【旅程】
写真は劉邦像(沛県)
【この旅行で行った三国遺跡と春秋・戦国時代の遺跡】
春秋・戦国:
劉邦故里(歌風台)・漢高祖原廟・豊県劉邦像・劉邦故里漢皇陵(豊県)・垓下の戦い跡・虞姫墓・項羽戯馬台・雲龍山
三国遺跡:呂布射戟台・華佗像
9月17日(日)
昨日のゴルフで体がかなり痛い。その体を引きずるように6:15に起床。仕事がたまっていることもあり、なんとなく気も重いが出発。いつもの
関西発上海行きに乗る。10時発、11:10到着だ。上海はリニア+地下鉄で中心部まで行くほうがバスより割高だが早い。両替を済ませ てリニアに乗る。
今回のテーマは、以下の2つだ。
@項羽と劉邦最後の戦いの場所、垓下に行くこと
A劉邦故里に行くこと
しかし、ルートはまったく決めていない。とりあえず上海長距離汽車駅に向かう。今後のこともあるし、江蘇省のほか、安徽省、湖北省、河
南省方面へのバス時間を調べる。さすが上海最大の汽車駅、かなりの便数がある。今回は垓下に一番近い、霊壁という町まで直行バス があったのでそれに乗ろうかと考えた。しかし、出発時間は20時前とまだまだ時間がある。それか淮安か宿遷の大きな町に今から行く か・・・。まだ時間もあるし、上海の町を徘徊しながら考えることにした。
再び上海汽車駅に行ったのが19時。やはり霊壁まで行こうと決め、チケットを買いにいく。しかし「没有」の一言。一瞬言葉を失った。おそ
らく小さな町なので、乗る人がおらず、今日は出発しないのであろう。少し考えたが、それなら霊壁にもっとも近い宿遷に行くことにした。20: 30発だ。しかしバスで6時間以上はかかる場所だ。着くのが深夜なのか、朝なのかわからないがとりあえず乗車。運転手が明るく何か話し かけてきたが何を言っているかわからない。後で考えると、どこで降りたいんだ?と聞いていたのだと思う。定刻どおりに発車したが、乗ってい るのは私だけ。おかしいな〜、と思っていると、道端でどんどん人が乗ってきて、結局、超満員になった。それからは高速に乗ったり、下道走 ったりしていたが、ほとんど爆睡していたのでよく覚えていない。
(左)上海浦東発展銀行で両替。3万円両替して手数料50元なり。 (右)この汽車駅の外観はいつ見ても綺麗だと思う。
9月18日(月)
途中、休憩が1回あり、そして宿遷に到着したようだ。今年3月に見た項羽像(覇王広場)が車窓から見えた。しばらくたつとバスは停車
して、乗務員のおばちゃんが強い口調で「降りろ」と言っている。しかも私だけに・・・。なんだかよくわからなかったが、宿遷東汽車駅に行き たいんだというと、タクシーでいけといって降ろされた。しかも時間は4時40分。バスを降りるとタクシーが何台か待っていて、10分ほどで宿遷 東汽車駅に到着。まだ暗いが、汽車駅の前は市場になっていて、すでに多くの人たちでごったがえしていた。いつも思うが、どこからこの人 たちは出てくるんだろうか?と思う。霊壁行きのバスがあるか聞いたがないようだ。仕方なく、宿遷汽車駅(中央)に向かった。
(左)宿遷のシンボルともいえる項羽像(覇王広場)。 (右)虞姫墓前の道。泗洪から霊壁までの街道沿いに虞姫墓はある。
霊壁はどうも小さい町のようで、宿遷からは直行バスはないことが判明した。そこで泗洪に行くことにした。宿遷からバスで約1時間半、8時
過ぎに到着した。泗洪から霊壁に行くバスを見てみたが、これまた直行はなく、途中下車になりそう。しかもかなり待たなければならないの でタクシーで行くことにした。泗洪は比較的大きな街で、汽車駅前には多くのタクシーが止まっている。そのなかで誘われるままにタクシーに 乗車。値段交渉をしたが結局400元になった。高いかと感じたものの、早く行きたい衝動にかられそのまま発車。
1時間ほどで霊壁の虞姫墓に到着。垓下の戦いで敗れた後、逃走前に虞姫が自害し、この場所に葬られたところだ。立派な門の横で
票券3元(安い!)を払って中に入る。すると立派な墓があった。これほど大きいと思っていなかったので、少し感動。奥に行くと項羽と虞姫 の最期の別れの像があった。かなり立派にできている。写真を撮りたい衝動にかられるが、撮影禁止の札がある。しかも罰金20元。管理 人もでてきたのでなかなかチャンスがない。周りを見ているふりして、1枚だけ撮影成功、と思いきや見つかっていた。幸い怒られただけです んだ。
次に向かうは今回の旅の第一の目的である垓下だ。最後の決戦が行われた場所はどんなところだろう?と期待する。虞姫墓から霊壁の
街まで行き、南下。豊集の集落付近で沱河の北岸にある。運転手もその場所を知らないようで、現地の人に聞き途中まで同行してもら った。舗装道からはずれ強烈なでこぼこ道を過ぎ、集落に着く。このあたりか?と感じ、睡魔と闘いながら目を凝らす。すると垓下と書かれ た石碑を発見!車を降りてそこまで歩いていく。しかし、なんとなくイメージと違っていた。付近は畑になっており牛もいる。見晴らしは比較 的いいものの、韓信が選んだ場所はここか?となんとなく合点がいかなかった。垓下は広いし、2000年以上も前のことだから、地形も多少 は変わっているのだろうが。ひとしきりその場所を見晴らした。そしてしこたま写真撮影だ。しかし暑い。かなり暑い。9月だというのに8月の暑 さを感じた。朝夕は涼しいが日中はかなり暑い、これは大陸性気候の影響か?今回の旅の第一の目的を達成した安心感と、昨夜のバ ス泊の疲れからか、泗洪までの1時間、爆睡していた。
泗洪から淮安にバスが何本もでていたので、それに乗ることにした。淮安までは約2時間30分、半年ぶりの淮安に到着。17時過ぎで仕事
帰りの人たちなのか、かなりの人通りだ。半年前に泊まった幽蘭都大酒店にまっすぐ向かう。値段の割には綺麗な部屋だったため、ゆっくり できたからだ。200元の部屋を確保した。疲れのせいで体がかなりだるく部屋に入るなり爆睡。18時から寝るのも、中国ではよくあることだ。
(左)垓下までの道は、途中からすんごい悪路。おそらくこのあたりも垓下と思われる。 (右)垓下碑近くにいた牛。のどかである。
9月19日(火)
朝は6時に起床。今日もあわただしいスケジュールだ。淮安7時のバスに乗り徐州へ。10時すぎに徐州に着き、汽車駅の隣にあった嘉利
国際酒店にすぐにチェックイン。中国は朝でもチェックインできるのがかなり便利だ。荷物を置いてすぐに豊県&沛県に出発。徐州と沛 県、豊県の間にはほぼ10分間隔でバスがでている。所要時間もそれぞれ1時間強ぐらいだ。深夜便もできた、と看板がでていた。交通の 便はかなりいい。最初に豊県か沛県のどちらに行こうか迷ったが、豊県に行くことにした。劉邦は「沛豊出身」と書かれている書物もある が、現在の豊県、沛県どっち?か疑問だ。豊県と沛県はバスで30分強かかるぐらい離れているため、厳密に言えばまったく違う場所だ。よ くある出身地争いがあるのだろうか?と思いながらバスに乗る。
豊県には12時すぎに到着し、すぐにタクシーに乗って漢皇祖陵に向かう。汽車駅からしばらく行くと、大きな広場に大きな劉邦像があっ
た。タクシーの運ちゃんによってもらった。豊県では劉邦は英雄なのだろう。400年も続く漢王朝を作った人だから、そりゃ偉大だ。その後、 30分ぐらいタクシーを飛ばして漢皇祖陵に到着。そこの管理人さん、すごく熱心に説明してくれる。特に印象深かったのが、漢朝最後の 献帝の子孫が日本に渡り、「原田」「大蔵」「板上」という姓を名乗っているという話だ。その管理人さんも「劉恒諾」という名前で劉邦の 子孫なのか。日本人に対しても好感を持っているようで、名刺交換した後、「朋友!朋友!」といってくれた。一通り案内してくれた後、 酒でも飲もう!とまで言ってくれたが、残念ながら時間がない。ごめんなさいしたが、実は少し酒飲んで話したかった。誠に残念。
(左)劉邦像からみる豊県の街。劉邦の顔はなんとなくどこかのおっちゃんチック。 (右)右側が劉さん。とっても親切だった。
その後、沛県に向かう。バスの時間もわからないのでそのままタクシーで沛県に向かった。約30分だ。沛県は豊県より少し大きい街のようだ
った。中心部にいくとお目当ての歌風台はすぐに見つかった。そこは沛県博物館になっている。入場料10元。1階は資料館になっており、 劉邦が生まれてから漢を作るまで時系列に展示されていた。なかなか見ごたえある。そして一度外にでて2階に上がると、誇らしげな顔を した劉邦像がある。晩年、戦いの帰りに沛県を訪れたときの姿を像にしたものだ。また、ここには「大風歌碑」もある。2階からの眺めもよく、 ひとりきり堪能した。その後、その隣にある漢高祖原廟(5元)、向いにある漢城公園(10元)、漢の時代を模した商店街の漢城に行っ た。しかし、三国遺跡である呂布の射戟台がどうしても見つからない。各館の人たちに聞いてみても、あっちというだけでなかなかわからな い。徐州地図にも載っているぐらいなのにおかしい、と思いながら時間も17時過ぎたのであきらめようと思い沛県汽車駅に向かった。
徐州までのバスチケットを買おうと思うが、やはり呂布の遺跡が気になる。もう一度、手持ちの資料を見ると「ん?」沛県文化館にあると書
いてあった。沛県文化館は行ってないと思い、すぐにバイタクに乗る。すると、沛県博物館を越えてしばらく行ったところの街のはずれにあっ た。文化中心と書いているが、中はアパートぽくなっている。入場料もとられない。こんなところにあるのかな?と思ったが、その片隅にひっそ りとあった。おっと思ったものの、ほぼ見捨てられている状態になんとなく寂しさを覚える。劉備と袁術の仲裁に入り、沛県を戦火から守った 呂布は沛県の英雄だ、と何かの本で見たが、やはり沛県は劉邦の街なのだろう。呂布の遺跡にも行けたし、徐州への1時間、気持ちよく 帰ることができた。
(左)沛県博物館と漢高祖原廟の間にある漢街。沛県名物、犬肉を食べさせてくれる店もあった。 (右)漢城公園から見る夕陽。
徐州に着いたのが19時過ぎ。あたりはもう暗い。旅はあと2日残っているが、明日は徐州から上海に帰らなければならない。ほとんどが移
動になる。バスで帰ろうか、電車で帰ろうか迷っていたが、上海から徐州まではバスを乗り継いできたので、帰りは電車で帰ろうと考えた。お そらくそのほうが楽だろう。幸い、徐州汽車駅と火車駅は目と鼻の先だ。沛県から汽車駅に到着したその足で、徐州火車駅に向かった。
どこもそうだが、火車駅はほんとうに人が多い。長蛇の列に並んで、上海行きK55 硬座席を買った。電車の切符は11時28分発が定刻
なので、朝はどこかに行ける。相変わらず切符売り場のおばちゃんは愛想が悪い。放り投げるように切符を渡された。すると向こうの切符売 り場ではなにやら騒いでいた。激怒した夫婦が、ガラスをぼんぼんたたいて、すごい剣幕で怒っている。たまらず係員、警察を呼んでいた。 こんなとき、中国語が理解できればどんなに面白いだろうと思うのだが、残念ながら何で怒っているのかはわからなかった。徐州火車駅では 何かあったのだろうか、私も切符売り場に入るときに警察にとめられ、身分証明書の提示を求められた。パスポートを見せると「日本人ね」 と女性警察官に笑顔で言われてそのまま通過。
その夜は徐州を徘徊した。火車駅の前では屋台がたくさん並んでいる。そのなかに、沛県名物 犬肉を食べさせてくれる屋台があった。犬
の姿焼きもあり、かなりグロテスクだった。写真を撮らなかったのが悔やまれる。火車駅からまっすぐ彭城広場に歩いた。徐州は項羽が治め ていたころは彭城といわれたので、その名前が通り名にもなっている。夜の公園では、太極拳をしているグループや若いカップルなど、大勢 の人で賑わっていた。項羽関係のものがないか探してみたがなさそうなので、そこから彭城路を南下。戯馬台まで歩いてみることにした。彭 城路は中心街だろうと思いきや、それほど明るくなく、人通りもまばらだ。彭城路を越えると歩行街になり、ここは夜の街だ。バーやクラブの ようなものがたくさんあり、通りの雰囲気もかわった。地図を見るとこのあたりに戯馬台があるようだが、どうもそういう雰囲気はない。しばらくさ まよった後、あるバーの横の小道を抜けると戯馬台があることがわかった。夜はしまっているので、戯馬台は明日の朝来ることにした。その 後、火車駅近くのホテルに引き返した。徐州には城壁も一部残っているとのことなので、歩きながら探してみたが、それらしきものもなく、城 壁は探すことができなかった。ホテルに帰ると22:30、ちょっと歩くつもりだったが、2時間ほど歩いたことになる。地図で見れば近そうだが、歩 いてみると結構距離があるものだ。その夜は、明朝の徐州徘徊プランを立てて0時に就寝。
(左)夜の徐州火車駅。 (右)彭城広場前。このあたりは大都市という感じがする。
9月20日(水)
朝6時に起床。かなり眠いが11:28の電車に乗らなくてはならないため、徐州散策に向かう。ホテルを6:30に出てまずはタクシーで雲龍山
へ。地図で見る限り車で上まで行けそうだったのだが、山の登り口までしか行けず、そこから歩きだ。朝早いのにかなりの人が登っている。30 分ぐらい歩くと頂上の現景台に到着。しかし、展望台は空いておらず、わずかな隙間からしか雲龍湖の景色を眺めることができなかった。 ロープウェイと滑道(ボブスレー?)があり、その乗り場では大勢の人が歌を歌っていた。何かのサークルかな?乗り場からは湖の反対側の 景色を見れ、徐州の街が一望できた。湖側をどうしても見たくて、下山道を外れていくと、木が開けているところがあり、そこで見ることがで きた。林の中を下山していくと興化寺があった。そこの境内からは現景台や街を見ることができ景色を堪能。この寺にも大勢の人が集まっ ており、ゲームをしたり雑談したり朝のひとときを楽しんでいた。この山に入るには5元が必要だったようだが、朝早かったのでそれを払わずに すんだ。
(左)現景台までの道。急なところもある。 (右)興化寺から見る市街地。タワーが綺麗に見える。
下山すると雲龍山の北側の入り口があった。正面には徐州博物館がある。次は項羽像がある戯馬台へ向かうため、博物館の右側の道
を歩いていった。昨夜すでに歩いているので、何なく戯馬台に到着。入場料20元を払う。右手にいくと早速項羽像があった。今までみた なかでもかなりやさしそうな項羽の顔が印象的だ。そのほかにも項羽関連の故事を模したものがいくつかあり、なかなか楽しめる場所であっ た。特に虞姫最期の場面を模した虞姫の人形がかなり美しく、他の展示物とは違った雰囲気をかもし出していた。8:30に入場したことも あり、中には誰もいない、ゆっくりと展示物を見ることができる。1時間近く、戯馬台にいた。
さてまだ9:30だ、今からホテルに帰っても電車まで時間がかなりある。どうしようかと思って地図を見ると、徐州漢城という文字に目がとまっ
た。崩れた城壁でもあるのか、と期待しつつタクシーで行くことにした。20分ほどで到着したが、がっくり・・・。「中央電視台外景基地徐州 漢城」と大書きされた城壁があり、中は撮影用に作られたものばかり。中に入る気もなく、写真だけ撮って街に帰ることにした。
徐州は交通の要所ということもあり、過去からかなりの戦禍に見舞われた歴史を持つ(一説によると200回以上)。2000年前の項羽と劉
邦や三国時代の史跡が残っているわけもないが、三国時代の名医華佗像や、項羽の参謀であった范増墓があったが、遺跡消滅したと いう情報を持っていた。駄目もとで運ちゃんに華佗像しってる?と聞いてみると、わかるわかると言った。中山南路沿いの中医院の中にある という。たくさんの病人が歩いている中、タクシーを中まで入れてもらった。すると中庭のようなところに、華佗像があった!ここは当然、三国 遺跡ではなく医院が昔の名医の像を作っただけのものであるが、まさかあるとは思っていなかったため感動。しかも、戯馬台からそんなに遠く ない場所にあった。
ついでに范増墓に行ってもらうことにしたが、乾行宮にあるらしい。しかし、そこは雲龍山のふもとの徐州博物館の中だそうな。さっき行っとけ
ばよかったと思いながら、20元の入場料を払って入ってみる。この時点で10:30。まずい、電車の時間まであと1時間弱しかない!館内を 走り回って探すもののない。ここには貴重なものがたくさん展示されているが、それには目もくれず、范増墓を探す。しかしない。館員にも聞 いてみたが、知らないようだ。乾行宮はあったが、そこにはなかったので本当になくなったのだろう。思えば范増は安徽省の巣湖の出身なの で、本当の墓はそっちにあるんだろうな、と思いあきらめる。大急ぎでホテルに帰り荷物を持ってチェックアウト。徐州駅に着いたのが11:10。 上海行きの電車K55の改札が始まったばかりで、なんとか間に合った。よかったよかった。
(左)戯馬台の横は元代の建物がそのまま残されている。 (右)徐州博物館。ゆっくりと周ってみたいものだ。
間に合ったのはよかったが、硬座なので席を確保しなければならない。硬座車両を探し乗り込むが、すんごい人だ。仕方なく荷物をおける
場所を確保し、立つ。次の駅で降りる人もいるだろうから、上海まで立ちっぱなしはないだろう。徐州から安徽省に入っていくが、のどかな 風景が広がっている。車内の人たちを見てても面白い。トランプを楽しんでいる人、カップラーメンを食べている人、テレビを見ている人、それ ぞれ到着までの時間を楽しんでいる。しかし、カップラーメンの湯はどこにあるんだ?と思っていると、出口の近くにお湯が出る蛇口がついて いる。車内販売のカップラーメンを買って、お湯を入れてうまそうに食べている。う〜ん、俺も食べたい・・・が立ってるし食べれない。泣く泣く 我慢だ。液晶画面のテレビも1両に3台ほどついていて、どこからでも見れる。これは日本の電車よりサービスがいいのではないだろうか。しか し、車内販売でジュース類を売るカートと、料理を売るカートがひんぱんに通る。こんなに人が立ってるんだから無理だろう!と思っても強引 にカートを押してくる。来るたびによけなければならなかった。商魂たくましいというか、邪魔というか・・・。
(左)さよなら徐州! (右)電車のなかは超満員。通路も人だらけ。
徐州の次の駅で幸い席が空いた。すかさずすわり、そのまま爆睡だ。次におきると南京長江大橋を渡っていた。南京到着が15:30、徐州
から4時間かかった。このまま行けば上海には19時ごろかな。その後、鎮江、常州、無錫、蘇州と停車した。この電車はハルピンが始発の ため、1日半走っていることになる。上海手前になると通路に引いていたカーペットを片付けたり、乗務員が掃除をしたり、終着駅近くにな っているんだという感じだ。無錫や蘇州でかなりの人が降りたため、上海に着く頃にはゆったりと座ることができた。そして上海に19:15に到 着。徐州から7時間45分乗っていたことになるが、中国の電車はゲージも広いし、揺れがないため疲れはあまり感じなかった。
上海に着いた時点でこの旅行も終わった感じだ。今日は寝て、明日は空港に向かうだけ。いつも中国に来て感じるのは、中国人はたくま
しいということだ。今回も濃厚な旅でいろんな中国の人に会った。各地でいろんな人を見るが、みんな一生懸命生きている。そんな様子を 見ていると、俺もがんばらなければと思う。そう思いつつ関空に着くと、さっそくお客さんから電話が入る。現実に引き戻された。
〜完〜
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