数年前まで四川省だったが、中国4番目の直轄市となった。ここだけで人口が3千万人を超えているというからすごい。南京、武漢とならんで三大釜といわれ
るほど夏は暑く、しかもほとんど陽の光がささない。そんな重慶は長江と嘉陵江の大河が合流する半島に位置する街で、半島の先端にある朝天門に立つ と、長江の雄大な流れに圧倒される。水量も多く流れも早い。そして、世界的に有名になった三峡は重慶に属する。あの雄大な光景は、他でもあまり見るこ とが出来ない。
三国時代は巴と呼ばれており、劉備が入蜀するのもここを通り、また呉に出陣するときもここを通っている。劉備の入蜀時は湖北省の宜昌から荊州あたりま
で呉との境界線があったが、夷陵の戦いの後は、白帝城の東ぐらいが呉との境になってしまった。
日本からここに行く場合、上海など途中の街を経由することになる。上海からも飛行機で3時間ぐらいかかるが、運がよければ三峡を空から見ることが出来
る。時間に余裕があれば、劉備入蜀を偲びながら、宜昌あたりから船でさかのぼるのもいいだろう。中国の奥地に来た、と実感する。
【重慶市地図】
陸路は不便なため重慶か宜昌から船で行くほうがよい。三国時代はこのあたりが蜀と呉の境目であった。奉節にある白帝城が蜀の東の最前線だったというこ
とだろう。重慶から高速船で7時間かけて到着。普通船よりも早いもののかなり疲れた。普通船で重慶から来るとなると1日以上はかかと思われる。また、私 が行ったのは三峡ダムが出来る前の2002年11月で水没に向けて街を破壊中だった。現在は水位が上がっているため、街の様子も変わっているだろう。
2002年11月訪問
奉節県城東にある。奉節新県城(奉節県新県城宝塔坪小区)の長江賓館から歩いた。長江賓館から約5Kmほどなので、1時間ほどで到着。途中、ミニ
バスをひろってもよかったが、長江沿いに歩いて気分よかったので、そのまま歩く。奉節の街からなら、ミニバスで30分強といったところか。しかし、現在は水没 中なので、どうなっているかわからない。おそらくもっと山側に新しい道ができているものと思われる(2002年は建設中の道路が見えていた)。ちなみに白帝城 の入場料はちょっと高めの50元。
劉備玄徳のご臨終の地。宜昌の東南、夷陵の戦いで呉に敗れ、失意のうちにこの地で亡くなった。その気持ちは推して測るべし。関羽、張飛なきあとの大
敗、想像できぬつらさがあったものだと思われる。ここは劉備ファンには聖地のようなところ。特に劉備託孤像では元徳さま〜、と思って楽しみにしていたが、 顔はイメージと違って少しガックリ。その左にいるのが、天才参謀である諸葛亮孔明、ひざまずいているのが劉備の子供である劉理、劉永。蜀と(このときは成 都にいた)劉禅のことを頼んます、と孔明にいい残し、この世を去った劉備。あ〜悲し。しかし、孔明の顔がめちゃくちゃかっこよかった。
なお、ご臨終の地は奉節の師範学校の中という説もあるが、師範学校はすでに移転工事中で跡形もなし。要は永安宮で亡くなったらしいが、その永安宮
の所在が2説あるらしい。まー、そんなことはどうでもいいことだが、白帝城に「劉備託孤像」があるのは事実である。昔から行きたくて仕方が無かったところだ ったので、念願かなって大満足。夢のようであった。三国志の名場面を書いたタイル(!?)のようなものもあり、それを見ているだけでも満足であった。しかし、途 中、日本からの団体観光客がどっときて、しばししらけムード。ここからは瞿塘峡が見えて、景色も抜群!傷心とはいえ、劉備さまも最高の地で亡くなったも のだ。ちなみに、白帝城の裏から瞿塘峡に行けますが、今は水没中。瞿塘峡を歩いたのも最高であった。
(左)白帝城の中にある白帝廟。この中に入れば、託孤堂がある。この後ろには長江が見える。ここは観光パックツアーだと必ずといっていいほど訪れるところ
であり、この日も日本人観光客の大群が押し寄せてきていた。瞿塘峡を歩くにはこの右手をずっと行くのであるが、この写真は出発前に撮ったもの。この後、 徒歩瞿塘峡に挑戦し、再びここに帰ったのは夕暮れ時で、白帝城が閉まるころであった。その時間になるとさすがに人もまばらとなり、思う存分堪能することが できた。
(右)これが「劉備託孤像」だ。孤託堂の中にある。主人公は劉備なのに、諸葛亮孔明のかっこよさが引き立っていた。
(左)白帝城の遠景。長江賓館から歩いてようやく到着!
(中)白帝城の手前には、このようなものが!何だったんだろうか?
(左)今は確実に水没している、白帝城の港。ここから登るのはかなりハードそうであった。
2002年11月訪問
奉節には劉備の妻であった甘婦人の墓もある。現在の師範学校の中、つまり永安宮のなかにあることから、やはり劉備臨終の地は永安宮であったと考える
ほうが自然かもしれない。行ったときは残念ながら、師範学校は破壊された後であった。しかし、なんと奇跡的に甘婦人像に会うことが出来た!
重慶市奉節新県城にある。奉節の師範学校の中に劉備婦人である甘婦人像がある、との情報であった。奉節の旧県城で聞きまくったけど、わからず諦め
かけていた。しかし、最後に聞いた親切なおじいちゃんが何かわかったようで、とにかくミニバスに乗れ、と言う。わけわからず乗っていると、梅渓も超えるではない か。どこにいくんじゃーっと思っていたら、昨夜泊まった新県城宝塔坪小区の長江賓館の横を過ぎていくではないか!しばらく区画整理を行っている場所をバ スが走り、着いたのが建設中の建物の前。ここで降りろというから、何でかな、と思っていたら、なんと「甘婦人像」が!しかも「永安宮」と書かれた石柱とと もに無造作に置かれているではないか!かつ、マンションの敷地内に!おそらく、建設中の建物は、新しい師範学校だと思われる。行くのにかなり不安であ ったが、思わず見つけたときはかなりの感動を覚えた。しかし、あまりにも無造作に置きすぎだ。奉節の街はすでに壊滅状態、師範学校も移転中であり、永安 宮や甘婦人像も一緒に引越しなのだろう。
(左)こんな感じで無造作にマンションの前に置かれていた。 (中)これがおそらく新師範学校かと思われる建設中の建物。
(右)奉節はこんな感じになっていました。おそらく、この瓦礫の中に師範学校はあるのだと思われる。
奉節の手前に雲陽がある。この雲陽も船で行くほうが便利だ。2002年当時は街が移転中であった。現在は上流に新しい雲陽の街ができ、張桓侯廟も移
転している。重慶から飛船(高速船)で雲陽まで約6時間。奉節からは飛船で1時間弱で到着。
2002年11月訪問
雲陽県(旧市街)にあったが今は水没。雲陽の船着場から対岸に見えた。現在はここから約40km遡ったところに移転している。
重慶からの高速艇で雲陽にうまく降りることができなかったが、2晩悩んだ末、奉節から引き返し、雲陽の張飛廟まで来ることを決意した。対岸からこの目で
見れたときは体の底から感動がこみ上げてきた。「江上風清」の文字が見れただけで大満足!これはいい、実にいい!1時間ぐらいそこでボーっとしている 自分がいた。
行ったときは移転工事中だったので、残念ながら中には入れなかった。廟は大型クレーンで解体作業中、木の櫓の横にある白壁部分はもうなくなっていた
が、奥にある建物なんかはまだ前のままそうであった。17時過ぎの夕方どきの港と張飛廟は最高にいい雰囲気であった。范彊、張達に殺害された張飛の首 は長江に投げ込まれ、この近辺に流れ着いたとされる。そこに建てられた廟であり、中の彫像はなかなかの出来らしい・・・。
(左)張飛廟全景。川面からは少し高いところにある。 (中)「江上風清」の文字が実にいい!
(右)雲陽の街。ここも沈み行く運命にある。おそらく今は、かなり沈んでいると思われる。
重慶市のその他の遺跡として、万州区にある「甘寧墓」がある。このあたりは三国時代は巴郡と呼ばれた。呉の猛将甘寧はこの地で生まれた。青龍瀑布と いう観光地の中にある。滝とセットで観光するのもいいだろう。 |