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河南の古戦場めぐり

【旅程】
          
2008年9月20日
関西国際空港⇒上海⇒鄭州 (紅珊瑚酒店泊)
9月21日
鄭州⇒三門峡⇒函谷関⇒三門峡西⇒洛陽⇒白馬寺⇒漢魏洛陽故
城⇒関林⇒洛陽⇒鄭州 (紅珊瑚酒店泊)
9月22日
鄭州⇒虎牢関⇒温県⇒漢覇ニ王城⇒官渡⇒鄭州新鄭空港⇒上海
 (ウェスティン・バンドセンター泊)
9月23日
南京街⇒豫園⇒浦東空港⇒関西国際空港
写真は函谷関

【この旅行で行った三国遺跡と春秋・戦国時代の遺跡】

鄭州市周辺:漢覇二王城虎牢関呂布城官渡古戦場
洛陽市周辺:漢魏洛陽故城、関林
霊宝市:函谷関
焦作市温県:司馬懿故里


9月20日
だんだんと内陸に入っている中国旅行。赤壁か河南か悩んだ末に、函谷関や虎牢関、そして官渡がある河南にした。このあたりは平原
でも中心部であり、平家必争の地と言われている。そのために今回は古戦場の遺跡が多くなった。しかし、休みが4日しか取れない。しか
も、鄭州から上海のフライトはスターアライアンスにこだわったこともあって、現地では実質2日だ。とにかく、ルートに悩んだが、いつもに増して
かなりハードなスケジュールとなってしまった。

いつものように、7時台のはるかで関空へ、そして、浦東に12時前に到着だ。昼前には上海につけるとは、ほんと近いと実感。浦東空港は
第2ターミナルが完成しており、ANAはそっちに着いた。とても綺麗だが、バス乗り場がわからず、結局、第1ターミナルまで行くはめになった。
そしていつもの場所でたばこを吸って、前回と同じように浦東から虹橋へバスに乗る。何故かスイスイとバスは走り1時間弱で虹橋に到着。
虹橋では時間があったので、2階のレストラン・シャロンでうどんを食べる。来ていきなり日本食とは、この先が思いやられる。そこでゆっくりし
すぎたこともあり、荷物検査上を通って搭乗口に行けば、最後の乗客になってしまった。また、飛行機乗り遅れるという失態をやらかすとこ
ろだった。中国では、国内線の荷物検査は結構厳しく、ライターは取られるし、厳重に検査もされた。それで時間がかかったということもあ
る。なんとか中国南方航空専用車で飛行機に運ばれ、飛行機に乗り込むことができた。

 
(左)飛行機を降りるとこんな綺麗なコンコースになっていた。  (右)第2ターミナルの到着ゲート。ぴかぴかだ。

が、
一向に飛行機は動かない。しかも、30分ぐらいすると一旦しめたはずのドアが開いた。あー、これは長くなるな、と思いフライトアテンダントに
聞いてみるが中国語で話され理由がまったくわからない。寝たり雑誌読んだりして時間をつぶすが、一向に動かない。15時過ぎに飛び立
つ予定なのに、16時、17時と時間はたっていく。中国旅行でイライラしてはいけない、と思いながらも、やっぱりイライラしてくる。すると、それ
までおとなしく座っていた中国人乗客が、いれかわり立ち代り前方に行き、フライトアテンダントに何か言ったり、開いたドアから外を見たりし
ている。中には、荷物を取り出して、もうおりてやる!といわんばかりの人もいるが、機長を話をすると機嫌が直り席につく乗客もいる。みん
な、イライラが頂点に達しているようだ。そして、理由がわからないまま、18時にようやく動き出した。はー、やっと離陸か、と思いきや、滑走
路の手前でまた待ち、ようやく18:30に離陸だ。なんと3時間も遅れたことになる。今日は移動日だけなのでよかった。

鄭州には18時前に着く予定だったのに、20時過ぎだ。田舎の小さい空港をイメージしていたが、なんと新しくそして巨大な空港だった。昨
年5月に行った襄樊の空港とは大違い。空港では、さっそくライターを買っていっぷく。そして、並んでいるタクシーに乗り込み、紅珊瑚酒店と
告げる。タクシーは闇の中を走っていくが、とにかく何もない!真っ暗なので景色はわからないが、何もないことはわかる。30分近く走るとよう
やく街らしき灯りが見えてくる。街中をしばらく走ると、運ちゃんが、ここから先は一方通行だからいけない、と言われ、おろされた。しばらく言
われた道を歩いていると、鄭州駅に近づいているのがわかり、駅が見えると同時に、紅珊瑚酒店も見つかった。安全のため日本で予約し
ていたが、現地で当日飛び込んでもよかった、と感じた。やれやれ、ようやく21:30にチェックインだ。

 
(左)なかなか飛行機が飛ばず、外を見ている乗客たち。  (右)意外に大きく美しかった鄭州新鄭空港。

ホテルには李さんという親切なボーイもいて、洛陽や鄭州の観光ツアーはいらないか?といってくる。少しの日本語と、たどたどしい英語で
喋ってくるので、うまく意味が通じない。それでも、あさって鄭州観光のために車をチャーターすることはできた。通常の観光コースとは違うし、
観光地も辺鄙なところが多いので、戸惑っただろうが、なんとか運転手もOKしてくれたようだ。頭金300元必要といわれて支払うと、フロン
トにあった紙の裏に、領収書を手書きで書いてくれた。その真摯にところが気に入った!

部屋に入ったのは22時になってしまった。荷物を置いて早速、駅に切符と地図を買いに行く。鄭州駅は、東西南北からの鉄路が交差し
ているだけあって、駅前にはすごい人がいる。深夜でも発着があるため、それを待っている人たちなんだろう。とにかく人がうじゃうじゃだ。そん
な駅なので、23時前でも切符は売っている。電車はいろいろと迷った挙句、次の日の朝3:38発という、無謀とも言うべき時間の切符を買
った。当初はもっと早い時間に鄭州に着く予定だったが、飛行機遅れにより遅くなった。そのため睡眠時間もほとんどないが、時間を有効
に使うために仕方ない。切符の後は、鄭州の地図やら飲み物を買って、ホテルに帰る。ほとんど寝れないものの、風呂に入ってベッドに横
たわる。
 
(左)夜でも人が多い鄭州駅。 (右)切符売り場。ここもまずまず人が並んでいる。


9月21日
ハードな日が始まった。2:40に起きて身支度するが、寝たのがついさっきの0時前。意識は朦朧としている。それでも3:38の列車の切符を
買っているため、駅に向かう。こんな時間だというのに人は多い。ホテルは駅前にしておいてよかった。歩いて5分もかからない場所だ。入り
口で荷物検査があり、ホームに向かうところで身分証明を見せる必要がある。パスポートを見せたが、あまりチェックしないまま通過。列車
は定刻より少し遅れていたが、3:50には鄭州駅を出発。しかし、車内はすごいことになっている。3人掛けのシートに横たわって寝ている人
ばかり。ほとんど席が空いていないが、なんとか座れる席を見つける。強引に座ったこともあり、横にいた乗客は迷惑そうだが、こっちも相当
眠い。気にせず、座ったまま寝る。それでも5:20に洛陽に着くと、乗客がどっと降りた。それから三門峡に向かうまで、3人シートで横になって
寝ることができた。三門峡は7時ちょうどに到着、定刻は6:44だがこのぐらいの遅れなら許せる範囲。

しかし、寂しい駅だ。西安に向かう山のなかで、かつ、高台にあることもあって寒い。しかも駅前はそれほど栄えていない。タクシーが何台か
止まっていたが、乗客が乗らないことがわかると、さっさと違うところに走っていった。この駅に止まる電車も少ないのだろう。トイレやら写真を
撮ったりして、タクシーに乗り込む。目指すは函谷関だ。運ちゃんに行き先をつげると値段交渉になった。350元でどうだ、と言われそのぐら
いなら想定内。即OKして函谷関に向かってもらった。函谷関はほとんど陝西省の霊宝というところにある。ほぼ予想どおりの1時間で到
着。観光地化されているようで、現在開発中。いたるところで工事をやっているようだ。とりあえず入場料の40元と、それとは別にタクシーで
入ると10元とられる。そして、入り口から園内を歩く。
 
(左)寂しい感じの三門峡駅。 (右)函谷関の表の入り口。

中はこれといって見どころもなかったが、公園の外れに鶏鳴狗盗の鶏鳴台というものがあったので行ってみた。鶏鳴狗盗は、斉の孟嘗君が
秦に使して逃げ帰るとき、従者が鶏の鳴声をまねて夜明け前に関守に門を開けさせ無事追手を逃れたという話である。孟嘗君は食客を
数千人抱えていたといわれており、一芸に秀でていれば食客になれた。中には変わった特技の持ち主もいたようで、そのうちの1人が鶏の
鳴き真似がうまいということで、この函谷関で活躍となったわけだ。鶏鳴台にはこっけいな鶏の人形もあり、なごませてくれる。売店もあり、
暇そうに女性がひとり座っていたが、特に買うようなものもない。ただ、高台になっているので、ここからの眺めはなかなかのものであった。

その後、裏手に行ってみると、古い関所のような建物があった。そこに行こうとしたものの、崖があっていけそうにない。それでも、砂地や雑草
のなかを行ってみるが、やっぱりいけない。仕方なく引き返したが、裏側の入り口からいけることが判明。裏側は函谷関らしく整備をしている
最中であり、そこから函谷古道と書かれたところを行ってみた。すると、崖の上から見えていた建物にいける。さらに奥にもいけそうだったの
で、どんどん歩いてみる。雰囲気はとてもいい。ここを劉邦や項羽も歩いたのかな、などと考えながらも進む。すると前を歩いていた中国人
の集団が引き返してくる。途中であきらめたらしい。それでも、突き進む。すると、ついに行き止まりになっていた。まだ道は続いているようだ
が、荒れ放題になっており、柵がしてあっていけないようになっていた。上を見上げると高速道路のような橋脚があり、少し幻滅だが、それで
も雰囲気は堪能できた。このあたりの地盤はやわらかいのか、まわりの壁ももろそうに見える。その後、引き返し函谷関の裏口までいく。そこ
がまたいい感じの城門を作っており、しこたま写真を撮る。結局、タクシーの運ちゃんを2時間ほど待たせることになってしまった。途中で、ま
だか、と迎えにきていたが、それもお構いなしだ。少し悪いことをしたかな。まずまず、満足して、函谷関を後にする。
 
(左)かなり笑わせる鶏鳴狗盗にちなんだ鶏の像。鶏鳴台にある。 (右)鶏鳴台からはかなり眺めがいい。

帰りは電車の関係で三門峡西駅に行ってもらった。函谷関を出てからしばらく意識不明で爆睡。50分ほどで西駅に到着。タクシーの運
ちゃんはとってもいい人だったので、350元という約束だったが、400元渡し、なんかいいもんでも食べてとジャスチャーすると、最高の笑顔をし
ていた。11時過ぎには三門峡西駅に到着し、ちょうど11:36発の電車があったので、切符を買って乗り込む。いい時間の使い方ができた。
そこから洛陽に引き返すが、さすがに昼間だけあって人がいっぱいだ。座れない。仕方なくドア付近で窓の景色を楽しむ。三門峡西駅から
三門峡駅までは結構な距離があることがわかった。電車で30分近く走っていただろう。小高い山のなかを川と線路が走っている。そんな景
色を堪能しながら、電車は徐々に洛陽へ。途中から平野になっていくが、洛陽は守るには難しく、そのため、長安に遷都したという理由
も、なんとなくわかる気がする。13:30すぎに洛陽に到着した。三門峡西駅からは2時間だ。
 
(左)旅情を誘う。 (右)洛陽駅前。古都って感じはしないが、人は多い。


洛陽に着いた時点で、睡魔と疲れで相当へばっていた。それでも、気力を振り絞り、まずは地図を買う。さすが観光地洛陽、いろんな呼
び込みのおばちゃんが寄ってくる。一番しつこいおばちゃんがいたが、どうも、車のチャーターもできるようだ。それならと食いつき、関林、白馬
寺、漢魏故城に行ってくれ、と頼む。洛陽といえば、世界遺産の龍門石窟やら、少し距離があるが少林寺もあるため、なんでそんなとこば
かり、とおばちゃんもいぶかしがっている。石窟や少林寺も行きたい気もするが、今は興味ない。また、いつか行きたい日も来るかもしれな
い。そう思いながら、運転手が来て14時過ぎに出発!

運ちゃん、なんか言っているがまったくわからないので、お手上げって感じ。しかも、あまりやる気なさそうな運ちゃんだ。関林から先に見たかっ
たが、何故か白馬寺から行く。でも、しんどいから反論する気力もなく、なされるがまま。白馬寺は2000年ほど続くめちゃくちゃ古い由緒あ
る寺だ。さすがに人も多くて、西洋人比率もとても高い観光地だった。でも、よく考えると、三国時代にこの寺があったというだけで、三国遺
跡ではない。さっと回っただけで、そこを後にする。といっても、かなり広いので、それでも45分ほどかかった。その時点で、疲れはかなりピーク
になっていた。

そして、次は白馬寺から少し東に行った漢魏故城だ。大きな道路をしばらく行くと、でかでかと看板がかかっているのですぐにわかる。何箇
所か看板があったものの、一番東にあるところに連れて行ってくれた。道から城壁後のようなものが見える。車を降りて、畑の中を歩いていく
が、とうもろこしの収穫時期で、忙しそうに働いている農民がいる。城壁のそばまで行きたかったが、畑を通る必要もあったため、どうも気が
引けて、違うルートで行ってみた。頭が朦朧としながらも、城壁に近づき、その上にいってみた。すると、城壁の上にもとうもろこしが見事に
成長していた。恐るべし農民。歴史的には価値があるものでも、生活を維持するためには関係ないか。しかし、この城壁、有料道路を入
ったすぐにあって、ここに来るだけで高速代10元払わなければならない(首陽山料金所)。

その時点で16時過ぎだ。運ちゃんいわく、ここは洛陽の東、でも関林は南にある、今から行けば17時の閉館まで間に合うかどうか、と言っ
ている。ここまで来て関林に行かない手はない。もちろん、行け!ということで行ってもらう。高速を使ったようだが、その間、爆睡していたの
でよくわからなかった。関林に着いたら16:50なので、急いでチケット売り場に向かおうとした。すると運ちゃん、50元くれ、といっている。残業
となるので、その分、金くれと言っているのか、高速代がかかったからなのかわからないが、とりあえず50元渡す。急いで関林に入るが、まだ
閉まる様子はなく、とりあえず入れてよかった。中はそれほど広くなく、金ぴかの関羽像が見れて大満足だ。
 
(左)白馬寺の入り口。 (右)関林。この奥に金ぴかの関羽像がある。


関羽は孫権に殺されたが、劉備の怒りを買うのをおそれて、孫権は関羽の首を曹操に送った。しかし、曹操は劉備の怒りを抑えるために
も、関羽の首をこの関林に祀ったというところだ。三国志演義では、関羽を祀った後、曹操にも異変がおき、夜な夜な関羽の亡霊がでて
きて、ついには曹操も死んでしまう、ということになっている。そんな舞台とは思えないほど、今はのどかな場所だ。このとき、ほとんど気力も
体力もなく、惰性で動いていたが、関羽の像を見たときだけは感動した。

関林の前は広場になっていて、新種の超でかいコマをまわしているおっさんが沢山いた。観光できているおばちゃんが、私にもやらせて、と言
って代わってもらっていたが、うまく回るわけがない。それを見ながら、関林を後にしようと思ったら、運ちゃん、マッサージをやっているではない
か!さっきの50元がマッサージ代に消えたことが、この時点でわかった。しかも、とっても気持ちよさそうにやってもらっているのが、無性にむか
ついた。17:30になってようやくマッサージが終わり、洛陽駅に向かう。18時前に駅に着くと、この運ちゃんともお別れ。はいはい、さよならって
感じだったが、この運ちゃん、多少の英語を喋る。英語を喋っているときに、タクシー仲間がよってきて、「こいつ英語喋ってるぞ!」みたいな
ノリで突っ込まれていて、その姿が可愛く、今までのことは忘れてやろうと思った。すぐに切符を買いに行ったが、鄭州までの切符は20時前
まで売り切れてないらしい。仕方なく20時の切符を買って、駅前のケンタッキーで時間をつぶすが、そこでコーヒーを飲んでいると、だんだんと
体もマシになってきた。あー、もっと体力をつけておくんだったと後悔。鄭州に着いたのは22時、ほんまに疲れた。
 
(左)洛陽で一番印象深かった(!?)ケンタッキー。 (右)夜の洛陽駅。洛陽さよなら。


9月22日
この日もハード。ホテルで車をチャーターしたとき6時に約束してしまった。よって、5:30起き。昨日の疲れはそれほど残っていないものの、とに
かく眠い。でも、今日はずっと車だから昨日よりはマシか、と思いながら準備する。荷物をつめてチェックアウトしようと思ったら、ボーイから5:
55に電話があった。ほんと仕事熱心なボーイさんだ。領収書に書かれた名前は「李」だった。フロントに行ってチェックアウトを済ませると、李
さんは荷物を運んでくれた。チップぐらい渡せばよかった。運ちゃんは何も言わずに名刺をくれた。その人も「李」さんだ。ホテルのボーイとは違
って、強面で仕事人風。ボーイの李さんがさよならをしなかったら、わざわざ呼び止めて挨拶しろ、と言っていた。怖いけど律儀なんだろう。

朝もや煙る鄭州の街を車は走る。まずは、虎牢関に向かう。6時過ぎに出発して7時に到着。途中、寝てしまったため、景色がよくわから
なかったが、イメージとは違う場所だった。虎牢関という石碑があってその奥に建物がポツンとある。開発しようとしているけど、なかなか開発
が進んでいないようだ。三国遺跡ではよくある完成予想図の看板があったが、工事も頓挫しているのだろう。建物に行って中を見ると、春
秋を読みふける関羽の像があった。しかし、鍵がかかっているので外から覗き込むようにして写真を撮っていた。いい写真を撮ろうと何枚かと
っていると、運ちゃんがやってきて、待ってろ、鍵持ってる人を呼んでくるから、とジェスチャーして車でどこかに去っていった。数分後、気のよさ
そうなおっちゃんを乗せて帰ってきた。そのおっちゃん、着ている服はぼろぼろ、歯はあまりない、でも笑顔が最高の人だ。車を下りるなり、手
を合わせて笑顔を作ってくれた。そして、鍵をあけてくれて、中に書いている絵の説明をしてくれる。でも、言葉がわからないということを知っ
ていながら、ずっと話しかけてくる。とってもいい人だ。三義廟と名前が書いてあるが、実質は関帝廟。関羽の両脇に周倉と関平が立ってい
る。
 
(左)よくある完成予想図。まったく完成していない。  (右)虎牢関の石碑と右後ろが三義廟。


虎牢関は黄河が近い。そして黄河沿いには呂布城があるので、そこに行ってもらうことにした。案内人のおっちゃん、それも案内してくれるよ
うだ。一緒に車に乗って、細い道をどんどん入っていく。集落になっていて両側には横穴式の家もある。こんな道じゃあ、案内がなければ絶
対に無理だ、と思う。そして、道はどんどん狭くなっていき、最後はあぜ道のようになった。それでも仕事人の運ちゃん、ひたすら走ってくれ
る。小型のトラクターぐらいしか通れないだろうと思われる道だが、さすが運転のプロ、めちゃくちゃうまく運転する。そして、ついに呂布城に到
着。車を降りて小高い山に登っていくが、この登っている山こそが呂布城だ。上りきる手前で黄河が見える。考えてみるとはじめてみる黄河
だ。残念なのは曇天で見渡せないことだが、中国はいつもこんな感じ。それでも、黄河を見れただけで幸せだった。小山の一番上にいく
と、黄河も見えるし、そのあたりの地形もよくわかる。谷と台地になっている部分がくっきりだ。そこでも、気のいいおっちゃんはいろいろと説明
してくれた。下から近所の人が何か話しかけている。それにも笑顔で応えていた。大満足で下山し、途中でチップとして30元を渡す(運転
手に言われていたこともある)。すると飛び上がらんばかりに喜んでいた。その笑顔がたまらなく素敵。虎牢関の碑まで車に乗り、別れ際も
日本から持っていっていたおかしをあげる。それも、とびきりの笑顔で喜んでくれた。
  
(左)あまり見たことない横穴式住居。 (中)この右手には黄河があるけどモヤで写っていない(泣)。 (右)案内してくれたおっちゃん!顔は真剣。

虎牢関の次は黄河を渡って温県に向かう。そこは、諸葛亮孔明のライバルだった司馬懿のふるさとだ。虎牢関から近いこともあり、コースに
入れてもらった。虎牢関を8:30に出発し、黄河にかかる大橋を渡り司馬懿故里には9:30に着いた。わずか1時間だ。故里といっても、司
馬懿像があるだけで、しかも街の真ん中のせまい広場にあるだけだ。これも、遺跡としてはよくある光景だが、今後、この公園が発展するこ
とはなさそうだった。晋という国を作った司馬炎のおじいさんというのに、こんな扱いなのか。しかも、道端はとうもろこしをあたり一面に干して
いる。そして俺も失礼なことに、ついつい我慢できず、その広場で用を足してしまった。そのせいか、ハエ攻撃にあってしまった。そこは15分ほ
ど滞在して、次の漢覇二王城に向かう。

漢覇二王城は鄭州の北にある。よって、温県からは、来た道をそのまま引き返し、鄭州の市街地を通って北上する。広武鎮を過ぎて、
広武山まで行く。着いたのが11時だった。ここは項羽と劉邦が戦ったところだけあって、公園整備されていた。立派な門の前には、おなじみ
項羽の鼎をかつぐ像がある。そして、中をどんどん入っていくと、駐車場になっている。そこで車をおりて散策だ。ここには、項羽・虞美人、范
増と3人が揃った像がある。3人一緒に像となっているのも珍しい。しかも、項伯や項荘の像もある。ただ、項羽関係の像ばかりで劉邦の
像はない。漢覇といっているのだから、劉邦像ぐらい作っておいてほしいものだ。その像をしげしげと見ていると、おばちゃんが寄ってきて、線
香やらあげろ、と言ってきた。ま、いっかと思って線香あげてお祈りして振りむくと、爆竹の準備がしてあった。なされるがままに、線香をとって
火をつけると、かなり激しく爆竹が鳴り始める。思えば、爆竹やるのは初めてだ。後で金取られるんだろうな、と思ったものの、なんとなく楽し
くなってきた。すると、そのおばちゃんたち、一緒に山に上ってくる。今後はポラロイドカメラを持ったおばちゃんもいる。しかも、かなり年代もの
でセロテープをはって修復しているカメラだ。展望台についた時点で、写真を撮ってきた。客もあまりいないだろうから、お金払ったげようかと
思い、撮らせてあげる。するとそこでも爆竹だ。もう、おばちゃん連中のパワーにおされまくり。それでも、黄河を見渡せる展望台もあって、景
色は大満足だ。
  
(左)項羽像の前で爆竹。めちゃくちゃ迫力がある。 (中)黄河。中州にはホーバークラフトもあった。 (右)写真撮りのおばちゃん。


石碑があるもうひとつの山頂まで行きそこでも黄河を堪能する。そこにもおばちゃんがついてきたが、もうええわ、ということで爆竹もなし。そし
て、帰る際になって支払いだ。写真は1枚10元、しかもポラロイドですぐに色あせそうなやつ。で、爆竹はかなりやったので覚悟していたが、
170元だった。まー、日本で花火やっても同じぐらいするし、おばちゃん達への貢献ということもあって、支払った。そして最後に、おばちゃんが
持っていたのが鏃(やじり)だ。おそらく項羽と劉邦が戦ったときのものだろう。ひとつ100元でどうだ、と言われたが爆竹で懲りていたのもあり、
いらんと言った。でも、後から考えると、貴重なものだし買っておけばよかったと後悔。いろんな思い出を作って二王城を後にした。そして次
は官渡だ。

官渡は曹操と袁紹が戦った場所。数では袁紹軍が圧倒的に有利だったものの曹操が勝ち、その後、曹操の勢力が急拡大するという戦
いだ。いわば、三国志の前半戦ハイライトともいうべき戦い。鄭州の東の中牟というところにある。二王城からは一度南下して鄭州を通り、
東に向かう。1時間30分ほどかかった。中牟は県であるが、なかなかの都会だった。街の中心部を通り過ぎ、運ちゃんが少し迷っていたとこ
ろに、官渡古戦場の看板を道路沿いに見つける。ここだ!ということで、その看板から北上してもらう。すると、かなりの悪路。舗装してない
ので、大きな水溜りが道をふさいでいる。それでも、職人運転手、端っこを通り難なく通過。さすがプロ!しばらく行くと官渡村があった。そし
てその奥に、古戦場芸術宮という立派な建物がある。すでに閉館していることは知っていたが、門は閉ざされたままだ。鍵はかかってなかっ
たので中に入れたが、管理人らしき人がはいっちゃダメだと言ってる。ちょっとだけ、といいながら建物近くまで行くと、はよ出て行けと言わんば
かりだ。ま、どうせ閉館しているしいいか、と思い、言うとおりに出て行った。

そこから曹操騎馬像が見えたので、畑の中を通って歩いていく。若者達が畑仕事をしている。虫もすごいがとにかく像を目指す。しかし、遠
くで見るとかっこよかったが、近づくにつれて荒れ放題の像なのがわかる。盛り土のうえに作っているが、草ぼうぼう。上る道もわからないぐら
い。しかも、崩れかけ。こんなにも手入れしてないとは、地元民の熱意のなさがよくわかる。俺の前に来た人は何年前だろう、というぐらい荒
れていた。それでも、なんとかよじのぼり像を堪能。ここから畑ごしに先ほどの古戦場芸術宮が見えた。遠くで見ると、立派な建物なのがよ
くわかったが、しかし、それにしても官渡の扱いがとてもひどいことにショックを受けた。前回言った荊州などは、関羽を神様のように祀ってい
たこともあるのだろうが、官渡の再興を願うばかりだ。

官渡村には官渡寺というのもある。その後に行ってみた。古い寺ではあるが、格式を感じる。本堂の裏には新しい立派な本堂も建設中
だ。中をひととおりまわっていると、ここにも関羽像がある。中国はどの街に行っても、関帝廟やら関羽の像だらけだ。やっぱり武神と商売の
神様は強い!また、関帝廟の再建記念碑なるものもあった。さっき見た関羽像の両脇には周倉、関平がいたが、関帝廟というには小さ
い感じがした。しかも、作ったばかりのようで金ぴか。関林の金ぴかとは質も違う。それを関帝廟といっているのだろうか。ま、それはいいとし
て、石碑の碑文を熱心に書いている老人がいた。こっちが写真をぱしぱし撮っていても、一心不乱に書いている。その老人がやけに印象
に残った。
 
(左)曹操騎馬像から見た古戦場芸術宮。ちょっと異様!?  (右)官渡寺の関羽像。なんかちゃちい・・・。


これで官渡めぐりは終わり。まだ15:30だ。予想に反して早い。運ちゃんも悪いと思ったのか、金はかかるけど開封に行くか?といってくる。で
も、興味もないので、もう空港に行ってくれ、と頼んだ。短い時間だったが、三国志の旅はこれで終わりだ。時間がなかったので、タクシーで
周り倒したというのが解せんところだが、当初行きたかったところは全て回ることができた。やっぱり、遺跡は時間をかけて、田舎のバスやら歩
きやらがあったほうがいいな、と思いながら空港に向かう。中牟から鄭州新鄭空港まではちょうど1時間だった。今日1日のタクシーチャーター
代は1,100元。300元は事前に払っていたので、800元を空港で運ちゃんに支払った。でも、呂布城では道なき道をいって車がかなり汚れ
たし、強面だけど親切にしてくれたので、運ちゃんにお礼に200元払った。すると、はじめて運ちゃんの笑顔を見ることができた。

上海までのフライトは20時発。3時間30分も時間がある。空港にはいつもぎりぎりにしか行かないので、空港での時間のつぶし方がよくわ
からない。チェックインカウンターもまだ開いていない。ぶらぶらしてるとおいしそうなラーメン屋があったので入ってみた。値段は高いものの、め
ちゃくちゃおいしい!中国でこんなうまいラーメン食べたのははじめてだ。でも、残念なのが空港でも外れにあるため、客がまったくいないこと。
値段が高いのもダメなのかもしれない。味はいいのに残念だ。次に行くことがあれば、また行きたいぐらいのラーメン屋だった。

上海に着いたのが21時過ぎ。予定では1時間30分ほどかかるはずだったのに、定刻より5分ほど早く出発したのと、偏西風の影響か、フラ
イト時間も短く、かなり早く着いた。行きは中国南方航空、帰りはスターアライアンスの上海航空。やっぱりスターアライアンスは違うな、と勝
手に思う。虹橋空港でタクシー乗り場の長蛇の列を待って、タクシーでホテルへ。上海に泊まるのは久しぶり。バンド近くのウェスティンだ。
10時にバンドは暗くなるものの、久しぶりだし散歩にいった。三峡下りをした以来だ。夜遅いものの、あいかわらず人は多い。いろんなものを
道端で売っている。ぷにゅぷにゅしたブタの顔を地面にぶつけると、一度潰れるが、形が元にもどるものを買った。なかなかおもしろい。
  
(左)鄭州新鄭空港で食べためちゃうまのラーメン。 (中)その後はコーヒータイム。 (右)ウェスティンのロビーは見ごたえがある。


9月23日
もう最終日。4日というのはほんと早い。疲れが残っていたのか、ひたすら寝る。チェックアウトが12時だったが、12:30になってしまった。それで
も超過料金も取られず、日本人スタッフが笑顔で見送ってくれた。上海は何も考えてなかったので、南京街、博物館、そして豫園をぶらぶ
らする。特に印象に残っているのが、豫園で食べた肉まんじゅう。めちゃくちゃうまかった。そして、いつもの18:20発のANAで関西国際空港
へ。帰りは偏西風でほんと早い。2時間もかからずに帰国だ。この夕方に上海発というのは昼を有効に使えるので、ほんとありがたい。この
日は飛び石連休の最終日ということもあって、ほぼ満席だった。さー、次はどこに行くか。陝西省かな。

〜完〜


【移動や入場の料金】
移動:浦東空港⇒虹橋空港(バス) 30元、鄭州⇒三門峡(火車) 37元、三門峡西⇒洛陽(火車) 24元、洛陽⇒鄭州(火車) 18元
入場料:函谷関 40元(車で入ればプラス10元)、白馬寺 35元、関林 30元、漢覇二王城 10元


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