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アメリカ南部ドライブ編
〜ニューオーリンズからフロリダ・キーウェストまで〜


【旅程】
1997年7月21日
関西国際空港⇒ロスアンゼルス空港⇒ニューオーリンズ空港:Westin 
Hotel泊
7月22日
ニューオーリンズ市内観光、オークアレー観光:Westin Hotel泊
7月23日
ニューオーリンズ⇒コーズウェイ橋(世界最長38km)⇒モービル⇒ペンサ
コーラ⇒パナマシティ:Sleep Inn(B&B)泊
7月24日
パナマシティ⇒ジャクソンビル⇒デイトナビーチ:Best Western Aku Tiki 
Inn泊
7月25日
デイトナ⇒NASA:ケネディ宇宙センター⇒マイアミ:Miami Beach Ritz 
Plaza泊
7月26日
マイアミ⇒キーウェスト:Marriott's Reach Rest泊
7月27日
キーウェスト:Marriott's Reach Rest泊
7月28日
キーウェスト⇒マイアミ:Miami Airport Hotel泊
7月29日、30日
マイアミ⇒ロサンゼルス⇒関西国際空港
写真はNASAのスペースシャトル格納庫

Map



【ニューオーリンズ】
 
(左)オークアレイ
ニューオーリンズから車で飛ばすこと約1時間のところにあるオークアレー。どしゃぶりの雨に降られながら道に迷いながらなんとか到着。プラン
テーションで儲けた豪農の家が沢山ある地域だ。写真のように門から玄関まで感じのいい小道があり、なかなか癒された。この写真をとった
場所の後ろ側にはミシシッピー川が流れているが、大雨により濁流と化していた。

(右)ニューオーリンズの朝
出発の朝に食べた「ブレナンズ」という店の卵料理は忘れられないぐらいおいしかった。もう一度行ってみたい店である。その店からホテルに
帰るまでの裏通りを撮影したもの。ミシシッピー川の近くであり、音楽が聞こえてきており、裏通りのバーも沢山あった。昨夜の余韻を残した
まま、掃除をしている店もあった。中にはまだ飲んでいる人がいたな〜。

 
バーボン通り
ニューオーリンズといえばジャズのメッカ。その中でもこのバーボン通りにはジャズの店が沢山ある。夜になるとどこからか人が沸いてきて、かなり
の人ごみとなる。アメリカの中でも、このニューオーリンズは人気のある街であり、全米から多くの人が来ているのだろう。ジャズに興味がなくて
も一度はいく価値がある。
(右)バーボン通りにはこのような店がいくつも連なっている。中にはかなり有名な店やシンガーもいるようであるが、あいにくジャズにはあまり
興味がなかったためよくわからなかった。
ニューオーリンズには、ミシシッピー川が流れているし、ミシガン船にも乗れるし、町中音楽が流れているし、なかなかいい街であった。


【フロリダ・デイトナビーチ】
 
ニューオーリンズを出発して2日目、ようやくフロリダに入り、泊まったのがここデイトナビーチ。このビーチは車も入ってドライブすることもでき
る。ここのパンフレットには世界一有名なビーチと書いてあったが、そんな名前は聞いたこともなかった。俺が知らなかっただけなのか!?ここ
にはサーキット場もあり、カーレース関係でデイトナという名前はかすかに聞いたことのあるようなないような・・・。遠浅の海が広がっており、
海水浴にはいいかもしれない。


【フロリダ・ケネディ宇宙センター】
 
(左)ケネディ宇宙センター入り口
フロリダにきたらまずはディズニーワールドという方も多いが、そんなところにはまったく興味がなく、まっさきにこの基地にきた。ここはいわずと知
れたスペースシャトルの発射地でもあり着陸地でもある。アポロ計画の資料やスペースシャトルの功績など、いろいろな展示があり、かなり
楽しめた。しかし、この基地はほんまに広い。車でも基地を半周するのに30分はゆうにかかったのではないか。だってスペースシャトルの滑
走路があるからそりゃ広いわな。

(右)スペースシャトル打ち上げ台
打ち上げがない日にはこのようにかなり近くまで見学することができる。基地専用のバスで回るので、そんなに自由には回れないが、こんな
に近づけるのには感動した。ここから宇宙に飛び立っているんだな、と思うと感慨もひとしお。このときはスペースシャトルの発射が数日後に
控えていたので、シャトルはばかでっかい格納庫の中にあったようだ。格納庫からこの発射台までは慎重に慎重に運ばれるが、それにはか
なりの時間(1日だったかな?)がかかるようだ。


【マイアミ〜キーウェスト】
 
(左)マイアミビーチ
ここがかの有名なマイアミビーチだ。でもここはあくまでも通過点であり、長居はしなかった。マイアミは中南米系の方々が多く、街に入ったと
たんにかなり怖かった。ほかの街とはまったく雰囲気が違うのだ。いつ、襲われるかと思ってひやひやした。でも、ここはNYについで本社の多
い街であるし、カリブ海への超豪華クルーズ船の停泊もされる街であり、いろいろな機能をもった街である。ここまでくれば、目指すキーウェス
トまではあとわずか!

(右)キーウェスト・アメリカ本土最南端の地
ついに着きました、キーウェスト!ここはアメリカ本土最南端の地なのです(アメリカ全体ではハワイが最南端になるが)。このポールの形が
変とかいうことはおいといて、ここについたということで感慨ひとしお。ここからはメキシコ湾とカリブ海の両方が見ることができる。ヘミングウェイの
「老人と海」を読んでからというもの、一度は来たかったキーウェストにいる、というだけで大満足でした。

 
(左)ヘミングウェイの生家
「老人と海」はこの家で書かれたそうだ。有料であるが一般開放されている。なんかしらんが猫がうじゃうじゃいたのだが、ヘミングウェイは猫
が好きだったのだろうか?書斎は見るだけで入ることはできなかったが、ここであの名作が書かれたんだと思うと、もう一度読みたくなってくる。
(右)SLOPPY JOE'S BAR
SLOPPYというのはヘミングウェイの俗称であり、JOE'Sというのは親愛なるおじさん、という意味(だったと思う)。今でもヘミングウェイは愛さ
れており、街のいたるところでこのような店がある。私もマグカップとコースターを買ってしまった。もちろん今でも愛用している。

 
(左)キーウェストの港での夕暮れ時
残念ながら雲がかかってしまったが、それでも十分たそがれることができた。キーウェストは岩場が多いのと藻が多く、泳ぐことにはあまり向いて
いないようであるが、マリンスポーツのメッカである。パラセイリングは高所恐怖症のためか怖くてあまり面白くなかった。しかし、マリンジェットに
ははまった。ホテルのプライベートビーチで免許がなくてもやらせてくれるため2日連続でやった。しかし、30分50ドルは高い、高すぎる。で
も80キロ近く出る爽快感はたまらなかったな〜。

(右)セブンマイルブリッジ
マイアミからキーウェストまでは小さい島々が並んでおり、そこをこのような道が走っている。セブンマイルブリッジはかなり期待していた。わざわ
ざニューオーリンズからキーウェストまでドライブしたのも、この道を通るための演出であったぐらいだ。しか〜し、このように海が見えるのはたま
に上下しているときに見えるぐらいで、それがなければただの道にしか見えない!この写真もわざわざ車をおりて撮ったものだ。あまり天気が
よくなかったこともあり、気分は少しブルーであった。この道は映画のワンシーンでよくあるように、空から見るのが一番いいのだろう。古い道
(使用不可)と新しい道が平行しているところがあるが、その部分はよく映画に使われるらしい。


セブンマイルブリッジでの夕陽
キーウェストを後にしてあとはマイアミに向かうだけというときに、セブンマイルブリッジの途中で撮影した写真。夢にまで見たキーウェストをあと
にするときは、もう一度この地に来るだろうか、と思いつつ名残惜しみながらハンドルを握った。キーウェストまでは日本からは遠いもんな〜。
でも、もう一度来たい、と思いつつ、あの島をあとにした。なにせ日本人があまりいないのがいい。外国に来た、という実感がわくところだ。



【初めてのアメリカ本土のドライブ(苦すぎる思い出)】
思えばこの旅行がアメリカ本土での始めてのドライブであった。この旅では約1200マイルを走行した。

ニューオーリンズからフロリダにかけては、山らしい山はなく、ほとんど平野部であった。そのため、インターステート(高速道路)もほとんど直
線であり、かなり走りやすかった。当時まだ若かった俺は、追い越し車線を走る車もなく、飛ばしに飛ばした。すると最初の事件が起きた。

あれはタラハシーを過ぎたあたりだろうか、ドライブ3日目にもなってだいぶ慣れてきた頃だ。追い越し車線を100マイル走行(160Km)
を続けていたときだ、いきなりバックミラーにパトカーが現れた!どこからきたんだ!そう思いつつしばらく無視して走ってしまった。恐怖感か
止まることができなかったのかもしれない。するとパトカーは猛スピードで追いかけてきて、何かえらい剣幕で叫んでいる。これはまずいと思
い、ようやく路肩に止まった。

ガイドブックではパトカーに止められたら、必ず両手をハンドルに置くようにと書かれていた。拳銃を持っていないことを見せるためだ。そのと
おりにすると、まだえらい剣幕になってるポリスマンが近寄ってきた。あ〜あ、といった感じで車を降り、国際免許証やらなんやら見せた。でも
まだ興奮している。かなりのスピードで英語をしゃべってくるが何行ってんだかさっぱりわからない。

もう英語まったくわからん、アホの観光客のフリしよっと思い(実際、ほんまにアホの観光客であるが)、「英語さっぱりわかりましぇ〜ん。」
といい続けた。するとポリスマンも冷静になってきて、早口がなおってきた。だんだん、かわいそうになってきたのか、最後には、@制限速度
(70マイル)は守れ、Aポリスマンが止まれといえば止まれ、とその2点だけ注意して、キップもきらずに去っていった。あ〜よかった〜、免
停かと思った〜。もし、ここで免停になってしまったら、どうするんだ〜、と後で考えると恐ろしくなったものだ。確実に路頭に迷っていただろ
う。

やれやれと思い、5日目になんとかマイアミまで着いた。マイアミって中南米の方が多くて、他のアメリカの都市とは確実に違う空気が漂
っている・・・。ドライブ続きで疲れているし、街は怖いし、早くことを済ますために、車をホテルの横に置いて、チェックインする前に食事に行
った。すると2回目の事件が起きた!

食事からほろ酔いで車に帰ってくると、車がない〜!跡形もなくなくなっている〜!あやしいやつらにやられたか〜、しかし、車の中には
荷物が全部入っている。しかも、デイトナビーチ近くのコーチのファクトリーショップで買いこんだ新品かばんが沢山入っていた。簡便してく
れよ〜、と思いホテルのフロントに行って説明すると、なれたように大丈夫と言ってくれた。ほんでどこかに電話して、送ってやるからそこに取り
にいけ、というではないか。なんだかよくわからんが行ってみると、レッカー移動されていたのだ。

後でわかったことだが、ホテルの横の広場は公共の場所らしく「TOW AWAY ZONE」と大きく書かれていた。つまり、レッカーしまっせ!と
いうことである。ここではレッカーは民間委託されているらしく、ほんの少しでも違法駐車していると、すぐに持っていかれる。しかも、鍵穴に
鉄パイプみたいなものを通すため、鍵が壊れる!ええ加減にせーよ、と思うけど、自分が悪いので何も言えない。その夜はほんとうに疲れ
果てた。(↓下の看板に注意!)


そんなこんなでなんとか旅行最終日。ニューオーリンズもよかったし、フロリダドライブできたし、セブンマイルブリッジ通ってキーウェストもい
けたし、本当にいい旅であった。最後の朝、マイアミ空港でチェックイン手続きをするために、少しだけロビー前にレンタカーをとめていた。する
と、最後の事件が!

チェックインが終わり車に帰ってくるとなんと「駐車禁止カード」が!最後はこれかい・・・。うまくおちがついたね。カードに書いている電話番
号に電話して、クレジットカード番号を言って引き落としになる手順になる。

後日談であるが、アメリカ人に3つの失態を話すと、アメリカに住んでいても、そんだけ多くのことはおきないよ!と言われてしまった。1週
間のうちに「スピード違反」「レッカー」「駐禁」と3つの体験ができた旅行であった。もちろん、今となっては笑えるが、当時はかなり落ち込
んだものだ。なお、今現在は1年間無事故無違反である。


【ニューオーリンズ(New Orleans)】
ニューオーリンズといえばジャズのメッカだ。ジャズはこの街で生まれた音楽である。かつてアメリカ大陸へ奴隷として強制連行されたアフリカ
系の人々には過酷な労働が待っていた。そしてつらい毎日のなかで、音楽に楽しみを見出した。祖国の楽器を奏でることが出来る唯一の
街がニューオーリンズにあったのだ。アフリカ系のリズムを基調とする音楽はニューオーリンズに普及し、ミシシッピ川をさかのぼってメンフィスや
シカゴ、そしてニューヨークに発展したのだ。この音楽こそがアメリカを代表するジャンルになった「ジャズ」なのである。そんな街でお勧めの店を
紹介する。

ブレナンズ(Brennan'sには必ず行くべし!ここは卵料理が中心であるが、モーニングメニューはボリューム満点で味も最高。店の雰囲気
もよく、優雅な朝を送ることが出来る。ただ、少し値段は高い。住所は417 Royal St.。なお、高級店なのでディナーは上着着用である。有名
なので、日本のガイドブックにも必ず掲載されている。


また、ここはジャズのメッカである。バーボン通りに行くと、数々の店が並んでおり、どこに入っても結構楽しめる。目の前で聞く演奏は、や
っぱり迫力があり、ジャズに興味がなくっても、かなり楽しむことが出来る。
726 st. Peter St.bノはプリザベーションホール(Preservation Hall)がある。1961年に古い画廊を改装して作られたホールである。夜
の演奏が中心であるが、これぞジャズという演奏を聴かせてくれる。ここは特に有名であり、必ず行列ができ場内はいつもいっぱい。私は運
良く入ることが出来、しばらくジャズのとりこになってしまった。


ここで、ニューオリンズの話(2005年12月)。
この夏、ハリケーン「カトリーナ」に襲われ、町の8割が水没、50万人以上が被災し、アメリカ史上最大の自然災害を受けたことで世界中
にその名を知られたニューオリンズは、合衆国の東西を2分割する大河ミシシッピ(この河の東岸がアメリカ東部、西岸がアメリカ西部)の河
口に位置している。クロワッサン(フランス語で三日月のこと)シティと呼ばれていて、良きにつけ悪しきにつけ、世界史にその名を残す港町
であることには間違いない。

この港町が、最初に歴史の舞台に登場したのは、17世紀に入ってきてからのこと。14世紀に始まった世界植民地奪取時代から300年ほ
どあまりは、スペインが植民地として統治してきたが、17世紀に入ってフランス人の探検家ラサールがミシシッピ河をさかのぼり、辺り一帯を
探検して、この地を時のフランス王ルイ14世にちなんで勝手にルイジアナ(Louisiana)と名付けてしまった。

ルイ14世は「太陽王」とも呼ばれ、世界で最も美しい宮殿「ベルサイユ宮殿」を建てたブルボン王朝絶頂期の王で、その王の名にちなん
で付けたということだ。この時代は先に言ったもん勝ちだったようだ。そして、ルイジアナを流れるミシシッピ河口の港町をニューオリンズ(New 
Orleans)と名付けたのである。ニューオリンズ、つまり新しいオリンズのこと。それでは古いオリンズとは…。

その名はオルレアン(Orleans)、フランスの都パリの南西100kmくらいのところに位置する町。15世紀、イギリスとの間で百年戦争が勃発、そ
れまで劣勢だったフランスを勝利に導いたジャンヌ・ダルクが旗揚げし、イギリスに占領されていたオルレアンを解放する。ジャンヌ・ダルクはイ
ギリスに捕らわれ、宗教裁判で魔女として火あぶりの刑に処せられてしまったが、これをきっかけに百年戦争はその後間もなく終止符を打っ
た。でもこの2国はフランスからアメリカに舞台を移しただけで、相も変わらず争いを続けていたということだ。

そこでフランスは、ジャンヌ・ダルクがイギリスから勝利をもぎ取った町の名を新大陸のこの港町に冠したのである。ヌーベルは英語でニュー
(New)、オルリアンはフランス語の英語読みでオリンズ(Orleans)、で、ニューオリンズ(New Orleans)ということのようだ。
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