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旧ユーゴスラビア縦断ドライブ
【旅程】
  2009年10月7日   伊丹⇒成田⇒ウィーン           アストリア泊
10月8日 ウィーン⇒(セルビア)ベオグラード⇒(ボスニア・ヘルチェゴビナ)サラエボ⇒モスタル                           ホテル・エロ泊
10月9日 モスタル⇒(クロアチア)ドブロブニク⇒(モンテネグロ)コトル⇒(マケドニア)ティラナ          ティラナ・インターナショナル・ホテル泊
10月10日 ティラナ⇒(マケドニア)オフリド⇒(コソボ)プリシュティナ⇒(セルビア)ニーシ                  ベストウェスティン・マイプレイス
10月11日 ニーシ⇒ベオグラード⇒ロンドン  ヒルトン・ロンドン・ケンジントン
10月12日 ロンドン⇔バーミンガム      ヒルトン・ロンドン・ケンジントン
10月13日 ロンドン⇒アバディーン           ジュリーズ・イン
10月14日 アバディーン⇒エジンバラ⇒ロンドン  ヒルトン・ロンドン・ケンジントン泊
10月15日 ロンドン               ヒルトン・ロンドン・ケンジントン泊
10月16日 ロンドン(帰国できず!)               プレミア・イン泊
10月17・18日 ロンドン⇒成田⇒羽田⇒伊丹
写真はモンテネグロ・コトル。

【旅行前】
旧ユーゴスラビアは昔からとても興味があった国だ。2007年にスロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルチェゴビナにドライブしたことも増長し、旧ユーゴスラビアの国をドライブしてみたいとずっと思っていた。そして、イギリスに仕事ができたので、事前に入って回ることにした。
といっても、あまり情報がない。特にアルバニアはまったくの未知の国。調べてはみるが、特にこれといった情報もなく、でたとこ勝負だ。それでも、3日間で回らなければならず、ルートは入念に調べた。旧ユーゴスラビアの地図を日本で購入し、ルートを調べる。

どこに高速道路があるかわからないので、一般道の所要時間で計算する。すると、どう考えても3日間で回るのはきつい。それでも、回るのだ。悩みに悩んだ末、最も飛行機の便がよかったセルビアから入って、ボスニア・ヘルチェゴビナに入り、反時計まわりがベストという結論になった。最後の日は、朝にニーシからベオグラードまで移動するという強行スケジュールとなった。

今回の旅の目的は、旧ユーゴの美しい国々を見るのはもちろんであるが、最も重視していたのは
「平和なコソボを見ること!」である。コソボはセルビアから独立して国連から認められたものの、セルビアはまだ国として認めていない。その国境はどんなのだろうか、という興味もあった。もちろん不安もあった。でも、なんとかなるだろうという思いのほうが強かったのだ。不安もあるが行く前はワクワク感のほうが強かったのである。


【今回のドライブ】
セルビアのベオグラード空港でレンタカーを借りた。クロアチアで借りたときもそれほど問題なく借りれたので、今回も同様にハーツにした。
旧ユーゴの国をまわって、総走行距離は
1963.5Km

そして、ガソリン代は以下のとおり。

@ドブロブニク(クロアチア) 5,064円(36.71L) @137.95円
Aシュコルダ(アルバニア) 不明(2,027円 15ユーロ)
Bプリシュティナ(コソボ) 不明(4,053円 30ユーロ)
Cベオグラード(セルビア) 5,645円(不明L)  @不明円
         ガソリン代合計 16,789円

【旅行記】
10月7日 伊丹⇒成田⇒ウィーン
伊丹を8時に出発する飛行機で成田経由でウィーンへ。この便乗るときはとてもつらいのだが、家族が送ってくれた。子供たちは学校があるというのに、朝早くて間に合うからということで眠い目をこすりながら来てくれた。ほんまにありがたい。そして伊丹を定刻の8時に出発し成田に9:25に到着。しばらくラウンジで過ごす。メールの数が多くて処理しきれないが、それでも時間のある限り、メール処理だ。まー、海外でもメールは見れるから、また旅行中に処理しよ。そして、初めてのオーストリア航空でウィーンへ。11時に成田を飛び立った。いつもの窓側にしたのだが、なぜか満員に近い乗車である。しかも隣は少し大きめの外国人。ちょっとブルーだ。しかも、途中でコーラをこぼしてしまった。ズボンは結構濡れたが、席を立つに立てず、席でふいただけで過ごす。旅の始まりから、かなり憂鬱になる。

そして、ウィーンには15:55に到着。日本時間で22:55である。機内で少し寝たもののかなり眠い。それでも初めてのウィーンで少し興奮気味。外の空気を吸ってたばこをふかす。いい気持ちだ。そして、市内までわずか13分でいけるという電車に乗った。CAT空港駅を16:35に出発しウィーン・ミッテ駅まですぐについた。そこから、歩いてホテルに向かう。川沿いに公園があったり、馬車が走っていたり、これがウイーンか!と感動しながら歩く。10月というのに暑い、歩くと汗がでる。そして、ホテルまでの間にベートーベン像があるのでそれを見る。すぐにわかったが、日暮だったこともあり、なぜだかさみしそうに感じる。ホテルには17:40にチェックインした。

少し休憩した後、ホテルの周りを散策する。夕暮れ時で電気がつきはじめとても美しい街である。まずは、モーツアルト像にいくがもう暗くてあまり見えない。その後、王宮に向かうが、途中にあった国立オペラ座は外観がすばらしい。とても美しかった。王宮まで歩いていくと馬車がたくさん走っており、観光用ではなくまだ使っているのではないかと思ってしまう。次に王宮から繁華街を通り、シュテファン寺院へ向かう。かなり多くの人がいる。そして、店先にはベートーベンの絵を書いたお菓子など、ベートーベンをよく見かける。さすが音楽の都だ。そういえば、飛行機のなかでも日本人の女の子が音符を書いた楽譜を見ていたなと思い出す。にぎやかだ。シュテファン寺院が見えてくると、その建物に圧倒される。おどろおどろしいというか、歴史を感じるというか、何とも近づきにくい感じを受ける。その前では、音楽を歌ったり、ショーをやってりして、多くの人だかりだ。ウィーンのにぎやかな一面を見ることができた。もう少し歩きたい感じもしたが、明日は早いし、ハードなドライブが待っているので、ホテルに20時に帰る。そして、21時には就寝だ。
 
(左)右手に見えるのが国立オペラ座。          (右)これが王宮。さすがに圧倒される建物だ。
(左)壁面も美しい国立オペラ座。
(中3つ)賑やかな通り。音楽のショーなどをやっていた。ベートーベン関連のグッズやチョコレートが売っている。
(右)おどろおどろしいシュテファン寺院。地下墓地にはペストでなくなった人の骨や歴代皇帝の内臓が入った壺があるそうな。


10月8日 ウィーン⇒ベオグラード⇒サラエボ⇒モスタル
ついにドライブが始まる日!7時前の飛行機なので4時に起きて4:30にホテルを出発。当然、電車がないのでタクシーで向かう。ホテルの近くにたまたまあってよかった。30分足らずで空港についた。まだ5時すぎだ。すぐにチェックインする。オーストリア航空のネットで買うとなぜかエコノミーもビジネスも同じ値段だったので、ビジネスを買っていた。でも状況がわからずエコノミーの列に並んでチェックインすると、あなたビジネスよと言われ、違う列に次からは並んでね、と言われる。イミグレ通過し待合室にいくが、とても簡素で店もコーヒーショップぐらいしか空いてない。人もほとんどおらずなんか不安になる。それでも時間が近づくと人があらわれまずまず集まってきた。6:45の定刻どおりにウィーンを出発!めざすはセルビアのベオグラードだ。内戦時には戦火があったようだが、今は平和だろう。ひとりしか乗っていないビジネス席から景色をみる。しばらくすると、温かいクロワッサンがでてきて、それがめちゃくちゃおいしい。ビジネスでよかった〜と満足感にひたる。そろそろセルビア国内かなというころに、ドナウ川が見えてきた。かなり蛇行している。しばらく見てると、サバ川も見えてきて、その合流点にベオグラードはある。飛行機はだんだんと降下する。ベオグラードの街並みが見えてくる。近代的なマンションも多く建っているし、きれいな公園も整備されている。これは平和なんだろうとひとまず安心する。7:55にはベオグラードに到着した。

ベオグラード空港 0Km⇒セルビア・クロアチア国境99.4Km⇒Zupanja 133Km⇒クロアチア・ボスニア・ヘルチェゴビナ国境141.7Km⇒Tuzula 210Km⇒サラエボ346Km⇒モスタル473.9Km

小さな空港なので、イミグレも簡単に終わり、ハーツのレンタカーもすぐにわかり、8:20には空港を出発していた。調べていたとおり、まずはクロアチア方面に高速でむかう。するとすぐに国境があり、クロアチアに入国。そして、分岐点のZupanjaまでいき南下。そこからしばらくいくと、ボスニア・ヘルチェゴビナへ入国だ。ボスニア・ヘルチェゴビナはまだ内部で紛争もあると聞いているので、少し警戒するものの、荷物チェックもそれほどなく通過。しかし、パスポートに押してくれるハンコが古い!しかもインクがでない!まーえっか。

そこからはしばらく山道となる。途中、のどかな風景が広がり日本の山間部と似たような風景となった。そうかと思えば、岩肌が露出しているところもある。慎重にハンドルを握るが、前に走っているトラックが遅い。そして、直線になったところで追い越すと、その先に警察官がいた。まずいと思ったが、こっちこっちと手招きしている。あーあ、と思って止まり、パスポートや免許証を見せる。どうも罰金を言ってるようだが、こっちとしてもイマイチ納得していない。追い越し禁止でもなかったのに、と思って説明を求めるが、ぎりぎり禁止区域だったようだ。そんな〜という顔をしていると、もう言っていいよと言われる。しかも罰金なし。なんだよ、と思いながら、ラッキーということで早々とそこを立ち去る。

【サラエボ】
そこからはさらに運転を慎重にして、ようやく14時すぎにサラエボについた。さすがに山道だ。ベオグラードから6時間もかかった。サラエボには北から入ったので、まず目についたのが山一面の白い墓だ。内戦時に多くの方が亡くなった。その方々の墓が街の北側にあるのだ。何かイベントがあったのか多くの人たちがお墓に向かっている。車をおいてお墓にいってみるが、ほんとにすごい数である。内戦の悲しい部分を見たようだ。そのあと市街地に向かうが、オリンピックの開催跡地があった。内戦の前の1984年に開催されたときのものだ。市街地に向かうが、道端の建物のところどころに銃弾跡がある。おそろしい。それでも市街地は普通の街並みであり、ヨーロッパならどこにでもあるような街並みだ。歩いている人たちにも笑顔がある。それで救われる。
 
(左)撮ってはダメなんだろうけど、これが墓地。奥の山にも無数に見える。   (右)オリンピックのマークがあるタワー。     

市街地のはずれに車をおき、川沿いの綺麗な道を歩いてお目当ての
ラティンスキー橋に向かう。ここでかの有名なサラエボ事件が起きたのだ!1914年にオーストリア=ハンガリー帝国の皇太子夫妻がここでセルビア人青年に狙撃されて、第一次世界大戦が始まった。今からわずか100年ほど前のこと。かつては博物館や橋には皇太子の狙った位置を示す靴跡や碑があったようだが、内戦時に撤去されたようだ。名前もプリンツイプ橋だったが改名された。今では川沿いにカフェもでき、コーヒーを飲みながら、くつろげる場所になっている。

そこから市街地へ入る。セルビア正教会の近くでは、巨大なチェスで遊んでいる人たちがいる。そしてカトリック大聖堂までいくと、かなりひとどおりが多い。暑かったので、アイスを買うが、ユーロでも買えた。日本円で60円ぐらいだ。そのまま進むと、お土産物屋が並んでいる通りがある。ここはさらに人が多くなる。国旗バッチを探すが、なかなかない。何軒か聞いてみたが、おいてないとのこと。残念だ。だいたい市街地も回ったし、時間もなくなってきたので、サラエボを出ることにした。すでに17時だ。モスタルまでに飲むコーラなどを買って車まで戻る。そして、通勤客をたくさん乗せた市電を横に見ながら走るが、最後の見どころ(?)になるスナイパー通りを通過。ここは内戦時に動いているものは、セルビア人にすべて撃たれたという通りだ。そして、この通りには黄色の壁のホリディインがある。このホテルは内戦の最前線から300mほどのところにあるが、営業を続け、ここからジャーナリストは世界に情報を発信した。西日がかなりきつくなってくる。スナイパー通りは車の通りが激しい。そして市電がひんぱんに走っている。なんとも複雑な想いで運転していると、サラエボの郊外になってきた。
 
(左)第一次世界大戦の引き金となった橋ラティンスキー橋。 (右)サラエボの中心部。雰囲気がいい。

ここからモスタルまでもまだまだ遠い。峠、川や湖もあって景色もよく快適なドライブだ。途中からうす暗くなってきたが、なんとかモスタルまでたどりつくことができた。予約していたモスタルホテルは比較的すぐにわかった。サラエボから役130Km、2時間45分で到着。結構疲れた。フロントにいくと愛想の悪いにいちゃんが対応してくれる。モスタルはどうもさみしい感じがする街だ。内戦の後遺症を引きずっているのだろうか。ホテルのベランダから見える景色もどことなくさみしい。その夜は疲れていたこともあって21:45に就寝。


10月9日 モスタル⇒ドブロブニク⇒コトル⇒ティラナ

モスタル473.9km ⇒ クロアチア入国510Km ⇒ ドブロブニク614.2Km ⇒ モンテネグロ入国652Km ⇒ コトル690Km ⇒ アルバニア入国808Km ⇒ ティラナホテル到着924Km

【モスタル】
盛りだくさんの一日がやってきた。もともと無理なスケジュールだ。昨日の疲れも取れないまま6時に起床。かなりしんどい。それでも体に鞭打ってホテルを7時過ぎに出発。まずはさっとモスタルの観光だ。ホテルからモスタルでもそこしかないと思われる観光地の石橋に向かう。この橋はモスタルの象徴だったのだが、1993年11月に内戦により破壊された。ユネスコの協力で2004年になって復元されたのだ。この橋の周りはとても整備されていて、石畳の道にこの橋、そして美しい川が流れており、戦争で破壊されたとは思えない景色になっている。朝早いこともあってかなり肌寒いが、空き地に車を止めて橋を渡り、市街地を散策する。まだ開店していないが、雰囲気のいいカフェも何軒かある。こんなところで川を見ながらティーをするのはおつなものだと思う。付近に住む小学生が登校している。もう今では平和そのものの風景になっている。ホテルから気になっていたのだが、はげ山のてっぺんに大きな十字架が見える。計画をたてるときグーグルアースで発見していたものの、時間がないと思いパスしようと思っていたところだ。でも、橋の近くから見ていると、行きたい衝動にかられるのだ。そんな気持ちをおさえながら、十字架のあるいい天気のモスタルを楽しんで、わずか40分ほどのモスタル散策を終えて、モスタルを後にする。目指すはクロアチアののドブロブニクだ。7:50出発。
(左から2つ目)なんとテレビでクイズミリオネアをやっていた!
 

いい天気でとても気持ちがいい。しばらく道路も整備されていて快適なドライブであったが、途中から悪路になってきた。旧ユーゴを回っていて、ボスニア・ヘルチェゴビナは道路は悪い国のひとつだ。戦争があったために、インフラ整備も遅れているのかと感じる。そんなことを思いながら、9時前にクロアチアに入国。簡単な入国審査がある。もうだいぶ慣れたものだ。クロアチアに入ると、道路が極端によくなった。そして、ついにアドリア海が見えてきた。この海はエーゲ海にも通じていることからも、とても美しい海である。色がとてつもなくきれいに思う。エーゲ海もそうなのだが、なぜこのあたりは美しいのだろうか。きれいに整備された道路を右手にアドリア海を見ながら快適なドライブ。そして、ドブロブニク近くになると、再びボスニア・ヘルチェゴビナ領にはいる。とはいっても港もないし、小さな町があるだけで、境界線の関係上、こんな国境になったのかと思う。入国審査もないと思っていたが、それがあるのだ。しかも両方の国境に。やっぱり、違う国なんだと実感。興味がある方は、ぜひ、地図をみていただきたい。ほんの数キロ(私の測定では5Km)だけボスニア・ヘルチェゴビナがアドリア海に面している。これでとうとうボスニア・ヘルチェゴビナともお別れだ。

【ドブロブニク】
モスタルから約140kmでドブロブニクに到着。まず、高台の展望台があり、新市街地が見渡せるところがある。そこからの街並みもきれいなのだが、せまそうな入り江に巨大な豪華客船が入っているのも見ものだ。アドリア海クルーズである。何階建てなんだろうと思われる巨大な客船、しかもプールが何個もあるし、バスケットボール場などもみえる。あんな船なら退屈しないだろうと思う。これもひっくるめてドブロブニクなのか。そして、旧市街地のほうに移動する。パーキングがなかったので、道端で止めれそうなところに駐車。そして、歩いて旧市街地を散策・この時点で10:30.ちょうどいい時間である。旧市街地に向かうと、だんだんと人が多くなってくる。そして市街地に入ったらさらに多くなって、ドブロブニクも立派な観光地なんだと実感。ひととおり回って、海のほうにいってみる。すると10月というのに暖かいからか、泳いでいる人がいる。いくらなんでも寒いだろうと思いながらも、気持ちよさそうだ。外人は皮が厚いというが、ほんとなのだろう。しばし、アドリア海の素晴らしい景色を堪能する。そのあと、ぐるっと城壁を回ってみる。城塞というのがよくわかるものだ。旧市街地の雰囲気もわかったので、そろそろ出発だ。でもおなかがすいていたので、駐車していた近くのパン屋でパンを買う。クロアチアの通貨であるクーナしか使えませんよ!と書いている。ユーロはだめなのだ。たまたま昔、クロアチアにきたときに余っていたクーナがあったのでラッキーだった。しかも、ちょうどぐらい持っていた。パンはあまりおいしいとは言えなかったが、それでもお腹を満たすことはできた。

車で出発するが、最後に行きたいところがある。それは、旧市街地が一望できるポイントだ。よく絵葉書やらパンフレットで見るのだが、どこだろうと探す。すると、大型観光バスが駐車しているところがあったので、そこにいってみると、まさにここだ!!ということで、普通の道端でパーキングも展望台もないのだが、とりあえずおりて写真を撮りまくる。バスの観光客も撮りまくっている。でも、手前の民家の屋根などが邪魔になってうまくとれない。しばらく上りの坂道なので、いってみると、小さなパーキングがある。ここかと思い止まると、ここもそうだ!そして撮りまくる。またしばらくいくと小さなパーキング。ここもそうだ。ということで2,3回同じようなことを繰り返す。ほんとに最後の展望台になるころには、旧市街地もかなり小さくなっていた。このパーキングは大きなところで、大きな道へ合流するところだ。ここで少し休憩するが、下をみると巨大豪華客船が旋回しているではないか。そうかと思うと、速度を上げて彼方にさっていった。これぞまさにアドリア海!じっくり見るのはもうないと思ったので、しばし景色を楽しむ。そして、近くのガソリンスタンドでガスを入れて出発!もう13時になっていた。
 

【コトル】
世界遺産を調べていた時に、アドリア海沿いにコトルという街があることに気付いた。しかも、ドブロブニクよりもこじんまりとしていて、とても雰囲気がよさそう。モンテネグロという国もあまり聞いたことない国だし、とても興味がわいていた。そこで、この旅行でも絶対に訪れたい場所であった。ドブロブニクを出発し、少し山間になったがとても景色がいい。快適にドライブをしていると、30Kmほどのところでモンテネグロの国境があった。旧市街地が見れるところから約40分。難なく入国できたが、とても殺風景な場所であった。気にせずそのまま進み、さらに30分ほど進むと、フェリー乗り場があった。これこれ、グーグルアースで見ていたところは。しかもグーグルアースにはフェリーまで写っていたのだ。ちょうど出航する直前だったので急いでチケット売り場にいき、車検証がいるだろうと思い提示するが、そんなんいらんから4ユーロ!早く乗れ!とのこと。お金をすぐ払って、最後に車を乗り入れた。ドライブで疲れていたので、わずか5分ぐらいのフェリーだったが、風にあたって気持ちいい。雰囲気もとてもいい。また、気分よく出発!ちなみに、このフェリーに乗らなければ湾を大回りする必要があり、かなり時間がかかるようだ。時間短縮にもなった。そこからわずか30分足らずでコトルについた。ドブロブニクから2時間と少し、75Kmほどだ。時間は14:50になっていた。

さー、コトル散策だと思ったが、とても眠くてしんどくなってきたので仮眠することにした。30分ほど車で寝る。それでもしんどかったが、お目当てのコトルだし、力を振り絞って歩き始める。街はこじんまりとしてて狭い。人通りもそれほどない。城壁に上ろうと奥のほうにいくと、大音量のパブがある。よくこんなところで酒が飲めるもんだと思いながら、城壁上る道に向かう。非常にわかりにくいところから上っていくのだが、有料のようで、ちゃんとお金をとるおっちゃんがいた。2ユーロなり。そこからあまり整備されていない石段をのぼっていく。これがまた結構きつい。途中からぜーぜー言いながら上る。だいぶ上ってきたところに、教会のような建物があった。おー、ここか!と思い、景色を見ると素晴らしい!しんどいけど来てよかったと実感。ぜーぜー言いながらも、しこたま写真を撮る。そして、景色を堪能する。右手のほうから入り江になっていて、あの向こうはアドリア海。そして一番奥まったところにコトルの街がある。昔は城壁港湾都市として栄えたようで、確かにこの奥まった地形だし、城壁も急な山にあるので、要塞になる。外部からの侵入は容易でないことがわかる。1979年に地震があったようだが、その復旧はされている。ドブロブニクの景色と合わせてみたかった景色であり大満足だ。気分よく城壁から下りる。

城の出口近くでお土産屋があったので、入ってみると集めているピンバッチと小さな城壁の置物がある。思わず購入。すると周りを見るとなんと日本人観光客がツアーで来ているではないか。ドブロブニクは人気が高まっているが、コトルまで来るツアーもあるんだとびっくり。日本人強し!そして城壁の外に出て、喉が渇いていたので、コカコーラを買う。昔なつかしビンのコーラだった。一気に飲み干す。車までいき、出発と思い、最後にコトルの城壁を見上げていると「あれっ」と気づく。さっき行った頂上と思っていた教会らしきものがある部分は、まだ中間地点だったのだ。頂上は歩いた以上にまだまだあるみたいで、かなり高い部分に城があることに気付く。再度、行く元気もなく、あんな高いところまであるんだと、城をじっくりと下から鑑賞。よく作ったものだと感心する。この時点で16:40.これからアルバニアに行かねばならない。先を急ごう。
 

【コトル〜アルバニア】
下調べのとき、最も道が不明だったのが、コトルからティラナへの道。とりあえず海岸沿いを行くのだが、いつかは左折しなければならない。でもどこで曲がったらいいのかよくわからず、リゾート地で有名らしいブドバ(BUDVA)をこえ、バール(BAR)に入る。この街もわりかし有名らしいが、もう18時。観光している余裕はない。先を急ぐがまだ道がよくわからない。19時前になって、ここどこ?となってくるとかなり不安になってくる。そこで、まったく言葉が通じないのだが、近くにいたにーちゃんたちに聞いてみる。怖そうな感じだったがお構いなし。すると、めちゃくちゃ親切に道を教えてくれて、ちょうどこの道を左に行けばアルバニアにいけるよ、と教えてくれた。おー、神様!と思いお礼を言って車を走らせる。すると、どんどん山道になってきて、しかもかなり道が細くなってくる。ちょー不安になるが、さっきのにいちゃんの言葉を信じて突き進む。すると、50分ほど車を走らせたところに、突如として入国審査場が現れた。

あたりは真っ暗だし、木が生い茂っているので、たぬきかきつねに化かされた感じ。でも、ちゃんと人がいる。すると審査官のおっちゃんはとても親切で笑顔で迎えてくれる。ようこそアルバニアへ!といった感じだ。道を聞いてもいないのに、どこにいく?と言われたのでティラナと答えると、丁寧に幹線道路までの地図を書いてくれた。それで一気に緊張が解けた。アルバニアはもっとも未知の国であり、国旗もあやしいマークだし、どんなところかと不安いっぱいであった。でも最初の入国審査官の印象でこんなにも国の印象が変わるんだと実感。審査を終えると、アルバニアの国旗の看板があり、アルバニアへいらっしゃい!てな感じだ。とりあえず教えてもらった道を行くと、湖があり、周りにはレストランもある。そして、壊れそうで片側通行しかできない木の橋をわたり幹線道路にでた。そのとき標識が見えず、左折してしまったのだが、しばらくいくとシュコドラという街になった。

【アルバニア/シュコドラ(SHKODER)〜ティラナ】
シュコドラの街はとても汚くて、とてもあやしい感じ。中国の街にとても似ていると思った。完全に道が違うと思いながらも、一回りして街の様子を見る。やっぱり怪しい。そして、ティラナに向かうが、途中から真っ暗の道になって、これまた不安になった。それで、まだガソリンはたくさんあったが、ガソリンスタンドがぽつんとあったので寄ってみる。ティラナはこっちでいいの?と聞くと、明るくそうだよ、と答えてくれる。よかった、ありがとう、といって去ろうとすると、ガス入れてかない?って言われ、そりゃお礼も込めて入れないといけないなと思い、入れてもらう。それからは一本道なので、ひたすら走る。とてもいい舗装道かと思いきや、突然ガタガタになったりと、やっぱりまだまだインフラ整備ができていないと感じる。そして、ときおり猛スピードで抜かれるのだが、その車は決まって警察に捕まっていた。ところどころに集落があって、だいたいそこに警察が潜んでいることがわかり、捕まらないようにだけ気を付けた。結局、ティラナに着くまでに、3,4台ほど捕まっていた。シュコドラから約2時間でティラナ到着。

さすがに首都だけあって、ティラナに入るころには、都会になっていく。大きな街ほど道がわかりにくくなる。適当に走っていると、ライトアップが綺麗な建物があり、その周りに人がたくさんたむろっていた。飲み物を買うついでに、この日に泊まるホテルの場所を聞いてみる。すると、これまた親切に教えてくれて、すぐに方向がわかる。行こうとすると、まー、コーヒーでも飲んで行けよ、と言われ遠慮なくいただくことにする。一人は元兵士のようで英語がわかる。もう一人は英語はわからないが、屋台の店主で愛想がいい。あと一人は子供であり、日本人が珍しいのか、現地の言葉で機関銃のように話しかけてくる。もちろん、意味はわからない。その変な空間が居心地よくて、しばし、コーヒーをいただきながらまどろむ。エスプレッソがまたうまいのだ。アルバニアは同じアルバニア人ということで、コソボの独立を積極的に支援している。そんな関係で、元兵士というおっちゃんも、コソボの紛争に銃を持って行っていたんだろうか、と空想する。さすがに、そんなことまでは聞けない。でも、とても平和そうだし、なんせ人がいい。このアルバニアという国は最も気に入ったし、好きになった国である。コーヒーのお礼に、日本から持ってきていたタバコをあげる。最初はいらないよと固辞していたが、相手してくれたのがとてもうれしかったので、そんなこと言わずに受け取ってよ、と無理やり渡す。すると、明日もここに来てよと言われるが、あーん、残念、明日はもうマケドニアだよと言って別れる。人と話していなかったこともあり、この10分程度の時間がとてもこの旅行で印象に残っている。満たされた感じで、ホテルに向かい、チェックインする。少し興奮していたので、ホテルの周りを散策して、0:50に就寝。ほんとに長〜〜〜い1日だった。
 
(左)左端がエスプレッソくれた店主、真ん中が元兵士、右端がよくしゃべる少年。 (右)ホテル前の建物。おそらく政府系建物。


10月10日 ティラナ⇒オフリド⇒プリシュティナ⇒ニーシ

ティラナ924Km ⇒ マケドニア入国1041Km ⇒ オフリド1070Km ⇒ コソボ入国1258Km ⇒ プリシュティナ1335Km ⇒ コソボ国境1376Km ⇒ マケドニア入国1477Km ⇒ セルビア入国1548Km ⇒ ニーシ(NIS)1709Km

【ティラナ〜オフリド】
7時起床。ホテルで朝食を食べる。とても充実したメニューで、大満足。久しぶりにまともな食事をした気がする。ティラナでも最もグレードが高いホテルのようだ。そしてこの日は子供の誕生日。こんな日に好き勝手に旅行させてもらっていることに感謝だ。メールした。そして、ホテルを8:40に出発。しかし、マケドニアのオフリド方面がよくわからない。そこで、フロントにきいても的を得た回答を得ることができず、ホテル前にたむろっていたタクシーの運転手に聞いてみる。すると、距離は長いが平坦な道と、距離は短いが山道のどっちがいい?と言われたので、距離が短いほうを選ぶ。すると、市街地の地図を書いてくれて、細かく説明してくれた。ほんとに親切なおっちゃんだった。しかも、その書いてくれた地図、めちゃくちゃ正確でとても助かった。ありがと〜。アルバニアはヨーロッパでも最貧国と言われているようだが、物質的・経済的な豊かさではなく、心の豊かさがほんとに大事だと思う。またまたアルバニアが好きになった。ホテル前に土産物屋があったので、ピンバッチと飲み物をを購入し、ホテル前の広場を少し散策して出発!

市街地はすぐに抜けて、牧歌的なのどかな風景になってきた。しかも、すごくなごむ風景だ。人々も懸命に働いている感じがする。少し立ち止まって景色を堪能し、写真も撮る。そして再び出発。おっちゃんの言う通り、だんだんと山道になってきた。最初は景色を楽しみながら運転するが、だんだん険しさを増してくる。谷もかなり深い。最後は山の尾根を入る道となり、かなりの高さの標高だと感じる。その山を越えるとエルバサン(Elbasan)に到着。そこそこ大きな街だ。ティラナを出て1時間30分、距離にして50Kmほどだが、山道だったので仕方ない。そこからマケドニアを目指す。エルバサンを越えるとこれまた川沿いで美しい景色になる。電車を並走しているが、電車の窓から身を乗り出して写真をとっている女性もいる。確かに美しい景色である。そして、だんだんと山道となっていきグネグネ道となる。国境が近くなると、洗車場が多くなる。そして、オフリド湖が見えると、国境だ。
 
(左)ティラナ郊外ののどかな風景。          (右)山を越えこれを下りるとエルバサンになる。

アルバニアはよかったな〜と思いながら、入国審査を受けていると、次に待っている人が声をかけてくる。
どっから来た?これからどこに行く?
クロアチア、モンテネグロを回ってきたんだよ、とてもよかったよ!
そりゃいいね!俺はおやじと一緒にオフリドに1泊2日の2日のバカンスさ。
あちゃー、短いね〜。
などと言っていると、パスポートにスタンプが押されてかえってきた。じゃ、いい旅を〜!と別れた。その人もアルバニアの方。ますますアルバニアが好きになった。マケドニアに入ったところで、国旗が書いた看板があったので、そこで写真を撮っていると、さっき声をかけてくれた人がクラクションを鳴らして、合図してくれた。思わず手を大きく振る。旅のいいところだ。ますます気分よく、オフリド目指して走る。

【オフリド】
オフリドについたのが12:20。ティラナから150Kmぐらいだ。オフリドは湖に面したリゾート地で、多くのホテルが並んでいるし、観光客もとても多い。まず湖畔に車を止めて景色を楽しむ。天気がいいし気持ちがいい!オフリドでは、聖ヨハネ・カネヨ教会がお目当てだったので、街の中の駐車場に車を入れ直す。そして、リゾート雰囲気満載の街を歩いていき、岬の先端まで歩いていく。街も美しい。そして、教会が近づいてくると、美しいオフリド湖が見えてきた。とても素晴らしい景色だ。湖畔を走るボート、それでおきる波、反対側が見えないほどの大きな湖、そして教会。すべてが絵になる風景である。教会の名k部にも入れるので、2ユーロ払って中に入る。すると、牧師さんが説明してくれるが、マケドニアの言葉なのでまったくわからない。雰囲気を味わう。教会を出ると、目の前が湖であり、しばし、ぼーっと風景を見る。何とも言えない気持ちよさ、心地よさである。もうこれだけで満足だ。街を少しだけ散策して、マケドニアのバッチを購入して、コソボに向かうこととした。

しかし、駐車場をでるのにマケドニアのお金が必要とのこと。マケドニアの通貨はデナルであるが、そんなの持ってない。駐車場のおっちゃんが、銀行ATM行って来いというから、わざわざお金をおろしに行く。そして、料金所で払って、パーキングの機械に投げ込むため駐車場専用のコインをもらいにいく。しかし、前の人が何やらもめている。どうも駐車券をなくしたみたいで、その場合800デナル(約1500円)を払わないといけないらしい。かなりやりあっていたが、こっちも時間がもったいない。そっと、係員にお金を渡してコインをもらう。少しロスしたものの無事に出れたし、このデナルが後で役に立った。マケドニアは高速道路がわりあい発達しているので、そこでお金を払うとき、ちょうどになるぐらいのデナルをATMで引き出せていたのだ。オフリドを14時に出発!
 
聖ヨハネ・カネヨ教会近くからみたオフリド湖。美しい!

しばらく平坦な道であったが、だんだん山道になっていった。でも、道がとてもキレに整備されているので、スピードは出せる。そして山を越えると高速があり、さらにスピードアップ。今思えば、セルビア、クロアチアと同じぐらいマケドニアの道は整備されていたと思う。さすがアレキサンダー大王の出身地だ!?とよくわからないことを考えながらひた走る。首都のスコピエ近くまで150Kmほどあったが2時間で行けた。スコピエからコソボ国境まではわずか。ちょっと緊張感がでてきたので、道端で休憩。近くの野良犬がやってきたので、持っていたおかしをあげる。そしてコソボへ!20Kmほど走ると国境だが、セキュリティと書かれた車が走っていたりして緊張感が増す。国境地帯はまだ武装されているのか!?入国審査場の手前に何かの基地(NATO?国連?)のようなものがあったので、まだ緊張感はあるのだろう。そして審査は難なくパスしたが、荷物検査でこっちこい!と言われる。車の整備工場のような車庫に入らされ、すべての荷物を出せと言われる。セルビアの車だから仕方ないな、と観念する。リーダーの人はとても怖い顔で真剣に言っているが、その部下たちは少し笑っているので、多少緊張感はほぐれた。言われるがまますべての荷物をだし、検査をしてもらい、何もないことを確認してもらった。するといっていいよとのこと。すると部下は、日本から?こんなとこ来るぐらいだから会社のボス?などと話しかけてくる。そんなことないよ、と言いながら早く立ち去りたかったので、あいさつだけして車を出す。変な緊張感があった。ボスニア・ヘルチェゴビナでもトランクを開けるということはあったが、これほど荷物を見られたのは今まででも初めてだ。ちょっと疲れたので、国境過ぎたところの売店でコーラを買う。やっぱり国境は物々しいものだ。まして、セルビアから独立したばっかりのコソボだし、セルビアは国として認めていないのだし。なんとなく複雑な気持ちで、この先大丈夫かなと思いながらも、首都のプリスティナに向かう。

コソボは予想通りのどかな国。国境からしばらく田舎道をひた走る。それでもだんだん街らしくなってきた。ちょうど18時ころということで帰宅ラッシュなのか、車の量が多い。そして首都のプリスティナ近くになったところで、右折するとグラカニカ(Gracanica)と看板があったので曲がる。しばらく田舎道を行くが、車の通行量は多い。うす暗くなってきたので気を付けながら運転。すると、お目当ての危機遺産であるグラカニカ修道院があった。国境から1時間少し走ったところだ。もう18:30だし、開いていないかと思ったが、バスに乗った集団がどやどやと入っていたのでラッキーにも入れた。ライトアップされていて美しいのであるが、どこか物悲しい。確かに崩れそうな教会だ。この教会はセルビア人の教会らしく、コソボはアルバニア人が作った国なので、非常に微妙な位置にある。教会のなかも見たかったが、ツアー客で超満員のため、外から眺めるだけにした。教会の前では、牧師さんがテレビなのかインタビューを受けている。教会を一回りして、ショップに立ち寄り、教会を後にした。
 
(左)コソボの夕焼け。                 (右)危機遺産になっているグラカニカ修道院。

その教会からプリスティナまではわずか。30分もたたないうちに中心部につく。車を適当に止めて街を散策。19時過ぎだというのに多くの人が街を歩いている。まるで平和を謳歌しているようだ。真新しいショップや綺麗な通りがあり、内戦があったとは思えない様子。ぶらぶら歩きながら、屋台でバッチをを探して購入。さすがに街の様子を写真撮るのは気が引けたが、この平和な様子を撮りたいと思った。30分ほど散策して、プリスティナを後にした。ガソリンを入れて、さー、セルビアのニーシへ向かうぞということで国境まで車を走らせる。50分ほどで国境についた。そしてコソボ川は難なく出国できた。
しかし、事件が起きた!セルビア側で審査を受けようとすると、ちょっとこっちこいと言われ、怖そうなおっちゃんに説明を受ける。
「君のパスポートには重大な問題がある!」
「コソボとアルバニアのハンコが押しているではないか!」
「これではこの国境を通過させるわけにはいかない!」

だって。そりゃコソボから来たんだから、スタンプぐらい押してるでしょ!じゃー、どーすりゃいいのよ!などと食い下がっていると「マケドニアからセルビアに入れ。」と言われる。「はー!?今その道から来たんですけど!?」と食い下がり、なんとか入れてよ〜と頼んでいると、「もう5回も言ったぞ!」だって。しかも、テレビ中継のサッカーに視線がチラチラいってる。もー、腹立つ!と思うが、国家権力にたてついたらなにされるかわからんと思い、しぶしぶ引き返す。最後に「アイムソリー!」だって。もうやけくそ。
 
コソボの首都、プリシュティナの街並み。人通りが多い。

車をUターンさせて、再度コソボに入る。コソボの入国審査官は「君の状況は理解している。」で、マケドニア経由ならセルビア行けるの?と聞くと、大丈夫!だといわれる。わかってるなら、最初から言ってよと思うが、とりあえず早く行こうと思い、再度、来た道を帰る。いまからプリスティナいって、夕方入った国境超えて、マケドニア回って、セルビアのニーシに行ったら、何時だろうか?などと考える。さっきのセルビアの入国審査官の顔が浮かぶ。コソボで車の検査をした検査官の顔が浮かぶ。コソボに入るとき、なんか注意喚起してくれよ、などといろんなことを考えながら運転する。必然とスピードもあがる。だって、もう21:30だし。そろそろニーシのホテルについて、のんびりしているころだったろうな〜。まー、コソボに来ると決めた時から、こんなこともあるかもしれないと覚悟はしていた。といいつつ、プリスティナを通るとき、さっき撮り忘れたガソリンスタンドのマークの写真をとる。そのスタンドのマークは、コソボの国旗マークと同じなのだ。独立したんだ!と強いメッセージを感じるのだ。

一度、通った道なので、だいぶ感じはわかっている。あとは夜なので、事故には気を付けながらかなりの速度をだす。すると、マケドニアの国境が見えてきた。セルビアにいけなかった国境から1時間30分ほどでコソボを縦断できたことになる。一般道で100Kmほどあるので、どれだけスピード出したんだ。捕まらなくてよかった。マケドニアに入ると、道は極端によくなり、誰も走っていない高速道路をひた走る。するとコソボとの国境から40分ほどでセルビア国境についた。そういえば、さっきコソボの入国審査官が、「マケドニアは道がいいから早く行けるよ。」と言っていたことを思い出す。0時過ぎたころ、セルビアの緊張の入国審査。どきどきしていたが、パスポートをしばらく持って奥の建物に入っていった。マジかよ、またかよ、セルビアに入国できるのかなと緊張が走ったが、すぐにでてきて、どうぞと渡される。よかった!入国できた。あとでパスポートを見ると、コソボのスタンプを上から消されていた。そういや、ガイドブックでこんなことされると書いていたな、と思い、実際にそうなんだと変に納得。でも、さっきの国境のゴタゴタがあったので、コソボのスタンプは2つあるのだ。しかも、コソボの審査官が気を使ってくれたのか、一番最後の目立たないページにひとつ押してくれていたので、それはセルビアの人も気付かなかったみたいだ。よって、セルビアによって消されたコソボスタンプと、まっさらなコソボスタンプの2つがパスポートにおされたので、めちゃくちゃいい記念になったと、変に気分良くなった。

そこからはニーシまでひた走る。地図を見ると高速がずっとあって、この高速はギリシャのアテネからクロアチアとスロベニアに抜ける高速なのでまさに幹線。あとは早いと思っていたら、途中から一般道になった。なんだ、工事かよ〜と思いながら走っていると、追い抜かれた車からビンを道路に投げてきやがった!車の下のほうにそれがあたり、すごい音がした。幸い車には何の支障もなかったのだが、もしフロントガラスにでもあたっていたらと思うとぞっとする。そしてだいぶ眠気が襲ってくるが、2時過ぎになんとかニーシに到着。これがまた意外に大きな街で、しかも祭りか何かがあったのか、こんな時間なのに多くの人たちが酒に酔って道を歩いている。異様な光景に驚きながら、ホテルも発見でき無事チェックイン。2:40だ。ホテルマンも何かがあったのか?みたいな顔していたが、私の顔があまりにも疲れていたので、そっとキーをくれた。部屋にいくと、これまたかなり綺麗なホテルだ。早く着いてホテルライフを楽しめたのに!と思うと残念だが、シャワーを浴びると生き返る。明日の朝はまた早いのであるが、寝ないとしんどいと思い、仮眠をとる。寝坊したらロンドンまでの飛行機にも乗れないので、電気とテレビをつけっぱなしで寝る。もう4時だ〜。クロアチアやモンテネグロの美しい風景や、アルバニアの優しい人たちが、走馬灯のように頭をグルグル回りながら寝た。
 
(左)コソボでよくみた看板。             (右)セルビアのニーシのホテル前。もう3時前。

10月11日 ニーシ⇒ベオグラード⇒ロンドン

ニーシ(NIS) 1,709Km ⇒ ベオグラード中心部 1,945Km ⇒ ベオグラード空港 1,964Km

【ニーシ〜ベオグラード】
7時起床。睡眠3時間。しかも運転の疲れがでまくり、体がめちゃくちゃ重い。それでも朝食を食べに行く。すると、さすがベストウェスティン系列だけあって、メニューがかなり豊富。しかも女性2名と男性1名の愛想がとてもいい。よく教育されている。川沿いのホテルなので、景色をみながらとてもいい朝の時間を迎えられた。そして、支度をして8:30に出発!チェックアウトをしていると、さっきレストランにいた女性の一人が手続きをしてくれた。すると話しかけてくる。「昨夜あんなに遅くにチェックインしたのに、なんでこんなに早く出るの?いいホテルなのにもっとゆっくりしていけば?」これからロンドンに行かないといけないから、時間がないんだよ、などと話すと残念そうな顔をする。しかも若くて美しい女性なので「ほれてまうやろ〜!」と言いたくなる。後ろ髪ひかれながらホテルを出発。

フライト時間までそんなに余裕がないので、ニーシの街を見ることができないが、結構でかいし、川が流れ城壁があり、かなり美しい街である。そもそも、ニーシという街自体を知らなかったのであるが、ベストウェスティンで検索すると、この街にホテルがあることがわかり、しかも、ルートのなかでちょうどよい位置だったのだ。次に来ることがあれば、町の散策をしてみたいと思った。そして、高速に乗りひたすらベオグラードを目指す。あたりはとてものどかな地域。畑が一面に広がっている。朝もやの中を走るのもいいものだ。2時間ほど走ると、ベオグラード郊外になり、交通量が増えてきた。そして気が付くと、ガソリンがほとんどないことに気付く。ちょうど高速道路のPAにガソリンスタンドがあったので、滑り込みセーフ。満タンにしてもらう。レジで精算をするスタンドだったのだが、レジのおっちゃんとおばちゃんが、サービスだ!と言って1リットルある水をくれる。もう飛行機乗るからいらん!と言っても、サービスだ!と言ってきかない。もったいないと思いながらも、しぶしぶ受け取る。

ベオグラードも時間があれば回ろうと思っていたが、なさそうだ。なので、サバ川のほとりに公園があったので、そこで川だけ見ることにした。大きな市民公園になっており、市民の憩いの場となっている。サバ川をはさんで、市街地が見える。遠くにドナウ川も見れる。サバ川とドナウ川が、合流している地点の近くである。今度、セルビア来ることがあれば、ベオグラードもゆっくり回りたいと思った。今回は完全に起点だけになった。そして、空港へ向かう。すると、後ろから何台もパトカーが走ってくる。なんじゃと思い、横によけると、パトカーに乗った警察官が、○×で出すような丸い紙がついた棒を振り回している。STOPだかなんだかが書いていたと思われる。よくわからんな〜と思っていたが、その何台も束になったパトカーが空港まで行った。政府要人でももいたのかもしれない。最後にそんなこともあり、セルビアは少し硬くて怖いイメージになってしまった。11:20にベオグラード空港に到着し、無事にハーツにも返却完了!これで、短い日数だったけど、充実した、中身の濃い、濃すぎるドライブが終わった。いままで、いろんな国をドライブしたが、かなり上位にくるぐらい、思い出深いドライブとなった。
 
(左)ニーシのホテルから見た景色。         (右)ベオグラードのサバ川ほとり。奥に見えるのが旧市街。

ベオグラードの空港には店はない。すぐにイミグレへ。コソボのスタンプは見つかることなく、消されずに無事に通過。搭乗口近くにお土産屋があったので寄ってみた。国旗のピンバッチがなかったので、店員のおばちゃんに聞いてみると、マグネットならあるわよということで、マグネットを購入。13:00発のロンドン行きブリティッシュ航空に乗り込む。ネットでかなり安くなっており、3万円もしないぐらいでロンドンまで行ける。ヨーロッパは格安戦争と言われているだけあって確かに安い。座席は一番後ろになった。隣が太いおっちゃんで、しかもカップル。何かとベタベタしてる。あまり気にせず、ロンドンまでの2時間弱、旧ユーゴのドライブを思い出しながらも、爆睡。

〜旧ユーゴスラビア・ドライブ記おわり〜

【イギリス】
イギリスでもいろんなことがあった。
日本から10人ぐらいのツアーでの仕事だし、ワイワイとにぎやかに楽しくできた。バーミンガム、スコットランドのアバディーン、エジンバラ、そしてロンドンと回り満足できる旅であった。

しか〜し、帰国時にトラブルが!
ANAと提携しているバージン航空だったのだが、ホテルでメールチェックしたあと12:00にヒースローに到着。バージンのカウンターにいくと、かなりの人がいる。機械でチェックインできるはずなのだが、中に入れてもエラーになる。仕方なく長蛇の列に並んでチェックインをすると、何やらできないらしい。よくわからないので、日本人スタッフに聞いてみると、ダブルブッキングとのこと。空港に着いたのが、かなり遅いほうだったので、一番最後の順番待ち。搭乗口までは行けるが、状況によっては日本に帰れないとのこと。この日はとにかく人が多いのだ。たぶんダメかなと思いながら搭乗口で待つ。まずは座席があるひとが順番に乗り込んでいく。そして、そのあと座席がなかった人が順番に乗っていく。ひとり、またひとり乗っていく。そして13:45運命のゲートクローズ。マジかよ〜。

趣味ではあるが、この日に帰らないと大事なソフトボールの大会にでれない。しかも、区で優勝した上の大会だから、なかなかでれるものでもない。日本人スタッフにかみつき、アジアのどこかでいいからいける便はないの?と聞く。それでも、この日は満席とのこと。あー、もう仕方ない。ANAに行ってみるが、やっぱりダメ。バージンの条件として、@600ユーロ、A40,000マイル、Bロンドン往復航空券のどれかを選べるとのこと。迷わず@を選び、明日の航空券と今日のホテル、食事はもちろんついている。大会にでれないということがとてもショックなので、もう一日滞在できることなんか、まったくうれしくない。傷心のまま、空港近くのプレミアインというホテルにチェックイン。ソフトボールの監督たちにメールで知らせる。すると何人かから電話がかかってくる。余計に落ち込む。その日は積み残しになったのが私を含めて4名。しかも男2名、女2名。せっかくなんで飲みにいきますか、ということでピカデリー近くのパブに行った。落ち込んだまま飲む酒というのは、とてもまずいものだ。
次の日は無事に帰国できたものの、バージンの機内は結構きれいで、サービスがとく、食事もおいしかったものの、もう二度とバージンには乗らないと心に誓ったのであった。
 
(左)傷心のまま宿泊したプレミアイン。       (右)富士山がクッキリと見えた!

〜おわり〜


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