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ポルトガル

〜2007年11月〜12月〜
2007年11月のロンドン出張時に帰国するまで少し時間があったので、前から行きたかったポルトガルに行くことにした。この出張中にクロアチアもいったので少々疲れ気味だったが、ポルトガルもロンドンから2時間程度でいける。せっかくの機会だし体に鞭うっていった。しかし、今年は何カ国行ったんだろうと数えてみたらポルトガルが17カ国目。その途中、スペインにも入ったので、18カ国となったが、今年はいろんなところに行ったものだ。


ポルトガルの面積は日本の4分の1で、北海道と四国を足したぐらいの大きさ。人口は約1千万人だから小さい国ながらもゆったりしている。EUに加盟しているので、通貨はユーロ。物価はロンドンなど他のヨーロッパ諸国に比べたら格段に安い。首都はリスボンで、行く前からとっても哀愁を感じる街、前からこの街は行きたいと思っていたところだ。周辺をあわせるとリスボンの人口は約280万人だから4分の1がリスボン周辺に住んでいることになる。時差は日本と9時間違いだから、ロンドンと同じ時間になる。スペインの人たちは大国ということもあってかなり冷たい感じがするようだが、ポルトガルは昔は繁栄した国だが、今は小国になったこともあり、とってもフレンドリー。お店に行ってもポルトガル語がわからなくても、親切丁寧に返答してくれる。

ポルトガルといえば大航海時代だが、航海といえばバスコダガマ(Vasco da Gama,)だ。ヨーロッパからアフリカ南の喜望峰をとおりインドへ航海した最初の人といわれている。この航海の成功によって、ポルトガル帝国が築かれることになったんだから、フィーゴやクリスティアーノ・ロナウドと並ぶ英雄だ(ちょっと違うか!?)。ポルトガル王マヌエル1世によるインド航路開拓の命を受け、ダ・ガマ率いる4隻の船団は1497年7月にリスボンを出航。そしてようやく1498年5月にインド南西のカリカットに到達。今年の10月に喜望峰に行ったので、ここからあの喜望峰を回ってインドまで行ったんだ、と思いをはせる。また、1543年にポルトガル船が日本の種子島に漂着したのは有名な話だ。ただ、リスボンの発見のモニュメントに行ったとき、日本到着が1541年になっていたので2年ずれている、何故だ?その後、1550年に平戸に入港して貿易を行ったり、江戸幕府がキリスト教の布教を阻止するためにポルトガル人を収容するための出島を作ったりの関係になる。ユーラシア大陸の西端と東端の国でめちゃくちゃ距離があるのに不思議なものだ。


ポルト(Porto)
とても魅力的な街だ。せっかくポルトガルに行くのだから、リスボンだけじゃなく、ポルトガル発祥の地であるポルトから入ろうと思ったのが大正解。リスボンは大きすぎるが、ポルトはこじんまりしているぶん、どこを向いても絵になる。ドウロ川(Rio Douro)を挟んで両岸にへばりつくように家が建ち、川沿いは整備されてとっても綺麗。そこにかかる橋も芸術的だ。この街は1泊してすぐに出ようと思ったが、次の日、昼まで散策したくなるような街だった。

リスボンは坂が多いことで有名だが、ポルトのほうが坂が多いのではないか。レンタカー代をけちってマニュアルにしたが(ヨーロッパはオートマチックのレンタル料がめちゃくちゃ高い)、いきなり坂道発進でサイドブレーキひいて、アクセルとクラッチをうまく調節して、という羽目になった。人間追い込まれると何でもできる、坂道発進などは、20年ぐらいやってなかったが、すぐできるようになった。

坂道が多いぶん、歩くのも少し疲れるかもしれないが、レトロな市電やバスなどもある。でも、歩いた方がいろんな景色が楽しめると思ったので、私はすべて歩いた。歩きだけでも十分に街を回れるぐらいだから嬉しい。ポルトガルでも超お勧めの街だ。ちなみに、旧市街地は世界遺産に登録されている。どうりで綺麗な街だと思った。

 
(左)空港から市街地までわずか11Kmのはずが地図を持っていないばっかりに迷いに迷う。ポルトって意外に大きな街だと気付いたのは遅かった。でも川が見えてくるとなんとなく方角もわかり、この橋(ドナ・マリア・ピア橋)が見えたときは少し安心した。しかも夕焼けで美しい!結局、空港から45Kmも走ってようやくホテルへ。疲れた〜。
(右)チェックイン後、街を散策。市庁舎から南に伸びる大きな道路に挟まれた公園はとっても綺麗だ。古い建物がライトアップされ歩いていて気持ちいい。

  
(左)市庁舎のすぐ南に巨大なクリスマスツリーがあった。もう街はクリスマス一色だ。イルミネーションが美しい。
(中)クリスマスツリー近くの建物。どこを見ても美しい。
(右)市庁舎の一角からドウロ川沿いまで歩くと対岸の修道院が見える。そこまでかかるドン・ルイス1世橋もライトアップされとても美しい。どこに行っても絵になる街でしばし川添いの散策を楽しむ。

 
(左)当初泊まろうと思っていたペスタナ・ポルト・ホテル。道を隔ててドウロ川があるのでロケーションは最高だ。部屋から川も見えるようでここに泊まってもよかった。駐車場はあるか?とメールで質問したが返信なかったので、ここに泊まるのはやめたのだが、ポルトガルは道端に止めても駐車禁止にはならないようで、残念なことした。料金は少し高いものの次回来ることがあれば、ここに泊まってみたい。
(右)ドン・ルイス1世橋は2段になっていてどっちも歩いて渡れる。川添いに来てしまうと下段しか渡れず、車がびゅんびゅん通る横の歩道を歩く。ビジネスマンらしき人たちも家路を急ぎながら歩いている。橋を渡りきると、南岸にはワイナリーが並んでいるが、ここもライトアップされてとっても美しい。橋のたもとから見る北岸とあわせてしばらくボーっとしていた。ポルトに来てよかったな〜。

 
(左)夜の寒い中、3時間も歩いてしまったのでさすがに疲れてきた。ホテルに帰ろうと思うとレストランのようなコーヒーショップのようなスポーツバーのようなものがあった。この日は地元のサッカーチーム(ポルト)がチャンピオンズリーグで試合がある日だ、街の人たちがここに来て騒いでいる。店はほぼ満席だ。ポルトガルに来て最も食べたかったのがこのエッグタルトだ。ポルトガルではパステル・デ・ナタ(Pastel de Nata)と言われる。そしてコーヒーはビッカ(Bica)といわれるエスプレッソが主流。さっそくお目当ての食べ物にありつけて超満足。店の女の子もとっても愛想がよく、英語は通じないが身振り手振りでメニューを聞いてくれた。至福の時間となったが、エッグタルトは正直言って、日本で食べているものの方がおいしいと思った。

(右)エッグタルトも食べたしそろそろホテルに帰ろうか、と思ったが、クレリゴス教会の尖塔が見えたので行ってみた。18世紀に建てられたバロック様式の教会で尖塔は76mもあり、ポルトガルで最も高いらしい。ここは写真だけ撮って、明日の朝、この上に上ることにした。

 
(左)眠い目をこすりながら早朝から散歩。ポルトには細くて狭い道がそこかしこにある。しかもほとんどが坂道。車で運転するには一苦労だ。
(右)クレリゴス教会からサン・ベント駅方面を望む。ここも坂道になっており市電も走っている。

 
(左)サン・ベント駅の構内の壁には、ポルトガルの歴史的なできごとが描かれている。
(右)カテドラルからグレリゴス教会方面を望む。赤い屋根と太陽光がマッチしてとっても美しかった。

 
(左)カテドラルからケーブルカー方面に行くとドン・ルイス1世橋が美しく見える。手前に見えるのがケーブルカーでかなりの急勾配を上ってくる。
(右)2段になっているドン・スイス1世橋の下側は昨夜歩いたので、今朝は上側だ!と思って歩いてみたがかなり高くて怖い。高所恐怖症であるし、簡単な手すりがあるだけですぐ向こう側ははるか下に川が流れている。手すり近くに行くのもやっとのことで、ようやくこの写真が撮れた。橋の半分までもいけずに、引き返すという情けないことをやってしまう。もっと向こう側に行っておけば、違う景色が広がっていただろう。ちなみに橋の上側はメトロと呼ばれる路面電車(ライトレール)の路線になっている。その線路のすぐ脇に歩道があるので、電車が通るとさらに怖くなる。この橋を何もないように歩いていくビジネスマンはすごい!

 
(左)そして昨夜も来た川岸へ。昨夜はわからなかったが、川の流れが結構早い。もし落ちてしまうとかなり流されそうだ。
(右)サン・フランシスコ教会。外見からは想像がつかないが、中は金細工がほどこされた金ぴかの礼拝堂があり一見の価値あり。礼拝堂は写真撮影禁止なのが残念。入場料は3ユーロ。 なお、この教会の裏手にあたる場所にポルサ宮があり、裁判が行われる「法廷の間」、今でもレセプションなどで使われている「黄金の間」、アルハンブラ宮殿を模して造られた「アラブの間」などがあるので行こうとしたが、ガイド同行でないと入れないといわれた。次のガイドがほぼ30分後だったので、時間もなかったのでポルサ宮は断念した。ちなみに、ポルサ宮は昔は証券取引所として利用されていたそうだ。

 
(左)グレリゴス教会の尖塔から望む街並み。尖塔の高さは76mだが、螺旋階段をずっと上らなければならないので、結構キツイ。ただ、頂上につくと展望できる場所は狭いものの、ポルトの街並みを堪能することができ、しかも少し汗をかいた後は、吹く風が気持ちいい。頂上には日本人のカップルがいた。新婚旅行かな!?入場料は2ユーロ。
(右)市内を走るレトロな市電。この電車がグレリゴス教会の横にある狭い道を走っているのだから驚き。電車は可愛い感じがしてついつい乗ってみたくなる。

 
(左)いよいよポルトの旧市街地ともお別れだ。せっかくなので、ドナ・マリア・ピア橋にもう一度行ってみた。エッフェルの設計によって1877年に完成した。隣に
サン・ジョアン橋が完成してからは、単にモニュメントとして残されているようだ。確かにこの橋もドン・ルイス1世橋に並ぶぐらい美しい。ちなみに、ドン・ルイス1世
橋は、エッフェルの弟子によって設計された(1886年完成)。
(右)ポルトの見どころは旧市街にあり、歩いても回りきれるぐらいの広さだが、実はポルトの街は市域が広い。旧市街地からドウロ川の北岸を延々と西に行く
と大西洋に出る。ドウロ川は河口になればかなり広くなり、大西洋に注いでいるが、このあたりは海岸整備されていて、とても美しく、長期滞在してもいいので
はないか、と思うぐらい。大西洋の荒々しい波を見ることができる。


モンサント(Monsant)


ポルトガルの中東部、もう少し行けばスペインというところにモンサントという村がある。1938年に最もポルトガルらしい村に選ばれて観光地となった。ほんとに小さな村だが(観光案内所で聞いた話では100人ぐらいが住んでいるとのこと)、大きな岩に囲まれた家々を見ながら細い路地を歩くとポルトガルの田舎街ってこんなのか、と感じる。観光案内所に立ち寄ると、とっても気さくなにいちゃんがモンサントの説明だけじゃなく、このあたり一体の観光地を教えてくれた。あまり時間がないのだ、と言っても、お勧めの街を親切に教えてくれた。そもそもここは先史時代から聖なる山として崇められていたようだ。12世紀に城が築かれたようだが、山の頂上の城跡から、眼下のモンサントの村を見下ろすと、夕暮れだったこともあり幻想的だった。ポルトガルの田舎町の夕暮れ時、とっても哀愁がただよう瞬間だった。

ただ、レンタカーで行こうと思うと、かなり迷うことを覚悟しなければならない。ポルトを出発してひとまず高速で70Kmほど南下、そして東に向かいGuardaという街に行く(ポルトから約200Km)。そこから高速をしばし南下し、田舎道をひた走るが、一本道ではなく、途中、何回か右折、左折がある。そこで3,4回迷いながら、なんとか標識があるところまで到達。ポルトから300Kmほど走ってモンサントに到着したが、ほとんど高速だったにもかかわらず3時間30分ほどかかった。道さえ知っておけば、途中、田舎町の中を走っていくので、景色を楽しみながら走れるだろう。到着したのが16時過ぎと、もう少しで暗くなるところだったので、大急ぎで街を歩くことになった。でも、街の中を歩き、そして頂上の城壁に行けば、満足度は高い!夕暮れどきにバスが到着し、観光客らしき女性2人組が降りてきたので、宿泊する人も多いのであろう。超オススメの場所である。ちなみに観光案内所で日本人は来るか?と聞くと、前日に日本人女性が1人で来たよ、と言っていた。

 
(左)Medelimという村の標識。ここまでくればあとはもすうぐ。Espanhaという標識もこのあたりに多かった。国境近くということを実感する。
(右)平原を走っていくと突如現れる山。直感であれだ!と思った。そんなに高い山ではないが、中腹に家があり頂上に城があるのが見えた。

 
(左)一般車の駐車場からの景色。田舎の家と大きな岩が山のほうに見える。これぞモンサントの風景だ。
(右)村の西の端からの風景。夕陽があたってとっても美しい。右手奥の教会建物のてっぺんには、最もポルトガルらしい村に選ばれたときに贈られた銀の雄鶏がたっている。

 
(左)巨大な岩が村の中のあちこちにある。その岩の間に家がある感じ。絵を描いている人もいた。
(右)村を通り抜けて城跡まで上る。そして城の上まで行くと、眼下にはモンサントの村が小さく見える。夕陽があたってとても美しい。家と岩がマッチしていることがよくわかる。もうすぐ日が暮れることもあって、とても幻想的であった。ここでタバコをふかすのは、贅沢なひとときだと思った。


マルバオン(Marvao)
モンサントと並んで人気が高いのがマルバオンという村だ。ここは山々が並んでいる地帯で、スペインはすぐそこにある国境の街といってもいい。標高865mの岩山の頂に城壁に囲まれた村であり、その様子から「鷹の巣」といわれている。ここは昔から戦略上、重要な拠点となっており、しばしば外敵の脅威にさらされていたようだ。村に入ってみると、白壁の家々が並んでおり、かなりまぶしく感じる。まともに目を開けていられないぐらいのまぶしい壁もあった。白が基調になった家々なので、清潔感も感じる。そしてその村を抜けて城跡まで行ってみると、標高が高い分、かなり見晴らしがよい。ほとんど360度見渡せるので、このあたりの地形もよくわかる。スペイン方面を見ていると、あっちから敵が攻めてきたのかな、などと思い、スペイン国境まで行きたくなった。ここもモンサントと同様に超オススメの場所だ。

カステロ・ブランコ(Castelo Branco)から高速使って南下しE802へ入る。Castelo de Videという美しい街を過ぎればもうすぐそこ。マルバオンはほとんど幹線道路沿いにあるため、迷うことはないだろう。幹線道路をそのまま行けば、あと10Kmほどでスペインだ。カステロ・ブランコから100Km弱、1時間30分で到着した。

 
(左)Castelo de Videを過ぎて牧歌的な風景の中を走っていると並木道がある。そこを通っていると左手にマルバオンが見えてくる。岩山の上に城や家が見えてきて、いよいよ到着!と胸が高鳴る。思わず車をとめて、写真を撮りたくなる風景だ。
(右)マルバオンの街を通り抜けて城跡へ。眼下に広がる光景と城壁がマッチしててとても綺麗だった。

 
(左)城壁からスペイン方面を眺める。昔はこの方向から敵が攻めてきたのか!?
(右)城壁の中にある建物はおみやげ屋。かわいい小物を沢山売っている。ペンなどを買って店員のおねえさんに「オブリガード!(ポルトガル語でありがとうという意味:唯一習得したポルトガル語)」というと、返してくれた笑顔が印象的だ。

 
(左)街の一番東側から。白い家と青い空が印象的。 (右)こんな家が続く。壁は真っ白でマルバオンの象徴。白くて明るすぎて目が痛くなった。

 
(左)スペインまで10Km程度という標識と、マルバオンが戦略上重要であった、ということからやはりスペイン国境まで行きたくなった。両国ともにユーロに加盟しているため、昔の検問所が風化してあるだけで、まったくの無人。国境は素通りだ。国境にもマルバオンの標識があるので、ほんとに国境の街なんだろう。しかし、ポルトガルとスペインの国境地帯は、荒野という感じで、アメリカ西部の風景を思い出した。人気も無く、たまに車がすごいスピードで通るだけで、寂しい感じもした。ということで、わずか100mほど、5分程度であるが、スペインも入国!
(右)国境地帯からマルバオンまで引き返してくる途中では、こんな風にマルバオンが見える。


カステロ・ブランコ(Castelo Branco)
モンサントとマルバオンのちょうど中間に位置する、そこそこの街。特に見どころもないが、モンサントに行った後、泊まったので紹介する。この街も小さいと思っていたら、意外に大きくて、ホテル探しに1時間ほどさまようことになった。やっぱり、そこそこの街には地図は必須だ。特に見どころもないため、ベストウェスティン系列のライーニャ・ドン・アメリア(Rainha D. Ameria)に宿泊。57.59ユーロと1万円もいかないぐらいだが、この街では一番高級ということだ。ホテルマンの対応はイマイチだったが、部屋は広くてベランダもあって快適だった。

 
(左)迷いに迷っているとき、ふと見つけた美しいカテドラル。思わず写真撮影。 
(右)夜の散歩(+買い物)のとき、街の中心部にあった美しい建物(たぶん市庁舎)。このあたりの建物すべてライトアップされていたので、綺麗だった。


リスボン(Lisboa)
そしてついにリスボンへ!リスボンは前から行きたかった街だ。ポルトガルの北部から入り、中西部を回った後、最終目的地はリスボン、期待が膨らむ。

ロカ岬(Cabo da Roca)
リスボンの西にあるユーラシア大陸最西端のロカ岬。ユーラシア大陸の東の端にある国からやってきて、広大なユーラシア大陸に西端にあるロカ岬にこれたことはとっても幸せ。ユーラシア大陸の大きさまでは実感できないが、荒々しい大西洋の波を見ていると、この向こうに新大陸があるんだ、それを目指してコロンブスは旅立ったんだと、思いをはせる。ロカ岬にはポルトガルの詩人が詠んだ、「ここに地果て海始まる」という詩が書いた石碑がたっている。

時間の関係で、マルバオンから直接、このロカ岬に向かった。途中の高速は快適であったが、さすがにリスボンが近づいてくると車の数も多くなっている。それにしてもポルトガルは道路整備が進んでいる。リスボンの街中を通ると渋滞などの心配があるため、迂回する道路を選択したが、それが裏目にでた。リスボン郊外の街で下りて、下道を走ろうと思ったが、そこが大渋滞。ようやく抜けSintraという綺麗な街経由で行こうと思ったら、すごい山道になって行き止まり。結局、Cascais方面へ引き返しながらなんとか海岸線に到着。マルバオンからは265Kmだったが、ここまで3時間(うち渋滞と道迷いで1時間はロス)。ここはどこだ?と思ったら、ロカ岬の南にあるラソ岬(Cabo Raso)だった。でもここの海岸線、とても美しい。迷ってよかったのかな、と思いながら、北に見えるロカ岬へ。ラソ岬からは15km、30分ほどでロカ岬に到着。
なお、ロカ岬からリスボン中止部までは約50Kmで、高速使えば1時間ぐらいでいける。

 
(左)ラソ岬付近からみるロカ岬。砂浜が美しく11月だというのに海で遊んでいる人もいた。ジョギングやサイクリングを楽しむ人たちも大勢いて、リゾート地のようになっている。このあたりにゆっくりくるのもいいんじゃないか、と思った。
(右)ようやくロカ岬に到着!緑の大地と青い海がとっても綺麗だ。
 
(左)ロカ岬から北側を望む。海岸線がとても綺麗で、灯台と海がマッチしている。多くの観光客がいた。
(右)夕暮れ時のロカ岬。ユーラシア大陸最西端ということもあり、訪れるには夕暮れ時がベターだろう。


ベレン(Belem)
リスボンといってもかなり広い。そのなかでもベレンは西部にあたるが、テージョ川(Rio Tejo)沿いにいくつかのみどころがある。
  
(左)ロカ岬から直接ベレンへ。真っ先に来たのがこのべレム城。夕暮れ時でとても美しい。ベレン城は16世紀始めに船の出入りを監視する要塞として建設された。大航海時代、ここから遠い遠いアフリカやアジアなどの地に出発していったのだ。テージョ川のほとんど河口になるため、大西洋はすぐそこ。川幅もかなり広い。写真は大西洋側だが、この反対側には4月25日橋も見える。夕方ということもあり、橋は大渋滞となっていた。

(中)発見のモニュメント。ベレンの塔の近くにある。1960年にエンリケ航海王子の500回忌を記念して作られたモニュメントで、高さは52mある。帆船をイメージして作られており、先頭で指揮しているのがエンリケ王子。天文学者、地理学者、宣教師、船乗りなどが描かれているが、力強く彫刻されている。中には喧嘩している船員などもいて面白い。

(右)発見のモニュメントの前の広場には、世界地図が書かれており、世界各地に到達した年度を記載している。日本は1541年となっているが、どの文献などを見ても1543年にポルトガルが種子島に漂着となっている。どっちが正しい?


パスティス・デ・ベレン(Pasteis de Belem)
ベレンに来たならこの店に行くべし!甘党なら必ず行くべし!ポルトガルにきたらエッグタルト(パステル・デ・ナタ(Pastel de Nata))を食べたいと思っていたが、この店がポルトガルでも最もおいしいといわれている。1837年創業でジェロニモス修道院から伝えられた配合と作り方を今もかたくなに守る店だ。テイクアウトもできるが店内でゆっくりと堪能したい。このあたりに何軒か店が並んでいるが、この店だけが大繁盛。ひっきりなしに人が買い求めに来ている。カプチーノと一緒に食べるエッグタルトは最高の味だ。パステル・デ・ナタ2個とカプチーノで2.3ユーロだから安い!
近くにはどっしりとした建物の海洋博物館、国立考古学博物館がある。発見のモニュメントから車で行こうとすると、電車と道路があって横断できず、ぐるっと回る必要がある。なお、店の近くに公園があり、そこに無料駐車場がある。市電も店の前を通っているので車がなくても行きやすそうだ。
 ←店のホームページはこちら。

  


中心部
ホテルがリベルダーデ通り沿いだったのでロシオ(Rossio)広場、フィゲイラ(Figueira)広場ぐらいまで歩いて行ったが、夜でも人通りが多く、観光客も沢山いた。ロシオ駅、レスタウラドーレス(Restauradores)広場あたりにはお土産屋などもあった。

 
(左)ロシオ広場からサン・ジョルジェ城を望む。サン・ジョルジェ城は下から見てもおどろおどろしい感じがするが、結局時間なくいけなくって残念。
(右)テージョ川沿いのコメルシオ(Comercio)広場。早朝なのでまだ日差しが弱い。騎馬像はドン・ジョセ1世。ここは昔はマヌエル1世の宮殿があったが1755年の大地震で崩壊、1908年にはカルロス1世と皇太子が暗殺されるなど、歴史上の事件が起きた場所だ。今では回りを市電が走ってのどかな感じ。

 
(左)リスボンにきたらここに行こうと思っていた場所だ。リスボン市内には3つほどのケーブルカーがあるが、最もリスボンらしいと言われているビッカ(Bica)線だ。カスト・ド・ソドレ駅の近くに車を置き、リベイラ市場の中を突っ切り、そして路地を歩いてたどり着いたが、どうも様子が怪しい。市場では黒人がたむろしており見知らぬ黒人に袖をたたかれるし(何か言ってたがよくわからなかった)、ケーブルカー近くになるとみすぼらしいおばちゃんが家からでてくるし、何かよくわからないことをわめきながらぶつぶつ言っているおっちゃんもいるし、そんな街なのだろうか?ここは映画などでもよく撮影される場所のようだが、確かにその感じはある。だが、道が汚すぎるし、第一、かなり怪しい。早くに立ち去った。

(右)リスボンには縦横無尽に市電が走っている。この市電、かなりかわいい。写真はベレン地区になるが、後ろに見えるのが国立考古学博物館。この右手にエッグタルト(パステル・デ・ナタ(Pastel de Nata)を食べることができるパスティス・デ・ベレン(Pasteis de Belem)がある。

 
(左)リベルダーデ広場の一番坂の上にあるポンバル侯爵広場。巨大なロータリーになっていて車もひっきりなしに通る。ロータリーといえども信号がある。

(右)サン・ジョルジェ城に行こうと思いながらたどりついたグラサ展望台(Miradouro da Graca)。サン・ジョルジェ城に車で行こうと思ったら、とにかく細くて急な坂道を上ったり下りたりしていかなければならない。しかも、市電が走っていたり、人も結構歩いているので、運転もしにくい。サン・ジョルジェ城はどこだ?と思ってさまよっていると、展望台マークがあったので行ってみると、リスボンの街が一望できるこの展望台に着いた。晴れていればもっと綺麗なのだろうが、赤い屋根と白い壁、そして遠方には4月25日橋を見ることができ、すぐそこにはサン・ジョルジェ城も見える。カフェもあるのでここでコーヒーでも飲みながら景色を楽しめば最高だろう。サン・ジョルジェ城までもうすぐ!と思っていってみたが、一方通行やらとても急な坂などがあり、結局たどりつけなかった。城には歩いていくほうがいいのだろう。サン・ジョルジェ城は、ユリウス・カエサルの時代にローマ人によって要塞として作られた城で、西ゴート族、イスラム教徒、キリスト教徒などいろいろと城主が変わってきた。1500年前に建造された城であり、とっても古そうで歴史を感じることができる城に違いない。次回は必ず行きたい場所だ。


テージョ川南岸
4月25日橋を見ているとついつい南岸に行ってみたくなる。カイス・ド・ソドレ駅の裏側から対岸への船もでているが、せっかく車があるので橋を渡ることにした。対岸のお目当てはクリストレイだ。

 
(左)リスボン中心部からベレンへ向かうとき、4月25日橋の下を通る。道路と川の間には鉄道が通っている。4月25日橋は1966年に完成した2278mのつり橋で、上段が車、下段に鉄道が通っている。まさに瀬戸大橋と同じ作りだ。かつてはサラザール橋と呼ばれていたが、1974年4月25日のクーデターによって名称変更された。
実はポルトガルは最近まで政治的には不安定であったようだ。独裁者であるサラザールによって、1933年から独裁政治が40年間続いたが、その間、ヨーロッパでも最貧国に没落、かつての大帝国は遠い過去のものであった。そこで、1974年にカーネーション革命(別名「リスボンの春」)によって、20世紀で最も長い独裁体制が終わったのだ。その後、民主化を進めていき、海外に残る植民地の独立を承認したものの(マカオ除く)、そこからの引揚者をどうするか、という問題を抱えた。その後、1986年にEC加盟国となって、現在は政治的にも経済的にも比較的安定しているようだ。けったいな橋の名前から、そんな歴史も感じさせる。

(右)橋の入り口がわからずにさまよった後、ようやく橋に突入!テージョ川南岸への橋はここしかない(もっと上流には超巨大な橋がかかっているが)。車の通りも激しい。橋の真ん中を過ぎたあたりから、左手にクリストレイが見えてくる。ちなみにこの橋、南岸に行くときには料金を取られなかったが、リスボン中心部へわたるとき、1.25ユーロをとられた。

 
カシーリャス(Cacihas)の港町。ここからカイス・ド・ソドレ駅の裏側までフェリーがでている。多くの人たちがこの船に乗り込んでいた。フェリーは少し小さいが、かなりの便数があるようだ。車でリスボン中心部からここまでこようと思うと、最速は30分はかかると思われ、そう考えるとフェリーのほうが早いかな。

 
(左)そしてこれがお目当てのクリストレイ像。高さが110mもある。台座までエレベーターであがることもできるようだ。ブラジルのリオデジャネイロにあるキリスト像を模して1959年に完成されたもの。ブラジルはポルトガル領だったこともあり、関係が深いためだろう。近くに行くと高いので首が痛くなる。

(右)クリストレイからリスボンの街を見たかったのだが、この日は残念ながら曇天。よってかすんでよく見えない。かろうじて4月25日橋は見ることができた。このアングル、サンフランシスコのゴールデンゲートブリッジによく似ている。橋の色も赤いし、ゴールデンゲートブリッジの建設年度は1937年だから、4月25日橋より古いので、ゴールデンゲートブリッジを真似て作ったのかもしれない。


リスボンのホテル
どこにしようか迷ったものの、ガイドブックに駐車場が広い、と載っていたティボリ・ジャルディンというホテルにした。リベルダーデ通り沿いにあるティボリの裏側にある同系列のホテル。フロント対応もよく、部屋も広くて綺麗で、ポット、コーヒーサービスなどもついているのでとてもよかった。オススメだ。ネットで予約できる。値段は98ユーロだったが、支出に見合う満足度は高い。
 ←クリックするとホテルのWebへ

走行記録
ポルトガルでは全部で963.8Km走った。結構走ったものだ。主だった都市や地域の距離は以下の通り。
ポルト⇒モンサント 300Km、モンサント⇒カステロ・ブランコ 65Km、カステロ・ブランコ⇒マルバオン 90Km、マルバオン⇒ロカ岬 
315Km、ロカ岬⇒リスボン 50KM。
また、ガソリン代は、リスボンで入れたが、34.52リットルで47.61ユーロだから、1.379ユーロ/リットル。160円換算で220円だ。めちゃ高い!


リスボン⇒ロンドン⇒日本

またまた帰国に際してトラブル発生!
いつになれば時間を守るということができるのだろうか!?などと思ってしまうが、リスボンからロンドンへ向かう飛行機が14:40発の予定が遅れ、15時過ぎの出発となった。ちょうどこのとき、リスボン空港の空港職員のストライキがあったのが悪かった。もともと、ヒースローでは日本への乗り換え時間が1時間40分しかない。ヒースローの第2ターミナルに17:50に到着して(予定では17:20着)、すぐに第3ターミナルへ移動しようと思ったが、イミグレや荷物ピックアップもある。しかもすごい人が並んでいる。まずいな〜、と思いながらもターミナル3には18:10に到着。出発が19時ジャストなのでなんとか間に合ったかな〜、と思ったが、チェックインカウンターはクローズされていた。でもまだANA職員がい
たので、ごめんなさい!ということで何とかチェックインさせてもらった。でも時間がない。ANAのおねえさんと、もう1人遅れた女性と一緒に走って荷物検査やらを通過。で、もう1人の遅れた女性、ガトウィックからの乗り継ぎのようで、荷物はガトウィックに残ったままだったとか。走りながら泣いている。まー、荷物が着かなくなることはよくあるさ、と思いながら、ANAのおねえさん、優しくなぐさめている。

ANAのカウンターで言われたのは、ポルトガル航空(TAP)の場合、同じスターアライアンスなので、リスボンでヒースローから成田までのチケットも発行できたとのこと。そして荷物もヒースローでピックアップしなくても成田まで直接運ぶことも可能だったようだ。TAPとANAで航空会社が違うので、もともと無理だと思っていたが、ポルトガルを離れる寂しさから窓口で聞くのを忘れてしまったのがまずかった。リスボン空港ですべて手続きを済ましておけば、ヒースローでは、ターミナル2から3へバスで移動できるようで、イミグレや荷物ピックアップも不要だったとのことだ。ただ、スターアライアンスでない航空会社での乗り継ぎの場合には、そんなことはできにくく(特に英国航空)、ヒースローでのイミグレと荷物ピックアップも必要とのこと。まー、何はともあれ、予定どおり、日本に帰れてよかったよかった。

 
(左)リスボン空港で飛行機に乗り込む。TAPのマーク、色使いが気に入った。 
(右)ロンドンへ向かう途中、山が見えた。おそらくスペインとフランスの間にあるピレネー山脈だ。雪が積もっていて、とても綺麗に見えた。

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