少し後悔。早く着いた分、いい調べができた。
今回は初めて乗るビーマン航空。バングラデシュの航空会社だ。出発ゲートに行くと飛行機が停まっていたのでそれかと思っていたら、急きょ、係員が誘導してバスに乗っていくことになった。機材の不調だったのか。12:20が定刻であったが、結局1時間ほど遅れて出発だ。いつもと違ってのんびりした旅なので、1時間ぐらいいいかと心もゆったりになる。時差を調べると、バングラとは15分の時差らしい。これまたかなり中途半場な時差である。カトマンズが近くなってくると、だんだんと山が見えてきた。2006年にブータンに行ったとき、インドのニューデリーから飛び立ち、まずはカトマンズに寄った。そこで飛行機から降りることはできなかったが、タラップから外の空気は吸った。厳密にいえば2回目か。そのときは、カトマンズに近くなってくると、とても美しい山々が見えてきて、これがヒマラヤか!と感動した覚えがある。航空会社もブータンのブルックエアラインだった。とても懐かしい思いを抱きながら、カトマンズへの着陸に入る。ごみごみした家々が見えてきた。期待が高まるときである。
(左)ビーマン航空の飛行機。バングラデシュと大きく書いているのでわかりやすい。 (中)入国検査場。正面がビザ購入場所。 (右)いよいよネパール!
小さいターミナルで、タラップもない。バスでゲートまで移動する。入国にはビザが必要だ。まずは、USドルでビザを購入しろと言われるが、USドルがなかった。ネパールルピーに両替したので、それでどうだというとダメだという。自国通貨なのに変である。日本円ならあるというと、それでもいいとのこと。とにかく外貨がほしいのか。そこでイミグレにいくとビザのシールを貼ってくれた。比較的簡単に入国できた。それもそうだ、観光収入が相当だろうから、入国は簡単にできないといけないだろう。外にでるとすぐに客引きにつかまる。そしてすぐにタクシーに乗り込む。とりあえずホテルに行ってもらうが、一緒についてきているガイドが結構うざい。いろんなところに行けるぞと言ってくるけど、なんかうさんくさそうなので、とりあえずホテルに向かえという。市街地まで4Kmほどしか離れていないが、交通渋滞やら細い道しかなくて、ぐるっと回って結構時間がかかった。そのガイドも知らないようなホテルだったが、タメル地区の真ん中の、細い路地を入ったホテルだった。なんとなく写真で見た感じのホテルと違っていたが、仕方ない。ガイドは待ってるからとにかくチェックインしてツアーについて話し合おうということになった。チェックインして部屋にいくと、17時まで電気つけたらだめとのこと。電力事情もかなり悪いようだ。シャワーもとても汚い感じだ。
気を取り直して街に繰り出そうとフロントの横を通る。するとさっきいたおっちゃんがすごい勢いで声をかけてくる。明日はどんなツアーに行くんだ、いいツアーあるぞ、とのこと。ヒマラヤ見たいんだ、というと、じゃあ絶対に朝陽を見に行け、ということで朝4時に出発するツアーを組んであげるということになった。ホテルの外で待ってくれている、ちょっとうざいガイドのことがよぎったが、ホテルの人だし、信頼おけそうな感じのおっちゃんだったので、こっちに乗っかることにした。コーヒーまで出してくれる。なかなかおもろいおっちゃんで、インド系の顔をしているが、カトマンズ生まれだそうな。これからどうする?車でいくつかの寺を回るか?と言われたが、それは断固断った。タメル地区を歩きたいんだ、と。それでも飛行機遊覧もあるぞ!とすごい勢いで言ってくる。そこまではいいよ、とそれも断固断る。しっかり断らないと、どんどんと提案してくるから、たまったもんでない。で、ホテルの外で待たせていたガイドをどうするか、だが、まだ待ってる。チップを渡して返そうかとも思ったが、面倒だったので、ホテルの裏口からでてタメルの散策にいった。ちょっと申し訳なかったが、ガイドも競争の世界だ、仕方ない。
タメル地区はまさに下町。いろんな人が行きかうが、ところどころに寺院があるのがいい。そして近所の方がよく拝んでいる。信仰心の厚い方が多いのだろう。のんびり歩きながら、ダンパール広場まで行ってみた。その時点でもう17時前だ。ここは旧王宮である。昔はマッラ王朝が3つ独立して君臨したところのひとつらしい。あとの2つがパタンとバクダプルで、後者は次の日に行くことができた。寺院の敷地に入りかけると、誰かが寄ってくる。どうも入場料が必要なようだ。小屋のようなところで1000ルピーを払う。結構高いものだ。広場にはいくつかの寺院がたっているが、どれも見事だ。観光客と地元民が入り混じっている。小さな子供が寄ってきて、お金をくれといってくるが、それは無視だ。中に入ると17時までと言われる。10分しかないが、仕方ない。見事な建築に圧倒されながら、短い時間で建物を堪能する。
(左)ダンパール広場の寺院。 (中)ダンパールから北東に向かう道。ごちゃごちゃしてる。 (右)地図を売っている店が多い。トレッキングする方が多いのだろう。
次は北東に進み、商店が並ぶ道を歩く。地元民が買い物をしたり、寺にお参りするなかで、観光客も多いから、すごい人。店はいろんなものを売っているが、ネパールの国旗がたまに飾っているのがいい。昔の民家っぽいところを見れるのもいい。今でも住んでいるのかもしれないが。現王宮ぐらいまで歩き、タメルに戻る。途中、地図を大量に売っている店があったので入ってみる。トレッキングするための地図であるが、明日行く予定のナガルコットあたりの地図を買う。それとバッチとヒマラヤの写真のマグネットを購入。そろそろいい時間になったので、タメルで食事をする。バングラで辛い物が多かったので、中華を食べることにした。中国でよく食べる牛肉麺とチャーハンを食べるがそれがまたうまい!バングラではビールを店においていないので、ここでは青島ビールを飲む。これもまたうまい!大満足でホテルに帰る。バングラに比べると、やはり夜は寒い。テレビを見ていると、突然停電なのか、テレビどころか部屋の電気も消えてしまった。テレビはとてもいい場面だったのに!汚すぎるのと水しかでないので、シャワーを浴びる気になれず、体を拭いてそのまま就寝だ。3時に起きないといけないので、21:30には布団に入る。しかし、停電というのに、外では飲んでいる人たちが騒いでおり、ちょっとうるさい。
2日目 カトマンズ⇒ナガルコット(ヒマラヤと朝陽)⇒バクダプル⇒パシュパティナート寺院⇒ダッカ
3時過ぎに起床。起きようと思えば起きれるものだ。4時にドライバーが迎えに来るので、4時前にチェックアウトする。アルバイトみたいな若い子がフロントの横でふとんにくるまって寝ていた。チェックアウトというと門のカギを開けてくれた。ホテルの外で待っているが、10分待っても現れない。すこし不安がよぎるが4:15には来た。とても優しそうなおっちゃんで、後で聞くとエベレストに6回も登頂しているシェルパらしい。日本車で乗りここちもよく、気分よく出発。外は真っ暗なのだが、走っていると家は明かりが結構ついている。ネパールの方は早くから起きているのか。しばらくは快調に走るが、バクダプルを過ぎたあたりから急に山道になる。途中は未舗装道路で、暗くて見えないが明らかに悪路になっている。砂利でスリップしながらも登っていく。カトマンズから1時間少したった5:30にナガルコットの展望台に到着。まだ真っ暗だが、売店がそろそろ空いている。運ちゃんがコーヒー飲むか?というので、是非!と店に入る。夜明けは6時過ぎなので、もうすぐだよと、店のおっちゃんが言ってくれる。そこで飲むコーヒーがまたうまい!
6時ぐらいになると、駐車場からさらに上がった展望台にいく。すこし赤らんできた。寒いのを我慢しながら、じっと待つ。段々と赤くなってくるのがたまらなく綺麗である。眼下に見える街にも明かりがつき始める。展望台には、さらに上に行ける見張り台のようなものがあるが、そこに登っている人もいる。また寝袋で、明らかにここに寝ていた人もいたのにびっくり。しかも若い欧米女性。タクマシイ。段々と赤くなってきて、空の雲が美しい。後ろを見ると、ヒマラヤ山系があるほうも明るくなってきている。ひたすら写真を撮るが、人がとても多くなって来ていた。こんなに早い時間から、こんなにも人が来るものだ。6:30過ぎにはだいぶ明るくなったので、赤みがなくなってきた。駐車場まで降りると、運ちゃんがコーヒー飲むか、と。それで温まる。雲が多い日だったので、くっきりとヒマラヤを見ることができなかったが、それでもかなり満足することができた。
(左)わかりにくいがヒマラヤ山系がうっすらと写っている。 (中)見張り台のような展望台。 (右)日の出はいつ見ても美しく神々しい。
再び山道を降りていくが、明るくなると、すごい悪路だったことがよくわかる。よく崖に落ちなかったものだと、安堵する。ふもとのバクダプルには1時間ほどで到着。着くと、普段農家をしているが、たまにガイドもしているという人に案内してもらう。バイト感覚のようで、1000ルピー(1000円強)でいいよ、と良心的。でもかなり熱心に案内してくれる。3つの首都があったうちのひとつ、寺の数は500もあるよ、ヒンズー、仏教それぞれあるなどと説明してくれる。カトマンズほどは規模が大きくないものの、それでも京都のような感じで、落ち着いたお寺がたくさん並んでいる。5重の塔(ニャタポラ寺院)もある。近所の子供がついてきて、教科書買いたいから500ルピーちょうだい、と言ってくる。うまい手口だなと思い、ほんとに買うのか?というと、ほんとだよ、あそこに店があるよ!とかなりひつこい。でも、子供にはお金をあげれないよ、という。両親はほかのところで働いていて、お兄さんと一緒に住んでいるみたいだ。確かに可哀想だと思うけど、お金をあげるのはあまり好きじゃなく、結局あげなかった。最後に寄った絵画屋で見た絵に一目ぼれして買ってしまう。8千円と言われたが、高い!といって6千円までまけてもらった。カトマンズからチベットのラサに向かう人たちを描いたものだ。表情も豊かでとてもよくできている。ラサに行きたくなった。
(左)旧王宮広場。地震のときにつけたのか、建物を支えている棒をしている建物が多かった。 (中)風情ある街である。 (右)ニャタポラ寺院から。教科書代と言ってくる少年と。
この時点でまだ9時過ぎだ。今日は長い。運ちゃん、じゃあ空港行くかというが、フライトは14時30分なので、まったく早い。とりあえず空港近くのパシュパティナート寺院に行ってくれと伝える。すると9:30には到着。この寺院から空港までは歩いて行ける距離なので、じゃあツアーはもうこれで終わりだ、もう帰っていいよと伝える。人のいい運ちゃんは、報酬も受け取りそうになかったが、当初言われていた6000ルピーと、とても人が良く、いろいろと教えてくれたので、余計に20ドルを渡した。満面の笑みで、運ちゃんはそこを去っていった。さー、寺院を観光だと思って歩いていく。すると、どこからともなく若者が寄ってくる。またガイドか、と思うが、とても流暢な英語で話してくるし、話もうまそうだ。報酬額は聞かなかったが、ま、こいつに任せてもいいかと思った。
この寺院はヒンズー寺院のなかでも、整地のひとつになっているようで、いきなり衝撃的な光景が見れる。日本でいう火葬場が川を挟んですぐそこにあるのだ。亡くなった方を運んできて、足だけを川につける。1時間ほどたつと、親族だけで火葬する。そして終わったあとは川に戻すらしい。親族も、男しかダメみたいで、長男から次男、三男と続いて儀式をするようだ。男の子供がいない家は、親戚の男を呼んできて、儀式をする。とても貴重なところだから、今写真撮れ!とか言ってくれる。一般人が火葬するのは下流だが、上流行けば、王族など階級の上の方の火葬場もちゃんとある。ラッキーにもその日は火葬されていた。そして、過去に火葬した方は、日本でいう49日を迎えたのか、対岸で親族でお祈りをしている。お祈りの食べ物をサルがとっていくが、サルも神聖らしく、なかなか追い払えないようだ。そんな様子を、いろいろと解説しれくれた。
その若者、なかなか気に入った。男性と女性の性器をまねた石をお祈りすると子供を授かるとか、ここから見るとミラーになるよとか、サドゥーの写真をとってもいいよ、とかいくつか見どころを紹介してくれた。サドゥーは修行の身といいながら、写真撮ると金撮られるのは解せないところだ。その若者ガイドとコーヒーを飲みながらいろいろと話す。最近結婚したばかりのようで、頑張って売店とガイドしているようだ。昔はドバイに出稼ぎに行っていたようだ。今のネパールはひどいらしく、外国から金をもらっても、戦争ばかりで国民のために金を使っていないとのこと。地震で崩壊したヒンズー寺院があったが、それも修復してくれない。若者には働く場所がない、日本に行った兄がいるが、ビザがおりるのに100万円以上払う必要があって、家や家財道具すべて売らないとそんな金を作れないとか。いろいろと国の状況を教えてくれた。話していると、とても頭がよさそうだし、解説も明確なので、こんな若者がしっかりと働く環境を整えてあげれない国の責任は重い。最後にガイド代を請求されたが、かなり奮発してあげた。いいように使ってくれればいいけど。
(左)パシュパティナート寺院での儀式。右は親族が右回りで回っている。 (中)寺院の全体像。2週間後には大きな祭りが開催されるようだ。 (右)空港入り口。歩行者はこの右側のゲートを通らないといけないらしい。
その若者のおかげで、かなり時間が潰せた。お土産を買って、空港に向かう。余韻に浸りながら歩いていたが、15分もあれば空港に着いた。多くの人たちが空港に入ろうとしているが、警官がやたら多い。必要以上にチェックしているように感じる。そんなこともあって、イミグレを通過できたのが1時間後であった。小さい空港のわりに時間がかかる。出発まではまだまだあると思い、最後のルピーでコーヒーを買う。これでネパールにいい思い出ができたと思っていたが、飛行機が一向に出発しない。タイ航空、カタール航空、インドの航空会社などなど、人がたくさんターミナルにたまってくるが、よく見ると駐機場に飛行機がほとんど停まっていない。天候が悪かったのだろうか、何かのエラーかわからなかったが、とにかく飛行機がないのに、人だけが増えてくる。だんだんと不安になってくるが、掲示板は一向に更新されない。しかも、ダッカ行きの表示があったのに途中からなくなっている。さすがに焦って空港職員に聞くが、遅れている、16:30ぐらいだ。と言われる。定刻が14:30だから2時間以上は遅れるようだ。仕方なく待つが、とにかく人が多くて、通路さえ立っていられない感じだ。トイレと喫煙コーナーを行き来する。そんななか、順次、飛行機が着陸しはじめ、だんだんと人がはけていき、ダッカからの飛行機がようやく18時に着陸した。搭乗開始が18:30、もうぐったりだ。ダッカに着いたのが20:30であり、当初より4時間以上遅れたことになる。ま、その日中に帰れたから良しとしよう。ダッカの空港からホテルまでは、タクシーでこれまた30分ほどであった。
最後はあまりいい思い出でなかったが、もし次に行くことがあれば、山の近くまでいって、のんびりと滞在したいものである。それまでに、国が少しでも良くなってくれることを願うばかりだ。ガイドをしてくれたあの若者が活躍してくれていればいいのだが。
【入場料で見る物価上昇】
地球の歩き方は2007年版を持参したが、面白いことに入場料がかなり上昇している。以下に比較してみた。
施設名 |
2007年 |
2016年 |
ダンパール広場(カトマンズ) |
Rs200 |
Rs1,000 |
パシュパティナート寺院(カトマンズ) |
Rs250 |
Rs1,000 |
バクタプル |
Rs750 |
Rs1,500 |
完~