【ミャンマーという国】
ミャンマーというよりビルマといったほうが馴染みがある人が多い。ビルマの竪琴が最も有名であるが、そもそもビルマはイギリス占領下の呼び
名。もともとのミャンマーという現地語の国名になった。それにともない、首都もラングーンからヤンゴンに名称変更した。今でもイギリスの名 残はあり、法律についてもインド経由でイギリス輸入品がある。
日本は戦時中にミャンマーまで侵略しているはずなのに、何故か親日派が多い。なぜだろうか?その謎はわからないが、日本の会社がミ
ャンマーに進出してお金をおとしているのは事実だ。その関係かもしれない。性格が日本人に似ているのも、親日の一因かもしれない。
戦時中にミャンマーに戦争にいって、そのまま住み着いている方のホームページがある。「エーヤーワディのほとり」というホームページの中に、
「ビルマを選んだ元日本兵」という興味深いページだ。「戦争に負けたことが恥ずかしくて、日本に帰らなかったのです」というくだりから 始まるこのページは考えさせられるものがある。
また、ミャンマーは宝石が沢山とれる。「在日留学生が語るミャンマーの姿」というホームページには、「ルビーの街」という宝石を紹介するペ
ージがあるので必見だ。なお、私もヤンゴンの宝石博物館に連れて行ってもらったが、そこは4階建てで4階の展示コーナー以外は、すべて 宝石小売店が入っている。どこで買うか迷うぐらいであるが、観光ガイドと一緒に行くと、少し割高になるようである。観光ツアーにはお決ま りの、店がガイドに2〜4割ほど払っているからだ。直接行けば、かなり安くなるのではないだろうか。客がほとんどいないので、うまくやれば値 引き放題だと思われる。
ミャンマーの通貨はややこしい。一般的に流通しているのはチャット(Kyat)だが、
外貨兌換券(FEC)もある。旅行者は入国時に200FECを強制的に両替させられる。ただし、ビジネスビザを持っていれば両替の
必要はない(今回、私は両替の必要はなかった)。また、為替レートもややこしい。公定レートと闇レートがあり、闇のほうが一般的のよう だ。しかも、街に行けばEFCはあまり使うことができないので、さらにチャットに両替しなければならない。とはいっても、FECでの給料払いは 増えてきているらしいが。
また、200FECを強制両替させられても、それを使うことができない。なぜなら、街の物価はびっくりするぐらい安いからだ。レートは大きく変
動するが、当時は1US$=550Kyat(公定レートはなんと6.69Kyat)。1FEC =450Kyatなので、200FECということは、163ドル、 19000円(当時の1US$=120円で換算)となるため、1週間程度では使えないようだ。また、ミャンマーは強烈な外貨不足になっているた め、政府は本腰で外貨流出抑制策をとっている。
なにしろ、軍事政権なので、いつ制度がかわるかわからない非常に不安定な状態だ。アウンサンスーチー女史の家の近くまで行ったが、
そこは厳重に警備されておりそれを実感した。また、無人島までの工程には、必ず軍人が護衛につく。私のときは常にライフルを持った軍 人が3名、船に乗り込んでいた。
また、社会インフラが著しく悪い。首都のヤンゴンでも停電は日常茶飯事。今回行ったメルギーなどは、2日に1回しか電気がこず、しかも
時間が限られている。道路にしても悪路が多く、ヤンゴンでも結構、道に穴があいていたりする。未舗装道路も多い。そのため会社では自 家発電装置を備えているのである。
そんなミャンマーであるが、なんか魅力を感じ、また行きたいと思うのである。ミャンマー専用の旅行会社もあるようだ。日本人女性が経営し
ているこの会社にはいろんな手配が頼めるようだ。ただ、ミャンマーで気をつけなければならないのが、突如、飛行機が欠航したり、時間 が大幅に変わったりするところだ。軍事上の理由によるものらしい。そのため、直前まで何度も確認しなければ空港で何時間も待つはめに なる。
なお行く時期には留意が必要だ。5月下旬から10月中旬までの雨期は避けたほうがいい。どんよりとした曇り空が続き、ときどき雨が降
るが、たまにバケツをひっくり返したようなどしゃぶりになるらしい。私は雨期があけた11月に行ったのでちょうどいい季節であった。10月下旬 から2月が乾期といわれ最も快適な時期である。日本の極寒からミャンマーへ逃げるというのがいいだろう。
【ヤンゴン】
(左)首都ヤンゴンののどかな風景。ちゅーか、これが首都か、という感じ。ほとんど高いビルがなく、木が高く生い茂っている。南国の町という感じだ。バンコク
経由でヤンゴン国際空港に着いたのが夜の7時、しかし、首都の国際空港というのに飛行機が1機もとまっていない!ここはどこだ、どこか地方の空港と間違 えたのか!と真剣に焦った。滑走路も短くてB767クラスでも離着陸するのにぎりぎりの滑走路、マジでもう少しでオーバーランだった。この写真は宝石博物館 (4階)より撮影。
(右)ここはヤンゴンの中でもかなりおしゃれなビルだそうだ。地下には食料品や雑貨が売ってあり、1階はファーストフード、2階はいろんなブランドものが売って
ある。しかし、平均月収が月1万円もないぐらいなのに、1万円ぐらいの靴を売っていたりするが、誰が買うのだろうか、はなはだ疑問である。
【メイク(メルギー)】
(左)ヤンゴンから南に飛行機で約1時間で到着。メイクともベイともメイともいわれているところの空港。仕事以外では通常は外国人は入れない街らしい。こ
の飛行場には1日1回しか飛行機がこないらしいが、この日は朝7時についたのが最後で、あとはなーにも使われない!そんな飛行場なのに、なぜか滑走路を 延伸していた。軍が使うようであるが、軍もそれほど飛行機持っていないだろう。そんなところに金使うんだったら、もっとインフラ整備すべきだ。しかも、帰りの便 には政府要人の奥さんと娘さんが乗るかなんだかで、かなり待たされ、出発時にはおつきの人が10人ぐらい見送っていたし。
(右)おそらくマツダ製だと思われるが、俺は生まれてこのような車を見たことがない。廃車寸前のように見えるが、まだまだ現役というのもびっくり。ミャンマーには
日本から中古車が数多く流入しており、街を走っている車の9割がた日本車(ほとんど中古)だと思われる。しかも道ががたがただから、乗り心地が非常に悪 い。それにしても、このメイクという街は、電気が2日に1回しか通らずに、しかも19時から23時の間だけというインフラの悪さ。もちろん、会社とかには自家発電 装置がある。国民は人柄もいいし勤勉なのだけど、あまりにもインフラ整備が遅れている。
とはいうものの、このメイクという街は30年前の日本のようであった。記憶に残る場所だ。
(右)これが青空市場だ。奥にはパゴダが見える。
(左)メイクの港が見える場所に、このような巨大な涅槃像がある。ミャンマーは敬虔な仏教徒が多く、パゴタのほかこのような涅槃像が数多くあるのだ。港を
航行する船を見守っているのだろう。
(右)メイクはミャンマー南部の中心都市であり港町である。そこでは海産物の水揚げ量も多く、新鮮な魚が市場で売られている、はずなのだが、市場を歩く
となんかあやしい魚が多い。どうも腐っているとしか思えないようなものもある。肉にしてもしかり。それを日本人である我々に売りつけようとしている商売人はこ わかった。港にもいつの時代の船なんだろうか、と思えるほど古い船が多い。でも、なんとなく情緒があってこの風景は好きだった。しかし、9時間かけてようやく 着いたばかりの写真なので、このときはかなり疲れていた。丘にはパゴダも見える。
【無人島】
(左)メイクから無人島へ出発!途中は遊猟民族が漁をしており、かなりのどかな風景が広がっているものの、気をつけないと海賊も出る地域だし、マラリア、
デング熱にも注意が必要である。この写真は途中の船から撮影したものであるが、こんな船を結構見かける。メイクあたりから漁に出ているのだろう。中にはか なり沈みそうな船もあったが、この船はかなりましなほうである。
(右)ミャンマーには多くの島がある。ほとんどが無人島だが、ここには集落があるようだ。海を転々としているのだろうか?家は高床式になっていた。
が座礁しかけた!もう少しで、海の上に取り残されるところであった。
(右)10月までの雨季が終わり、11月からは乾季となる。雨季は海が荒れるようで、かなりの波になるようだ。乾季のこの日は本当に穏やかで、ほとんど波が
なかった。平和な海といった感じだ。
(左)やっぱり空と海は美しい!11月だというのに、このとき気温は35度近くあったと思う。かなり焼け、皮一枚めくれた。でも、この風景はほんとうに綺麗だ。
(右)あつ〜い昼間が終わり、ようやく一息というところ。この光景はいつまで見ても飽きません!
【旅行メモ】
2002年11月10日
ミャンマーに着いた!タイ航空でバンコク経由だ。バンコク到着前のアナウンスで、現地気温が32度とか・・・。11月だというのにさすが熱 帯、ほんま暑いわ。 3時間のトランジットののち、ヤンゴンへ旅立つ。11:10関空発で6時間弱でバンコクへ。3時間待って、バンコクーヤンゴンは1時間のフライ トだから、ヤンゴン到着は日本時間で21:30頃。しかし、2時間30分の時差があるから、まだ19:00。
ヤンゴン空港に着いたけど、飛行機がまったくとまっていない!しかも、かなり暗い。ここはほんまに首都の空港かと思った。滑走路もやけ
に短く、ボーイング767がぎりぎり着陸できるぐらいだった。着いてエプロンに向かうときに、もう端が見えていたからね・・・。
まーなんとか入国も出来たし、ホテルにチェックインだ。セドナホテルというシンガポール資本のホテルであったが、なかなか綺麗であった。外
国人が多く泊まるホテルであり、日本人スタッフも1名常駐しているところがありがたい。その日はぐっすり寝た。
(左)なかなか快適なホテルであった。 (右)ホテル近くにあった看板。ビルマ語でまったく読めない。下の行はおそらく電話番号だと思われる。
11月13日 12:50
今はとある無人島だ。もう少し行けばタイのプーケットかな?マレー半島の裏側に行けばタイのどこの街だろうか。今日は朝3時30分に起き
て、空港へ。ヤンゴン空港6時過ぎに飛び立った飛行機は、1時間後にメルギーに到着。メルギーは予想どおりの街だった。30年前ぐらい の日本の風景というところか。マツダの3輪自動車が走り、バイクが溢れ、人もざわざわといる。そんな風景は俺が好きだ。港近くの事務所2 階から見る風景は最高だった。ちょうどハワイ・マウイ島・ラハイナのピザ屋から見る風景のようだった。 そこから高速船で3時間強かけて無人島に到着。途中、飛び魚がいたりイルカもいたようだが、漁をしている船などもあって情緒があった。 そんな風景の中、船はひた走り目的地へ。現地常駐スタッフが出迎えてくれ、今は宿舎で休憩だ。しかし、日差しがかなりきつい。グアム で焼けどしたときのようだ。じりじりして顔が痛くなってきている。気をつけないと。とはいうものの、2日間この島で十分に南国の雰囲気を味 わいたいと思う。
11月14日 22:50
無人島には2日間しかいなかったが、本当にいいところだった。日本ではあんなに寒いのに、ここでは夏のようだ。日差しがかなり強い。しか し、海は綺麗だし、それも澄みきっている。ここでは、人間らしい生活ができると思う。
この無人島はようやく人間が暮らせる基盤ができたとはいえ、必要最小限だ。ここに5年も暮らしている日本人スタッフの方には頭が下がる
思いだ。来るまでは大変だけど、来てしまえば本当にいいところだ。明日はメイクまで移動し、明後日にヤンゴンに帰る。1日おいて、その次 に日本についに帰る。後は帰るだけなのだが、それがまた長いのだ。それも、ここが秘境というところか。もし機会があれば、また来たいと思う が、どうなることやら。
夕方、海岸線を歩いていると本当に心が落ち着く感じだ。思わず夕焼けを写真に撮ってしまった。夕焼けは本当によかった。先ほど夜道
を散歩していたが、野犬もいたりして少し恐かった。夜はあまり出歩かないほうがよさそうだ。コブラもいるかもしれないし。しかし、明日帰る のは実にもったいない気がする。できることならもう一度この島に来たいものだ。 11月15日 22:00 今日は本当に疲れた〜。朝6時に起きて、朝食をとり、7:30から16:30までず〜〜〜と船。最初のほうはなかなかいい船旅だと思っていた が、やはり少し小さい船ということもあり、寝るところはバラックのような感じだし、なかなか体験できないことを体験させていただいた。 今はメイクという街だ。ベイといったり、メルギーといったり、いろいろと呼び方があるようだが。しかし、このまちは活気があるが、日本の30年 前ぐらいの雰囲気がある。夕食に連れて行ってもらったのも、下町の食堂というところで、味は美味しいが汚いというところだった。しかし、ス ープと焼きうどんを食べたが、どちらもまずまず美味しいのだが、なにせ辛い。少し日本人用に辛さを抑えているらしいが、それにしても辛 い。汗が吹き出た。地元の人は辛くないといっていた。どんな舌をしとるんやろうか、と思うぐらいだ。
このまちはなかなかいい雰囲気だが、マラリアのほかに、デング熱なども注意する必要があるとのこと。今回は虫除けスプレーを無防備にも
全くつかっていないので、明日は使いたいと思う。明日は13:30のフライトでついにヤンゴンに帰る。この出張ももう帰る行程だけだ。今日で 6日目、あと3日間。わずかだけど、ミャンマーを思いっきり堪能したいと思う。それでは、おやすみなさい〜。フランスの会社のビジターズハウ スに泊まっている。
11月18日 10:30(ミャンマー時間)
今は帰りの飛行機の中だ。ヤンゴンからバンコク行きの飛行機に乗っている。ヤンゴンの街が窓から見えた。ミャンマーを去るのは、滞在が 長かったこともあり本当に寂しい感じがする。現地の方には大変お世話になった。本当にありがとうございました。 ヤンゴンでは空き時間を利用して、宝石博物館、日本食スーパー、地元スーパーに案内してくれた。それはそれで面白かった。ミャンマ ーに来たのだから、パゴダにも行きたかったが、それはおあずけとなった。 9日間という長いようで、過ぎてみれば短かったこの出張、ヤンゴンのほかにメイク、ドーメルも行くことができて、ミャンマーを肌で感じることが できて、本当によかった。特にメイクの街もレトロな感じでこれぞミャンマーというところを見ることができた。 ミャンマー人は本当に謙譲していて、日本人と性格も似ていて、かなりいい感じだ。ホテルや会社のミャンマー人しか接していないからそう 感じるのかもしれないが、しかし、また来てみたくなる人ばかりだ。特にセドナホテルの従業員は皆気持ちよく出迎えてくれるし、笑顔がい い。それと、昨日行ったカラオケハウスの従業員のお姉さん方もかなり笑顔がいい。 今はミャンマーから離れるのがかなり残念だ。今は日本は昼の1時過ぎ。かなり寒いんだろうな〜。30度を越えるミャンマーの気候に比べ て、日本は何度なんだろうか?帰ったら寒いのはなんか嫌だな〜。でも、あと8時間ちょっとで日本につく。さ〜、ミャンマーでの思いを胸に 12月末にかけてバリバリ働きますか〜。ありがとうミャンマー。(帰りのタイ航空機内にて) |