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韓信と項羽のふるさと編(淮安・宿遷)

【旅程】
           
2006年3月18日
関西国際空港⇒上海
3月19日
上海⇒淮安
3月20日
淮安⇒宿遷(項羽故里)⇒古{丕β}鎮⇒土山鎮⇒淮安
3月21日
淮安({石馬}頭鎮、楚州区)⇒上海
3月22日
上海⇒関西国際空港
写真は韓信故里(淮安・{石馬}頭鎮)


【この旅行で行った三国遺跡と春秋・戦国時代の遺跡】
春秋・戦国:項羽故里下{丕β}橋張良祠項梁墓韓信故里漂母墓甘luo城韓信釣台漂母祠胯下橋漢韓侯祠
三国遺跡:{丕β}城跡、・土山鎮関帝廟


【上海徘徊】
3月18日(土)
今回は仕事も一段落していたし、落ち着いた気分で中国入りできる。そんなこともあり、いつもより出発前のワクワク度はかなり高かった。
上海にいくときは必ずA席(進行方向に向かって左側)を予約する。今回もそうだ。上海間近の風景はA席のほうが楽しめるからだ。しか
し、仕事の疲れからか食事をして目が覚めたときは着陸間近だった。残念。
いつものように両替を済まし、リニアモーターカー(マグレブ)に乗り込む。そして、龍陽路駅で地下鉄に乗り換える。明日のバスチケットを手
に入れるために、上海駅へ向かう。2004年に完成した上海長途汽車客運北駅(長距離バス乗り場)は上海駅の北側にある。そこから
は、江蘇省、浙江省を中心に多方面にバスがでている。ここに来るのは初めてだが、やはり事前に調べていた通りでかい。また、新しいだ
けあってかなり綺麗だ。入り口付近の荷物検査場を通り、まずは江蘇省の行き先チェックしたが、多くの都市にでている。明日の目的地
である淮安にも30分おきぐらいにでている。朝8:45のチケットを買ってまずは一安心。

 
(左)上海長途汽車客運北駅。多くの人がたむろしている。  (右)チケット売り場の上にも電光掲示板がある。

その後、上海駅付近の汽車駅を探索した。北駅から恒豊北路沿いに歩いていくと上海長途汽車駅がある。昔はここが上海でも大きかっ
た汽車駅だろう。途中何故か道を間違えたがなんとか到着。すこし廃れた感じは否めない。行き先も北駅よりも少ない気がした。どこかの
地方から来たような人が沢山降りてくる。私が地図を見ていると、近寄ってきて話しかけてくる。上海にきて不安な気持ちは同じかな?

その後、中山北路沿い地下鉄1号線の中山北路駅まで歩くことにした。中山北路駅付近にもいくつかの汽車駅がある。まずは上海中
山北路客運駅だ。小さい駅であり、上海中山交通客運有限公司と看板があるので民間会社専用の汽車駅か?ここで淮安をチェック
すると7時間かかるという表記がある。明日、7時間もバスに乗るのか・・・、と思うとちょっとげんなり(実際は5時間だった)。

その後、北区汽車駅に行ってみた。ここは上海内に行く乗り場のようで、近距離バス停って感じだ。この日は淮安の旅を控えて早めに就
寝した。

【淮安へ出発】
3月19日(日)
いよいよ淮安へ向かって出発の日。昨日の上海長途客運北駅から出発だ。1階の13番乗り場から出発。検札を出るとバスがある。淮安
行きの切符だが、バスには淮陽って書いてある。淮安は淮陽と淮陰という地区があるので、まー、これで目的地まで行くだろうと思い乗り込
む。8時45分の定時に出発した。周りを見ると、半分ぐらい席が空いている。しかし、上海北駅を出ると交通路を通り北に向かうが、途中
で乗り込む人もいて、あっという間にほぼ満席。さすが中国、無駄にはバスを走らせない。

その後、高速に乗って、あとはひたすら淮安に向かって走る。{シ戸}嘉高速や京{シ戸}高速などの看板が見える。北京まで900Kmという
看板も途中あった。北京大好きな私にとっては、このまま北京でもいいか、などと考えてしまう。4時間たったところで、パーキングに入りトイ
レ休憩だ。バスの中で窮屈だったこともあり、タバコ吸って爽快だ。地図を見るともう少しで淮安に着くはずだ。

 
(左)上海から淮安までのバス。所要5時間15分。座席は少し古かった。 (右)途中で寄ったパーキング。日本と作りは同じで売店もある。

パーキングから1時間もしないうちに淮安ICだ。そこを降りると一般道で市街地に向かう。景色を見る限り、やっぱり田舎町って感じ。ICから
一本道をひたすら走る。すると20階以上はあると思われる中国銀行の大きな建物を発見。なんとなく安心した。街に入っていくと、やはり
人が溢れかえっている。日曜日ということもあり、公園では沢山の人が遊んでいた。天気がいいこともあるだろう。しばし風景を楽しんでいる
と、14時ごろ汽車駅に着いた。着いたはいいが、なんか小さい駅だ。表にでて看板を見ると、淮安北門橋汽車駅て書いている。手許にあ
る地図(江蘇省実用地図冊の淮安市部分)を見てみると載ってねーじゃねーかよ!とたんに焦る。

自分の居場所がわからないので、方向もよくわからない。汽車駅のまわりをうろうろする。そうだ、まずは地図だ、と思い淮安市の1枚もんの
地図を買おうと試みる。どの都市でもある1枚ものの地図はかなり使えて必需品だ。観光名所はもちろん、バス路線図も詳細に掲載され
ている。北門橋駅の売り場にいって、今回の旅行のために覚えた「地図ありまっか?」という中国語を喋ってみる。するとおばちゃん、?って
顔してる。まずい、通じなかった。3回言うと、ようやく通じた。よしよしと思ったが、返って来た言葉は「没有(メイヨー:ないよ〜)」だった。が
っくし。仕方なく手持ちの地図で推測する。周りの道路名などからようやく場所が特定でき、目指す街の中心部の方向がわかった。北門
橋汽車駅から上海行きのバス出発時間を調べた後、荷物を担ぎながら歩いていく。しかし、いい天気だ。

 
(左)淮安の地を始めて踏んだ北門橋汽車駅。これは切符売り場。  (右)待合室からも小さい汽車駅というのがわかる。

地図に載っているホテルで、最も近いところに早く荷物をおきたかった。市の中心部である淮海広場には淮海国際大酒店がある。早く荷
物を置いて街に出歩きたい、その一心だ。20分ほど歩くと、ようやく淮海広場が見えてきた。さすがに人も多い。しかし近づくにつれて、淮
海国際大酒店が廃墟になっている様子がわかった。どうもこのあたりは商業地区にするために再開発しているようだ。がっくし。仕方ない、
他を探すか。あたりを見渡すと、ホテルらしきものが見えた。そこまで歩く。しかし人が多い。近づくにつれ、そこも飲食だけの店ということがわ
かる。さらにがっくし。こうなるとちょっと遠いが清淮大酒店と書いているところまで行こうと決意。荷物をかつぎながら、とぼとぼ歩く。すると、さ
っきバスから見えた公園が見えてきた。凧揚げなどをして楽しんでいる人たちが大勢いる。休日の公園って感じだ。

 
(左)ここが淮海広場。廃墟になった淮海大酒店が正面のビル(涙)。  (右)公園で熱心に空中こままわし(?)しているおじさん。目がかなり真剣。

公園を過ぎると清淮大酒店が見えてくる。なにやら大きな声が聞こえてきた。また喧嘩か?と思うと案の定、おじさんがかなりの剣幕で怒っ
ている。中国ではよくあることなので、もう慣れてしまった。悪いなと思いながらも喧嘩の様子を撮る。よくみると、必死になだめているおじさん
もいる。しかし、怒っているおじさん、そんなことはお構いなしに、加害者(被害者かもしれないが)と思われるおじさんに怒りまくり。しばらく見
ていたいと思いながらも、ホテルを探さなくてはならない自分に気付く。清淮大酒店もはずれということが判明し、この街にはホテルがないの
か?などと思ってしまい、疲れもあり焦ってくる。

少し路頭に迷いながら、地図を買ってないことを思い出す。近くに売店があったので、「地図ありまっか?」と聞いてみると、また通じない。
ん?発音が間違っていることに気付く。売店のおっちゃん、ようやくわかってくれて、後ろに吊ってあった地図を指しだす。あったあった!なんと
なく救われた気がした。それを見ると、自分が持っていた地図よりもたくさんホテルが載っている。もうどこでもいいや、と思い、輪タクのおっちゃ
んをつかまえて「飯店(ホテル)だ、飯店!」と迫る。わかったわかったと言わんばかりに、輪タクのおっちゃん、走り出す。すると、北の方にある
幽蘭都大酒店というところに連れて行ってもらった。おー、ここなら泊まれそうだ。輪タクのおっちゃんが神様に見えた。ありがとう!と満面の笑
みでホテルに向かう(輪タクはわずか5元)。

カウンターに行って、ここでも今回のために覚えた「今日、部屋ありますか?」といってみると、一発で通じた!嬉しい。若いねーちゃん2名だ
ったが、中国にしては珍しく、かなり愛想がよかった。もちろんありますよ、ってな感じでシングルの部屋を準備してくれた。外貨両替もあるみ
たいなので、まずまずのホテルなのだろう。部屋について窓の外を見ると、ホテルが何軒か建っているのがわかった。このあたりはホテルが集中
してるのか?何にしても、ホテルが見つかってよかったよかった。しかし、部屋を確保できたことに満足し、ベッドに寝転んだのがまずかった。ま
だ16時前なのに、ぐっすり寝てしまったようだ。起きたら20:30。当然ながら外は真っ暗。今日は活動するつもりだったのに・・・。まー、いー
か。とりあえず街を散策しようと思い、夜の街を徘徊する。

人はいるものの、街は静まっている。市場も通ってみたが、夜は人がいない。表どおりの淮海北路に出てみたが、ここはさすがに車も走って
るし、人も何人か立っている。明日からのために、淮安汽車駅を見るために行ってみると、客引きのおばちゃんが声をかけてくる。ホテルはど
うだ?と言っている。あーあ、昼間の3時ぐらいに言ってくれれば、飛びついていたのにな〜。残念でした。汽車駅の入り口もすでに閉まって
いる。まだ22時なんだけど、真っ暗。結構早く閉まるんだな〜、と思い、ドアにへばりついていると、中から大声で叫ばれた。警備員らしき人
がきて「シッシッ」って手で払われた。仕方ない、明日の朝、出直そう。その後、市政府の前をぶらぶら歩いて、ホテルに帰る。

よく考えてみると、ホテル代を除いてまだ3千円しか使っていない。そういえば、どこの遺跡も行ってないから、門票も払ってないので当然か。
中国に入って2日経ったが、目的となる遺跡はまだまったく行ってない。明日は早くから起きて活動開始だ。地図を見ながら、計画を立て
る。実はこの時間が最もおもしろい。ワクワクしながら、どこに行くか決める。地図を見てると、項羽のふるさとがある宿遷は結構近い。午前
中にいけそうだ、と思った。なので朝は宿遷まで行って項羽のふるさとを見て、それから淮安に帰ってどこかの遺跡にいこう。そう決めて就
寝。さっきまで寝てたのに、0時前にはもう寝ていた。やっぱり疲れているのか?

 
(左)幽蘭都大酒店の部屋。広くて机もあって居心地よかった。 (右)街の中心部の淮海北路。車は走っているが、どこか寂しい。


【宿遷へ】
3月20日(月)
仕事のときは考えられないが、旅行になるとばっちりと起きれるのは何故だろうか!?予定どおり6:30に起きた。身支度を早々にすませ7:
10にホテルを出発。体力を使いたくなかったので輪タクに乗り込む。気のよさそうなおっちゃんだ。5分程度で淮安汽車駅に到着。3元。すぐ
に宿遷行きのチケットを買う(20元)。7:40発だ。荷物検査場を通り、ゲートに向かう。バスは少し小さそうな感じ。途中は一般道で人を
拾いながら運転するのだろうと想像できる。定刻どおりに出発。乗客は半分程度だ。

出発して20分ほどするとバスは淮安市の北部にある淮安汽車北駅に寄った。客を乗せるためだが、残念ながら誰ひとり乗らない。そのま
ま宿遷に向けて出発した。それでも途中、何人も客が乗ってくる。淮安市を出るころにはほぼ満員になっていた。この時点で切符売り場の
おばちゃんは宿遷まで1時間だといっていたのに、すでに1時間近くが経過している。その後、かなりの田舎道をぶっとばしながら走る。景色
を堪能する。こんなに田舎なのに、人はやはり多い。これも中国の奥深さなのだろうか。出発して2時間20分、ようやく宿遷汽車客運駅に
到着。意外に時間がかかったものだ。

宿遷に向かうバスのなかで、到着してからの予定を考えた。昨夜は午前中は宿遷に行き、午後は淮安に戻るという計画をたてた。しか
し、淮安から宿遷まで結構、時間がかかっている。宿遷で観光して淮安に帰っても夕方になることが予想できる。となると宿遷近辺で今
日は1日過ごしたほうがよさそうだ、と思った。江蘇省地図を見てみると、宿遷からは四面楚歌の舞台になった垓下の戦い跡がある霊壁
か、三国遺跡や張良の遺跡がある古{丕β}鎮方面となる。霊壁はいけそうだが、やはり遠そうだ。なので、古{丕β}鎮方面に行くことに
決めた。

  
(左)宿遷行きのバス。                        (右)のどかな景色が続く。

宿遷に到着してすぐに地図と帰りのチケットを買った。淮安までの最終バスは17:20と意外に早い。今は10時過ぎだ。バスの中で考えた
予定を周るにはちときついかな?と思いながらもターミナルを出る。タクシーの運ちゃんが何人か声をかけてくる。項羽故里は宿遷市内にあ
るのでバスで移動しようと思ったが、時間がないことを考えると、やはりタクシーをチャーターしようと思った。金がかかるが時間のないときは仕
方がない。気のよさそうなにいちゃんをつかまえて、項羽故里に向かう。

タクシーに乗り込んでまもなく鼎を持ち上げた項羽像がある覇王広場を通る。項羽のふるさとに来たんだと実感する。15分ほど走ると市の
南東部にある項羽故里に到着。思っていたより整備されているようだ。早速チケットを買う。これがこの旅初めてのチケットだ。10元と比較
的安いが、なぜか運ちゃんも一緒に入ってくる。運ちゃんのチケットも払わされることになってしまった。

最近整備されたのか、中は綺麗だ。そして、覇王鼎、廟、騅の像、項羽像、虞姫像など、かなり,堪能できる。項羽ファンにはたまらない
場所だ。10元にしては満足度の高いところだ。しこたま写真を撮る。項羽故里を出ると、左手のほうにかなり豪華な建物が見えた。何
だ?と思いそっちまで行ってみることにした。するとその途中に項羽の蝋人形館なるものが工事中であった。中に入ってみるとねーちゃんが走
ってきてチケット代を払えと言っている。10元でさっきと同じだが、中は工事中、項羽像もなんか出来が悪い。像の周りに飾ってある絵はな
かなかのものだが、それにしても入って損した気分になった。その後、何かと思っていた大きな建物のところまで行ってみたが、真如禅寺とい
うお寺ということがわかった。そうとわかればすぐに引き返す。すでに11:20だ。これから徐州方面に行かなければならない。

 
(左)司馬遷が書いた史記に項羽本紀という章がある。 (右)項羽故里から見た真如禅寺。建物はかなりでかい。

タクシーまで引き返し、今から行くところを地図を見せながら説明する。運ちゃんは長距離になりそうなので、少し嬉しそうだ。運ちゃんが「腹
が減ったので昼飯でも食べよう。それから行こう。」と言う。時間がなくて少々焦っていたが、確かに腹が空いたので、レストランに寄ることにし
た。宿遷でも比較的、大きいと思われるホテルにあるレストランに寄った。運ちゃんは王前利という名前で32歳。俺が中国語ができないとわ
かると、わざわざ字を買いていろいろと説明してくれた。なかなか親切な奴だ。運ちゃんに注文は任せたが、どれもうまかった。全部あわせて
57元だ。

かなり満足しつつ、12:20にレストランを出発。いよいよ三国時代に下{丕β}といわれていた地域に出発だ。胸が高鳴る。宿遷の北側に
ある駱馬湖沿いの道を走っていく。かなり気持ちいい。しばらく快適なドライブを楽しんだ。20分ほど走ると龍王廟行宮がある。宿遷では
最も有名な観光地なので、運ちゃんが是非寄れ!と言ってきた。時間がないが駆け足でまわることにした。清時代の乾隆帝の避暑地(た
ぶん)らしい。中はなかなか広く、結局ここで25分も過ごすことになってしまった。すでに13:05だ。

 
(左)この料理が一番美味しかった。  (右)龍王廟行宮の一番奥にある建物から入り口方面を望む。

そこからはかなりの田舎道になってくる。途中、関帝廟という地名の集落を通ったが、ここも関羽のいわれがあるのだろうか?しばらく走って
いると、大きな墓がいくつか田んぼのなかにあるのが目に付く。タクシーを降りて行こうかとも思ったが、時間がなく先を急ぐ。そして本で見た
ような古{丕β}鎮の風景が広がってきた。このあたりかな?と思っていると、いきなり下{丕β}城遺跡と遭遇だ。「ここだ!ここだ!」と思
わず叫んでしまった。運転手はまだここではないと思っていたらしく、びっくりして急停車。すぐに飛び降りて、位置を確認すると間違いない。
石碑もある。しかし、古{丕β}鎮からはかなり離れていそうだし、周りは湿原っぽくなっている。このあたりに三国時代に下{丕β}城があっ
たのか?と想像はしずらい。年月の経過によってかなり風景も変わっているのだろう。

すると通りすがりのおっちゃんが、にこにこしながら「向こうに張良ゆかりの場所があるぞ」と教えてくれる。このあたりでは張良はかなり自慢の
有名人らしい。タクシーに乗り込みしばらく行くと、下{丕β}橋があった。橋にも張良と大きく書かれている。この遺跡がここにあるとは思わ
なかったので、思わね出会いに大感動。しかも橋の上からなにやら資料館のようなものが見える。そこにいってみると張良廟があった。門が
閉まっていたが、中のおっちゃんに開けてもらい入ることが出来た。あまり人は来ないようだ。

三国遺跡を目当てに来たものの、張良関連の遺跡もあり大満足のまま、土山鎮に向かう。古{丕β}鎮から土山鎮には幹線道路が通
っているが、その途中に変わった山があった。運ちゃんが何か言っていたけど、わからなかった。山の上には祠が見えたので、何かの遺跡があ
ったのかもしれない。そうこうしていると、警察が止まれと言っている。運ちゃんに緊張が走る。なんだ?と思ったら、そこまで乗せてくれとのこ
と。5分ぐらいいくとパトカーが止まっていたのでそこで警察はおりた。運ちゃん、警察が乗っている間、ずっと喋りかけていた。かなり気を使って
いたのだろう。それからまもなく土山鎮に到着。鎮の中に入ると、舗装もしてなくて少し貧しい感じを受けた。

 
(左)古{丕β}鎮から土山鎮に向かう途中の山。  (右)土山鎮の様子。

鎮のなかを突っ切り、奥までいくと関帝廟があらわれた。ここだ!ということで、早速中に入る。しかし全面工事中。あるのは廟だけで、真新
しい関羽、周倉、関平像があるだけだった。最近訪れる遺跡は工事中が多いな〜。時期が悪いのか?などと思いながらも、中を散策。
工事中だから入場料もいらないし、まー、どっちもどっちかなどと考える。ここは関羽が曹操に捕まったところで、関羽の友人であった張遼
(曹操の配下武将)が関羽を説得する、という場所だ。関羽を説得する張遼像があるはずなのだが、残念ながらめちゃくちゃ工事中。来
ただけでも幸せだと思い、関帝廟を後にした。

さー、今日の締めくくりは項梁墓だ。項梁は項羽の叔父にあたる人で、項羽とともに旗揚げをした人。しかし志半ばで秦軍に敗れ殺され
てしまった。これは地図情報だけなので、かなりあやふやだったのだが、案の定、場所がまったくわからない。タクシーの運ちゃんも真剣に聞き
込みをしてくれたものの、同じ道をいったりきたり・・・。現地の人、しかもバイタクの人たちもわからないんだから、たぶん無いのだろう。もとも
と、それほどこだわりのある遺跡でもなかったため、淮安へのバスの時間もあるし俺はあっさりあきらめようと思った。でも、タクシーの運ちゃん、
まだまだ捜索を続けてくれている。めちゃ真剣だったので、バスの時間が・・・、とも言いにくく、1時間近くそのあたりでさまよっていた。宿遷を
17:20発の淮安行き最終バスのチケットを買っていたものの、その時点で17時。その場所から宿遷バス乗り場までは30分以上は絶対に
かかる。そして、淮安までバスで帰ることをあきらめた。もうこうなったら、この運ちゃんに淮安まで送ってもらおうと決意だ。墓は見つからなかっ
たものの、運ちゃんの真剣さに何故か感動を覚えながら、「淮安まで高速使っていってくれ!」という。すると運ちゃん、めちゃくちゃ嬉しそう
だ。タクシーメーターがかなり跳ね上がるからだろう。ひょっとしてこの運ちゃん、最初から狙っていた!?いやいや、そんなことを考えず、気持
ちを切り替えて送ってもらう。

朝、淮安から宿遷までは一般道だったこともあり2時間以上かかった。しかし、ちょうど高速乗り場の近くだったこともあり、わずか1時間ちょっ
とで淮安ICまで到着。やっぱり、タクシーで高速使うと早い!ホテルに着いたのが19時だ。バスならまだまだ途中だっただろう。タクシーの運
ちゃんにチャーター代のようなものだが、800元を支払った。メーターは689.1元だったが、いろいろとやってくれたのでプラス100元だ。中国で
800元といえばかなりの大金であるし、今回の総旅行費用の半分近くがこのタクシーチャーター代でふっとんだ。しかし、この1日は多くの遺
跡を効率よく周ることができ、大満足であった。

よく考えてみると、淮安に泊っておきながら、淮安の遺跡にまったく行ってない。しかも、明日の夜には上海に帰らなければならない。えらい
こっちゃ。シャワーを浴びた後、明日の計画を立てる。6時に起きることを決め、21:30には寝ていた。


【淮安の遺跡】
3月21日(火)
旅で疲れているとはいえ、21:30に寝て6時に起きれば目覚めもすっきりだ。仕事もこうでありたいものだ、などと考えながら、6:40にホテルを
出発。チェックアウトはせずに、荷物を部屋に置いたまま、最初の遺跡に出発だ。体力温存のために輪タク利用。すると昨日のおっちゃん
がまた居た。「おっはよ〜!」てな感じで淮海広場まで連れて行ってもらう。淮海広場始発で碼頭鎮行きのバスに乗る。7:10に出発した。
30分ぐらい走るとほぼ満員になる。そしてかなりの悪路になる。バスがきしむし、体も飛び跳ねる。外の景色も発電所あり、大橋あり、運河
ありとバラエティ豊富だ。韓信もこんな風景になっているとは想像すらできなかっただろう。ようやく8時に碼頭鎮(終点)に到着。おりると観
光看板があり、ここは観光地なのか!?となんとなく安心する。

 
(左)発電所が忽然とあわられる。公害大丈夫か!?  (右)碼頭鎮近くの運河。

とりあえず鎮の中心部と思われるところに向かって歩く。朝だしすがすがしい。街の人たちも動き出し活気がある。ここを韓信も歩いていたの
だと思うと感慨深いものがある。しかし、股くぐりの場所を探しに来たのだが、どうもそれらしいものがない。それほど大きな街でもないので、
右往左往していたがどうも見つからない。韓信湖という看板があっただけだ。どうしたものかと思ってさまよっていたら、なにやら公園らしきもの
が見えてきた。見ると「韓信故里」と書いている。こんなところもあるんだ、と思いながら中に入ろうとすると、門が閉まっている。横を見ると守
衛のおっちゃんが寝ている。「中に入れて〜」とお願いすると、まだ管理人が来ていないらしく、ちょっと待ってといっている。まだ9時前だし、開
館前なのだろう。中を散策していると、管理人のねーちゃんが走ってやってきた。ごめんなさい〜って言っている感じだ。その後、そのねーちゃ
んに中を案内してもらったが、かなり親切な人だった。案内書をわざわざ取りに帰ってくれて、韓信廟をあけてくれて中を案内してくれた。ひ
とつひとつ説明してくれた。当然、よくわからなかったが、なんとか絵が書いているので、韓信のどのエピソードを言っているのかはわかった。

満足しながら街に向かおうとすると、ねーちゃんが追いかけてきて、あっちに行け!と言っている。何か遺跡があるのだろうか?と思いながら、
言われた方向に歩く。ねーちゃんは1Km、15分ぐらい歩け、といっていたが、歩いてもいっこうに何もない。しかもどんどん田舎になっていく。
不安になりながらも、あの向こうまで歩いたら引き返そう、と思い歩いた。すると右手に山のようなものが見えてきた。山にしては人工的だし
な・・・と考えていると、誰かの墓ということがわかった。あんな形の墓を中国で見たのは初めてだ!ということで興奮してきた。近くに行くと、
韓信におにぎりをめぐんであげていた漂母の墓ということがわかった。さらに感動。ひとしきり写真をとり、墓の上に上り、また写真を撮る。景
色もよくって最高だ。韓信故里のねーちゃんには感謝だ。大満足のまま街の中心部に戻る。


 
(左)こんな道を歩いていくのでかなり不安になった。  (右)漂母墓発見!

すると右手に石碑のようなものが見えた。畑の真ん中にある。しかも少し土が盛り上がっている。あれも遺跡だ!と駆け寄る。すると秦時代
の城跡らしい。説明を何も書いて無いのでわからないが、甘luo城というらしい(luoは四の下に夕と書く)。説明があればもっといいんだろうけ
ど、これはこれで趣きがあっていい。秦の時代だから、今から2200年以上も前の城だ。韓信もここを使ったのだろうか?これで碼頭鎮の観
光名所はすべて行ったことになる。この時点で10時過ぎだ。さー、淮安のホテルに戻ってチェックアウトだ。淮海広場行きのバスに10:40に
乗った。中心部に着いたときには11:30になっていた。

 
(左)畑の真ん中にある甘luo城。  (右)碼頭鎮はほんとうにいいところだった。中国の田舎って感じでほのぼのする。

淮海広場からホテルまで歩く。おなかすいたので1.5元のフランクフルトを買う。うまい。しばらく歩いていると本屋があった。時間がないのにふ
らっと寄ってしまう。地図でいいものがあれば買いたいと思ったがない。中国の人は歴史が好きなのか、歴史コーナーは充実していた。史
記、三国志ももちろん、何冊もあった。そしてホテルに早足で向かう。もう12時前、チェックアウト時間が過ぎているので、まずいかな?そう
思って部屋まで行くと、やはりカードキーを差し込んでも開かなくなっていた。フロントに行ってまずはチェックアウトだ。そして、荷物も預かって
くれていた。よかったよかった。

さて、今から楚州区のほうに行かなければならない。上海へのバスの時間は16時だ。バスでもいけるが時間もないのでタクシーで周ることに
した。ホテル前でタクシーを拾い、楚州区へ行ってもらう。しかし、このタクシー何か変な音がしてる。エンジンオイルが切れているのか、ずっと
赤いランプがついてるし、運転手はよくエンジンをかけ直しているし、走っている間、ずっと「ウィーン」って言ってる。「どうか俺が乗っている間、
何も起こりませんように・・・」そう願いながら楚州区へ行く。まずは韓信が釣りをしていたという場所だ(韓侯釣台)。公園になっていて池も
あり、気持ちのいいところだ。そして、韓信におにぎりをめぐんでいた漂母の祠もある。中を覗いてみると、かなり薄気味悪い漂母の像があっ
た。公園の中を歩こうとすると、管理人のねーちゃんらしき人が、5元だ!といっている。こんなに普通の公園なのに金とるのか!としぶしぶ
払い中に入る。すると普通の公園だ。池の周りを散策する道があるだけ。これで5元はないだろ!と怒りながら、そこを後にする。

楚州区は周恩来の出身地でもある。それゆえ立派な記念館が建てられている。来たからには見ておこうと思い、近くまで行ってもらう。さす
がに立派な建物だ。周りの池とよくマッチしている。楚州区はどちらかといえば貧しそうな街でもあり、周りの景色とはミスマッチといったところ
か。その後、楚州区中心部をタクシーでぐるぐる回ってもらい、胯下橋を探す。韓信故里は碼頭鎮のはずであり、チンピラの股をくぐったのは
碼頭鎮のはずであるが、何故かこっちのほうに移転したらしい。なんとなく解せないが、まーいいだろう。場所がよくわからなかったので、公安
に聞く。するとあっちだあっちだ!といってくれた。これは絶対にあるな、と確信。その後、裏路地のような興文路に入ってしばらくいくとあった
あった!通りの雰囲気とは浮いている感じもするし、門の下におばちゃんが座って洗濯してるけど、まーいいだろう。ここには来たかったので
満足だ。その後、漢韓侯廟や淮安火車駅にも足早に立ち寄り、淮陽区へ引き返した。淮安バス駅には14:15と少し早く着いた。タクシー
の威力だ。一回りして100元は高いものの、時間の節約なので仕方ない。

上海行きのバスの出発まで1時間45分もある。せっかくなので淮陽区の観光地を回ろうと思った。まずは周恩来が幼い頃に勉強していた
という記念館に行った。入り口まで行ったが中に入るほどでもなく、また門票を買うのももったいないため、外で写真だけ撮る。中を覗くと、
趣のある建物であった。その後、ケ文英墓だ。市区の北のほうにあるため、タクシーを飛ばす。中学の近くにあるようだが、住宅街に埋もれ
ているらしい。聞き込みをやってようやく探し出すことができたが、墓の前にトラックが止まっているし、門が閉まっているし、完全に住宅に囲
まれているし、かわいそうな墓だ。ケ文英という人は琉球国の使臣だったようだが、1793年(清乾隆58年)に北京で亡くなったらしい。この
あたりの出身の方だろう。この時点で15:50。あれ、まずい・・・。急いでバス乗り場に戻る。なんとか5分前に到着し無事に上海行きのバス
に乗ることが出来た。

16:05にバスが出発だ。かなりの豪華バスなので値段も高く、乗客もわずか5人。また途中で人を拾っていくんだろう、と想像する。2泊だけ
だが、淮安をじっくりと堪能することができた。大満足だったな〜と思いながら、流れる淮安の街をぼーっと見る。大きくもなく小さくもない、淮
安ぐらいの街は行動もしやすくベストだ。上海、南京など大きな街となると、移動するのも大変となる。行動もしやすく、適度に大きな街の
淮安が気に入った。また、ここに来ることもあるだろう、そう思いながらバスはひた走る。しかし、このバス、かなり運転が粗い。高速に乗ってか
らというもの、車線変更しまくり、側道走りまくり、前のトラックとぶつかる寸前、ひやひやの連続だ。ゆっくり寝ようと思っていたが、寝れやしな
い。前方をよく見ながら、何かあったら・・・とずっと身構えていた。上海から淮安に車では、のろのろと5時間以上かかったが、このバスなら4
時間台で着くだろうな、と思いながらもやっぱり怖い。途中、パーキングで30分ぐらい休憩しても5時間ちょうどで上海に到着だ。上海バスタ
ーミナルに着いたときは、かなりほっとした。運転手をよくよく見ると、体も大きく、荒くれ者って感じ。これなら納得。その夜は、日本から進出
しているラーメン屋でラーメンとぎょうざを食べた。

 
(左)びびりながらもバスからの夕陽を撮影。かなり綺麗だった。江蘇省は水が多いから景色も美しい。  (右)九州ラーメンだ。味はまずまず。

次の日は浦東空港に行って帰るだけ。上海発が12時なので、朝はほとんどどこにもいけない。もったいないと思いながらも仕方がない。さ
ー、次はどこに行こうか?などと計画を立てながら帰国した。

〜完〜

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