【旅程】
写真はバチカン・サンピエトロ大聖堂。
【旅行前】 そろそろイタリアにも行きたい!ということで、イスタンブール経由でマイルの旅を考えた。でも、せっかくなので他の国も行ってみたい。調べていると、ローマ帝国時代のカエサルとクレオパトラだ!と思い、エジプトにも周遊することにした。どちらも観光大国でかなり欲張った旅になるものの、行き先を絞っていけばなんとかなるだろうと予定を組む。 イタリアはミラノから入り、サンマリノ経由でローマというのはすぐに決まったが、エジプトはかなり迷った。カイロ周辺だけでも魅力的なところが多いのだが、アスワンやルクソール、そしてスエズ運河や遠いけどシナイ山など見どころがたくさんある。そして、到底いけるものではないが、砂漠ツアーというのも最近人気だ。さらに、クレオパトラというからには、アレキサンドリアに行かなくては意味がない。散々迷ったあげく、カエサルとクレオパトラのテーマどおりにはならなかったものの、3日間、カイロ周辺でのんびりすることにした。 【今回のドライブ】 イタリアとエジプトでレンタカーを借りる。イタリアでは、1,269km、エジプトでは、393.4Kmを走ることが出来た。エジプトでは、レンタカー会社から1日100kmという制限があったので(それを越えると別料金)、遠慮した部分もあるが、ほんとはもっと砂漠のなかをドライブしたかったのだ。 そしてガソリン代は以下のとおり。 @ピサ 42.6ユーロ円(●L) Aサンマリノ 39.74ユーロ(30.2L) @1.316ユーロ(150円)
Bカイロ・ギザ 57.0ポンド(1139円)(30.81L) @36.96円
【旅行記】
8月12、13日 関空⇒イスタンブール⇒ミラノ⇒パルマ⇒ピサ
(距離はミラノからの距離、時間は前の地点からの距離で実走時間)
ミラノ空港⇒ミラノ市街地(55.6Km、55分 ⇒ パルマ(217.3km、2時間15分) ⇒ ピサ(400.2Km、2時間15分)
今年は関空から出発。昨年はバンコク経由でイスタンブールになったので、前回の反省を踏まえて関空からの直行便を早くにゲット。2月だから約6ヶ月前にネットで予約した。そして、それから先はマイルの旅になるが、イスタンブール⇒ミラノ・ローマ⇒カイロ⇒イスタンブールと周遊するものとした。12日はまだ会社があったので、午前中は仕事をして、昼からいったん家に帰り、それから関空へ出発だ。17時30分に家を出発し、関空には19時前に到着。今年はとても暑い夏だったので、関空に着いてもとても暑い。そして、最後の日本食を食べて、ラウンジでゆっくりした後、22時に搭乗。22:20にゆっくりと出発した。トルコ航空は、座席が心なしか広く、全席にモニター付き、機内もとても綺麗なので好きな航空会社だ。イスタンブールまで11時間、とても快適であった。イスタンブール到着が朝の5:20。少し早くついたので、トランジットするのではなく、一度、外にでた。トルコのスタンプが増えることもあるし、外の空気を吸いたかったこともある。1年ぶりのイスタンブールで懐かしさを覚える。そして、空港内に再度入り、トルコアイスを食べて、7:40にミラノ行きに搭乗。定刻8:00のところ、8:40と少し遅めに出発だ。 (左)関空からイスタンブールへのトルコ航空機内。 (右)イスタンブールを飛び立ってミラノへ。
うとうとしていると、イタリアの田舎の風景が見えてきた。イスタンブールからミラノまでは、2時間40分のフライト、ちょうどいい感じの長さ。10:20にミラノ到着。初めてイタリアに足を踏み入れることになった。ミラノ空港は日本からの直行便があったこともあり、日本人観光客も多いところだ。北イタリアの観光拠点のようなイメージ。ここで見たかったのは、最後の晩餐である。これは予約が必要なので、ネットで予約を試みるが、電話のほうが早いということで、かなり遅くなったが、1週間前ほどに予約。1週間前でもあいており、4名すぐに予約できた。14:15に予約していたので、まだ早い。レンタカーを借りて街に向かうが、街が大きいこともあり、イマイチ方向感がつかめない。でも、意図しないまま街に入り、そして、最後の晩餐がある、サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会前にでた。でもまだまだ時間があるので、ドゥオーモに行くことにして、道だけ確認する。ドゥオーモに着いたのが13時ごろ。微妙な時間だが、とりあえずドゥオーモの上まで階段でのぼる。ひとり5ユーロ。上ると、ドゥオーモ前の広場が綺麗に見えるし、青空に突き抜けるような尖塔がたっているし、それなりによかった。ドゥオーモ、つまり礼拝堂だが、14世紀後半に着工され、19世紀初めにナポレオンによって完成された。まさにミラノの象徴という感じ。ゴシック建築の大傑作であり、尖塔は135本もある。ドゥオーモの後は、その横にあるアーケード街だ。古めかしいアーケードだが、中の店はおしゃれ。その場所で一回転すれば幸せになるという場所もある。まー、よくある話だが・・・。ドゥオーモ近辺でとりあえずそれで楽しめた。
(左)ドゥオーモ。威圧感がある建物だ。 (右)尖塔がすごい。痛そうだが・・・。
そして、お目当ての最後の晩餐。ドゥオーモをでたのが13:40なので、あと30分ほどしかない。焦るが、とりあえず車を走らせる。道はマスターしていたつもりだが、一方通行が多くて、それにやられた。いけると思っていた道がいけず、結局、よくわからない道を通り、かなり大回りしていることに気付き、サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会に着いたのが14:25。10分遅刻してしまったので、もう駄目かと思いつつ受付に行ってみる。すると、チケットを残しておいてくれて、順番空きがでたら入っていいよとのこと。ラッキー!2人×2組で、1時間ほど待ったものの、なんとか見ることができた。教会の壁に書いている絵であったが、中はがらんとしていて、少しあっけないものだったが、それでも堪能することができた。よかったよかった。満足して、ミラノを16時すぎに出発する。
(左)サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会。ここに最後の晩餐がある。 (右)撮影禁止なので、マグネットを購入。 ミラノから次の目的にピサに行くには300kmほどある。そこで、途中にあるパルマで一度休憩。パルマは、中田英寿選手が在籍したサッカーチームがあるところ。どんな街かと思い、行ってみた。ミラノから約150Km、ミラノを出て2時間15分ほどで到着。高速道路から少し離れているので、一般道を10Kmほど走らなくてはならない。18時過ぎについたが、まだまだ明るい。礼拝堂のようなものがあったが、中に入るほどの時間はなかったので、スルー。街のなかをドライブしてみたが、何の変哲もない街であり、トイレ休憩しただけで出発。わずか15分ほどのパルマの町での滞在だった。 パルマからピサにいくには、山越えとなる。なだらかな高速の上りをいき、景色を楽しみながら、ドライブ。地中海近くになったと思ったら、分岐点があり、そこを南下。そしてピサ北ICで下りるが、高速のゲートが壊れているみたいで、2〜3台とまっていた。チケットを機械に入れて、しばらく車が動かない。遅いな〜と思っていたら自分の車の番に。チケットを入れても機械が確かに反応していない。そしてスピーカーから何やら声が聞こえて、バーが開いた。お金払っていないけど、壊れているので支払わなくてもいいみたいだ。ラッキー。そのままピサの街へ向かう。しばらく南下するが、結構、一般道を走らなければならない。何もないところをひたすら走っていると、ようやく街らしきものが見えてきた。そこで街に入っていき、人が多そうなところまでいく。すると、泊まる予定のホテル前まで来ていた。時間は21時。ミラノから400kmだったので、かなり疲れた。ホテルは斜塔近くということもあり、老舗。設備はかなり古そうだった。チェックインした後、近くのレストランにイタリア料理を食べに行く。この旅、初のイタリア料理だ。パスタやピザの定番料理だったが、おいしく感じた。そして、食事の後、ホテルの裏に車を停めにいくが、ライトアップされた斜塔が見えた!とても美しい。明日の観光が楽しみだと思いながら、ホテルに帰る。シャワーを浴びると、とても疲れていたのか、そのまま裸で寝ていた。 (左)食事をしたレストラン。ホテルは左奥に見えている。 (右)ライトアップされた斜塔。美しい!
8月14日 ピサ⇒フィレンチェ⇒サンマリノ
(距離はミラノからの距離、時間は前の地点からの距離で実走時間)
ピサ⇒フィレンチェ(489.4Km、1時間40分) ⇒ サンマリノ(780.6km、3時間30分)
朝7:30に起きるとピサは雨。雨の斜塔もおつなものかとホテルの窓から見てみる。斜塔の上の部分が見えていた。早速準備して朝食食べて出発。9:30に斜塔の予約を日本からネット予約していた。ホテルから歩いて1〜2分でいけるのが嬉しい。予約時間まで少しあったので、みんながやっているように斜塔を支えるポーズで写真をとってみる。でも、なかなかうまくいかないものだ。そして、アウトプットをチケット売り場に持っていき、チケットと交換してくれた。チケット売り場の横で荷物を預けて、出発!斜塔に入るとき、やっぱり平衡感覚がおかしい感じがする。そして螺旋階段を上っていくとさらにおかしくなってくる。上まで上ると、さらに高いところに上るために急な階段を上る。ここはさすがに怖い感じだ。一番上まで行くと、景色が広がり、美しいピサの街並みを楽しむことができる。屋根が美しい街内、ホテル前の道やサッカー場、遠くには平原も広がっている。朝は雨が降っていたが、斜塔に上ると降っていないのもラッキーだ。くるりと回ってピサの景色を楽しむことができた。しかし、改めて気付いたが、20名ほどのツアーのなかに日本人が半分以上いた。さすがユーロ安効果か。30分程度しかツアー時間がないので、上にはそれほど長い時間いれなかったが、それでも十分堪能できた。斜塔を下りて、礼拝堂や聖堂にも行きたかったが、雨が降りそうでもあったので、退散することにした。おみやげ物屋にもよりたかったが、今にも雨が降りそうな雲。あわててホテルに帰って荷物の支度をする。
(左)礼拝堂と聖堂。 (右)斜塔の頂上から。道沿いに観光客がたくさんきている。 ホテルを出たのが11時ちょうど。そしてピサの街を車で回ろうと思い、市内を流れているアルノ川を渡ったが、すでに大雨になっていた。残念ながら街の散策はあきらめて、ピサを後にする。次に目指すはフィレンチェだ。フィレンチェに行くのは山道となるが、そこもすごい大雨。この日はイタリア北部はほとんど雨だったみたいだ。1時間40分ほどでフィレンチェに到着。狭そうな石畳の路地を車で走り駐車場を探す。でも、なかなか見つからないので、街から少し離れた路地に車をおくことにした。傘をさしてフィレンチェを散策する。最初に着いたのがメディチ家の礼拝堂付近。ドゥオーモかと思ったけど、なんか違う。そこからひとまず駅にいき、そして、ダビデ像があるアカデミア美術館を目指す。駐車したところから近かったが、かなり大回りしたことになる。30分ほど並んでようやく入場。絵画やら彫刻やら多数の作品があったものの、今にも動き出しそうなダビデ像がひときわ目を引いた。思ったより巨大で、しかも筋肉など、細かい部分までよく彫り上げたものだと感心。 次に向かったのがドゥオーモだ。アカデミア美術館からそれほど遠くない場所にあるが、雨が本降りになっている。ドゥオーモにも上れるものの、ジョットの鐘楼からみるドゥオーモを見たかったので、鐘楼を上ることにした。414段の階段を上り、上までいくがさすがにきつい。朝にピサの斜塔を上っているから余計か。途中、休憩を挟みながらのぼっていく。ようやく展望台についたが、それまでの疲れが吹き飛ぶぐらいの景色だ。近くで存在感があるドゥオーモは格別だし、街並みも美しいし、さすがに人気のある街だ。雨だったので傘さしながらの観光になったが、雨のフィレンチェもおつなものだ。しばし景色を楽しんだ。414段もあるが、くだりは楽ちん、すぐにおりることができた。雨のなかドゥオーモをバックに撮影を行ったり、近くの店でめちゃくちゃおいしかったアイスクリームを食べたりして、フィレンチェを楽しんだ。実はフィレンチェにはそれほど長く滞在する計画ではなかったのだが、3時間30分ほどの滞在となった。もちろん、ダビデ像やドゥオーモ以外にもたくさん見どころはあるので、何泊か泊まってもいい街だろう。少し後ろ髪をひかれつつ、サンマリノへ向かう。フィレンチェを出たのがすでに16時過ぎ。 (左)ジョットの鐘楼からの眺め。 (右)圧倒的な存在感があるドゥオーモ。 フィレンチェからサンマリノまではかなりの距離がある。途中、ボローニャを通るので少し寄れればと思っていたが、そんな時間はなさそうだ。高速を延々と走り、ボローニャで方向を間違え反対方向のモデナにいってしまいながら、サンマリノの入り口にあたるリミニにようやく到着。フィレンチェから3時間ほどかかったことになる。リミニの南ICで下りると、サンマリノの標識がすぐにでている。サンマリノまではほぼ一本道。雨もようやくあがり、夕陽が見えてきて美しい。だんだんと山になってきて道も上りになってきた。サンマリノと書かれた船のようなオブジェを通りしばらくすると、突如、今日泊まるホテルであるベストウェスティンのマークが見えてきた。坂道の途中にある感じ。ホテルはとても新しい感じで、部屋も美しい。ピサのホテルが古かったのに比べて、とても快適そうでいい。しかも、このホテルとても安いのだ。1泊で1部屋84ユーロだったので、日本円で9400円ほど。それでこれだけ広くて綺麗ならかなりリーゾナブル。眺めも素晴らしい。ホテル到着が20時前でお腹も空いた。そこで、近くの街のレストランで食事をするが、ここでもパスタとピサ。味はまずまずであった。 8月15日 サンマリノ⇒ペルージャ⇒ローマ (距離はミラノからの距離、時間は前の地点からの距離で実走時間)
サンマリノ⇒ペルージャ(1012.5Km、2時間50分) ⇒ ローマ(1210km、3時間)
しかしイタリアはそれほどタイトなスケジュールにしたつもりはなかったのだが、かなりタイトになってしまった。この日はサンマリノで観光した後、430kmも離れたローマに行かなくてはならない。それでも、いいホテルだし朝はのんびりしたい。ベストウェスティンは朝食がついているので嬉しい。しかも、ここはとてもメニューが多い。生たまごをその場でゆでてゆで卵にしたのは珍しいパターンだ。朝食に満足して、部屋に帰って外の景色を楽しんでいると、何やら黒い煙が見える。よく見るとすぐ下の街で火事になっているようだ。えらいことだ!と思っていたら、救急車やら消防車のサイレンがけたたましく鳴った。火事は怖いものだと改めて痛感。黒い煙の後は白い煙になり、轟々と火が燃えているのもよくわかる。住んでいる人が助かっていればよかったが。そして、気を取り直して11時過ぎにホテルを出発。サンマリノまではホテルから15分ほどでいけた。サンマリノはイタリアに行くからには、必ず行きたかった国だ。イタリアという大国のなかでぽつんとある小国。人口は3万人弱であるが、これまでイタリアに統合されることなく国として続いている。何か理由があるに違いない!とその理由を感じるために行ったのだ。 (左)ホテルから見えた火事。火事を見ることもなかなかあるもんじゃない。 (右)サンマリノが見えてきた! 山の上に着くとまず見えるのが城壁。ぐるっと囲んでいる。そして駐車場を探し車を停めていざ出発。国の入り口のところには警察官が立っていて、ずっと交通整理をしてくれている。その入り口から見る景色はとても美しく、まさにヨーロッパの田舎の風景である。昔行ったポルトガルのモンサントやマルバオンを思い出すようなところだ。そのようなひとつの街が、国となって残っているのだ。中に入ると、観光客が溢れている。狭い路地がジグザグにあり、そこを歩いて上に行くのだが、人が多くて歩きにくいところもある。まず行ったのがロープウェイ乗り場。そこからの風景は、遠くはアドリア海が見えるし、近くはサンマリノの下の街がよく見える。さっき通ってきた道はあそこだ、なんて探しながら景色を楽しむ。天気もいいし、とても気持ちがいい。 そして、さらに上に上がっていき、一番上には城がある。そこに入るにはお金が必要である。自動改札を入ると庭がとても綺麗に整備されている。そして日本の城でいうと本丸部分に上る。ひとりがようやく通れるぐらいの階段を上り、本丸から景色を楽しむ。ここからは、サンマリノの山の稜線も見えてとても美しい。そして風も入ってきて、気持ちいいのだ。本丸を後にして、最後にパスポートにスタンプを押してもらうためにインフォメーションに向かう。しかし14時まで休憩とのこと。あと30分だし、お腹も空いたので、近くの店に入る。ここでもピサとパスタだ。そろそろ飽きてくる頃。しかし、待てども待てどもなかなかでてこない。30分ほどすると、ようやく出てきた。のんびりしているものだ。味はまずまず。そして、インフォメーションに行くと、パスポートに切手を貼ってもらい、その後にスタンプを押してくれた。切手もスタンプもとても綺麗で満足。閲兵さんも見ることができ、満足してサンマリノを後にする。
(左)サンマリノの細い路地。 (右)ロープウェイ乗り場から見た景色。奥にはアドリア海が見える。
サンマリノ出発時がすでに15時。ローマにはかなり遅くに着くことを覚悟した。リミニに戻り少し高速を走った後、セシナ(CESENA)という街から南下する。一般道路であるが、綺麗に整備されているので、高速のように走れる。信号もない。これなら少しは早く着くかと期待する。途中、山あり湖ありの風景を楽しみながら、ようやくペルージャに着いたのが18:20。ここは中田英寿選手が初めてイタリアに渡り、そしてイタリアでのサクセスストーリーが始まったところだ。とても坂の多い街で、丘の一番上に街の中心部がある。そこからの眺めもまたいいのだ。街の中に車で入っていくと、とても狭い路地があったり、急な階段があったりと、この街の特徴がよくわかった。かなり陽が落ちてきた頃、再びローマに向かう。ローマ近くでパーキングエリアがあり、そこにレストランがあるので、夕食をとることにした。高速のPAには必ずといっていいほどあるレストランで、一度は入ってみたかった。少し遅くなったが21時頃からの夕食だ。シェフもちゃんといれくれて、その場で肉を焼いてくれる。おいしそうだったので、ついつい、いくつもの種類の肉を焼いてもらったが、あまりおいしくなかった・・・。しかも量を多くとりすぎたこともあり、食べるのつらい。でも、久しぶりにパスタとピザ以外の料理でもあった。 そして、そこからローマ市内に突入。迷うことをかなり覚悟していたが、思ったより大きな街ではなく、しかも夜だったこともあるのかかなり暗い。首都とは思えないほどの街の暗さで半信半疑で運転する。サンピエトロの看板が見え始めると、その方向に向かい、しばらくすると最高裁判所やサンタンジェロ城が見えてきた。地図で見る限り5角形の城なのだが、その周りの道も5角形の周りを走るので、なんかおもしろい。ホテルの場所がなかなかわからなかったが、バチカン近くにしておいたので、まさにバチカンがよく見える場所にあるホテルだった。チェックインが23:30。かなり疲れたが、フロントの人はとても親切にいろいろと教えてくれたので、旅の疲れも少しはとれた気がした。その日は少し遅くて1:30に就寝。 (左)サンマリノの風景。 (右)ローマに到着し、バチカン近くのホテル前から。奥に見えるのがサンピエトロ大聖堂。 8月16日 ローマ市内観光 この日はローマ市内の観光。まずはバチカンだ。すぐにバチカンにいけるように、バチカン近くのホテルをとっていたのだ。9時に起きてホテルで朝食。昨夜は遅かったのでなんとなくの雰囲気しかわからなかったけど、このホテル、かなりいい。昔の建物を改造してホテルにしたとあったので、確かにそんな感じだ。風格を感じる。朝食もおいしくいただき、ホテル内で写真を撮った後、バチカンへ。バチカンはTシャツや短パンでは入れないとガイドブックに書いてあったので、長ズボンでいく。サンピエトロ寺院は近くで見ると迫力がある。さすがカトリックの総本山。正面から写真撮ったり、横の柱が一本に見える場所で写真を撮ったりして、長蛇の列に並ぶ。さすが夏休みだけあって、人がすごく多い。それでも流れがいいのか30分も待たないうちに中に入れた。周りを見ると、Tシャツ、短パンの人も結構いる。ダメだっていうのに、そんな人はどこにでもいるものだ。衛兵さんも入口付近にたっている。バチカンの衛兵は、スイス人が多いらしく、しかもエリートだ。そういわれると、そんな感じもする。 (左)これがバチカン!重々しい。 (右)あるポイントに立つと4つある柱が一直線に見える。 そして寺院の中に入ると、もうびっくりの連続。作りが素晴らしいし、どこを見ても目を奪われるし、彫刻なども素晴らしい。それに神聖な雰囲気があるので、気持ちが安らぐ。世界中の人たちがここに来るのもうなずける。イタリアのなかでも最も印象に残ったところだ。世界一小さい国であるが、世界で最も印象に残る国のひとつである。ひとしきり回った後、ルートにしたがって出ると、バチカン郵便局があった。ここで絵葉書を買って、日本に送る。郵便ポストは黄色だ。そして、博物館に行こうとするが、行き方がよくわからない。そこで近くにいた衛兵さんに聞くと、とても丁寧に教えてくれる。どうも、ぐるっと回らないといけないらしい。そこで、一度、大通りにでてバチカンの城壁の横をつたって歩いていくと、これまた長蛇の列。仕方なく並ぶが、とにかく暑い。すると、水を持った売り子がやってくる。うまくできたものだ。30分ほど並んでようやく中に入れた。一人15ユーロ。ここはとにかく広い。彫刻やら絵やら見ながら、エジプト館へ。エジプト行く前だし心も踊る。ミイラがあったのはたまげた。そして、いろんな展示物があるが、とにかく人が多かったのがラファエロの間。アテネの学童ところは格別に多かった。そして、最後がシスティーナ礼拝堂の最後の審判だ。ここだけ撮影禁止なのだが、それまで撮影OKだったので、わからない人も多く写真を撮っていた。するとそのたびに係員に注意されていた。壁面いっぱいに書かれた絵は確かにすばらしい。テーマ性を感じる。しばし鑑賞して博物館を後にする。バチカンだけでかなりの時間がかかることは予想していたが、もう15時過ぎだ。それでも喉が渇いたので、出口でアイスクリームを食べる。これがまたうまい。 (左)サンピエトロの中がまたすごい!自然と厳粛な気持ちになる。 (右)博物館にある最後に通るらせん階段。これも芸術的。 一度、ホテルに帰り短パンにはきかえて再び市内へ。まずは真実の口。タクシーに乗って向かうが、このタクシー超ぼろい。サイドミラーはバキバキに割れているし、ドアも壊れかけ。でも運ちゃん、とても明るいやつでおもろかった。バチカンから真実の口はそれほど遠くない。10分ほどで着いた。ここでも長い列だが待つ。すると日本人が周りの多いことに気付く。日本人のおっちゃんが話しかけてくる。ここは有料ですかね?ここは無料ですよ、と。真実の口があるのはサンタ・マリア・イン・コスメディンという教会だからである。ただ、寄付箱はあった。牧師さんではないと思うが、サービスで順番に写真を撮ってくれていた。我が家も家族みんなで写真を撮ってもらう。もちろん、口にも手を入れる。もともとはマンホールだったようだが、ほんとに有名になったものだ。そして殺風景な教会の中をさっと見てでる。 そのあと、コロッセオに向かう。途中、チルコ・マッシモという古代の戦車競技場を通る。こんな街の真ん中にだだっぴろい広場とはもったいないが、これがローマなんだろう。古代の都市と今の都市が同じ場所にあるというのがすごい。中国なら、古代の都市とは違うところに新しい都市を作っているのに。そういう意味では、ローマは市内を散策してると、いたるところに遺跡があるので、観光には便利だ。そして、フォロロマーノの横を通りぬけると、コロッセオがあった。これが有名なコロッセオ!思ったよりかなりでかい。そりゃ当時は5万人も収容したんだから、でかいだろう。もう18時前だったが、まだまだ人は中に入ろうとしている。チケット売り場も混雑だ。そして、1段が高い階段を上っていくと、コロッセオの中に入れる。ほんとに、現代の野球場と同じつくりになっている。昔はここで人間や動物の戦いがあったのかと思うと、ぞっとするが、そんな古代の見世物を思い浮かべながら、どでかい場内を見る。名物になっているようだが、猫が何匹が住んでいるようだ。人間を恐れないねこちゃんが2,3匹いた。 (左)あまりにも有名になった真実の口。近くで見るとなんとなくこわい。 (右)コロッセオ!ここでどれだけの動物と人間が亡くなったのだろうか。 あともう一か所行きたいところがあった。それはトレビの泉だ。コロッセオから大通りをかなり歩かなければならない。周りの遺跡を見ながら歩いていくが、途中、ファラオのパフォーマンスをしている人がいた。ファラオの恰好でまったく動かず、お金を入れるとおじぎをする。とても気に入った。また、スプレーで絵を書いている人や、大道芸人など、歩いていて飽きない。それとローマ帝国が拡大していく様子を書いた4つの地図もある。最大時には、エジプトやイラク、北アフリカ、イギリスぐらいまで勢力があったのだ。しばらく歩くと、ひときわ目を引く建物がある。それは、イタリア統一を記念して1911年に完成した、ビットリオ・エマヌエーレ2世記念堂。夕陽に映えてとても美しい。そこから細い道に入ってしばらくいくと人がkなり多くなる通りがある。そこを突き抜けるとトレビの泉だ。そんなに大きくはないとは思っていたが、確かに大きくない。しかも、すごい人。人をかきわけて泉近くに行きなんとか場所を確保して、コインを投げる。なんか人が多すぎて、落ち着いて願い事も言えない感じ。これでローマでは行きたかったところは全部行けた。まさに駆け足のローマ観光。 (左)重厚なつくりのビットリオ・エマヌエーレ2世記念堂。実はこれが一番印象に残っている建物である。 (右)ここもあまりにも有名になったトレビの泉。人が多すぎて熱気がむんむんして暑苦しい感じ。 さて、もう20時だしお腹もすいた。ちょうどトレビの泉近くに日本料理があるというので、いってみた。日本料理が恋しくなるころだ。なんとか探して行くが、残念ながらお盆休みのようで閉まっている。どうしようかと思っていると、スペイン広場が近くにあったので、そっちに行ってみた。何かの演奏でもやるのか、多くの人が集まっている。それより夕食だ。そのあたりにあったイタリア料理に結局入ることになった。イタリア料理はおいしいのであるが、ここまで続くとちょっと嫌になってくる。お決まりのパスタとピザですました。そのあとスペイン広場にもう一度行くが、まだ演奏は始まっていない。少し待っていたが、待ちきれずホテルに帰ることにした。ホテルの手前にサンタンジェロ城があるので、ついでに観光だ。中に入ることはできないが、夜はライトアップされていて綺麗だ。黄色のライトなので、雰囲気もいい。城の前にある橋を歩きながら夕涼みにもなる。それからバチカン方面に向かって歩いてホテルまでいく。バチカンまでは一直線の道なので、正面にサンピエトロ寺院がみえる。道路は黒い石畳で、だいぶ使われているので、デコボコだし、つるつるすべるのだ。それがまたいい雰囲気になっているのである。そして、この日の仕上げに、サンピエトロ寺院の前で写真をとるが。これがまた美しい。ほんとにいい旅になっている。ホテルに22時過ぎに帰り、0:30に就寝。 (左)サンタンジェロ城。夜は幻想的であり不気味でもあり。 (左)最高に美しかったサンピエトロ。いつまでも見ていたいと思わせる建物である。 8月17日 ローマ(アッピア街道)⇒ カイロ (距離はミラノからの距離、時間は前の地点からの距離で実走時間) ホテル⇒アッピア街道(1219Km、35分) ⇒ ファウミチーノ空港(1260km、35分)
カイロ空港 0Km ⇒ホテル(ギザ) 38Km イタリアはかなりの駆け足だったが、充実した時間であった。世界的に有名な遺跡などがある。行きたかったところにはほぼ行けたし満足である。それでもエジプトに行く前に、少し時間があるので空港に行く前に、ここも行ってみたかったアッピア街道に向かう。昨日と同じようにホテルで朝食をとり、10:15に出発。ほんといいホテルだし、バチカンの近くというのがよかった。だいぶこのあたりの道も覚えた。一方通行が多いのであるが、ホテルを探すときにかなり失敗しているので、道も覚えるというものだ。大通りに抜ける前、昔、有事のときにサンタンジェロ城からバチカンまで抜ける秘密の道があったというのであるが、その城壁前を通ることができた。確かに城から一直線にバチカンまで通じている。そこからしばらく南東に向かうとカラカラ浴場がある。ここにも来たかったのであるが、時間がなくて残念、外から見るだけにした。そして、アッピア街道に向かっているとき事件がおきる!あまりに広い道だったので、走行車線がわかりずらく、知らないうちに反対車線に入っていたのだ。赤だったからとまっていたら、前からおまわりさんが歩いてくる。あれっ、と思ったけど、あかんよ君!みたいな感じで、しばらく交通整理してくれる。ほんまにすんません、ということで車が来なくなるとバックして、本来の車線に戻る。事故がなくてよかった。おまわりさん、すいませんでした。 アッピア街道は「すべての道はローマに通じる」というところであるが、看板が小さくてあまりわかりにくかったけど、それらしき道になってきた。確かに旧道という感じで、道幅は狭い。しばらく行くと、車が入れなくなっていた。歩いていけるのだが、飛行機の時間もないので、少し景色をみて空港に向かう。雰囲気だけでも堪能できたのでよかった。空港には環状になっている高速にすぐにのれて、あっという間についた。レオナルドダビンチ空港が正式名称だが、現地ではファウミチーノ空港というのが一般的らしい。道路にある看板もその名前しか書いていない。空港の間際になって、ようやくレオナルドダビンチと書いていて、大きなダビンチの像が建っている。予想外に早く着いた。長らくお世話になったハーツのレンタカーを返却。今回も何も事故がなくてよかった。時間が余ったので、空港のラウンジに入る。なかなかでかいラウンジで、のんびりすることができた。 (左)すべての道はローマに通じる!アッピア街道。 (右)空港では名前の通りダビンチが迎えてくれる。 そして14:20にエジプト航空に搭乗!ついにエジプトだ。行く前から下調べしていたのは、どっちかというとエジプトであり、古代エジプトのファラオなど、吉村作治先生が書いた本を読んだものだ。イタリアは洗練されていてとてもよかったけど、アフリカ大陸だし、アラブ世界は初めてだし、ワクワク感がかなりある。飛行機乗ると、シートベルトにはホルス神(はやぶさの頭を持つ天空の神)が書かれている。もう気分はエジプトだ。地中海をひとっとびして、3時間15分でエジプトだ。着陸間際になると大地が見えてくるが、さすがに砂漠ばっかり。一面茶色。そうしていると、汚らしい街並みが見えてきた。カイロの街だ。そして砂漠に着陸するのかと思うぐらい、あたりは砂漠ばかりのところに着陸。エジプトはサマータイムなんで、ローマと時差がない。でも、同じ時間と言っても、ローマより早く陽が暮れるので、少し損した気分になる。 思ったよりきれいな空港にびっくり。イミグレに行く前に銀行があり、そこでビザを購入する。4人で335ポンド(4,500円ほど)。シールになっておりビザはったあとスタンプを押してくれる。そして、外に出る。すると名前を書いたプラカードを持っている人がいるではないか!?外部の人が出迎えてくれている。見てみるとホテルの人だった。さすが一流ホテル!頼んでいたのかどうか忘れたが、何にしろなんかうれしい。そして、なぜだかそこから荷物のピックアップ。なんで荷物を受け取る前に外からの人が入っているのだ!?まー、いっか。でも、レンタカーを借りているので、家族3人はその人に送ってもらうことにして、私はひとりでレンタカーを運転してホテルに行くことにした。あとで考えると、とても危険だったのであるが、信頼おけそうな人だったし、信じることにした(実際、家族は無事ホテルに行けた)。 ラマダン中であったので、ハーツのカウンターに行ってもなんかだらけている。そりゃそうだ、朝から何も食べていないんだから。アラブのひとたちはこのラマダンがあるから、仕事の能率もあがらないのではないか、と思うが、宗教だし仕方ない。そして、ちょうど日暮れたので、ラマダンがあけ、飲食ができることになったようだ。それで喜びを表現している。そして、私にもこれ飲め!といってよくわからんジュースのようなものをくれた。一口飲むが、口にあいそうになかったし、お腹を壊したらだめなので、そこでは飲むのをやめて、ホテルまで持っていくことにした(結局、飲まなかったが)。そして、車のところまでいき、いろいろと説明してくれる。とてもいいやつだった。さー、ここから一人だし、大丈夫かなと思うが、地図を持っているし、なんとかなるだろ。 まだ薄暗いがライトをつける。そして出発。だいたいの方向はわかる。最初は高速のような道路だったが、途中から街の中を通る道となった。まさに中国やインドのような光景だ。いや、それよりひどいかもしれない。人は平気で道路を横切ってくるし、車の運転も無法地帯。カイロ市街地に入ると、ひどくなってくる。都市高速のような道路があったので、そこを通るが、後ろからビュンビュンと抜いてくる。初めての国だし、安全運転を心がける。すると、待望の景色になった。そう、ナイル皮と通る橋になったのだ。みんな車を止めて景色を見ていたので、思わずとめる。吉村先生の本に書いていたが、最初ナイル川を見た人は、川の幅の狭さにびっくりするという。確かにそうだ。上流こそ大きな川が合流しているが、中流以降は支流がまったくないし砂漠地帯だから、川の水が減るらしい。そうはいってもさすがにアフリカで一番の川だ。水量は多い。周囲に高層ビルやホテルがあるし、夜景が美しい。しばし、見とれる。 (左)空港ですぐに取得できるビザ。シールになっている。 (右)このたび初めてのナイル川。川幅は確かに狭い。 ホテルはギザなので、そこからさらに遠い。ピラミッド通りに入らなければならないが、なんとなくそんな道に入る。ごちゃごちゃしていてしかも人が多いし、お構いなしに道路を横切るし、さらに危なくなった。でもよく見ると、道路を横切る人は、タイミングを見計らって、決して事故が起こるような感じでもない。かなりうまいのである。そう思うと、自然にスピードをあげてホテルに向かう。ナイル川から30分ほど走ると、ギザのピラミッドが近くなってきた。すると、ホテルオベロイがあった!入口は3人ぐらい守衛がいる。しかもライフルも持っている。荷物検査をされる。駐車場に車を置いて、チェックインをしようとすると、責任者らしきおっちゃんが来てくれて、家族はもう部屋にいますよ、奥様がチェックインされているので、どうぞ部屋にいってください、と言われる。紳士的な対応だ。そんあVIPでもないし、普通の客なのに、この対応はうれしい。ベルボーイとともに部屋に向かうが、そのベルボーイに上機嫌でいろいろと話す。どこに住んでんの?この近く?カイロは暑いね〜?ラマダンで大変だったね。と話していても、なかなか部屋につかない。かなり広いホテルだ。そして、部屋がある建物の入り口には、これまた守衛がいる。2階の部屋にいくと、無事家族と再会。よかったよかった。家族が乗った車は相当運転が荒かったらしく、こわかったみたいだ。合流して一安心。 それにしても、さすがに高級ホテルだ。部屋が美しいし、ベランダからピラミッドも少しだが見える。おー、これが夢にまで見たホテルだ!そして、このベランダでピラミッドをみながら煙草を吸うのが夢だったんだ。部屋には昔の写真があり、相当昔から、このホテルがあったみたいだ。とても快適なホテルライフになりそうである。かなり上機嫌。20時になるが、ホテルを回ってみることにした。プールもあるし、レストランもあるし、楽しめそうだ。しかし、外はかなり暑い。ホテルの部屋ではクーラーをかけていないとたまらない。しかし、快適だ〜。 こどもたちとトランプしながら夜を過ごす。いい感じ。明日からのエジプト観光に備えて、0時に就寝。 8月18日 カイロ(ギザ) ホテル⇔カイロ市内往復(131Km:帰り迷ったためかなりの距離となった) 超快適な朝だ。いいホテルはいいものだ。4人なので2部屋とり、しかもコネクティングルームなので、行き来自由。ベランダもあるし、ピラミッドをみながら煙草をふかす。まずはギザのピラミッドに向かう。ホテルを9時にでる。でて右手にしばらく歩いていくとすぐにクフ王のピラミッドが見えてきた。おー、これか!ということで歩いていくが、いきなりラクダ乗らないか、とよってくる。無視して歩いていく。そして、チケット売り場で入場料を買うが、これがまた高い。60ポンドだから800円、そしてピラミッドの中にはいるのがさらに30ポンド(400円)。エジプトの物価でこれは高いだろと思うが、世界の観光地だから仕方ないか。荷物検査を通過してまずはクフ王のピラミッドに向かうが、いきなり寄ってきた、物売りが。日本人好きだから、これあげるよ、といろいろと渡してくる。そして最後にはお金を要求する。ピラミッド近くの売り子、というよりエジプト全般にいるこんな売り子は、観光客からはかなり評判が悪い。経済がいまひとつ安定していないからだろうが、あまりにもひどい。ガン無視すれば、あまり寄ってこないことがわかったので、それからはそうすることにした。 (左)ホテルのベランダからのピラミッドの眺め。 (右)部屋に飾ってあった写真。昔はこんな風に見えていたのか。 気分をかえて、クフ王のピラミッドに集中する。ちょっと上ってみたが、やっぱりでかい。こんな石、どうやって積み上げたのだろうかと、いまだに解明されていないことを考えてみる。146メートルあったが崩れて137メートル。それでもでかいのである。そして、次にカフラー王のピラミッドへ。カフラー王のピラミッドは、一番上に化粧石が残っていて、143mと今ではクフ王よりも高い。ラクダの糞が落ちている道を歩きながら、カフラー王に向かう。ラクダにのってるおっちゃんいろいろと声をかけてくるもんだ。乗りたい気もするけど、値段交渉とかめんどくさいから、乗らない。それにしても暑い。10時ぐらいになるとかなり暑いのだ。たまらず水を飲む。水を売ってるおっちゃんは、それほどがめつくない。一番最初の入り口でピラミッドに入るためのチケットを買う必要があるが、クフ王はすでに売り切れていたので(1日に入る人数を決めているようだ)、カフラー王のものを買っていた。カメラやビデオはだめというので、それを外で持っておく必要がある。よって、2名ずつにわかれて入る。とても急なスロープで、しかも腰をかがめて歩かなければならないので、かなりキツイ。中はじめっとしており、気分がいいものではない。一番底まで行くと地面より下になると思うが、何もない部屋があった。こんな過酷な環境であるが、吉村先生はじめ、ピラミッド研究者にいろいろと解明してもらいたいものだ。こんな暑くて、何もない砂漠で研究すること自体がすごい。 せっかくなので人気がほとんどないメンカフラー王のピラミッドまで行ってみた。その先の展望台までいく車は頻繁に通るのだが65.5mと低いし、一番奥だしで、歩いている人はまったくいない。たまにラクダに乗ってる人が通るぐらい。立派な王様なのに、この扱いはかなりひどい。入口にも人がいないので、中にも入れないのかもしれない。そして帰りは来た道とは違う側から引き返すことにした。道が整備されておらず、砂漠なので歩きにくいが、違う角度でピラミッドを見るのもいいものだ。せっかくだから、3つのピラミッドがカメラに収まるところまで行ってみようと考えた。ひたすら砂漠の中を歩いていく。ラクダの集団もいる。かなり歩いただろうか、このあたりでどうかと思うところで写真を撮るが、どうも間延びしててイマイチ。せっかくここまで来たのに・・・。でも、砂漠の向こうにギザの街が見えて、変わった景色が見ることができたので良しとしよう。 (左)カフラー王のピラミッドが一番美しく見える気がする。 (右)間延びした感じの写真。これを撮るのに結構暑くてしんどかったのに。 炎天下の中歩いているので、そろそろ意識が朦朧としてくる。それでも、カフラー王に向かうまっすぐな道や、その近くにある集落のような遺跡があり(海岸神殿)、見どころはある。そして、一番最後にスフィンクスだ。スフィンクスのおしり部分から行ったので、後ろから見るとかなり滑稽だ。そして、だんだん前に回っていく。思っていたほど大きくはないが、それでも迫力はある。まさにピラミッドを守っているようだ。顔の部分は鼻が崩れ、あごの下の部分はイギリスが持ち帰っているというから、少し残念な感じはあるものの、それでもあのスフィンクスである。素晴らしい。しこたま写真を撮る。この時点で12時。3時間も歩いていたことになる。そりゃもうフラフラだ。喉もカラカラ。砂漠を何日もラクダに乗って旅する人は信じられん。そして、スフィンクスの前にあるケンタッキーというのが、一部では有名なので、入ってみることにした。ラマダン中で作り置きのものはないが、とにかくクーラーで涼しいし飲み物がある。しかし、注文してからなかなかでてこない。もう喉乾いてかなわん!と思っていた頃、でてきた。コーラは一気飲みだ。チョーうまい!食べ物はあまり喉に通らない感じだが、なんとか流し込む。生き返ったところ、ホテルまで歩くが、まだ長そうなので、近くの売店でコーラあスプライトを購入。ここでも、ほぼ一気飲み。 しかし、歩けど歩けどなかなかホテルにつかない。位置関係がよくわかっていなかったが、ホテルがある入口と、スフィンクスがある出口は、だいぶ離れたところにある。よって、入口まで歩こうと思えば、ピラミッド近くにあるゴルフ場をぐるっと回る感じになる。まー、これも思い出と思い、車がビュンビュン通るゴミが落ちまくっている道を、ひたすら歩く。そして、ようやく30分ほどでホテルに到着。もう疲れたので、ホテルライフを楽しもうと思い、プールへ。エジプトの夏、しかも14時ごろ。そりゃ暑い。プールももはや水ではなく、お湯になっている感じ。プールサイドは、熱くてまともに歩けない状態である。余計に頭がガンガンする感じになってきた。たまらずアイスを注文。それはおいしいが、甘いのですぐに喉がかわく。そして、コーヒーも頼むが、それも甘ったるい。子どもたちは楽しそうに遊んでいるので、まーいっか。なんとなくクールダウンしたようなしていないような感じで、17時にプールからあがる。 (左)やっぱりこのアングルが定番か。 (右)快適に見えるがプールサイドは灼熱地獄。プールももはや水ではない。 そして、街に行ってみた。あいているかどうかわからなかったが、カイロ博物館へ。ピラミッド通りをひた走り、街の中にはいっていくとピンクの建物が見えてきた。あれだ!と思うが、なかなかうまく入れない。挙句の果てにナイル川をまた渡ったりしている。ようやくたどりつくが、閉館しているようだった。それならばと、ラムセスヒルトンに買い物に行くが、ラマダン中なので、ほぼ開店休業状態。日暮れたので、みんなご飯を食べている。何の成果もないままホテルに帰るが、ナイル川にかかる橋でしばし夕涼み。これを成果としよう。そして、帰り道はわかっていたはずだが、1本間違えてしまい、とんでもない方向にいってしまった。しかm高速のようで下り口がない。ようやく下りたところは新興住宅地のようだった。ラマダン明けで、みんな中央分離帯でごはんを食べている。おもしろい光景だ。そこからなんとかホテルまでたどり着くが、すごい時間のロスだった。30分で帰れるところ、1時間20分もかかってしまった。20時前だしまだ早いからいいか。ギフトショップによってから部屋に帰る。この日は炎天下でかなり疲れていたので、22:30に就寝。 8月19日 ギザ ⇒ サッカラ ⇒ メンフィス ⇒ ダハシュール ⇒ ギザ
ギザ 131Km⇒サッカラ(158Km、30分)⇒メンフィス(166Km、10分)⇒ダハシュール(178Km、30分)⇒真正(崩れ)ピラミッド(263Km、1時間45分)⇒ギザ(341Km、1時間20分) 【サッカラ】 前の日に早く寝たので7時に起きた。ベランダから見るピラミッドは少しぼやけているように見える。もやなのか砂がまっているのか。ホテルでのんびりして8:45に出発。この日はエジプトをドライブだ。道もそんなに複雑でないので、だいたいわかるだろうという予測。まずは、サッカラの階段ピラミッドに向かう。高速のような道をとおり、途中から川沿いののどかな風景の道を通る。わかりにくい看板があるが、サッカラと書いている。観光バスもそこに向かっているので、わかりやすい。サッカラは公園のようになっていて、入るとき入場料が必要。とても汚そうな切符入り場でチケットを買って中に入る。入口からしばらく車で運転していくと、結構遠い。歩いていくのなら、大変かもしれない。丘を登ると、ピラミッドが見えてきた。ここの目玉は何と言っても階段ピラミッド。紀元前2650年頃に作られたジョセル王のもの。元の高さは60mであるが、それまでのエジプトでは見られなかった石材を使っているのがポイントのようだ。そのほかにもテティ王やウセルカフ王の崩れかけたピラミッドもある。そして、奥のほうまで行けば、ギザのピラミッドが遠くにうっすらと見えるのだ。それほど遠くないことがわかる。しかしまー、こんな砂漠によく作ったものだ。当時のファラオの権力が絶大だったことがよくわかる。 【メンフィス】 次にメンフィスへ向かう予定だ。サッカラの駐車場で観光警察に聞いている。メンフィスはどっち?すると、川沿いの道をいって2Kmほどいったところを左折だと。なかなか愛想のいい人でいろいろ話してみると、なんかくれというので、ボールペンをあげた。その警察官がいうことはほぼ正確だった。橋を渡ると、昔の都であるメンフィスに入る。しかし、昔の都といっても、今となっていは寒村という感じ。道は汚いし建物もぼろっちい。ここの見どころはラムセス2世の巨大な横たわった像だ。ラムセス2世はファラオのなかでも強大な権力だったようで、各地にいろんな建造物を残している。場所はすぐにわかった。しかし、切符売り場の周りには、お金をせびる観光蛍雪がうじゃうじゃいる。車を止めると、ここで見ておいてやるから、安心していってこい、と。当然あとでお金をせびってくるのであるが(少し渡した)。で、中に入って巨大なラムセス2世像を見た後、外を回っていると、観光蛍雪がこっちこいと言っている。一緒に写真撮ろうだって。子供と一緒に撮ってもらうと、もちろんお金をせびる。最後に執拗な物売りの出番だ。売っているものを子供にあげるというが、もらったらよくなことがない。それらを振り払って出口へ。すると、パピルスで綺麗そうなしおりを売っているおっちゃんがいた。物もよさそうだし、この人はよさそうな人だ。ということでおみやげ購入。しかも飲み物もあるぞ、ということで、それも格段に安くて冷えているものだ。水を大量購入した。いい人とダメな人を見分けるのも大事だ。いい買い物ができた。昔は首都というが、観光警察にしても、物売りにしても、その誇りというものがないのか!と変な感覚を覚えながら、メンフィスを後にした。 (左)サッカラの階段ピラミッド。修復中である。 (右)これもエジプト観光の定番、メンフィスの巨大ラムセス2世像。 【ダハシュール】 次に向かったのがダハシュール。ここの見どころは赤、黒、屈折ピラミッドだ。メンフィスから30分ほどで到着。ここもすぐに場所がわかった。スネフェル王の赤と屈折ピラミッドである。まずは赤のピラミッドが見えてくる。ギザとあまり変わらない、美しいピラミッドだ。赤っぽい石が使われているので、確かに赤く見える。このなかには入れるので、入ってみる。急な階段で、しかも暗い。一番奥に行くと、なんか臭い。カビの匂いなのか?!玄室などがあるが、口を覆っていないと我慢できないぐらいだ。さっと見て、また急な階段を上っていく。外はかなり暑いのだが、ピラミッドの中はひんやりしており、その温度差が体にはきつい。吹き出る汗をぬぐいながら、赤のピラミッドの入り口で休憩だ。ここにはまずまず観光客が来るようだ。 次に向かったのが屈折ピラミッド。赤のピラミッドからさらに奥に行く。名前の通り高さ105mの真ん中から角度が変わっているのだ。この理由はいくつかあるみたいで、後から行くメイドゥームの真正ピラミッドが崩れたので角度を変えただとか、王の死が近いので工事を急いだからだとか言われている。変わった形のピラミッドをしばしじっくりとみる。ピラミッドも変遷があって面白いものだな〜と思う。写真を撮っていると、ピラミッドの下にいたおっちゃんがこっちのほうを向いて何か言ってる。あー、まためんどくさいと思い、すぐにその場を離れる。黒のピラミッドは遠くのほうにかすかに見えるだけ。近くにはいけないようだ。かすかに見えるところで立ち止まる。それをみながら、下に落ちている石を拾って子供が遊んでいる。ハートのような石もあって、面白い形をしているものだ。 【メイドゥーム】 これだけピラミッドを見ると、だいぶ満足してくる。それでも、あとひとつ。少し遠いがメイドゥームの真正ピラミッドを見たかった。ギザから来た道をひたすら南下する。すると、行き止まりになっている。集落の中を通り、大きな道に抜けるが、周りは砂漠だらけ。こっちでいいのか?と車を止めていると、どこからともなく人がやってきた。メイドゥームはこっちでいいの?と聞くと無愛想だが教えてくれる。少し車を降りてみると、すごい砂嵐だ。熱風が体に吹き付けられる。砂漠での生活って大変だと思う。言われた通り、砂漠の中の道を進んでいくと、ハイウェイにでた。そこをしばらく走る。砂漠の中にイスラム教のモスクがあったり、ところどころ集落があったりする。お目当てのピラミッドがないな〜と思っていると、前方に見えてきた!看板もあったので、ハイウェイをおりていってみると、向こうから観光警察がきて何か言っている。もう今日は終わりだよ〜だって。まだ14:30ですけど??と言いたかったが、警察に逆らったらろくなことがない。写真撮るのはOKと言われたので、スポットから何枚か写真を撮って引き上げる。近くまで行って、崩れている様子を見たかったが、仕方ない。ラマダン中は、早々に仕事を切り上げるのだろう。こんな暑い中、ピラミッドの前でじっとしているのもたまらんだろう、と警察のことを気遣う。 (左)屈折ピラミッド。エジプトにこないとこんなピラミッドがあるって知らなかった。 (右)崩れてしまったピラミッド。ここはもっと近くで見たかったが残念である。 そこからはギザのホテルまでハイウェイを一直線だ。灼熱の砂漠の中をひた走る。横で走っている車のにいちゃんが、なぜか手を振ってくる。そして、線路を越えるとギザの街近くになってきた。いっきに車の量が多くなる。ギザのピラミッド群を見ながら、ホテルへ。16時前にはホテルについた。そして、またクールダウンでプールへ。ほんとに暑い。エジプトの夏をなめたらあかん。このあたりからか頭がかなり痛くなってきた。せっかくなのでホテルのレストランで食事しようといくが、頭が痛くてたまらん。19時から入るが、食事がでてくるまでたまらず少し寝る。ご飯を食べてそろそろ部屋に帰ろうかと思ったら、今からディナーショーがあるのに、と言われる。頭が痛かったけど、せっかくなので見る。でも、このディナーショーがなかなか面白い。リズミカルなダンスでついつい見入ってしまった。大きな布をグルグル回す男性が、席をまわってくれて、一緒に写真を撮ってくれた。それを見て、だいぶ元気になった。エジプト最後の夜に、いいショーを見れたものである。23:30に就寝。 8月20、21日 ギザ ⇒ カイロ空港 ⇒ イスタンブール ⇒ 関空
ギザ 341Km⇒サッカラ(367Km、45分)⇒カイロ空港(393Km、45分) 【ギザ】 この日も7時に起きた。ついに旅も最終日。イタリアから始まり、エジプトと短期間ではあるが、とても堪能することができた。大満足である。カイロ発が夕方なので、まだ時間があるということで、ギザのピラミッドにある太陽の船とカイロ博物館に行く。ホテルを9時に出発して、すぐそこにあるギザのピラミッドのチケット売り場へ。車でも入れるのであるが、なぜか一人だけ荷物検査を通れと言われる。嫁を通らせて、車はゲートを通過。そして、カフラー王前の駐車場に車を止めて太陽の船にいく。50ポンドもいるのだが、エジプトのお金がもうほとんどない。どうしようかと思っていると、一番下の子供はまだ小さいということにしてタダにしてもらった。小学2年生なのでほんとはいるんだろうが・・・。すると、なぜか博物館のひとがガイドをしてくれる。吉村先生が発見したんだよとか言ってくれる。ずっと一緒に回ってくれた。サンキューと言ってお別れしようとすると、やっぱりお金だ。ほんとにお金がなかったので、あるだけのエジプトポンドを渡したが、かなり不満そうであった。 エジプトに来て思うのだが、クレオパトラが最後の女王となった、古代エジプト王国の遺産を、現代のエジプト人たちが食い荒らしているような気がする。古代ファラオが観光資源を作ってくれて、それを餌に現代のエジプト人が食いつないでいるような気がしてならない。思えば、古代エジプト以来、ほかの国が侵略している歴史があり、それは近代までそうだったのだ。がんばれ、現代エジプト人である! そのあと、ギザのピラミッドが3つともに見えるポイントまで車で行く。2日前に歩いていったポイントとはまったく違って、さすがにこっちのほうがいい感じに見えている。しこたま写真を撮っていると、ここでも物売りが横行している。娘もかなりなれたのか、半分切れかかって【ノー!】と言ってる。心強い。そしてピラミッドともお別れだ。そこから市街地にあるカイロ博物館へ。行き方はもうだいぶマスターしている。すぐに駐車場に入れることができ、博物館へ。ここにはいろんなものがあるが、なんといってもツタンカーメン王の黄金のマスクだろう。世界に名高いマスク、時価換算で何十億円とも言われるものだ。じっと見入る。ファラオの絶大な権力と、ツタンカーメンの悲哀とを感じるマスクである。それ以外にミイラ室がある。ここに入るには特別料金が必要で一人100ポンドもする。それでもせっかくなので入りたい。博物館の入り口付近にあるATMでお金をおろす。ラムセス2世などのミイラがあり、なんとも言えない感覚になる。何千年も前の人をこうやって見ることができる。しかも髪の毛まで残っている。なんとも言えない複雑な心境になる。 (左)太陽の船。これであの世までいったのであろうか。 (右)やっぱりこのポイントがいいんだろうね。 これでカイロで行きたいところは行けた。満足して13時にカイロ博物館を出発。少し迷ったものの、カイロ空港には13:45に到着。チェックインしてイミグレを無事通過できた。荷物を関空まで届けたかったけど、なぜかできないといわれ、イスタンブールで一度ピックアップする必要がある。16時前にカイロを出発!さよならエジプト!地中海をひとっとびでイスタンブールまで約3時間。途中、パムッカレやカッパドキアを見れるかと思ったけど、わからなかった。トルコにはいったときから、乗客が右側によって景色を見ていたので、傾かないかどきどきする。 イスタンブールでは5時間ぐらいあったので、せっかくだしブルーモスクまで行くことにした。荷物を受け取り、再度チェックインして、19:40にタクシーに飛び乗る。タクシーの運ちゃんが結構面白くて、いろんなことを話してくれる。出身地のSINOPは黒海に面していてとてもきれいだよ!と言っていた。イスタンブールは1年ぶり、なんだか懐かしい感じだ。ケバブを屋台で食べるが、とてもうまい!おもわずおかわりだ。ブルーモスクもラマダン中だからか、何か横断幕のようなものがかかっていた。市街地に来てよかった!。21:30にはタクシーに乗って空港に向かったのでわずか1時間ほどの滞在だったが、去年泊まったホテルいったりして、なつかしめた。そして、0時近くにイスタンブールを出発し、関空に日本時間の17時過ぎに到着。中近東やヨーロッパにいくには、イスタンブールを経由するのもいいものだ。また、このルートを使おうと思った。 さー、次はどこにいくかな。 (左)中はほとんど撮影禁止のカイロ博物館。 (右)イスタンブール。この屋台のケバブが最高においしかった。 〜おわり〜
【古代エジプトの豆知識と簡単な歴史】
○古代エジプトの死生感「バー」が魂で「カー」が聖霊、「アク」が肉体。古代エジプト人はカーという見えない存在があり、そこに肉体がくっついていると考えた。 人間が死ぬとバーはカーから離れてあの世に行くがカーはこの世に残る、よって、ミイラを用意したということである。カーが存在の本質。 ○古代エジプト年表
こうやって見るとちょいちょい他国からの支配を受けているということがわかる。また、クレオパトラ以降はローマ帝国やオスマントルコ、そしてイギリスの支配を長い間受けていたのである。そしてようやく、1952年のエジプト革命でようやく2300年ぶりにエジプト人による国家を建てたのである。なんと長い間、ほかの民族から支配を受けていたのだろうか。旅をして思ったのが、エジプトは何千年も前のファラオによる観光収入で成り立っている、そして警察もチップを要求するほど腐敗しているように見える。この歴史を見ると、なんとなくわかるような気がする。 以上は「世界一面白い古代エジプトの謎」吉村作治などを参考に記載。 世界一かどうかは読み比べていないのでわからないが、確かにおもしろかった。
【入場料一覧(1人あたり)】
(注)1ユーロは約115円、1ポンドは約20円。
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