トップページ > 中国のページ > 鎮江と南京編

鎮江と南京編

【旅程】
2004年9月23日
関西国際空港⇒上海⇒南京
9月24日
孫権墓⇒烏龍潭公園⇒清涼山公園⇒石頭城⇒南京バスターミナル⇒鎮江
9月25日
魯粛墓⇒甘露寺⇒伯先公園⇒鎮江駅⇒上海駅
9月26日
上海⇒関西国際空港

【この旅行で行った三国遺跡】
孫権墓、諸葛飲馬処、諸葛駐馬坡、石頭城、試剣石、甘露寺、魯粛墓、太史慈墓、伯先公園(算亭)、西津渡街
三国志データベースの江蘇省南京鎮江を参照。

【不安な出発】
8月末、9月のカレンダーを見てみるとなんと3連休やら飛び石連休があるではないか!そう気づいたときには中国に行こうと決心した。しか
し、どうあがいても1日しか休みが取れない。取れそうなのは、飛び石連休の合間の1日だけ。4日間と少し短い気もするが、近場でしかも
前から行きたかった「鎮江」に焦点を絞ることにした。

鎮江のことを調べているうちに、やっぱり呉に入った以上は、孫権墓も行くのが礼儀か、と思い南京も欲張ることにした。いかん蜀関係以外
の三国志遺跡になると、急に冷めてしまう癖があるが、上海入りした後、すぐに南京へ、そして鎮江と周遊し、上海に帰るという少々強行
スケジュールである。

今回の旅の主目的は以下の3つだが、できるだけ三国志遺跡を廻ろうということで、まさに「三国志だけ」に絞った中国旅行である。なの
で、Bはほぼつけたし。

@鎮江の甘露寺で試剣石を見る!(注:史実ではない)
A南京で孫権の墓参りをした後、石頭城で三国志の終焉を偲ぶ 
B上海のリニアモーターカーに乗る 

9月23日(木)
朝、関西国際空港に向かう。フライトは10時40分発。少し早いが9時に空港到着。チェックインもスムーズに終わり、まだ時間があるため
出発まで見送りの家族と過ごす。搭乗時間は10時20分だし、そろそろ行くかということで10時にゲートへ。すると、なななんと、今まで関空
で見たこともないぐらいの長蛇の列ではないか。こりゃ間に合わん、と思いつつ仕方なく待つ。あー、出発前に免税店でタバコも買えない
わ。しかし、なんでこんな時期にこんなに人がいるんだろうか?よく2週間前に無料航空券取れたな、と思う。結局、搭乗口に到着したの
が、出発時間の10時40分ちょうど。普通、預け荷物もおろされて乗せてくれないよな。すんませーん!と言いつつ席につくが、まだ遅れ
ている人もいた。あー、タバコ買えたのに・・・。しかし、この先大丈夫かな?とかなり不安になる。


【中国突入】
関西から上海浦東空港までは2時間15分だ。水平飛行になるとすぐに食事が運ばれる。食事中も、今回の行き先についてあまり研究し
てなかったんで資料を読む。食事後、しばらくすると中国にかなり近づく。胸が高鳴る瞬間である。海が黄色くなってくる、飛行機が高度を
下げ始める。中国大陸が見えてきた!と思えば、海の中に橋が建設中である。しかもかなり長い。これが上海から杭州に向かう橋なの
か?(注) しかし、アメリカ・フロリダのセブンマイルブリッジをしのぐ勢いである。それを過ぎれば大陸上空、着陸態勢だ。上海独特のトンガ
リ屋根の家々が見えてきた。3年ぶりの上海に着陸だ。定刻11:55より15分遅れの12:10着。

(注)上海から舟山方面へ建設中の橋は東海大橋というらしい。将来的に寧波まで伸びるという大構想もある。となると100キロ超?恐るべし中国!

イミグレーションではSARS対策のカメラの横を通り、なんなくクリアし12:30に到着ゲートへ。上海駅14:30の南京西駅行きの電車のため、
まだ時間ある。かなり並んでいたけど両替をする。しかし、意外に時間がかかり両替終わったのが13:05、ここで切符を確認すると上海駅
出発は14:10!やばい、タクシーで行くことにした。おばちゃんタクシーだが、かなり快調に走る。がんばれおばちゃん!

なんとか14時に駅に着き、よっしゃーと思いきや、乗り場に行くまで結構時間がかかる。ついたのが14:07。しかし、人が乗っている気配もな
く改札もしていない。なんで?と思い改札のお兄ちゃんに詰め寄る。「時間遅い。」と日本語で答えられ、結構遅れる日本人いるんや、と
思うが、そんな場合じゃない。なんとか頼みます〜、といってもそんなことは聞いてくれるわけがない。でもあまりにひつこいので、総合案内に
連れて行ってもらい、列車変更手続きをしてくれた。なかなか優しいじゃないの。

総合案内のおねえちゃんに「次の南京西行きは16時、でもチケットないよ。」と英語でいわれる。しかし、15:23の上海発大連行きのチケッ
トはあるようで、それに変更してくれた。とりあえず待合室で待つ。すると何やら看板が。「3分前に改札行ってください」と書いてある。これや
な、14:07にいっても入れてくれなかったのは。ん?3分前ぎりぎりはあかんのか??まー、えーか。

ようやく列車に乗ることができたが、もちろん指定ではない。とりあえず15号車にいくが、めちゃこみ。しかも立ったまま。こんなんで3時間も耐
えられるかな、と思っていたら、14号車が食堂車ということに気づく。そこに入るには10元払えば果物&コーヒー付きで座れる。すぐにそこに
いつくことにした。なかなか快適だ。蘇州(16:20)、無錫(16:45)、常州(17:20)、鎮江(18:00)と経由し、南京には18:45に到着。途
中、鎮江から南京までの間、夕陽が綺麗であった。3時間20分の快適な旅であった。
 
(左)上海から南京に向かう電車の食堂車にて。     (右)鎮江から南京の間では、綺麗な夕陽が見えた。


【城壁の街、南京】
南京といえば大虐殺、というちょっと暗いイメージだ。よってあまり来たくなかった街である。駅を降りた瞬間に、その思いがよぎる。南京駅も
そうであるが、街中が工事ばっかりでかなり埃っぽい。南京駅は近代的な駅になるようで、空港かと思わせるほどの大きさだ。日本でいえば
京都駅っぽい感じだ。駅を降りるとすぐにホテルの客引きがよってくる。この光景を見ると、ホテルって日本で予約しなくても、簡単に取れる
んだなと感じる。でも残念ながら今日は会社の福利厚生でホテルを予約している。客引きの横でおばちゃんが南京地図を売っていた。
2004年版で紙質もいいものをゲット(4元)。しかし、石頭城や清涼山公園は載っているが、孫権墓はやはりのっていない。昔むかし、こ
のあたりを統治していた人なんだけどな〜、と思いながらもホテルまでタクシーに乗る。ホテルは南京博物館の横、孫権墓が近いからこのホ
テルを選んだのだ。しかし、このあたりは街のはずれなのか、ホテルから見る街はかなり暗い。ちょっと寂しさを感じる。この日は疲れたし、早く
に就寝。

9月24日(金)
南京の朝、9時に起床。外を見るといい天気だ。しかし、なんかけだるい。持病の腰痛も再発、やばいかな。9:30に孫権墓に向けてホテル
を出発。南京博物院の横を通ると城壁が見えてくる。そこを越えて明陵路を歩く。その通りは城壁沿いの道。城壁と並木がすばらしく、歩
いていて気持ちがいい。しばらくいくと前湖が見えてきた。湖の風景はかなり綺麗なのだが、展望台がなく木々の間からしか湖が見えない。
この湖を綺麗に見れる場所があればな、と思いつつしばらく歩く。しかし、地図上ではかなり近いのだが、歩けど歩けど孫権墓につかない。
ホテルから1時間ほどか、ようやく石象路が右手に見えてきた。そこから公園内に入るので入場料を払うことになる。

入場券はいくつか種類があり、明孝陵(朱元璋)だけ、中山陵(孫文)だけ、全コースなどである。しかし、全コースは100元を越えるなど、
かなり高い。孫権墓だけが目的なので、明孝陵だけのチケットを買おうとしたが、チケット売りのおばちゃんはおしゃべりに夢中でこっちを向か
ない。話しかけたけど全く気にかけずおしゃべりしている。もーえーわ、と思い金を払わずに突入。しかし、何も言われない。なんじゃそりゃ。
少し歩いたところに孫権墓の墓標が立っていた。ここここ!と思い近寄るが、孫権墓が見当たらない。山上まで伸びる道があるので、上ま
で行ってみたが、肝心の孫権墓がない。ちょっとうろうろしてみたが、見当たらず、次の予定もあるし断念。こんなに簡単な遺跡なのに、と
思いながらバスでいったんホテルまでひきあげる。途中、陵園路を通るが、両側からの木々との雰囲気がすばらしかった。しかし、蜀将関係
の遺跡でなければ、こうも簡単に引き下がるのはいけないな。
<孫権墓は三国志データベースを参照>

 
(左)明陵路の城壁。すがすがしい朝だ。         (右)陵園路の並木道。奥行きがあって吸い込まれるようだ。

【諸葛亮ゆかりの地と三国時代終焉の石頭城】
ホテルで荷物をピックアップして12時に出発し、南京で最も行きたかった石頭城に向かう。石頭城周辺にも諸葛亮ゆかりの地があり、楽し
みだ。しかし、この日のうちに鎮江に行かねばならず、遺跡が近くにあるとはいえ、あまり時間がない。タクシーに乗った。

まずは、諸葛亮が馬に水をあげたという「烏龍潭公園」に行く。この辺りは南京の下町で、かなりごみごみしている。小さい公園なんで、
入り口を見つけるのに苦労したが、広州路沿いになんとか発見。よっしゃ!と思い中に入ると、怪訝そうなおばちゃんがでてきて「今日は休
みだよ」といっている。でも入り口は開いているし、中を見ると人も歩いている。なんで折角日本から来たのに入れて!と日本語でお願いし
ていると、その人の旦那さんが帰ってきた。夫婦で門番してるんだろう。その旦那さんに矛先を変えてお願いすると、手振りで行っていいよ。
やったー、ありがとう旦那さん!しかも4元の入場料はとられなかった。

この公園は近所の人の市民公園になっているようで、中に入るとおじいちゃんたちがたむろっていた。しかし、小さいながらも落ち着ける公園
だ。公園の真ん中に池があり、その周りを散策すると、かなり気持ちがいい。公園の外はかなりの交通量、その喧騒が聞こえつつも、公園
内はのんびりしている。目的地の「諸葛飲馬処」は入り口の対角線上にあったが、実は反対側の虎踞路側のほうが正門のようだ。休館
なんでもちろん閉まっているが、入り口付近には堂々とした看板がたっていた。そして草むらの中にその遺跡を発見。よく見ると、その横では
工事をしている。しかも、公園外との塀はなく出入りは自由。なんじゃ、ここから入ればもともとタダだし、すぐに入れるではないか!?まー、
ここは中国、これが普通かもしれん。
<諸葛飲馬処(烏龍潭公園)は三国志データベースを参照>

次に向かったのはその近くにある「清涼山公園」。ここには、諸葛亮が馬をとめたという場所がある。烏龍潭公園の工事現場から出て、
虎踞路を歩いているとスーパーが。アイスとジュース、おかしを買ってしばし休憩。暑かったのでアイスがうまい!この公園はさっきと違ってバカ
でかい。東門から入ってすぐのところにその場所があるため、そっちにまわる。バス停の前が入り口だが、その前には見事な壁絵がある。孫権
軍や諸葛亮をモチーフにしたものだ。すばらしい、しばし見とれる。そして、東門で8元払って中に入るとすぐに「諸葛駐馬坡」がある。あい
にく遺跡前は道路にアスファルトをひいている最中、かなり匂いがきつい。その場で写真をとっていると、工事のおっちゃんたちがずっとこっちを
見てる。かなり気になる。そこさえいけばこの公園に用はないが、折角入ったんだから中を散策した。都会の中だが、まずまずの高低差があ
る小山が公園内にある。結構疲れた。公園の大門を出たときは14時30分だった。やばい、あまり時間がなくなってきた。
<諸葛駐馬坡(清涼山公園)は三国志データベースを参照>

清涼山公園から虎踞路をこえるとすぐに城壁が見えてきた。南京の城壁は本当に素晴らしい。このあたりも城壁と街がうまくマッチしてい
る。綺麗なマンションの前をとおり抜けると清涼門だ。見事な城壁と門である。このあたりは長江に注ぐ秦淮河沿いに公園整備されてい
る。広場では凧揚げに夢中のおじさん3名がいた。今日は平日なのに仕事しないのか?と思いつつ、城壁沿いを歩く。お目当ての石頭城
は近い。公園の原っぱで、女学生さんがトランプに興じている。かなりのどかだ。清涼門から20分ほど歩いたところだろうか、ようやく石頭城
に到着だ。おー、ここだ!ここが、280年に孫皓(孫権の孫)が晋の王濬に降伏して、三国時代が終焉したところだ。ん?なんかネ
ットで調べていた写真と違うな。石碑の前には真新しい人工池があったり、石碑が妙に新しくなっていたりしている。ここでも三国志遺跡の
観光開発が進んでいるのか。嬉しいような悲しいような。と思っていたら、バスがやってきて中国人観光客が20名ぐらいきた。そのほかにも、
何人か中国人観光客がいる。ここはやはり有名観光地なんだろう。この城壁は清代の建造であり、当時から残っている城壁はない。ま
ー、1800年前のことだから、そもそも三国志時代の遺跡がそのまま残っているところはないんだよね。でも、城の上にはのろしも残っている
し、感じはでている。真新しい公園とはいえ、池のほとりでのんびりできる。しばし三国終焉を偲ぶ。
<石頭城は三国志データベースを参照>

【南京から鎮江へ】
時計を見ると15:30、そろそろ鎮江に移動することを考えなくてはならない。石頭城を後にして、フェリー乗り場に向かう。無理かもしれない
が南京から鎮江まで長江を船で下り、途中、南京長江大橋を下から見るという計画である。しかし、南京西駅近くのフェリー乗り場に着
いたがどうも様子がおかしい。どこに行っても人がいっぱいの中国なのに、ここは閑散としている。入り口にいくとカギがかかっている。なんで?
閉鎖されたのか?横のほうにいくと将棋をやっている集団がいた。鎮江というと「メイヨー」。横に時刻表が張っていたので見てみると、何便
か船がでているものの、鎮江行きはなかった。南京と鎮江は隣町なんだから、船ぐらい出しとけよ!と思いつつ焦ってくる。

それなら急ぎ長距離バス乗り場に行くぞ!ということですぐに直行。南京駅近くのバス乗り場に着くと16:30になっていた。切符売り場にい
くときに、民間バス会社の客引きが沢山寄ってくる。上海行きが多い。客引きに鎮江というと、ここでも「メイヨー」といわれる。嫌な予感がし
たが時刻表を見ると、鎮江行きは17:00、17:40、18:20、19:00と沢山あるではないか!早速、長蛇の列に並ぶ。紙に鎮江と書くと、親
切な切符売りのおばちゃんが、私が中国語ができないと思い、紙に時間と値段を書いてくれた。よっしゃ!これで鎮江にいける。切符をゲッ
トしたのが16:55、しかもバスの出発は17時。上海での列車乗り遅れ事件もあるし、とにかく乗り場まで走り、なんとか乗ることができた。ほ
っと一息。中型バスだが、まずまず綺麗。どのバスも満員になるのかと思っていたけど、このバスは最後列は客が乗っていない。珍しい。
 
(左)フェリー乗り場から見えた獅子山の楼閣。かなり目立っていた。 (右)鎮江の夜。車と人と自転車と。夜20時前なのにかなり活気がある。

これで南京の街ともお別れだ。南京は沿岸部の都市に比べると大都会だけど田舎っぽさを感じるところだった。三国志遺跡に絞って観光
したものの、中山陵や明孝陵、南京長江大橋という南京の代表的遺跡を見なかった。でも、また来たいと思う街である。そんな想いを抱
きつつバスは17時過ぎに出発。南京では工事中の道が多く悪路が多い。運転が荒いので、客がみんな弾んでいる。おしりが宙に浮く。
客が一斉に上にとんでいる様子を後ろから2列目で見るのはなかなか面白い。でもおしりが痛い。高速に乗っても工事ばかりで、片側工事
中のため、たまに交互通行になる。しかも、高速道路とは思えないぐらい悪路もあった。

鎮江には1時間40分後の18:40にようやく到着。電車なら30分だったのに・・・。鎮江は地方のこじんまりした田舎街という感じだ。でも、こ
の感じかなり好き。5月に行ったたく州にも似ている。おなかも減ったし、中華レストランに入る。客が一杯でようやく空いた席に座ると、隣の
子供がじっとこっちを見ている。手を振ってあげると、おばあちゃんの後ろに隠れる。なごむ瞬間だ。その後、ホテルに帰り、疲れたし早めに就
寝。さー、明日は鎮江めぐりだ!


【今回のメイン!北固山公園】
9月25日(土)
まずは上海まで帰る切符の手配が必要だ。駅まで遠いので、ホテルで聞いてみるとホテル内のビジネスセンターで手配できるという。早速行
ってみると、上海行きの列車は16時か18時があるといわれたので、16時を購入依頼。あと1時間後に来てくれというので、その時間を利用
して、第一中学校内にある魯粛墓遺跡に行くことにした。ここは中学校の敷地内だというのに、地球の歩き方にも掲載されている。ホテ
ルから10分ほど街の中心部から遠ざかっていくと中学校が見えてきた。今日は土曜日、もちろん門が閉まっている。守衛さんと入校交渉
か、と思っていると、難なく入っていいという手振り。なんでかと思いつつ、校内を捜索。そんなに広くないのでとりあえず一周してみると墓碑
を発見!しかし、その隣には運動場があり、何やら運動会をやっている。父兄や近所の人たちも沢山来ているので、さっき守衛で難なく
入れたのはこのせいか、と納得。その横で魯粛を偲ぶ。
<魯粛墓は三国志データベースを参照>


運動会で盛り上がっているのを横目に、中学校を後にする。近くに六朝古城遺跡もあるらしいので、とりあえず行ってみることにした。狭い
路地に入ってこのへんか?と思っているとマンションしか見えない。しかも生活感あふれる空間だ。特にその遺跡にこだわりもなかったので、そ
のままホテルに引き返す。ちょうど1時間だった。しかし、16時のはチケットがないとのこと。それなら18時は?ということで確認してもらったら
OK。やった!ようやくこれで上海への足を確保でき、一安心。しかし、また1時間待てとのことなので、ホテルの部屋でしばし休養。1時間
後、ホテルをチェックアウトし、チケットもゲットしたはいいが、手数料がかなり高い。チケット(鎮江―上海)は57元なのだが、そのほかに
手数料やらで40元ほど取られている。でも足を確保できたことに満足感があり、特に質問もせずホテルを出る。
 
(左)運動会の様子。魯粛墓の横が運動場になっている。 (右)六朝古城遺跡があると思われる付近の通り。生活感があふれていた。

さて次はいよいよ甘露寺がある北固山だ。今回の旅のメインイベント!と、その前にマックで腹ごしらえだ。テイクアウトして、輪タクに乗る。
風を受けながらハンバーガーを食べるのはおつなものだ。10分ほどで北固山公園の入り口に到着。30元を払って中に入ると、いきなりあっ
た!「試剣石」だ。劉備と孫権が互いに心の中に念願を込めて石を切ったところ、見事に石が割れたというものだ。そんなあるわけないだ
ろ!と思ってはいけない。ここに来れば、願いがかなうと思わなければならないのだ(と自分に言い聞かせる)。しかし、劉備と孫権の合体像
は何か気味悪い。2人で1つの剣を持っている像はどうもいただけない。といいつつ、最も見たかった場所なので、しこたま写真を撮る。
<試剣石は三国志データベースを参照>

 
(左)頑張れおっちゃん!俺はこのときハンバーガーをほおばる。なんか申し訳なくって10元渡した。
(右)ついに到着!北固山公園入り口!胸が高鳴る。

そこから奇妙な三国志武将の蝋人形がある横を通り過ぎ、三国志故事を記載した何十枚ものボードを眺めながら歩くと、甘露寺に向か
う山道になる。鉄塔阿倍仲麻呂記念碑を通り過ぎると、天下第一江山が書かれた壁を見つつ甘露寺内に入る。この寺は外観が
素敵だ。劉備と呉国太(孫権の義理の母)があいまみえた像やら、劉備を殺すために密談している像やら、三国志演義上の創作の世
界が広がっている。それはそれでかなり楽しめる。しかし、ここ北固山の像は、どれも顔がいまひとつやな・・・。だが、甘露寺の雰囲気はか
なり気に入る。そして、狭い通路を抜けていくと、ようやく長江が見えた!南京では見ることのできなかった長江を、この旅で始めて見ること
ができた。感激である。しかし、このあたりは中洲があって本流はかなり先にあるため、雄大な流れを間近で見ることはできない。とはいって
も、長江と鎮江の町並みを見ながら風を受けるとかなり気持ちよかった。その横には劉備と孫権がここに座って曹操対策を練ったという狠
石(こんせき)があるが、それを吹っ飛ばして長江に見入ってしまった(後でかなり捜索するはめに・・・)。その横にある多景楼の2階に上る
と、椅子に腰掛けながら長江を見ることができる。しばしの休息だ。その後、劉備の死を知ってここから孫夫人(孫権の妹:劉備と政略結
婚)が長江に飛び込んだという祭江亭や(ちなみにこの自殺も後年の創作)、溜馬澗などひととおり散策した。
<甘露寺の三国志関連遺跡は三国志データベースを参照>

  
(左)この鉄塔は1078年の北宋時代に建てられたものだ。何でも当時は上3層があったようだが雷でなくなったらしい。
(中)阿倍仲麻呂記念碑。日本に帰る夢を果たせず中国で没した彼は「三笠の山に出でし月かも」と詠んだ。しかし、なんで鎮江に?実は三笠山が北固
山と似ていることから、日中友好のためにここに記念碑を建てたらしい。さらに友好が深まってほしいものだ。
(右)甘露寺には多景楼に抜けるまでこのような細い路地がある。なんともこの雰囲気が気に入った。

北固山公園は三国志ファンには見どころのある公園だ。また景色も素晴らしく「天下第一江山」と言われているだけある。私はかなり満
足して甘露寺を後にした。後は前峰にある太史慈墓と、第一中学からここに移設された魯粛墓の墓参りをして、北固山公園を出る。こ
の時点で15時過ぎだ。18時のチケットにしといてよかった。というのは、もうひとつ行きたい場所があるからだ。そこは、鎮江駅近くにある伯
先公園と西津渡街である。
 
(左)この石刻を曲がれば甘露寺だ。 (右)溜馬澗近くから鎮江市街付近を撮影。いくつかの埠頭が見えた。


【後ろ髪ひかれつつ鎮江を去る】
西津渡街は1000年以上の歴史を持ち周瑜が描かれた石碑がある。伯先公園から5分ほど歩くと到着。門の入り口は道端に出店がな
らんでいる。門をくぐると確かに歴史がある通りだと感じる。ここでは夕暮れ時の下町の風景が広がっていた。観光客が珍しいのか、持ってい
たビデオカメラが珍しいのか、じろじろとこっちを見ている夫婦がいた。
<西津渡街は三国志データベースを参照>

伯先公園内には、諸葛亮と周瑜が曹操撃沈策を練ったところがある。この公園の入場料は15元であるが、完全に市民公園になってい
る。近所の人たちはタダで入っているし、中には子供の遊具が所狭しと並んでいる。大勢の子供たちとその親が、夕暮れ時、遊んでいた。
公園内の山を登っていくと、頂上に広場がある。ここからの眺めが素晴らしい。鎮江の下町と長江の夕暮れ時、その向こうに揚州に伸びる
つり橋が見える。大汗をかいたものの、その景色で癒される。近所のおじいちゃんたちもたむろしていた。このあたりで諸葛亮と周瑜も対談し
たのだろうか?まさか、揚州との間にあんな巨大な橋がかかるとは想像すらできなかっただろうな・・・。
<伯先公園は三国志データベースを参照>

この時点で17時過ぎだ。鎮江駅出発時間は18時22分。鎮江で行きたいところは十分堪能した。思い残すことはない。少し余裕を持っ
て駅に行くことにした。最後はバイクタクシーで行きたくなった。しかし、さっきまで沢山走っていたバイタクがなかなかつかまらない。10分後、
ようやくつかまえることができ、風を切りながら駅に向かう。南京に行った後だからか、鎮江は本当にこじんまりした街だと感じる。こじんまりし
ているため、街の全体像を把握しやすく、見所も多いし、なにより街が清潔に感じる。非常に好きになった街である。

鎮江駅では少し時間があったため、売店をのぞいてみた。江蘇省の地図が売っていた。ぱらぱら見ていると、南京の孫権墓が掲載されて
いるではないか!いろいろ探したけど、その存在すら否定されているかのような扱いを受けていた孫権墓が載っている!これは買うしかない
と思い、買ってみた。各市の市街図や観光図を見てみると、江蘇省は本当に見所が多い。これからも何回か来たいと思わせるところであ
る。

18:18、銅陵発上海行の特急列車が入ってきた。中国のホームは、どこに何号車が止まるのかわからないため、着いてから走らなければな
らなかった。客はみんな走っている。中国人も走っている。これが中国のルールなのか??と思いながら、息切らしてようやく自分の乗る号
車に到着する。車内はかなり綺麗だ。日本でいうとグリーン車の一歩手前といったところか。16時の列車は満席だといわれたのに、この電
車はかなり空席が目立つ。マイナー路線なのか?そう思っていると22分の定刻に出発した。時間通りに発車するのも驚きである。非常に
満足させてくれた鎮江の街。車内で買ったコーヒー(5元)を飲みながら、別れを惜しむ。鎮江を離れれば、これで今回の旅は実質的に終
わりだ。そう思うと、また中国に来たいと強く思う。
  
(左)鎮江駅前は少し閑散としていたような・・・。 (右)車内はかなり綺麗である。日本の特急よりも綺麗かも!?


【速すぎる!リニアモーターカー】
9月26日(日)
昨日でこの旅も終わったという充実感と脱力感があったため、どこかに行こうとも思わない。この日はもう帰るだけ。飛行機の時間は17時
20分なので、午前中はホテルでのんびりと過ごす。窓から見える工事現場では、夫婦が力をあわせて作業を行っている。その横には奥さ
んが作ったと思われる弁当やお茶などが置かれている。ほほえましい光景だ。
 
(左)あーだ、こーだと言いながら工事している夫婦。        (右)リニアの駅。地下鉄龍陽路駅が最寄り。

せっかく上海に来たんだからということで、リニアモーターカーで空港に行く。リニア駅は市内中心部まではきておらず、浦東のはずれの地下
鉄龍陽路駅から出発する。切符売り場でチケットを買う。普通車50元、グリーン車100元だ。さすがにこの売店のにーちゃんは、英語が
喋れるようだ。普通車50元を買って入場(*)。普通車は自由席となっている。速度表示がよく見える場所をゲット。日曜日ということもあ
ってか、観光気分で乗っている地元の人たちも多いようだ。座席は半分ぐらいが埋まっている。
(*)当日の航空券を見せれば40元のようだ(Byチャトラ)。最初40元の切符をくれと言ったのだが、50元払えといわれた。

 
(左)「磁浮列車」とはなるほどである。              (右)ホームもなかなか綺麗である。豪華車の前には案内役の女性が立っていた。

15:20いよいよ出発。徐々に動き始めるが、最初はカーブが多い。しかし、1分経過したぐらいから速度を上げていき、200Km、300Kmとど
んどんスピードが上がっていく。そしてついに431Kmの最高速度を記録!めちゃくちゃ早い!今まで経験したことのない乗り心地だ。早すぎ
て目がまわりそうである。空港への道路と平行しているが、まさに車が後ろに走っているようだ。そう思うと減速をはじめ、到着のアナウンス
が。なんとあっけない。空港に到着したのが15:27ちょっと、ということはわずか7分ほどしか乗っていなかったことになる(正確には7分20
)。到着すると、みんなこぞって正面から写真を撮ろうとしている。私も負けずに先頭車両の前に行って写真を撮る。係員が「そろそろい
いだろ。」といっているが、みんな聞かない。すると、すぐにリニアは出発していった。エンジン音というか、モーター音がうなり、遠ざかっていっ
た。わずか7分であったが、旅の最後に貴重な体験をすることができた。最後まで大満足しながら、上海浦東空港を後にした。
 
(左)出発してちょうど4分後、最高速度に達した。        (右)おなじみリニアの正面写真。この右側には沢山の人たちが写真を撮っていた。

〜完〜

ページの先頭へ
トップページへ                                                              中国のページへ