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ようやく赤壁!周瑜活躍の地&雄大なる長江

旅程

  2014年5月3日
関空⇒上海⇒武漢
May flower Hotel (Best Westin)
5月4日
武漢⇒赤壁⇒洪湖
洪湖大酒店
5月5日
洪湖⇒監利⇒武漢
マルコポーロ
5月6日
武漢⇒上海⇒関空

(写真は赤壁)

旅行記

三大三国遺跡でありながら、なかなかいく機会がなかった赤壁。休みも4日ほどなので、四川はあきらめて赤壁に決めた。

金城武が諸葛孔明役だった映画「レッドクリフ」で、三国志に詳しくない人にも有名になった。ちなみにレッドクリフの主なキャストは以下のとおり。赤壁の戦いでももちろん主役だが、この映画での周瑜はかっこよかった。わずか35歳で亡くなったのは悔やまれるし、孫策とともに周瑜が長生きすれば呉がもっと発展しただろうに。しかし、35歳でこれほどまで後世に名を残すとは、ほんとにすごい人だ。

孔明(諸葛亮):金城武

周瑜:梁朝偉(トニー・レオン)

曹操:張豊毅(チャン・フォンイー)

劉備:尤勇(ヨウ・ヨン)

関羽:巴森扎布(バーサンジャブ)

張飛:臧金生(ザン・ジンシェン)

趙雲:胡軍(フー・ジュン)

孫権:張震(チャン・チェン)

劉備ファンとしては、誠に残念なのが、レッドクリフでの劉備は悲惨すぎる。冴えなさすぎ。三国志演技では、孔明やほう統の活躍で勝利となっているが、本当は周瑜をはじめとした呉軍が頑張ったからだ。劉備軍はおまけみたいなものだから仕方がないか。

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いつものとおり前日まで仕事、しかもかなり大量。仕方なく前の日遅くまでやったから、寝たのは3時間ほど。それでも中国にいけるということで、6時に起きる。準備は十分かなと若干不安ながらも出発!いつものはるかで747に関空着。GWというのに、はるかはそれほど混んでいなかった。今年はあまり海外旅行に行かないのか!?早々にチェックインして、北はすごく混んでいたので南にいくとすんなりイミグレ通過。しばしラウンジでいつも食べる焼きそばを食べて、中国の予習する。

以前は10時出発だったけど、いつからか940出発になっている。ほぼ定刻どおりに出発。さすがに眠かったから、食事以外はほぼ爆睡。上海間際の長江の河口を見るのが好きだったのに、意識不明のまま着陸。着陸の衝撃で起きるほどの爆睡だった。定刻より15分も早く着いている。いったん外でタバコをすって、中国南方航空のカウンターへ。武漢行きのチェックインをして、中国にいけば必ずいく味千ラーメンにいく。日本では行ったことないのに、中国に行くと必ず行ってしまう味千ラーメンはなぜだろうか。

上海から武漢までは、いくつも飛行機があるはずだが、紅橋までいけば多いのだろうが、浦東なのであまり便数がないのだ。2時間50分ほど時間が空いている。定刻の1350に武漢へ出発。まだ寝たりないのか、武漢までもほぼ爆睡。1545に到着。ちなみに、上海から武漢までは、中国版新幹線の和諧号でもいけるが5時間かかる。さすがにつらいので飛行機にした。天河空港も久しぶりだ。武漢の北側にあり、バスで武昌まで1時間ほど。赤壁には武昌から電車(火車)で行くので、武昌近くのホテルにしていた。

バスターミナルにつくが、方向がよくわからない。同じ道を一往復した感じ。そしてホテルの住所のところにいくが、ホテルっぽいものの、どうも怪しい。近くに行くと、廃墟のようになっているし、入り口が閉まっている。おかしいなと思うが、近くにはベストウェスティンしかない。でもホテルの名前が違うし。うろうろするが、もうそこしかないのでベストウェスティンにいくと、ホテル名「五月花」のMayflowersと書いてあった。よかった。チェックインするが、とても豪華そうだ。部屋に行くとかなり清潔だし、広い。ここまでの旅の疲れを癒すことができるホテルである。

少し休憩してから、明日のチケットを買うために、武昌駅までいく。なお、武漢は武昌と漢口が合併してできた街である。どちらが中心ということでもなく、どちらも長江はさんで両側でかなり繁栄した街となっている。武昌駅もすごい人だ。チケットを買うときに、行き先を告げても、切符売りのお姉さんが何か言っている。なんかよくわからなかったが、何回か言われてようやくパスポートということがわかった。そんな簡単な単語すらわからないなんて、ほんと中国に何回来ているのか!切符は買えたしよしとしよう。そして駅前の複合ビルで食事をする。麺好きなので、またラーメンに行ってしまう。今度は牛肉麺だ。これがまたうまい。とても満足。明日の赤壁に備えて、早めに寝るために、地図を買ったあと、ホテルに帰ることにする。

行きは武昌駅までかなり歩いたので、帰りは地下鉄で帰ることにした。2駅ほど乗る。武漢の地下鉄は2004年に開業し、現在は3路線ある。武漢地図をみると、現在5路線を工事中で、全部で8路線になるようだ。乗ったのは2号線だが、まだ新しい。電車とホームの間には、線路には入れない柵(というより完全な仕切り)があるので安全だ。しかし、とにかく超満員。東京の満員電車のようだ。乗換えをする駅だったので、そこでどっと降りる。駅からホテルまで歩いていると、コスタコーヒーがあったのでモカを買う。さらに中国らしい昔ながらの露店で、アイスと水を買う。ホテルに帰って、快適なホテルライフだ。シャワーを浴びて、2340に就寝。赤壁が楽しみだ。

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6時起床。あいにくの雨だ。まー、仕方ない。ホテルから学校が見えるが傘をさして通学している。7時にホテルを出発。ほんとに快適なホテルだった。武昌駅まで結構遠いことがわかっていたので、タクシーで向かう。730に駅に着き、荷物検査を通り過ぎ、改札口へ。もう早い人は乗るためにホームに向かっていた。あわててホームへ向かう。武昌は大きな駅なので、ホームが多くある。中国の新幹線である和諧号もこの駅に来ているはずだが、どのホームかはわからなかった。ほぼ定刻どおりに752出発。

いつものように電車の中は独特な匂いがしている。空いている席に座りとりあえず落ち着く。外は結構雨が降っている。赤壁につくころにはやんで欲しいと願いながらも、うとうとする。赤壁駅に着いたのが925なので1時間30分ほどだ。赤壁駅はそれほど大きな駅ではないものの、降りる人が多かった。結構な雨だ。濡れながらも赤壁駅を撮影する。タクシーの運ちゃんが群がっていて、当然ながら寄ってくる。こことここに行きたい、最後は赤壁だ、ということですぐにわかった。観光客も結構多いのだろう。

まずは、赤壁駅からタクシーで10分ほどの魯王廟へ。呉の軍師である魯粛を祀ったところ。ひっそりとした住宅街のなかにあった。魯粛のほか、魯粛の後をつぎ関羽を捕らえた呂蒙や、夷陵の戦いで劉備軍を徹底的に殲滅した陸遜の像もあった。この3名は周瑜なき呉を支えた人たちだ。この3人が亡くなってからは、呉は目立った動きがなくなる。呉の国では、周瑜と並んで英雄である。しかし、像の顔がイマイチすぎる。かわいそうになるぐらいだ。蜀の武将たちの像とは違うのは、現代の人たちの呉への評価か。

そして、次に陸遜像があるテーマパークらしくところにいく。開発しようとしながらも、途中で工事が終わっているようなところらしい。雨の中、川沿いをタクシーがひた走る。20分ほどで到着。すると陸遜営寨と書いた看板がある。そしてすぐに巨大な陸遜像が見えた。雨がかなり降っていたけど、気にせずに傘もささずに歩いていく。この像はなかなかのものだ。しかし草が生え放題。手入れをしなさすぎ。奥には長い階段があった。雨だし上るのはやめようかと思っていたが、せっかくだしということで上る。何百段あるだろうか、ぜーぜーいいながら一番上までいく。すると大将軍になるときに任命される祭壇になっていた。丁寧に服を着替える部屋も用意されていた。ここも草がぼーぼー。まったく手入れされていない感じだ。それでも、山のかなり高いところで、先ほどの像まで良く見える。雨でかなり濡れたが、それなりに満足した。

そしていよいよ赤壁に向かう。50分ほどタクシーに乗っていたが、途中から意識不明で爆睡していた。車が止まるともうそこは赤壁の入り口だった。赤壁は昔ながらの古そうな遺跡を想定していたのだが、レッドクリフの撮影があってから人気観光地になったのか、いかにもという感じの公園になっていた。広大な駐車場があり、大きな入り口がある。タクシーの運転手は、このまま待って武漢まで送ろうかと、しつこく言ってくる。いらんと言っても、しつこい。このしつこさが嫌になって、最初に行っていた400元を払う気がなくなって300元だけしか渡さなかった。でも赤壁の公園のなかまで入ってきてしつこい。傘ももらったことだし、50元だけ渡した。それでもしつこかったが、振り払うとしぶしぶ帰っていった。久しぶりに、しつこい運ちゃんだった。

それにしても入場料がばか高い!150元もする。物価がものすごい勢いで上がっている中国だから、普通なのかもしれないが、昔は100元以上する入場料てなかったものだ。豪華な門を入るといきなり映画セット。そして地図を見るととても広大そうだ。でも行きたい場所は、長江沿いにある「赤壁」と書かれた場所だ。ひたすら中の山道を歩き進む。すると孔明が風向きを変えるために祈ったという拜風台があった。これはフィクションであるが、軍の総司令官であった周瑜に、3日以内に風向きを変えると言い、この場所で3日間、孔明が祈り、風向きを変えた。そして、火責めで曹操軍を破ったというものだ。孔明が神がかってくる話のひとつである。

そこからしばらく歩くと、川の見えてきた。長江である。この川は何度見てもいいものだ。雄大、悠久という言葉がぴったりだ。武漢で見た長江とはまた違った感じだ。そしてついに周瑜像があった。この像は三国志ファンにとってはとても有名である。赤壁の戦いで指揮をとった周瑜。当時、まだ30歳そこそこなのに、すごいことだ。その周瑜の巨大な像である。高さ6.5m、台座をあわせると9.2mにもなる。しかし、曹操軍は対岸にいるはずなので、対岸に向かっているはずなのだが、何故だか長江を背にして立っている。これは謎であるが、巨大なので向きを変えるのも大変なのだろう。

そこから長江に下りていくと、ついに「赤壁」と書いている場所があった。これは曹操軍を火責めとし、船はほとんど焼いた。その炎が対岸のこの場所まで、明るく照らしていたということで、赤く燃えるということで「赤壁」と周瑜が書いたといわれている。50万人とも80万人とも言われる大群だったので、船の数もすごい。この地には今でも曹操軍の人骨や武器が出てくるといわれている。また、何十万人という人が亡くなったので、川に亡霊がよく出るということも言われていたようだ。周瑜が書いたかどうかというのは疑わしいところもあるが、それでも長江は悠久だ。長江のほとりで座って、しばらく当時の様子を想像してみる。曹操軍の大群が対岸にいる。その様子を周瑜ほか呉の将軍たちはどのような心境で見ていたのだろうか。曹操は天下統一を目前にして、傲慢であったのか。そのとき劉備や孔明は何をしていたのか。いろいろ考えるが、長江の流れだけは悠久である。1800年前からこの流れは変わっていないのだろう。5月の心地よい風とともに、何ともいえない時間を過ごすことができた。

実は赤壁の戦いはどこであったのか、という論争があった。何箇所か言われている場所があったのだが、この赤壁と書かれている場所に落ち着いたみたいだ。三国遺跡ではよくある話だが、だいたいはその近くの街が、街おこしのために言っていることが多い。孔明が隠居していたところも2箇所あるといわれ、本当のところでない場所は、真新しい公園や草庵を作ってしまう熱心ぶりであった。確かに歴史はわからないこともあるので、どこなのかは本当はわかっていないのかもしれない。そうでなくても長江は広大だし長い。特定できないのも無理はない。

長江沿いから中に入ると、今後は、劉備の軍師であるほう統が潜んでいたという場所があった。孔明と並ぶ秀才・天才であったが、残念ながら早死にしてしまった。ほう統が長生きしていれば、もっと蜀の国は発展しただろうに、と思うと残念である。この場所で畑や近所の子供たちの先生となっていたようだ。これで見たかった場所はほとんど見た。後から作ったと思われるような公園や記念館?のようなものもあったが、あまり興味がなく、公園を出ることにした。結局、3時間30分ほど周っていた。今回の旅行の目的地だったので、とても充実した時間であった。最初は雨が降っていたが、途中からやんでよかった。

さー、ここからどこに行くか。赤壁までくれば対岸の烏林や曹操が敗退した道である監利に行きたい。でも、田舎なので日本でホテルを予約することができなかった。地図を見ていても監利は県なので、街の規模も小さくホテルはどうかと思っていた。すると途中に洪湖という市がある。こちらのほうが大きそうだ。とりあえず洪湖まで行くことにした。赤壁の公園から赤壁鎮の中心部に歩いていくと、赤壁駅近くにいくバスが何台もとまっているが、洪湖はなかった。どうするかと思っていたら、すぐに洪湖と書かれたバスが来た!なんてラッキーだと思ってすぐに飛び乗る。どこかの橋で渡るのかと思っていたが、橋らしきものもない。すると、すばらく動いてとまっている。何故だ?と思ったら長江を渡すための渡し舟を待っていたのだ。渡し舟に乗れるなんてなんてラッキーなんだ!長江を舟で渡れるということでも興奮する。車が何台も乗れる頑丈な舟だ。三峡くだりをしたとき以来の長江の舟だ。あのときと同じく、長江に吹く風はとても気持ちがいい。15分ぐらいの時間であったが、格別であった。

そこから洪湖までは30分ほど。そのバスのなかでも爆睡であった。17時に洪湖のバスターミナルについた。するとおばちゃんが寄ってきて、ホテルを紹介するといっている。しかも40元だって。いくらなんでも40元は安すぎだろ、どんなホテルだ?ということで、断る。するとおばちゃん、なにやらわめきながら立ち去っていった。売店があったので駄目もとで地図をいうと、なんと洪湖の地図があった。大きな街しか地図ってないのだが、この街も大きいということか。それを見るとホテルがいくつかあったので、長江に近いホテルにした。タクシーでいくと結構大きな街ということがわかった。中国の場合、地図で見るよりも、とてつもなく遠い場合がある。まさにそのとおりだ。ホテルにつくと、ちょっとかなり古そうだった。でも、この街では一番といっていいぐらいいいホテルなので、ここでいいかと思いチェックインする。すると120元だ。めちゃくちゃ安い。部屋はそれほど汚くはなかった。18時前にはチェックインできた。少しホテルで休憩して、街を歩く。まずは長江にいってみる。夕暮れ時で多くの人民が夕涼みにきている。太極拳をやっていたり、散歩をしたり釣りをしたり。田舎の街だが、とても人が多く活気がある。これが中国だ。

その後、街に帰りデパートがあったので入ってみるが、夕食を買いに来ている人たちが多かった。長江近くだから、魚も豊富に売っている。いろんな魚がある。そして食事にいこうとするが、なかなかレストランがない。ホテル近くの昔ながらの食堂にはいる。簡単な惣菜とごはんだ。それでもなかなかうまい。この日はかなり疲れたので、22時には寝ていた。かなり満足度の高い日であった。

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6時起床。今日は比較的のんびりだ。めぐる遺跡の数もそれほど多くない。早めに武漢に帰ってゆっくりしたいところだ。ホテルをでてタクシーにのりバス乗り場へ。監利にいくのだが、意外にバスの本数が少ない。監利は洪湖の隣町なのに、あまり行き来がないのか。8時前にバス乗り場に着くが、1時間ほど待つことになった。バスステーションの周りを歩いてみるが、特に見るものもない。店もそれほどない。バスステーションのなかで、湖北省の告示などを見る。いろいろと法律などが変わっているようだ。

9時に洪湖出発。地図でみると長江沿いを走るので長江が見れるかと思ったが、まったく河が見えない。洪湖はその名前のとおり大きな湖もあるのだが、それも見えない。河と湖にはさまれた場所を道があるはずなのだが、何の変哲もない景色であった。しばらくすると昨日の疲れがあったのか、寝入ってしまった。1時間30分ほど走ると監利に入ってきた。今回の目的地である華容古道の近くを通った。ここでバスを降りてもいいのだが、そのまま監利までいく。洪湖から2時間たつと、監利県の郊外に最近できたと思われる新しいバスステーションに到着した。街の中心部までどのぐらいあるのかわからないが、とにかく周りは何もない。昨夜、監利まで来なくて良かった。ここで夜遅くに下ろされても、ホテルを探すのが大変だっただろう。

バスを降りるとタクシーの運ちゃんが寄ってくる。すぐに運ちゃんに行きたいところを告げる。するとすぐにわかったみたいで車を走らせる。20分ほどで放曹坡に到着。ここは赤壁で敗れた曹操が敗退するときに、関羽が待ち伏せしていたところ。ここで関羽が曹操を捕まえていれば、三国志も変わっていただろうが、関羽は昔受けた恩を思い出して逃がしてしまうのだ。これは三国志演義で言われている場所なので、史実ではないのであるが、立派な関羽像が建っていた。村に入るところの道路脇の草むらに建っているのだが、結構大きい。

そして次の遺跡にすぐに向かう。この村のはずれの寺に、もうひとつ関羽像があるようなのだ。そこに行ってくれと言ったつもりだったのだが、車はどんどん村かは離れていく。ま、またバスステーションに帰るときにいけばいいかということで、特に運ちゃんに何も言わない。放曹坡から25分ほどで、今度は華容古道に到着。大きな道沿いではなく、田舎の車が1台通れるぐらいの道をひたすら走り、川沿いを走り、到着。このような畑の中をまっすぐに伸びる道は田舎に行けば多いのだが、とても好きな風景だ。そんな道の端にぽつんと華容古道と書いた碑があるのだ。ここは昔から行きたかった場所だったので、とても感慨深い。戦う前は数十万人いた兵士だったのが、赤壁で敗れた曹操が、ほんの少しの部下を連れて敗退した道である。最近舗装したようだが、農家の横にぽつんとある。どんな気持ちでここを曹操は通り過ぎて行ったのか。この日は気候のいい5月。とても明るく感じたことは少し違和感だったか。

そして、もう一度、先ほどの放曹坡にいってくれと頼む。なんだ、さっきの新しい像に行ったじゃないか!と運ちゃんは言うが、なんとか!ということで、しぶしぶ来た道を帰る。するとすぐに見つかり、先ほどの村のはずれにある寺にそれはあった。最近、新しくしたのか、いかにもという感じの像になっていた。あまり風情がない。文昌寺のなかにあるので境内を散策してみるが、とても歴史のある寺のようである。お堂のなかにはよく見る関羽像がある。関平、周倉像もある。この街でも関羽信仰は熱心と感じる。

これで監利県の行きたかった遺跡にはすべて行けた。あとは武漢に帰るだけ。この時点でまだ13時前だ。運ちゃんにどこに行くの?武漢か?と言われ、そうだと言い、とりあえず先ほどのバスステーションまで行ってもらうことにした。公道に出て走っていると、向こうから武漢と書いたバスが来た。すると運ちゃん、声を出して呼び止めてくれて、そのバスに乗ることが出来た。約束の200元を払いバスに乗り込む。ほぼ満員だったけど、なんとか席を確保。高速道路の入り口もすぐ近くにあり、あとは快適なバス旅だ。安堵感からか、また爆睡。

気がつけば1時間ほど走ったところで、仙桃服務区、つまりパーキングエリアだった。そこでしばらく休憩。でも武漢と書いた違うバスの運ちゃんと何やら話している。武漢は、武昌と漢口が合併してできた市だ。長江をはさんで2つの大きな街があるので、行き先によって、武漢についてからの行動時間が変わる。行きたかったのは漢口のほうだったが、乗ってきたバスは漢口行きらしい。そこで、もう一方のバスに乗り換える。こんなのも中国的だ。みんな優しくあっちのバスに乗れと言ってくれるし、近くにいた若者は英語ができるらしく、英語で話してくれる。とてもいい人ばかりだった。そこから漢口までは近いと思っていたが、やはり大都会。街に入ってから大渋滞もあり、結局、漢口駅に着いたのが1630になっていた。監利からは3時間30分もかかったことになる。

昼食を食べていなかったので、火車駅にあるラーメン屋に入る。2日前に入った店と同じチェーン店の永和大王だ。迷わず牛肉麺を注文。これがまたうまい。満足して地下鉄に乗りホテルに向かう。しかし、ホテルの最寄駅で降りたつもりだが、繁華街である。人がとても多い。方向感がわからずに歩いたのが失敗で、逆方向だった。それがわかって疲れたので、ケンタッキーのソフトクリームを食べ、スタバでアイスコーヒーを飲む。歩く気力もなく、バイタクでホテルに向かう。バイクの後ろに後ろ向きに乗るタイプだった。タクシーにはない爽快感はあるが、油断すると荷物を落とすし、自分も落ちそうになる。しかも交通量がとても多い道を通るので、緊張感もある。漢口の街を見ながら楽しみながら、ホテルに到着。ほんとに長江沿いで、部屋からも長江が見えるので、このホテルにして良かったと実感。しかも、とても綺麗で清潔だ。

夜は長江沿いをブラブラと歩く。今から1800年前は、このあたりは夏口と言われていた。関羽がここまで来て赤壁に行ったことになっている街だ。その後、曹操の大群もここを通ったはずである。今では両岸に高層ビルやマンションが並んでいるが、当時はどんな風景だったのだろうと想像してみる。長江の雄大な流れは変わらないのだろう。赤壁をめぐる旅の締めくくりにはとてもいい時間と空間であった。最後の夜でもあったので、ホテル近くの下町をブラブラしたりして、結局、就寝が2時になってしまった。

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ゆっくりと8時起床。この日は武漢から上海経由で帰国だ。武漢でゆっくりしながら、日本にその日に帰れるなんて昔はあまり考えられなかったが便利になったものだ。

武漢に来たなら亀山には行きたい。ここには三国志の英雄像があるし、魯粛墓もある。閉館しているが赤壁対戦全景画館もある。でも今回は亀山近くにある禰衡墓にいきたかった。少し遅くなったがホテルをチェックアウトせずに9時に出発。

禰衡、字は正平。青州平原郡出身。才能はあるが高慢であったために多くに人間から疎まれた。曹操も嫌がり劉表の元へ送られ、その性格が災いし黄祖によって殺害された人だ。三国志では脇役的存在か。亀山近くにあるというので行ってみるが、それがなかなか苦戦。まずホテルから乗ったタクシーの運ちゃんが、行き先を間違える。武漢ではとても有名な観光地である黄鶴楼に連れて行かれる。なんか道が変だなと思っていたが、案の定だ。違うよ、亀山だ!ということで行ってもらうが、それがまたいけてない場所にとめてくれた。もういい歩く!ということで金を投げ捨てて捜索開始。しかし、亀山といってもかなり広い。武漢の地図で見るととても小さいのだが、歩くと遠いのは、中国はどこでもそうか。相当歩き回るがわからない。

今度は少し南側からと思って、南下してみるが、そこはいかにも最近できたようなマンション群だ。しかも入り口には守衛がいるタイプのもの。昼間なので出入りが多く、門があってもこっそり入れるのだ。こっそり入って中を見てみるが、それらしきものはすでに破壊されている感じ。住民のおばあさんに聞いてみると、おじいさんにまで電話してくれて、説明してくれた。全部はわからなかったが、このマンションができるときに、このあたりのものはすべて破壊されたよ。禰衡墓も確かにあったけど破壊されちゃったね。と言っていた、と思う。ま、この状況ならそうだろなと思っていたが、そう聞かされるとあきらめもつく。でも、とても新設でやさしいおばあさんとおじいさんに感謝だ。

この時点ですでに11:20。せっかくなので亀山の中にいってみる。時間的に魯粛墓や三国英雄像までは無理だが、赤壁対戦全景画館までいくことにした。亀山公園に入るのに15元必要だが仕方ない。赤壁対戦全景画館は、三峡くだりをした帰りに行ったことがあり、それはそれは超ド迫力の映像であったのだ。とても感動して、次に武漢に来たときも行ってみたのだが、残念ながら閉館になっていた。建物はそのままあったので、復活したかな、と思ってみたが、相変わらず閉館中だった。残念だが仕方ないか。全景画館の前でコーヒーとたばこを吸って休憩だ。すると、さきほど遺跡捜索していた場所が見えたが、ちょうど中国の新幹線である和諧号(CRH)が見えた。武漢にも新幹線が走るようになったのだ。急激なスピードで発展している。

武漢の天河空港が13:50発の飛行機だ。国内線とはいえ、そろそろリミット。ホテルにいったん帰り12:20にチェックアウト。すぐにタクシーに乗り空港へ。昔は遠いイメージがあったのだが、綺麗な高速ができており、また、運ちゃんの運転もナイスだったので、わずか35分で到着。13時に着いたので、チェックインも余裕だった。これで湖北の旅も終わりだ。上海浦東には15:30に着き、18:20ANAで関西空港まで。家に到着したのが23時過ぎであった。

今回も駆け足ではあったが、当初行きたかった場所にはすべていけて満足であった。しかも長江沿いだったので、何回か長江を見ることが出来、そして渡河もできて、長江が大好きな私としてはかなり満足度の高い旅であった。三国遺跡の3大聖地といわれる赤壁も到達だ。劉備故里、五丈原、そして赤壁とすべて到達。三国遺跡をめぐる旅もそろそろ終盤か。あとは、四川の広元周辺にいけば、主だったところは行ったことになる。中国の旅行もこれで19回目だ。次回の20回目で完結となるか。いやいや、まだまだ発展し続ける中国は見続けていたいのである。

~完~


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