2012年4月29日 関空⇒上海 上海・ホリデーイン・ダウンタウン泊 |
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4月30日 上海⇒合肥⇒蘆江(周瑜墓)⇒舒城県(周瑜城遺跡)⇒合肥 合肥・ホリデーイン・ダウンタウン泊 |
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5月1日 合肥(逍遥津)⇒上海虹橋⇒上海浦東⇒関空 (写真は合肥・逍遥津公園にある張遼墓の東屋) |
当初、四川にいくつもりだった。これは去年もそうだった。成都にいき、綿陽、徳陽をめぐり、広元まで三国遺跡三昧の旅のつもりであった。しかし、仕事の予定が入ってきたこともあり、やめるか変更することにした。
でも、中国にはやっぱりどうしても行きたい、ということで、近場で手軽に行くようにした。格安航空券を購入したことで、中国東方航空、上海航空の組み合わせとなったが、とにかく中国に行ける。それだけでも満足だ。
今までで最も短い旅行期間である、2泊3日となった。でも、最近の中国の発展ぶりから、そのような短期の旅行でも可能となったのだ。
以前から行きたかった合肥に行くことにしたが、昔なら電車で7〜8時間はかかっていたところ、和諧号(新幹線)で上海からわずか3時間で行ける。もう日帰り圏内になってしまった。
今後、中国を旅行するにも、とても早く行けるパターンもあるので、十分に研究が必要である。15年から20年ぐらい前とは、格段に便利さがちがってきている。移動するには早く行けるので嬉しいのだが、中国の旅行って、とにかく時間がかかる!ということがあまりなくなったため、醍醐味が薄れてきているように感じるのが寂しいところだ。
4月29日
いつものANAでなく、今回は中国東方航空なのでゆっくりと出発。11時過ぎのはるかに乗って関空まで。11:40にチェックインしようと思ったが、さすがに長蛇の列。しばらく待って40分でチェックイン完了。ANAなら並ばずにチェックインできるのはほんとにありがたいものである。買い物を済ませ、イミグレ通過すると13時前。定刻13:40であるが、その時間に乗り込むが、10分後に出発。東方航空なので、遅れるだろうと思っていたが、わずか10分遅れでの出発。驚きだ。中国系航空会社も、だいぶ時間は守るようになってきたのだろうか。窓際をとることができず、通路側でいつものように景色を楽しむことができない。仕方なく、準備してきた資料に目を通す。機内食は若干簡易であるが、味はまずまずであった。
そして16:20に上海到着、いつもの上海だ!到着してわずか25分でイミグレ通過できた。乗客は多かったものの、イミグレの窓口が多い分、かなり早く通過できる。一服したあと、虹橋駅にいくためにバスに乗る。浦東から虹橋まで行くには、やっぱりバスが安くて早いと思われる。リニア使ってもいいのだが、リニアおりてからの地下鉄がかなり長いのだ。値段も昔と同じく30元というのが嬉しい。16:10に浦東空港を出発し、市街地を通って17時には到着していたので1時間もかかっていない。上海虹橋は昔は国内線が中心の空港しかなかったのだが、最近は空港の横に新幹線(和諧号)のターミナルができて、一大拠点となっている。その分、上海の玄関口が上海駅から虹橋に移っているようだ。かなり多くの人で混み合っていた。
この日に合肥に移動しても良かったのだが、時間がわからなかったのと、合肥までは遠いイメージがあったのだ。しかし、時刻表を見てみると、合肥まで3時間しかかからない。すぐにチケットを購入して行っても、21時前には合肥につくのだから、近くなったものだ、昔は合肥といえば、上海から7〜8時間はかかるイメージだった。ホテルも上海に予約しているし、明日のチケットを購入する。去年は自動券売機で買えたのだが、人民は人民証を券売機にかざせば購入できるのだが、外国人はパスポートで身分証明しなくてはならない。よって自動券売機では買えず、窓口にいくことになった。ちょっと奮発して一等車を購入。それでも189元だから3千円弱で合肥まで行ける。安いものだ。切符も購入したし、ホテルに行ってのんびりしようということで地下鉄にのる。
失敗したのが、まだ上海駅から多くの電車が出ていると思っていたのだが、和諧号はほとんどが上海虹橋駅の出発だ。ホテルは上海駅近くを予約してしまったので、明日の朝も虹橋まで来なくてはならない。虹橋は結構外れにあるので、少し時間がかかるのだ。ま、準備期間がほとんどなかったので仕方ないか。45分ほどかけて地下鉄で上海駅まで移動。地下鉄で45分も乗ればかなり疲れる。19時前に上海駅前のホリデーインダウンタウンにチェックイン。日本で予約していたが、8千円ほど。ホテルの内装は綺麗にしていたので、満足感の高いホテルであった。夕食は近くの味千ラーメンへ。上海ではかなりの店舗数を展開している味千ラーメンはかなり気に入っており、よく使う。今回もこの日を皮切りに、3回も行ってしまったほどだ。定番のラーメンと、めちゃくちゃ辛いチャーハンでお腹を満たす。チャーハンは辛すぎて大汗かいた。
その後、上海駅周辺を散策。昔、よく使った長距離バスターミナルへいってみることにした。上海駅の正面から、ぐるっとまわって裏に行かなければならない。薄汚い通路は前と変わっていない。上海駅の裏は人通りも少なく、さみしい感じ。表も昔に比べたら人が減っているようには思う。虹橋に客を取られているのだろう。そしてさらに歩いていくと、バスターミナルがあった。駅前がかなり整備されて、昔のイメージとはかなり違っていたが、それでも乗り場は同じであった。電光掲示板に行き先ごとの料金がでていたが、それをみてびっくり。江蘇省の宿遷や淮安へ行ったときと比べると倍以上になっていた。宿遷までは2006年9月に95元だったものが、今は176元。淮安は2006年3月が84元だったのに146元にもなっている。当時でもかなりいいバスだったので、バスののり心地などは変わっていないと思われるが、それにしても人民の負担は大きいものとなっている。わずか5年間で倍というのはほんと驚きだ。思えば、昔は100元もだせば大金という感じであったが、いまでは上海では100元は1000円感覚だろうか。値段がかなり上がったものだ。
そんなことにショックを受けながらホテルへ帰る。ホテル近くにはファミリーマートがあった。ファミリーマートは中国で出店を加速しており、かなりの数がある。昔はまがいもののローソンやセブンイレブンが結構あったのだが、ほんもののファミリーマートができて、かなり潰れていると思われる。売っている商品も、そんな変なものもなく、いいものが並んでいた。これも中国の成長ぶりの現れだろうか。そんなことを考えながら、0時前には就寝。合肥への思いをはせる。
4月30日
5:50起床。虹橋駅近くのホテルなら、こんなに早く起きなくてもいいのに、と思いながら支度をする。6:40にチェックアウトして、荷物もあったしタクシーに乗り込む。上海駅から虹橋までは高速があるので、とても早い。わずか20分で虹橋にに到着。値段は96元と高いものの、地下鉄の半分の時間で到着。切符は買っていたので、待合室で待つ。中国人民の姿を見ていると、これも変わったものだ。持っているものが高級になっているように思うし、服装も違う。ここでも、人民の生活ぶりが変わっていることがよくわかる。それでも、田舎からでてきて、農産物を売っていたであろう農夫らしき人もいて、そんな光景を見ると、少し安心だ。30分ほどまって7:30に改札。ホームがとれも綺麗である。写真撮影をしている人も多い。待合室では禁煙なのだが、ホームでは吸ってもいいらしく、多くの人が長旅の前にすっている。そして7:46定刻に出発。
和諧号は去年も杭州にいったときに乗ってはいるが、南京方面は初めてだ。線路を別に作っている感じではあるが、途中は同じ線路に入ったりもしている。それにしても、快適である。事故があったものの、まー、あったときはそれまでだ。蘇州、無錫、常州、南京ととても懐かしい場所を通っていく。昔、鎮江や南京にも通ったな〜と思いだす。当時で南京まで特急で3時間ほどであったが、和諧号なら2時間であった。ただ、乗った和諧号が停車駅が多かったので、早いものなら南京までも1時間30分ほどでつくのもある。早くなったものだ。長江を渡るときは見たいと思っていたが、睡魔には勝てず、起きたら合肥近くになっていた。残念。合肥には11:10に到着。
到着したあと、明日のチケットをまず買って、そしてホテルまで歩くことにした。思っていたより大きくて綺麗な街である。マンションも高層が並ぶ。マレーシア系のデパートもある。車通りも多いし人も多い。見た感じ、安徽省であることはわからない。安徽省は少し前までは、中国でも最貧であると言われていたが、和諧号が開通してからはかなり変わったのではないだろうかと想像する。合肥の地図を見ながら歩くが、いつものように、地図でみるととても近いのだが、歩くとかなり遠い。後悔しながらも歩き続ける。結局、予約していたホリデーインダウンタウンまで1時間も歩くことになってしまった。失敗だ。しかも、ホリデーインは2軒あるらしく、予約していないほうに最初にいってしまった。もうひとつのほうは遠いよと言われ、結局タクシーに乗ることになる。なんのこっちゃと思いながら12:30すぐにチェックイン。荷物を置いて、ようやく三国遺跡へ向けて出発だ!
合肥市内にも三国遺跡はあるが、まずは遠方の蘆江にいくことにした。蘆江は、呉の軍師である周瑜のふるさとだ。三国演義では周瑜は諸葛孔明と並んだ秀才とされてはいるが、諸葛孔明にいいようにやられてしまう、少しかわいそうなひとだ。でも、実際はとても優秀でありしかもハンサムだったらしく、まさに呉が生んだヒーローなのである。最近映画化されたレッドクリフでも、周瑜が主人公になるぐらいの人で、赤壁で曹操を破ったのは、周瑜だといってもいいぐらいである。周瑜は今の安徽省の田舎である蘆江出身なのであるが、中国の場合、昔はド田舎だっただろうと思う場所から、大賢人が生まれているのが不思議である。
ホリデーインから合肥のバス乗り場までは歩いて10分程度。そこから蘆江行きのバスに乗り込む。25元でいけるので安いものだ。しかも高速ができているので、1時間少しで到着。途中、合肥郊外には、新興住宅地と思われる巨大マンション群が見えた。合肥もかなり発展している街のひとつであることが実感できた。蘆江に14:45に到着しすぐにバイタクに乗り込む。周瑜の墓というと、すぐにわかったみたいで、バイタクを漕ぎ始める。しばらくいくと周瑜路という標識が見えてきた。必死こいて自転車をこぐおっちゃんには申し訳ないと思いつつ、15分ほど自転車が受ける風で涼む。大きな通り沿いに、周瑜墓の立派な入口があったのですぐにわかる。
中に入ると、かなり綺麗に整備されている。入場料が無料というのも嬉しい。まさに市民の憩いの場となっており、思い思いに公園で過ごしている。一番奥に周瑜墓があった。それほど規模が大きくないが、人民に守られている感じ。いまでも周瑜は人民から敬愛されているのだろう。そして、墓の横には周瑜の生涯を描いた壁画があった。「少年神童」と書かれたものから始まり、孫策、孫権に仕え、赤壁で曹操を破り、劉備に荊州をとられて憤死するまでが描かれている。最期は周瑜の妻である、小喬が墓を守っている姿が描かれており、少しジーンとくる。小喬は大喬(姉)と並んで、江東の美人であり、大喬は孫策、小喬は周瑜の妻となった。孫策も周瑜も、かなり早死したのが残念なところだが、妻はもっと残念だっただろう。周瑜墓はこれといった見所はないものの、墓のほかに壁画があって楽しめた。
そして、蘆江の隣り町に「周瑜城」という三国遺跡がある。でも周瑜墓を出たのが、すでに16時前。隣り町といっても、バスでいくとかなり時間がかかるし、何便あるのかもわからない。そこで、タクシーでいくことにした。タクシーでも幹線道路を通って1時間ほどかかる場所にある。しかも、運ちゃんが途中から、とんでもない田舎道を走り始めたので、迷うし、かなり遅くなるしで、結局、周瑜城についたのが17:20になってしまった。しかもかなり雨が降ってきた。幹線道路から看板があるところを田舎道に入り少しいくとさらに田舎道になる。そこからは車が入りにくいので、歩いていくことにした。田舎道の分岐には、周瑜城と書いた碑があったが、裏は何を書いているのか読めなかった。ただ、この付近の自治体が建てたものであることはわかり、周瑜城を発展させようという気持ちはわかった。しばらく進むと、像のようなものが見えてくる。あれが周瑜像だ!とワクワクしながら歩いていくが、全容が見えてくると、あれっという感じになる。原っぱのなかにぽつんと周瑜像が建っているだけ。しかも、顔はかっこいいどころか、どこかのおっさんのような顔をしている。碑はあるものの、雨が降っていたこともあり、とても哀愁が漂うものとなっている。このあたりをテーマパークのようにしようとしながら、予算不足などによりそのままとなっているパターンである。でも、周瑜城というからには、周瑜が旗揚げしたころに、この場所で決起集会をやったとか、兵を集めて訓練したとか、そんな由緒ある場所なんだろうと、勝手な想像を行う。像にも説明が書いてあったものの、周瑜の生涯のことを書いているだけだったので、場所の由来はわからなかったが、おそらくそんなことだろうと、勝手な想像である。ま、期待はずれではあったものの、それなりに満足することができた。雨が降ってきてあたりも暗くなってきているし、合肥に帰ることにした。
そのままタクシーで合肥まで、ということで送ってもらう。バスで1時間ほどだったので、タクシーでもそれぐらいだろうと思っていたが、帰りは一般道だったのでさすがに時間がかかった。1時間30分ほど経ったところで、爆睡していたが、タクシーの運ちゃんが降りて違うタクシーに乗れ、と言っている。前も同じようなことがあったが、免許の関係で市を越えてタクシーを運転することができないのだろう。すぐに違うタクシーに乗り込み、中心部へいってもらう。それでもそこから30分ほどかかった。ようやく中心部についたのが19:30である。周瑜城から2時間近くかかった。疲れた。
合肥中心部にも昔曹操が訓練をしたという寺がある。明教寺だ。明教寺の壁は高さが5mもあり、その壁を曹操教弩台というのだ。いまでは繁華街の真ん中にあって、三国遺跡という感じはしないが、それでも雰囲気はある。そしてお腹がすいたので、どこかで食べることにしたが、デパートのなかを歩いていると、味千ラーメンががあった。こんなところにも進出している!と思いながら、昨日と同じだが、ラーメンは好きだし、また入ってしまった。そして、昨日と同じメニューをお願いする。ただし、チャーハンは辛くない普通のもの。とてもおいしくいただいた。満足して、店を出る。ホテルまで結構あるが歩くことにした。裏通りを通ると、孫権が合肥の戦いのときに逃げたとき、馬が飛んで危機を乗り越えた場所がある。それが飛騎橋跡の碑である。いい雰囲気の遺跡になっていた。
そこからホテルに歩いて帰るとき、昔ながらの売店で水とアイスクリームを買う。最後にアイスを食べるのは中国では定番になっているが、日本で食べたらそれほど美味しくないだろうが、中国で食べると美味しく感じるのだ。ホテルまでの30分、ぶらぶらといろいろと考えながら歩く。2泊3日はとても短い。もう明日は日本に帰るのだと思うと、さみしいものだ。最後まで楽しもうと思い、0時に就寝。
5月1日
中国の旅は最後の朝まで忙しい。合肥の三国遺跡を見ていないので6時に起きて6:50ホテル出発。時間短縮のためにタクシーで逍遥津公園に向かう。逍遥津は曹操軍と孫権軍が何度も戦った場所。曹操軍のなかでも、ひときわ活躍したのが、この地を守っていた張遼だ。張遼は何かと人気がある武将で、強いし関羽と親交もあったので、三国演義でもいい感じで描かれている武将なのである。そして、孫権軍が10万という大群で攻めてきたのに、わずか7千という兵士数で撃破したのだ。それを記念して張遼の像がこの公園に建てられている。孫権軍には、張遼が来ると、「張来々!(ちょうらいらい)」と言って恐れられたのだ。合肥=張遼というイメージが三国志ファンにはある。よって、合肥に来て張遼像を見ないということはありえないのだ。
昨日の周瑜像があまりにもいけてなかったので、張遼像がひときわかっこよく見える。この像は素晴らしい!朝のすがすがしいなか、太極拳をやっている人と張遼像はなぜかマッチする。公園の奥に行くと池がある。池の中にある島には、張遼の墓があるのだ。墓といっても、衣冠塚だが、なぜあんなところに作ったのか!?貸ボートがあるので、ボートを借りてもらうためなのか?よくわからないが、行く時間もないので、対岸から写真を撮るだけにした。望遠で何度もとっていると、通りすがりの人民からいぶかしい目で見られる。
そしてさらに奥に行くと、立派な張遼墓があるのだ。東屋があってその奥である。公園がとても広いので、ぐるっと回るのに時間がかかったものの、標識がたくさんでているので迷うことはない。昨日見た周瑜墓と同じような規模の墓であった。墓の周りには太極拳をあyっているおっちゃんがいたり、めちゃくちゃうまいバトミントンをやっているおばちゃんたちがいたりする。これもひっくるめて中国の朝なのである。とても満たされた気持ちで、逍遥津公園の散策が終了した。時間は8時、上海行きの電車は9時。よしときゃいいのに、少し離れたところに、別の遺跡があるのでいくことにした。タクシーで行ってもらうが、目的地周辺は車が入れないようで、かなり遠くでおろされた。そして延々と歩く。このあたりでとても嫌な予感がしていた。ようやくお目当ての池(曹操が訓練したところ)は行けたものの、あとは出口がわからない。あっちだという方向にいってみると、大学の寮のなかに迷い込み、高い塀で仕切られていて出れない。もう電車の時間がやばい!と思うが、どこを探しても出るところがない。仕方ないので、塀を突破して大通りにでる。急いでタクシーに乗るがもうすでに8:35。まずいな〜と思いながらも、思った以上に駅が遠い。合肥駅につくとすぐさま飛び降りて、釣りは受け取らずホームまでダッシュ。でも、乗る予定だった電車の表示がもうない。15分後に和諧号がでるので、どさくさに紛れて、その電車に乗り込んだ。自動改札でなくてよかった〜と思いながら、なんとか和諧号に乗れた。でも、当然席がないので、3時間立ったままとなる。すぐさま検札にくるが、お姉さんだったこともあり、ごめん!ということで許してくれた。良かったよかった!?
立っていることもあり、ねることもできなかったので、南京近くの長江をみることができた。でも、あっという間に過ぎてしまうので、長江ということもわからないぐらいだった。もちろん巨大な河なのではあるが、一瞬であった。蘇州すぎたあたりから、席が空いてきたので、座れることができた。上海虹橋についたのが12時過ぎ。そこから浦東へ向かうバス乗り場をさがすがよくわからない。空港のほうまで行く必要があるということがわかり、地下鉄+リニアで行くことにした。13:40に浦東についたので、1時間20分もかかったことになる。やっぱりバスが早い。上海航空のカウンターでチェックインを行ったが、誰ひとりとしていない。かなり不安になったが、無事にチェックインできた。
時間に間に合ったことで、安心感からか、お腹もすいた。すると味千ラーメンがあるではないか。さすがに3日連続は、と思いつつも、ついつい入ってしまった。そして同じラーメンを注文する。それでも美味しいのだ。三日連続で同じラーメンを食べても美味しいという、自分の味覚を疑ってしまったが、ま、よしとしよう。定刻15:35であるが、15:20という少し早めの出発で、17:15に関空到着!ほんとに短い旅であったが、それでも充実していたように思う。さー、次はどこに行こうか、行けるのか。そろそろ四川に行きたいのであるが、いつになることやら。まとまった日数で中国を旅したいものである。
〜完〜