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クロアチア、スロベニア、ボスニア・ヘルチェゴビナ
〜2007年11月〜
クロアチアは前から行きたかった場所だ。2007年11月、ロンドン出張の際、土日があったのでいつものように強行スケジュールでクロアチアへ。しかし、首都のザグレブへのフライト時間があまりよくない。そこで、隣の国のスロベニアまで行き、そこからレンタカーでクロアチアへ入る。そして急に行きたくなってボスニア・ヘルチェゴビナに行ったのだが・・・。


【スロベニア】

クロアチアの西側にあってもともとはユーゴスラビアで同じ国。北はオーストリア、南はイタリアにはさまれている。ユーゴから早々に独立し今ではEUに加盟した。よって通貨もユーロだ。面積は四国とほぼ同じで人口も200万人程度と小さな国だ。首都はリュビリャナ(Ljubliana)という初めて聞いた都市の名前だ。ロンドンからアドリア航空(スロベニアの航空会社)でちょうど2時間のフライトだ。ロンドンとの時差は1時間だから日本とは8時間の時差となる。国際空港といってもこじんまりしてて小さな空港だった。空港前のレンタカー会社が並んでいるところでハーツを借りていざ出発。

 
(左)リュビリャナ空港。こじんまりしてる。ここで買ったコーラは2.4ユーロでとても高かった。

(右)せかっくスロベニアに来たので観光地と言われているブレッド湖(Blejsko Jezero)に行ってみた。あいにくの小雨だったが多くの観光客がいて湖の周りを散策していた。リュビリャナ空港から北に20Kmそこそこの距離だ。湖の真ん中にある島に聖マリア教会があり、写真右奥の湖岸の山の上にはブレッド城があるという絶景。真冬になると湖の水も凍りつき島まで歩いていけるようだ。天気が悪くて残念。


【クロアチア】


クロアチアは九州の1.5倍で、人口は約450万人。首都ザグレブ(Zagreb)は120万人だから4分の1は首都に住んでいることになる。スロベニアに続いて1992年にユーゴスラビアから独立し、アドリア海沿いの街はとても綺麗で観光客も急増中。日本人観光客も増えているようだ。公用語はクロアチア語であるが、旅行で行くぶんには英語も十分通じる。今回は行くことができなかったが、いつかはアドリア海沿いの美しい街に行ってみたいものだ。通貨はクーナで1クーナが約23円(2007年11月現在)。

スロベニアは天気が悪かったのでリュビリャナも素通りし、すぐにザグレブに向かった。リュビリャナからザグレブまでは150Km程度の距離で高速道路(6.1ユーロ)もあるので快適。途中、一般道路の区間や国境の検問もあったので、ザグレブまでは約2時間20分ほどかかった。昔はユーゴスラビアというひとつの国だったのに、今では国境があるのがとても不思議だった。ザグレブ到着が18時前だったので暗かったのが残念。夜に街を徘徊した。
  
(左)スロベニアとクロアチアの国境。パスポートを見せてはいどうぞ、ってな感じで非常に簡単だった。
(中)ザグレブ中央駅。駅前は広場になっていて多くの人たちがたむろっていた。地下街があるためだろう。
(右)左奥に見えるのがリージェント・エスプラナーデ・ザグレブ・ホテル。ザグレブはかつてイスタンブールとロンドンを結んでいたオリエントエクスプレスの停車駅の
ひとつだったため、その乗客を泊めるための格式高いホテル。街にマッチしている。

 
(左)ホテル前から大聖堂を望む。大聖堂は100mもあるので街のあちこちで見ることができる。
(右)ザグレブ中央駅前のクロアチア初代国王トミスラフ国王の騎馬像。ここから眺める街並みは素晴らしく、朝の散歩も気持ちいい。

 
(左)トミスラフ広場横の道。市民の足であるトラムが頻繁に走っている。街並みとマッチしてる。
(右)聖マルコ教会に向かう途中にあるケーブルカー。聖マルコ教会のあたりはこじんまりした山になっており、ちょっとした斜面にこの可愛いケーブルカーがある。長さ約30mで30秒で上までいけるらしい。料金もわずか3クーナ(約70円)。ケーブルカーの横に道があるので、そこを歩いてもすぐに上までいけた。

 
(左)ケーブルカーの頂上駅からの眺め。ザグレブの旧市街という感じがしてとてもいい眺めだった。天気が悪いのが残念。
(右)聖マルコ教会(Sv. Marka Crkva)。ザグレブにきたらこの屋根を見なければならないぐらい観光名所。左側がクロアチア王国、ダルマチア地方、スラボニア地方の紋章、右側がザグレブ市の紋章。なかなか美しい教会だ。

 
(左)ちょっとわかりにくいが奥にあるのが聖母被昇天聖堂(Katedrala Marijina Uznesenja)。高さは100m以上あるから近くに行くととても大きく感じる。13世紀から18世紀にかけて建てられたザグレブのシンボルである。
(右)午前中のザグレブ観光を終えて、ザグレブを飛び出し、さらに東へ進む。この日の夕方にはリュビリャナに戻らなければならないが、どうしてもボスニア・ヘルチェゴビナに行きたかった。というより、クロアチアとボスニア・ヘルチェゴビナの国境はどうなっているのだろう、という好奇心だった。当初は南下して美しいアドリア海でも見ようと思っていたが、ボスニア・ヘルチェゴビナのほうが魅力的だった。ちなみに外務省からは渡航には十分注意というメッセージがでている地域であるが、レンタカー会社の人に聞いてみたら、全く問題ないよ、とのことだったので、行くのを決断したのだ。

ちなみに外務省のメッセージは「これらの地域は旧紛争地域であり、紛争当時に埋設された地雷が依然として同地域内の舗装された主要道路以外の脇道、山野等に数多く残存しています。近年の地雷除去活動により危険地帯は狭まっていますが、その一方で作業の長期化に伴う地雷表示の老朽化も進んでいることなどから、残存地雷による犠牲者が後を絶たない状況が続いています。つきましては、同地域に渡航・滞在される際は、上記状況に留意し地雷の被害に遭わないよう十分注意してください。」とのこと。今から読むとよく行ったな〜、と思う。

ちなみに地雷の除去に関するこんなWebサイトもある。

 
Okucaniというインターチェンジで降りて南下したところにある街。ザグレブからは約130Km、1時間10分で到着。高速料金は44クーナ(約1千円)。ここで降りたのは、最もボスニア・ヘルチェゴビナ国境に近かったからだ。ここから10Kmも行けば国境だ。そして、ここで事件が勃発!ドライブの休憩がてらここで写真を撮っていると、なにやら怪しい2人組が車から降りてきてこっちをじっと見てる。嫌だな〜と思い車ででようとすると「ポリティカ(ポリスのこと)」と言ってきてよってきた。ははーん、偽ポリスで金とろうと思ってるな、と思ったが、パスポートだの免許書だの出せといわれたので、本物のポリスだった。しばらく無線でやりとりしていたが、身元がわかったようで、気をつけてな、という感じで肩をたたかれた。

そしてやめときゃいいのに、ポリスが出発するとき、記念にと思い写真を撮ってしまった。すると、めちゃくちゃスピード出して車をバックさせてきた。かなり怒っている!やべーと思ったが、何故写真撮った?とかなりの剣幕。ごめん消すから、と言ってもなかなか聞かない。あやうく連行されそうになった。しばらく平謝りしていると、じゃ写真消して行け。景色は撮ってもいいけど、ポリスの車を撮ったらいかん!と強く言われてしまった。そのとき気付いたのだが、写真右にある家、よく見ると砲弾の後が家に残っている。ここは紛れもなく紛争地帯だったのだ。急に怖くなった。緊張感が急に高まり、そのまま国境に突入することになる。

 
ポリスに尋問受けた近くにある倉庫(?)と屋根のてっぺんが吹っ飛んでいる家。倉庫の模様やら、家の壊れ方を見ていると、これも明らかに紛争の後だ。今ではのどかな田舎街になっているけど、ちょっと前まではここで紛争があったのだ。そう思うとやはり怖くなる。

 
国境地帯の道。湿原が広がっているが、たまに人が湿原に入っていっていた。このあたりは看板に書いているように地雷が埋まっているようだが、それを撤去しに行っているのか?看板には「MINE」と書かれているが、これが地雷という意味だ。まさに地雷地域を通り抜けてボスニア・ヘルチェゴビナへ向かう。ここから国境まではもうわずか。


【ホテル】
ここでザグレブのホテルを紹介。ベストウェスティン系列の、Astoriaというホテルだったが、とってもお勧め。フロントの対応はすごくいいし、部屋もこぎれいだ。ザグレブ中央駅からも近くて徒歩5分ぐらい。ベストウェスティン系列だから朝食もついているが、品揃え豊富だし、とてもおいしかった。料金は652クーナ(15,000円)とやや高いが、ロンドンの高くて狭いホテルから来ているためか、割安に感じる。
ベストウェスティンのWebで予約ができる。
 


【ボスニア・ヘルチェゴビナ】


国旗からしておどろおどろしい。面積はクロアチアより少し小さく、人口は約450万人。ただ、国外に多くの難民がいるらしく、国内の人口はこれよりもかなり少ないようだ。首都はオリンピックも開催されたサラエボだ。ちなみに1984年にオリンピックが開催されたが、紛争でスタジアムは壊され、跡地は紛争で亡くなった人たちの墓地になっているとのこと。なんということだ。

ボスニアは旧ユーゴ連邦を構成した共和国の一つで、民族構成はムスリム系44%、セルビア系33%、クロアチア系17%だった。旧ユーゴ連邦の崩壊が進む中、1992年4月に独立を巡って民族間で紛争が勃発し、3年半以上にわたり各民族が国内全土で覇権を争って戦闘を繰り広げた結果、死者20万、難民・避難民200万と言われる戦後の欧州で最悪の紛争となった。

そもそもユーゴスラビアがあったバルカン半島は、人種のるつぼといわれ、昔からいろんな民族が入り込んだり、東ローマ帝国・オスマン帝国・オーストリア・ハンガリー帝国などの多民族国家の時代が長かったことから多くの民族が混在していた。このため、西欧から単一民族による国民国家の概念がもたらされると、たちまち諸民族同士の争いが勃発し、「ヨーロッパの火薬庫」と呼ばれ、第一次世界大戦勃発の原因といわれている。ボスニアとヘルチェゴビナの間に「・」があるように、北部がボスニア、南部がヘルチェゴビナで、まったく別の地域ということのようだが、まだ内戦があるのだろうか!?

クロアチアから国境を越えると、間にサバ川(Sava)という美しい川を渡る必要があるが、その川を渡るという意味が重く感じられた。
 
(左)クロアチアの検問を通過し、サバ川を渡る。ここからの風景はとっても綺麗だったが、クロアチア国境での事件もあって緊張して写真を撮れなかった。どっちにしても車を止めることはできないが。
(右)橋を越えたところにあるボスニア・ヘルチェゴビナ側の検問。ここはかなり厳しくて、パスポート提示の後、車を降りさされトランクチェックもあった。かなり重々しい雰囲気だ。そしてこの国境を越えたところは比較的大きな街になっており、かなりごみごみしている。街の名前はBosanska Gradiskaで、女性がレースを道端で売っていたのが印象的だ。検問を越えたところで車を降りて徘徊してもよかったのだが、クロアチア側に向かう車が長蛇の列になっていたので、早々に引き返さないと飛行機に間に合わないこともあり、車を降りるのはやめた。

 
長蛇の列を横に見ながら、しばらく行くと少し落ち着いた風景になった。ここからしばらく行って、違う検問を通ることも考えたが、結局ここ止まりで引き返す。わずか5Km足らずのボスニア・ヘルチェゴビナ体験だ。クロアチア側に行くのに結局30分弱で検問を通れたのだが、早めに引き返してよかった。次回、ボスニア・ヘルチェゴビナに来ることがあれば(まー、ないか・・)、首都のサラエボまで行きたいものだ。リュビリャナ空港のレンタカーのおっちゃんに、サラエボまで1泊2日でいけるか?と聞くと、無理無理、あと1日いるよ、と言われた。この国境からは山道が続くので3時間以上はかかると思われる。

 
いろんなことがあったな〜、と思いながらクロアチア、スロベニアと引き返す。わずか1泊2日のロンドンからの小旅行だったが、来てよかった。天気があまりよくなかったのが残念であるが、それでも美しいザグレブの街を堪能することができたし、日本では決して経験できない国境地帯での緊張感も味わえたし、満足であった。ただ、右の写真はクロアチアの高速であるが、かなり広くて走りやすい。リュビリャナには余裕で着くかと思ったが、意外にもクロアチアとスロベニアの国境での検問が40分もかかってしまった。やはり国境越えは余裕を見ておいたほうがいいのだろう。リュビリャナ市内でガソリンを入れて、17:35にリュビリャナ空港に到着。18:30発の飛行機だったから、ほんとにベストタイミング。ロンドンにも無事20時過ぎに到着し、1泊2日の小旅行が終わったのであった。

ちなみにこの小旅行で734.9Kmをドライブ。1泊2日でよく走ったものだ。ちなみにガソリン代は、リュビリャナで入れると、23.25リットルで24.62ユーロだから、1.059ユーロ/リットルだ。160円換算で169円、高い!

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