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三国志のあらすじ

あまりしたくなかったんだけど、三国志を知らない人も多いと思うし、一部要望もあったので、三国志の大まかな話しを紹介しておきます。
三国志に関する本やホームページってかなり沢山あるから、そっち見たほうが断然詳しいと思うけど「自己流」の紹介です。

【かなり大雑把ですよ!】
三国志の3つの国は、魏・呉・蜀である。三国時代は今から1800年前の西暦200年ごろに中国大陸で起きた、いわば内乱の時代であ
る。正確には、184年の黄巾の乱から280年に呉が滅びるまでの約100年間がそう。漢王朝が衰退して、各地で群雄が割拠して、そのな
かから生き残った人が作った国が、魏呉蜀の3つの国である。

魏は曹操、呉は孫権、蜀は劉備と思っていただければいい。そのときに起きた史実を忠実に書き綴った「正史」(陳寿が
書いたもの)と、その後の時代の人が娯楽のために作った「三国志演義」(明代の羅貫中が書いたもの)があり、その三国志演義は、事実
と違うところがあるものの、人々の興味をそそり、今でも中国では京劇なんかで演じられている。その三国志が日本でブームになったのが、や
っぱり吉川英治の三国志演義かな。私もその本を読んで、すっかりはまりました。吉川英治が劉備ファン、諸葛亮ファンなの
で、私もその流れで、すっかり劉備ファンとなってしまった。というのは、曹操と孫権はいい家柄の出なんだけど、劉備はわらじ売り
から一国の皇帝にまでなったんだから、そりゃひいきするわな、といった感じです。劉備アイコンもそんな感じでしょ。なお、三国志演義のよう
なものは、羅貫中以降、かなりの数のものがでている。日本でも最近は北方謙三が書いている。

三国志が嫌いというだいたいの人は、登場人物が多くて覚え切れない、ということである。しかし、私の場合は、吉川英治を8回読んだの
と、やっぱり三国志ゲームかな。あれですっかり登場武将は頭に叩き込まれてしまいました。


あらすじなんですが、紆余曲折があったものの、中国大陸の北半分をほぼ手中に収めた曹操が、天下統一にがぜん優位にたってい
た(というか実質的に統一)。そのときまだ国を持たない劉備は、関羽、張飛、超雲、諸葛亮など、名だたる
武将が配下にいたものの、曹操の攻撃にあっけなく木っ端微塵になる。曹操は、その勢いで残るは大陸の南東にある孫権
呉をぶっ潰そうとした。そのとき木っ端微塵になった劉備と孫権が手を取りあり、圧倒的優位にあった曹操を、赤壁の戦いで見事に打ち破
った。

そこで、劉備は息を吹き返し、蜀(現在の四川省)を乗っ取り、諸葛亮が想定していた三国鼎立の形になった。机を連想すればわかる
が、2つの脚ならすぐに倒れる。しかし、3脚にすることによって、お互いが拮抗することになり、圧倒的に劣勢であった劉備は、その力が拮抗
しているうちに、戦力を整えられる。それが見事に的中し、三国時代に突入した。

蜀には、関羽、張飛、趙雲、馬超、黄忠などの猛将のほか、諸葛亮やほう統という智将もおり、
人材は豊富であった。また、土地も肥沃であり、その期間、蜀はよく栄えた。とはいうものの、やっぱり蜀は劣勢。桃園の誓い義兄弟
なった劉備、関羽、張飛は、結局は、関羽が呉の将軍、呂蒙に殺され、張飛も部下に寝首を掻かれ、劉備も呉
の陸遜に破れ、3人の漢王朝復興の夢は消えていった。その夢を継いたのが諸葛亮であるが、その後が大変。全盛期に比べ
たら、大した将軍もおらず、諸葛亮も魏との戦いのさなか、結局、病死してしまう。その後の蜀は悲しいばかりであるが、もともと蜀(四川
省)は山深い土地で天然の要害になっている。魏や呉が積極的に攻めることはなかなかできず、姜維というヒーローも出現したりし
て、かなりの期間、持ちこたえたけど、結局、魏に滅ぼされてしまった。

そもそも曹操の魏は、特に長江を越えて孫権の呉を攻めたり、山深く攻めるのに適さない劉備の蜀を無理やり攻撃する必要もなかった、
という見方もある。三国になった時点で、人口も多く栄えていた中国の中央部(中原という)をすでに領地としていた魏は、呉とか蜀の偏
狭の地は特に不要というものだ。そんな状況でも、圧倒的に不利な蜀が、魏に対して戦争をしかけていくのは、何故か泣ける。アリが像に
向かっていくようなものだ。ちなみに当時の各国の規模は以下のようだったらしい。蜀は圧倒的に劣勢ということがよくわかる。

人口
2800万人
1060万人
630万人
兵士数
30万人以上
10万人
5万人
(注)面白いほどよくわかる三国志(日本文芸社)より


三国志の何がいいのかと言われると、やっぱり義兄弟という堅い絆で結ばれた義理・人情任侠の世界というところかな。それと、どう考えて
も劣勢の劉備が皇帝にまでなれたのは周りにいい武将がいたからであって、それには、劉備が持っていたカリスマ性漢王朝復興という強
い志を持っていたからでしょう。そのひたむきさに感動するというところでしょうか。

これでもかというほど、顔アイコンを出したので、三国志初めての人でもこれでイメージわくかな?なお、上記のあらすじは、三国志演義のも
のなのであしからず。三国志の本当に歴史を知ろうと思えば、正史を読まなくてはならない。三国志演義は後世の人が創作を交えながら
面白おかしく、しかも劉備や諸葛亮が正義の味方、曹操が悪役で書かれている。とはいっても、三国志演義は、事実が7、創作部分が
3といわれているので、演義は事実と全く違うというものでもないようだ。

諸葛亮孔明



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