【旅程】
【この旅行で行った三国遺跡】
白帝城、甘婦人像、雲陽張桓候廟、張飛擂鼓台、亀山、赤壁大戦全景画館
【三峡Map】
少し縮尺が変であるが、左から、瞿塘峡、巫峡、西陵峡である。
(左)最後のチャンスと思い、念願の三峡下りに行った!そして初の中国個人旅行であり、かつ瞿塘峡を歩くという今思えば無謀な旅行だった。白帝城を出
(右)先人が汗水流して作った蜀の桟道。こーんな道をひた歩いたのだが横に流れる長江の雄大さにしばしば立ち止まりシャッターを押しまくり、ビデオ撮りまく発し大渓が見えるところまで約8キロメートルの道のりはしんどかったけど、やっぱり景色は最高だ。往復ではなんだかんだで約20キロメートル歩いたから11月 というのに汗びっしょり、約6時間かかった。でも、歩いて本当によかった、渓谷美を噛みしめながら歩くことができた。残念なことに三峡ダムができれば、この蜀 の桟道も沈むんだよな〜。あ〜もったいない。また、歩きたい〜。 った。なんだ結構楽にあるけるではないか、と思いつつ、それが30分ほどで地獄にかわった。道幅が約30センチとなり、草木が生い茂っている、しかも横を見る と長江が50メートル下ぐらいに流れているではないか。一人で歩いていたし、ここで落ちたらしばらくは発見されないんだろうな〜、と冷や汗を流しつつひた歩い た。景色を眺めにきたのに〜、と思いつつもそんな余裕もなくひた歩く。ほんとに落ちなくてよかった。
(左)徒歩中の一こま。険しい山々の間に長江が流れている様子がよくわかる。しかし、この電線はよく引いたもんだ。
(右)巫山の街を出発し、しばらくすると三峡第二の峡谷である巫峡が始まる。この写真は巫峡の入り口部分のところ。瞿塘峡とは違い、雄大であり、少し
開けた感じである。ここから雄大な景色が始まるのだ!しかし、巫山の街に夜に着いたけど、客引きはいるしなんかいぶかしそうな店もあるし、イメージとまった く違った街だった。そんななか、タクシーのにいちゃんと仲良くなり(彼は本当にいいやつだった)、いろいろと世話してくれた。景色も綺麗だし、思い出深い場所 だった。巫山もかなりの部分が沈んでしまうから、移転工事が進んでいた。この街から小三峡にもいけるため。タクシーのにいちゃんにも誘われたけど、時間の 都合上そこはカット。今度行くときは小三峡も行ってみたいものだ。
(左)この写真は三峡2番目の渓谷である巫峡。この雄大な風景は本当に綺麗だった。晴れていればそれはそれで綺麗だと思うが、少しモヤがかかっている
姿は幻想的だった。飛船(高速艇)の降り口は唯一、外の空気が吸えるところで、そこから寒風を受けながら撮ったものだ。でも、寒さはあまり気にならず、た だただ景色に見とれるばかりだった。
(右)もひとつおまけに三峡。これは3番目の渓谷である西陵峡。左下に見えているのが、今回の足である「飛船(高速艇)」。これは本当に早くて、長江の
波しぶきをものともせずに進むさまはなんともいえない爽快感だった。
(左)瞿塘峡を歩いているときに、このような船が何回も通る。これは民間船であるが、外国人向けの船になるとかなり豪華になる。こっちが手を振ると、向こ
うはあんなところに人が歩いている!と驚いて、みんな手を振ってくれた。なんとなく優越感に浸れたものだ。
(右)白帝城にも船着場がある。奉節からは約10キロある。この船着場につくと、地獄の階段が待ち受けている。港がかなり下にあるため、そこから道まで登
るのにかなり体力をつかい、白帝城はさらに300段ぐらいの階段を登らなければならない。まさに地獄。ちなみに、私は奉節のホテルから歩いてきたので、港 から登る必要はなかった。なお、三峡ダムができるとここも沈んでしまい、小島になるそうだ。
(左)この奉節の街は三峡ダムができると大部分が沈んでしまう。だから、破壊がどんどん進んでいた。行っていたときも爆破音が何回か聞こえたものだ。旧市
街にあった永安宮(劉備がほんとに死んだといわれているところ)に行きたくて何人にも聞き込みを行ったが、結局破壊されていたようで、移転先にあった甘婦 人(劉備の奥さん)と永安宮の石碑だけ見ることができた。
(右)三峡ダムができるとまずは135メートルまで水位があがり、最終的には175メートルのところまで水位がくる。あんなに高いところまでダム湖がくるのだ。
三峡ダムはここから下流200キロメートルのところにあるのに、なんということだ。街をあげての引越し作業を行っていた。
【瞿塘峡を歩く】
今回の最大の目的は瞿塘峡を歩くこと!なお、三峡は瞿塘峡、巫峡、西陵峡の3つの渓谷からなっており、瞿塘峡は三峡下りで最初
に通る渓谷で、全長は8Kmと3つの中で最も短い(ちなみに巫峡は44Km、西陵峡は75Kmある)。
中国入って2日目夕方、ようやく奉節に着いた。でも、坂道ばっかりで、歩いていても本当に疲れる。しかし、重慶から奉節までは飛船を
使ったが、7時間もかかりかなり疲れたな〜。
奉節にはこ〜んな階段もある。右手が船のキップ売り場。
次の日、2日目までの疲れを14時間睡眠でふっとばし、白帝城と瞿塘峡へ。ホテルは奉節からは梅渓を超えて白帝城の途中にあるの
で、白帝城までなんとか歩けるか、と思い歩き始めた。
白帝城までの道。左の写真に写っている船は座礁していた・・。右の写真は工事中で徒歩で歩くには少し危険だった。
しかし、1時間以上も歩いてしまった。その上、白帝城に着くと、地獄の階段が、もう汗だらだら。気をとりなおし、白帝城でしこたま写真を
とりまくり。三国志ファンには聖地のような場所だ。11時過ぎ、さー今回の旅の目的のひとつ、瞿塘峡を歩くぞ〜、ということで白帝城から 反対側に降りていき、橋を渡ってしばらくすれば赤甲楼。ここからの眺めが実にいい!
(右)赤甲楼からしばらく行くと、対岸に文字が書いてある。
そこを過ぎると、古棧道。上に行く道と下に行く道がある。上にいくとひたすら瞿塘峡を登り、山の上まで行っている(どこに行くのか?)。下
の道を歩き始めた。なんだ、なかなか歩きやすいじゃないか、景色もなかなかいいし。
(左)悠久の流れを感じる。(右)瞿塘峡から奉節方面を望む。
と思ったのもつかの間、風箱峡を過ぎてしばらくいくと、道の柵がなくなった・・・。おー下を見れば、長江まで約50メートルというところか。こ
こで落ちれば、俺は1ヶ月ぐらいは発見されないんだろうな〜、なんて不吉なことを考えながらひたすら歩く。
(左)風箱峡と書いてある。(右)このあたりから道がなくなってきた。
だんだんと景色を見る余裕がなくなり、ひたすら足元を見ながら歩く。白帝城過ぎて1時間30分ぐらいしたところからは、さらに道が悪化
し、道幅30センチ、そのうえ10センチは草が茂っている、なんて道もあり、はたまた木の枝なんかでさえぎられそうになっている道もあり、そこ をかぎわけ、かぎわけ、進んでいく。
足元さえ気をつけていれば、景色は本当に綺麗であった。
(左)なんて書いてあるかわからなかった。(右)真ん中のとんがったところが一番てっぺん。
ようやく信号台が見えてきた!あそこまでは頑張っていこう!
(左)あのとんがったところを超えると信号台。(右)これが信号台だ!
そして、ついに白帝城をでて2時間30分、信号台に到着、中には誰かいそうな感じだ(当たり前だが)。そこから10分ぐらい歩いて、大渓
鎮が見える景色のいいところを終着点にした。
(左)信号台から少し行ったところの小屋。中は少し不気味。
(右)対岸に大渓鎮が見える。ここから5000余年前の新石器時代の文物が大量出土したらしい。「大渓文化」とまで命名されており、重要な文化遺跡との
こと。
長江を渡る風がなんともいえず心地よい。ときたま通る船に手を振ったりすると、船に乗っているひとが驚きつつ、手を振りかえしてくれる。ひ
とりで瞿塘峡を歩いたあとだから、余計に心が暖かくなる。やっぱり、歩いてよかった〜、その場所で1時間ぐらいボーっとしてた。そこから来た 道を引き返して白帝城へ。帰り道、信号台の下で看板を見ていると、上(信号台)から人が、おいでといっている。お言葉に甘えて、信号 台に入れてもらった。中はハエとハチだらけ・・・。2人いて、大渓の街から小船にのって、信号台まで来ているそうな。いなくてはならない 時間が決まっているみたい。暖かい(というか熱い)湯をもらって、それを頂く。おいしかった。そのお礼に、マイルドセブンをおっちゃんに1箱あげ た。心温まり、帰り道へ。
(左)信号台にある看板。(右)おっちゃんとおにいちゃん。ほんまにいい人たちだった。
行きと違い、帰り道はかなり坂道が多く、かなりしんどかったが、何とか17時に白帝城に帰ることができました。信号台のおにいちゃんは、信
号台から巫山までは歩いて3時間でいけるよと言っていた。でも、後日、船で信号台から巫山まで行ったときに見てみると、かなり遠い し、3時間じゃ無理だろう、と思った。最低、巫山までは6時間はかかるでしょう。
その次の日、白帝城から巫山までは普通船で行ったが、すでに19時過ぎ。かなり暗かったが、船が照らしているサーチライトでかすかに古
棧道が見える。おー、あそこを俺は歩いたんだ!この足で!夜の闇にかすかに見える、古棧道、星空とマッチして最高でした。かなり寒か ったが、俺はずーと甲板で瞿塘峡から巫山までその道を見ていた。
(左)夕暮れの瞿塘峡。
(右)これが飛船。私は飛船のスピード感、爽快感にはまってしまい、移動はほとんど飛船だった。巫山から宜昌までの巫峡、西陵峡の部分も飛船で移
動。デッキ(唯一外が生で見れる)から長江の風を感じながら、雄大な景色を見るのはなかなかいいものであった。
(注)現在、三峡ダムができこの地域は水没中のため、瞿塘峡は歩けなくなっていると思われます。非常に残念ですが。
【旅の準備】
とにかくまだ行ったところがない瞿塘峡、しかも始めての中国一人旅、行くまではかなり不安であった。しかし、昔見た「三国志英雄の舞
台(1987年旺文社)」に写っていた、白帝城から瞿塘峡を撮影した写真が、それはそれは綺麗で、いつかはここに行くぞ〜!と昔からの 夢がある。しかも三峡ダムで水没寸前!行かなければならないのだ!
しかしそれにしても不安であった。そんななか、中国MLリストの管理者であるYasudaさんが、三峡を歩かれたとのこと。まさに千載一遇の
チャンス!貴重な情報をたくさん頂くことができた。本当にYasudaさんには感謝感謝である。
それとともに参考にしたのが、長江三峡徒歩情報のWeb ページだ。中国の方々は結構、三峡を歩いているらしい、しかも、瞿塘峡だけ
でなく、巫峡も西陵峡も歩いているではないか。よっぽど、後の二つも歩こうかと思ったが、さすがに自信なくやめた。このWebの中に掲載さ れていたのが、以下の地図であるが、ちょっとあやしい。だって、白帝城は北側にあるはずだが何故か南側だし、歩けるところを赤線で引い てあるものの、どうも歩けそうにないし。でも、歩いた人がいるんだという勇気付けにはなったものだ。
なお、以下のホームページも参考になる。
@三峡付近
ここに写っているのはひょっとして小島になった白帝城・・・。
A瞿塘峡
【旅のメモ】
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