【旅程】
【この旅行で行った三国遺跡】
劉備故里、楼桑廟村三義宮、たく州張桓候廟、張飛井戸、桃園飯店、鼓楼大街、たく州火車駅、影視城たく州基地
【旅行記】
今回の旅の目的はもちろん三国志、そして、劉備玄徳と張飛翼徳のふるさとを訪ねることだ。幸い2人の故郷は近く、しかも北京から南
に60Km行ったところの河北省たく州市にある。日本からも行きやすいためか、日本人観光客も増えているようだ。
この季節は綿が舞うのか、北京空港に着いたときから綿が舞っていた。今回は日本から自転車を持ち込むという初めての試みだったので、
慎重に梱包した自転車を空港のターンテーブルから下ろす。そのままカートに積み込みタクシーに直行した。タクシーは白タクとわかっていな がらも、たく州まで行きたかったのでそのまま乗り込む。フォルクスワーゲンという高級車でもあったので、多少高くてもいいかと思い乗った。中 は革張りでかなり乗り心地がいい。
北京首都空港から首都空港高速道路、環状高速を経由して京石高速でひたすらたく州に向かう。京石高速で北京の外れにあたる
盧溝橋を過ぎたあたりから、あたり一面、畑が続く。そして、たく州に近づくにつれて空港で舞っていた綿の数はかなり増えていった。ここは 綿花の産地だからか?と思いつつ、もう周りは綿だらけ、雪が降っているようであった。綿の中、一路、たく州へひた走る。運転手の若いに ーちゃんは機嫌がいいのか、タバコを勧めてくれたり、いろいろと話しかけてくれる。でも、中国語はまったくわからない。悲しい。こういうとき中 国語を勉強しとけば、といつも思うのだが後の祭りだ。機嫌がいいのは、やはり長距離になってタクシー代も高いからか!?
そんなことを思いながら、ホテルの地図を差し出し、「ここだ」というが運転手のにーちゃんはホテルの場所を知らない。車はすでにたく州と思
われるところに突入している。こりゃやばいかな、と思った矢先、インターチェンジの横に今回予約している「陽光飯店」が見えた。にーちゃ ん、「あれだあれだ!」と得意そうに連呼している。こっちも一安心だ。ホテルに着くとタクシー代500元を支払う。高いかな、と思ったものの、 空港から自転車をトランクに積んで、快適につけたので、まーよしとしよう。北京空港に昼過ぎに着いてからわずか2時間弱でたく州までこ れたことを思うと、時間の節約という意味で非常に価値がある。15時にはたく州のホテルに到着だ。
にーちゃんがトランクから自転車を下ろしてくれて、にやっと笑って、これでサイクリングか?というジェスチャーをする。こっちもそのためにここまで
来たんだと言わんばかりに、満面の笑みで返事する。分解された自転車を車から降ろし、チェックインするのも忘れて喜び勇んで組み立て た。
(左)京石高速の北京市と河北省との境界線での料金所。
(右)河北省はこんな感じの畑が多い。
今回2泊する陽光飯店はたく州市でも東に位置する。高速道路はたく州市街地の東を走っており、たく州のインターチェンジを降りれば
範陽東路とぶつかり、左折して高速をくぐると陽光飯店に到着する。陽光飯店は3星であるが、まったくそんな感じはなく、ホテルマンもしっ かりしていて対応もいいし、部屋もかなり綺麗であった。十分満足のいく水準である。田舎町なので3星のレベルも高いのか?
陽光飯店の外観と部屋の中。おそらくたく州市でも一番のホテルかも。外国人が泊まれるホテルが他にはあまりないらしい。
陽光酒店の部屋からの眺め。(左)京石高速が見える。(右)のどかさがわかっていただけるか。
ここで、たく州市の紹介であるが、たく州市は劉備や張飛が生まれたというだけでなく、昔から「天下第一州」といわれており、2000年余
りの歴史を持っている。華北平野でわりあい早くから開けている街で、人口は58万人、410の行政村があるようだ。面積は745.5Kuと いうからかなり広い。中国の街はどこに行ってもそうであるが、このたく州市も、人口規模の割りには人が多いという印象を受ける。どこからと もなく人があふれてきて、夜になってもまったく人通りが絶えない。非常に活気のある街であり、私がこの街が非常に好きになった。
なお、たく州の「たく」は「さんずい」に「豚の右側」を書くのであるが、ここでは字がでないためひらがなにしている。
さて、自転車を組み立てたら、もうサイクリングしなければ気がすまない。予定では初日はホテルでゆっくりしようと思っていたが、15時にホテ
ルにチェックインとなれば話は別だ。荷物を部屋に置いて、すぐに街に繰り出した。しかし、このホテル、たく州でも相当東にあるらしく、こい でもこいでも中心部に着かない。5月とはいえ日差しも結構きつく、かなり暑くなってきた。先が見えない道でのんびりこいでいると、後ろから 若い女性がどんどん抜いていく。さすが自転車大国中国、自転車をこぐのもかなり速い。範陽東路をずっと西に行けば中心部に出るが、 その通りは振興企業の新しいビルがところどころに立っている。このあたりまで経済発展の波がきているのか、と思い中国のパワーを感じる。 しかし、なかなか着かない!30分はこいだだろうか、ようやくロータリーのなかにこじんまりしたタワーが立ち、市民広場らしきところに着いた。 中国の街はどこでも市の中心部に市民広場がある。ここまでくればもうすぐだ、と思い、写真を撮った後、自転車をさらにこぐ。ゴールが見え ると、人間は元気になるものだ。この頃から、中国人民たちがこぐ自転車のペースと完全に同化していた。
前記したが、たく州は田舎の街といえども活気がある。街中に入れば人が極端に増えてきて、自転車も気をつけないとぶつかってしまう。こ
じんまりしていい感じだ、と思っていたら電器屋の前でイベントをやっていた。田舎の歌手らしき人がステージで歌っているが、それを見ている 人も多い。別に何することもなく見ているのだと思うが、こんな単純なイベントでも人だかりができるとは、さすが人が多い国だ。そのままたく 州駅近くに行ったが、もう止まらなくなった。明日行く予定だった張飛故里まで行ってみようと思い立った。たく州の街から国道107号線を ひたすら南下すること約1時間、ようやく張飛廟の標識が見えてきた。北京から保定、そして石家庄へと続く幹線道路であり、さすがに車 の往来が激しい。大型トラック、バスががんがん走っている。その横を自転車で走っていると、排気ガスで気分が悪くなってきた。
張飛廟の標識があるところから国道を右にそれ、鉄道の下をくぐるとそこは一面桑畑だ。しばらく行くと西皋村に突入し、村ののどかなメイ
ンストリートを過ぎると張飛廟がある。このあたりであの豪傑張飛が生まれたんだ、と思うと感慨もひとしおだ。今でもこんなにのどかなんだか ら、三国時代の1800年前はどんな感じだったんだろうと思いをはせる。ひょっとして今とあまり変わらないのかもしれない。張飛廟や張飛井 戸を堪能する。しかし、以前はポツンと井戸があるだけだったようだが、今は張飛故里旅游開発会社というのができており、ちゃっかり入場 料20元を取られた。なお、張飛は肉屋だったので、この井戸に肉を隠していたと言われている。井戸には200キロを超える石で蓋をしてい たが、後に義兄弟となる関羽が通りかかり、石を軽く持ち上げ、肉を持っていってしまった。それに激怒した張飛は関羽と大喧嘩となった。 そこを通りかかった劉備が仲裁に入ったというものだ。これはどこまでほんとの話かわからないし、この井戸が1800年もそのままあるとは思えな いものの、三国志ファンとしてはそれを信じて観賞しなければならない。なお、張飛の実際の墓は、遠く離れた四川省にあるのだが、中国 では生まれ故郷に墓を作るという慣習があるようで、張飛もここに立派な墓を建ててもらったというわけだ。
張飛のふるさとをひたすら堪能したあと、気がつけばもう18時近くになっている。この近くにある三義廟は明日にするとして、一路、たく州の
ホテルに引き返した。しかし、朝は日本にいたのに、もうすでに自転車に乗って中国に同化している。なんか不思議の空間にいるような錯 覚を覚えるが、中国は日本から近いということか。ホテルへの帰り、おなかがすいた。たく州の街中でふと見つけたケーキ屋(パンも売ってい る)がある。その臭いを嗅ぐともう店に入るしかない。もともと甘党なので、クリームが入ったパンを買った。それがめちゃくちゃうまかった。しかも 大きくて激安。パン3種類買って6元(約80円)。たく州の街をチャリをこぎながら、パンを食べる、なんて幸せな瞬間なんだろう。その夜は明 日からに備えて早くに就寝した。
(左)陽光飯店から範陽東路を西の市中心部に走っていると、この「天下第一州古碑楼」がある。これは一見の価値あり!
(右)たく州市中心部。店もそこそこ並んでいる。
(左)たく州中心部にある「平民共建文化広場」という市民公園。多くの方が散策していた。
(右)平民共建文化広場の南側にあるタワー。こんなものがたく州に、しかも交差点の真ん中に・・・、といった感想。おそらく、文化広場のモニュメントととも
に、たく州のシンボル的な存在に違いない。しかし、新シンボルは三義広場の「劉備・関羽・張飛像」だ!(と決め付けている)
たく州は西と北に強固な城壁を持っている。この城壁から間近に見える石塔は遼時代(12世紀)の仏塔である。仏塔のあたりは下町といった感じである。お
ばあちゃんがぽつんと家の前で座っていたりして「いい雰囲気」の場所であった。たく州中心部からは、少し北に行けばこの仏塔が目に入る。2つあるようで、1 つは修理中であった(右の写真の左側の仏塔)。
5月5日(2日目)
昨日は日本から着いていきなり張り切りすぎたのか、足が筋肉痛だ。しかも、普段はほとんど自転車に乗らないのに、いきなり3時間も自
転車に乗ったらあかん。おしりもかなり痛くなっている。それでも今日は三義廟と劉備故里に行くぞ!ということで、痛い体に渇を入れてホテ ルを後にする。昨日行った同じ道をそのまま行くのだが、たく州の街中にも三国遺跡がある。まずは鼓楼大街だ。この通りの中間ぐらいまで 行けば、右手に公益街がある。そこに入って少し行けば三義廟胡同というひっそりとした横町がある。昔はその奥に廟があって、劉備・関 羽・張飛を祀っていたらしい。この像は珍しく、関羽と張飛が殴り合い、それを劉備が仲裁している像だったらしい。これも文革で壊された。 非常に残念である。ここには三国時代から穀物市場があった。この穀物市場で次の言い伝えがある。張飛井戸に隠していた肉をとった関 羽は、悠々とこの穀物市場に来て緑豆を売っている。そこへ後から駆けつけた張飛がきて、緑豆をこなごなにつぶし挑発する。そこで2人の 喧嘩が始まり、そこに通りかかった劉備が仲裁を行った。ここで劉備は「男たる者は国のために力を使うべきなのに、どうしてこんなに 小事にこだわるのか!」と名ゼリフをはいた。それに2人は感じ入り、桃園の誓いにつながっていくのである。その舞台となったのが、ここ鼓 楼大街である。
そう、かの有名な「桃園の誓い」はこのたく州が舞台だ。それにまつわり「桃園飯店」なるホテルがある。実はこのホテルに泊まるべく日本か
ら予約しようと思ったが、改装中とのこと。仕方なく違うホテルにしたのだが、絶対に行きたい場所であった。入り口に行くと守衛が立ってい るが、それを何も言われずに通過できた。するとホテルの庭には、劉備石像やら桃園の誓い石像やらあるではないか!それに感動したのも つかのま、玄徳路とか翼徳路という通り名や、さらに宿泊部屋が、玄徳苑や翼徳軒などとしゃれた名前をつけている!玄徳や翼徳は劉 備と張飛の字(あざな)だが、やるな桃園飯店!三国志ファンにはたまらないホテルだ。部屋も少しのぞいてみたがなかなか綺麗である。 次は絶対にここに泊まるぞ、と決心してそこを後にした。さー次はメインイベントの三義廟と劉備故里だ。
昨日の道をまたひたすら南下する。今日も車の往来がかなり激しい。排気ガスでだんだん気分が悪くなってきた。三義廟に曲がるところに
は三義広場という最近できた公園がある。そこのベンチでたまらず休憩。しばらくうとうとしていたが、いっこうに気分がよくならない。仕方な く、そのまま三義廟に行く。ここもごたぶんにもれず、最近開発が進んでいる。真新しくてどうもうさんくさい。最近できたばっかりで、いかに も、といった感じがぬぐえない。三義宮の入り口には、ジュース売り場なんかもあって観光地化されつつある。ここも入場料は20元で、たく州 市三義宮旅游開発会社ができている。体調が悪かったのも相俟って、この真新しさが好きになれなかった。しかし、この廟がある三義廟 村の雰囲気は非常によく、田舎の村に来たんだと実感する。ちなみに楼桑廟村は、廟ができて村ができた、という面白いところだ。
昔、劉備故里の「大樹楼桑村(ここから南東に約4Kmぐらい)」に廟を作ろうとして資材を運んでいたが、この「楼桑廟村」で荷車が動か
なくなってしまった。これも劉備の思し召しということで、この地に楼桑廟を作った。それが唐の時代の900年ぐらいの話。その廟は1970年ま では残っていたそうで、かなり大きく豪華なものであったようだ。残念ながらそれらは文革で壊され、残っていたのが山門だけだった。それを近 年になって、再建したという珍しい廟である。どうも楼桑廟村の三義廟といい、西皋村の張飛廟といい、このあたり一帯を三国志にちなん で再開発しようという意図があるようだ。そのあらわれのひとつとして、107号沿いの三義公園に「劉・関・張像」も作られたのだろう。たく州 市あげて三国志開発、いいことではないか。三義廟も張飛廟ももっと年代もんになってくれば、いい味を出すと思われる。
さて体調が悪いものの、次は劉備故里だ。ここは最も行きたかったところなので、しんどいながらも胸がはずむ。三義廟から南東4Kmという
ことだが、これもなかなかつかない。でっかい工場や松林店鎮の役所の横などを通りすぎながら、「まだか〜」と1人で吠える。すると、もうそこ は超田舎あぜ道の一歩手前という道になっていた。こんなところにあるのか?と思いながらだんだんと路頭に迷ってくる。あげくのはてに、でこ ぼこ道になってきやがった。中国の田舎道は日本の田舎道とは比較にならないほどすさまじい。でこぼこってもんじゃなく、完全な小山っぽ いでこぼこになっているもんだから、自転車も進まない。ますます気分が悪くなる。さんざん探し回った挙句、しかもカメラが何故か壊れてし まった。もしこのまま着いても、写真が撮れない、と思うと急に行く気力がうせた。このままあきらめるのか!?いやいや、夜にホテルでカメラを 修理して、明日出直そう。そう思い立ち、国道の裏道なるところを今度はひたすら北上した。この道はかなり快適であった。車が通らないの で排気ガスもない。始めからこの道を通ればよかった、と後悔。中国の田舎の村々の間を自転車でこぎながら、その風景を楽しむ。非常に 楽しいひと時になり、さっきまではきそうだったのが嘘のようだ。何か楽しいことがあれば、疲れも吹き飛ぶものだ。5月といえどもかなり暑かった ので、たく州についた頃、道端で売っていたアイスを食べた。バナナ味だったが、それがまたうまいこと!日本で食べたらどうかわからないが、こ のときはほんとにうまいアイスだと思った。言うまでもなくその日はホテルで爆睡であった。
5月6日(3日目)
今日は何が何でも劉備故里に行くぞ!と決心してホテルを出る。今日中に北京に帰らなければならないこともあり、少々あせる。自転車
でまた同じ道を行く気もせず、タクシーを利用する。たく州駅前でタクシーを拾い、劉備故里までぶっとばす。タクシーで行っても40分はゆう にかかるところだ。しかも、その運ちゃん、3回ほど現地の人に場所を聞いていた。タクシーの運ちゃんすら知らないところに、俺がいけるわけが ない、と昨日の失敗も妙に納得する。そして、ついに感動の瞬間が訪れた!2日がかりで行っただけあって、ただただ感動。そこには石碑の ようなものがぽつんとあるだけであるが、ここが大樹楼桑村なんだ、劉備玄徳が生まれた場所なんだと思うと、感動もひとしお。劉備ファンと しては、大樹楼桑村はたまらない。三国志の世界では、今ひとつぱっとしない劉備だが、そのぱっとしないところが人間味があって共感でき る。そんな劉備にほれ込んで、ここまでやってきたのだ。
昔、このあたりには大きな桑の木があり、遠くからも見えていたらしい。清朝末期までその切り株が残っていたらしいが、今はもうない。もちろ
ん、劉備の故宅もその近くにあった桑の木ももうなく、その上には家が建ち、道端に三角形の空き地が残っているだけだそうな。その場所ま ではわからなかった。石碑の横には小学校があり、近所の男の子が寄ってくる。ひとなつっこい笑顔で話しかけてくるが、中国語はさっぱりわ からない。ここでも中国語勉強しとけばよかった、と後悔する。でも、彼の笑顔を見ているだけで心が和んだ。タクシーの運ちゃんを待たせな がら、しばしボーっとする。十分堪能した後、名残おしくそこを離れる。この場所はもう一度、行ってみたいと強く思う。
(なお、三国遺跡の詳しい紹介は三国志データベースに記載している)。
その後、ホテルで自転車をピックアップした後、同じタクシーに自転車を積んで、影視城たく州基地に行った。日本で言えば映画村だ。三
国志映画の撮影が大々的に行われたが、その舞台のひとつとなったのがこの場所。三国志映画は中国でもかなりはやったようだ。なお、 事前の計画では、たく州からこの影視城まで自転車でいって、そのまま北京に帰る予定だったが、もうそんな気力はなく、タクシーしか考え られない。影視城では目玉の銅雀台(曹操の居城)セットだけを見て、すぐに出た。しかし、入場料が50元とバカ高い。そのうえ中は尋常 じゃなく広いので、バスに乗らなければ到底歩く気力もおきない。そのバスは貸切りになるもので、若いねーちゃんが最初100元とふっかけて きたけど、そんなバカな〜ということで結局60元まで値切った。でも高い。割りにあわんな、と思いながらそこを後にし、同じタクシーで北京ま で行く。盧溝橋を過ぎたあたりでおろしてもらいお金を払う(確か200か300元ぐらいだったか?)。劉備故里までいけて、しかも北京まで送 ってもらったわりには、かなり安い。しかも、6時間ぐらい拘束してることを考えても安い。ただ、それは日本的感覚で、たく州のタクシー運ちゃ んということを考えると、1日2、300元をもらえる仕事なんかは普段はないだろうな、と思ってしまう。そのあたりが中国旅行でお金を払うとき の難しいところだ。
北京はたく州と違って、格段に人が多くなる。タクシーを降りたところから、自転車で天安門近くのホテルに行くが、途中、自転車道がなく
て苦労した。しかもSARSがはやっているとき、その患者を収容していると思われる病院の横も通ってしまった。そんなこんなでようやく天安門 に到着!まずはマクドナルドで腹ごしらえだ。しかし、あの天安門の横を、自分の自転車で通っている!と思うとかなり興奮する。中国の 観光地でも、やはりこの天安門と広場が最も好きなこともあり、夢心地だ。
今回はわざわざ日本からマイチャリを持ってきて、中国に同化するのが目的だ。もちろん、自転車を中国で買ってもいいし、借りてもいいの
だが、やっぱり日本から持っていきたかった。自転車に乗っていて特に感じることは、以下のことだ。
@中国の人たちが近くに感じる。
A行動範囲が格段に広がり、ほとんどどこにでも自由に行ける。
Bどうも現地の方は違和感があったようで、私のほうをじろじろ見ていた。
C中国の道路は自転車が走りやすい。
中国の人たちと同化して自転車に乗ることはいいことだ。不思議なことに何故か親近感がわく。別に会話しているわけではないが、交差
点で信号待ちしているときでも並走しているときでも、その一体感が非常に嬉しかった。それと、今まではちょっとどこかに行こうと思っても徒 歩ばかりであったが、自転車があることにより、いろんなところに行ける。今回も北京の天安門から北京動物園前の吉野家まで牛丼を食べ に行ったが、自転車で簡単に行ける(40分でいけた)。ちょっと無理すれば、かなり郊外まで行くことも可能だ。非常に便利である。ちなみ に吉野家の牛丼は↓。久々のまともな食事でもありかなりうまかった。大盛りで19.9元(約260円)、アイスコーヒー6元(約80円)。 中国にしてはかなり高い。
それと、中国の道路は自転車専用レーンを幅広くとっていて、天安門広場の前でもかなりのスペースを割いて自転車専用レーンがある。
これは非常に走りやすかった。さすが自転車大国中国だ!逆に歩道は自転車での走行は適さないし、走っていると、白い目で見られる ような感じを受けた。
天安門前の自転車道。かなり広く、5台は軽く並走できる。
(左)天安門広場東側の自転車専用レーン。(右)自転車用の信号機もある。
また、車は右側通行でそれを守るのは当たり前なのだが、なんと自転車もその流れに沿って、みんな右側通行で走っている。それを逆走
するようなことになれば、何回かぶつかりそうになったものだった。これも、ひとつのルールなんだろう。
自転車で走り回るのも最後の日だ。北京には15時ごろに着いたが、そのまま走りまくる。故宮の周りはもちろん、人民大会堂、景山公
園、胡同などなど、いたるところを走りまくる。爽快だ。夜になってもまだまだ元気。昨日はあんなにしんどかったのに不思議なものだ。もうこ うなったらホテルにいるのがもったいない。夜23時ぐらいまで夜の北京を走りまくる。そんな時間でも、人がまったく減らないのが不思議だ。夜 の天安門広場もいい感じだ。広場のなかには自転車は入れなかったが、なかで記念撮影している人、凧あげてる人、人があふれている。 このときは知らなかったが、天安門広場は22時になると、いっせいに清掃車が入ってきて掃除を始める。21時50分ぐらいになると、天安門 広場から強制的に退去させられる。そしてゴーっという清掃車の音とともに掃除がはじまるのだ。その光景を見て、またしばらく走るものの、 まだ走りたい気持ちを抑えつつホテルに戻る。3泊4日は短いものだ。あっという間にすぎる。しかし、充実した3日だったと振りかえりつつ就 寝。
5月7日(4日目:最終日)
朝目覚めて一番思ったことは、自転車をまた飛行機に積んで帰るのか、ちょっとおっくうだと思ったことだ。昨日はホテルの前にカギかけて止
めていたので、タクシーひろってトランクに積んで・・、などと考えていた。しかし、チェックアウトしてその場所に行けば、自転車の影も形もな い。おいおい、ひょっとして盗まれたのか!?しばらくあたりを見渡すが、やっぱりない。後で聞いた話だが、中国では自転車の盗難は日常 茶飯事。外に置いとくほうが悪いらしい。最後にオチがついたが、もともとメイドインチャイナの自転車だったので、生まれ故郷に帰ったんだ。 そう思うと気が楽だ。それにしても「誰や俺の自転車盗ったのは!」「返せ〜!」と叫びたい心境であった。無事に日本に帰ることが できず、非常に残念であったが、十分にたく州と北京の旅を満喫させてくれた自転車に感謝している。今頃、どこの誰に使われているんだ ろうか。中国の大地でたくましく走り回ってほしいと願う。
〜旅行記・完〜
【大好きな北京!】
(左)北京といえばまずはここだ!毛主席の絵を見ると、北京に来たんだ〜、と実感する。中華人民共和国万歳!世界人民大団結万歳!
(右)毛主席の油絵は1年ごとに書き換えるそうである。今年の絵を架け替えると、すぐに来年の絵を描き始めるらしい。
(左)天安門広場の横には、この人民大会堂がどーんと建っている。こうやって見ると小さそうに見えるが、かなり大きい。手前に人が立っているので、それと比
(右)人民大会堂の反対側には国立博物館が建っている。天安門広場の東側だ。1959年に建造され、旧歴史博物館は30万点の所蔵品があるようだ。較すると大きさがわかる。1959年9月に落成したようで、南北336m、東西206m、高さ46.5m、建築面積は約17万uというから相当大きい。中の会議場 には1万人収容できるようだ。さすがは中国人民の国会議事堂、規模が違う。 機会があれば行ったみたいところだ。 真には、ここからの景色を使われることが多い。故宮を一望できるこの場所で、しばしたそがれていた。なお、公園というだけあって、さすがに花や緑が多い。面 積は23万50uの公園で、景山の高さは43m(海抜108m)である。この山の東山麓には、明の最後の皇帝、祟禎帝が自害された場所がある。ラストエン ペラーはどの時代も大変だったんだろう。なお、この公園前の公道に自転車を置いていたのだが、何故か自転車保管料をとられそうになった。どこからともなく おじちゃんがやってきて、お金!といっていたが、無視した。なんで公道に自転車置いて、金とるねん!
(右)故宮の西北部の眺め。堀があまりにも綺麗だったので、撮影してみた。西日があたって綺麗だった。
(左)天安門広場には孫文の写真(これも油絵?)があった。この時期は特別に設置するらしい。天安門の中から見ると、ちょうど孫文の顔が見えるように配
置されている。
(右)紫禁城の東門。自転車でサイクリングをしていると、突如この門があらわれた。見事な色使いのライトアップで、かなり綺麗である。この門は紫禁城の通
用門として利用されているため、一般ピープルはこの門から出入りはできない。 である。
【中国にマイチャリを持っていくときに留意すること】
@航空会社に自転車を持って行っていいか確認すること
荷物扱いか貨物扱いかにするかなんだかで、自分が乗る飛行機の空きスペースを確認してくれる。後日、OKの連絡をもらった。なお結果
論ですが、私が搭乗した5月4日の関空ー北京線は乗客わずか20名でしたから、まったく問題なかったんでしょうね。
A飛行機に乗せるときはタイヤの空気を抜くこと
空気を入れとくと気圧の関係で上空でタイヤが破裂する。なお、空気を抜くとなると、現地でどうやってタイヤに空気を入れるか、という問題
が生じる。私は、日本で携帯用の空気入れを3千円程度で買って、それを中国に持っていった。かなり軽く1kgないぐらいの携帯空気入れ だ。自転車走行中は、自転車にサポーターでくっつけておいた。なお、空気を入れる部分は形が3種類あって、自分の自転車がどの形態 のものか確認しておくこと。出発前に空気を入れる予行演習が必要である。
なお、たく州の道端で休憩しているとき、お母さんと小さい子どもが自転車で並走してきたが、こどものタイヤの空気がどうも少ない。子ども
が文句を言ってると、そのお母さん目ざとく俺の空気入れを発見し、貸してくれ〜とすごい勢いで言ってくる。もちろん貸してこどもの自転車 の空気もパンパンになった。一件落着。
B飛行機に乗せるときの梱包は厳重に
梱包については航空会社からは特に指示がなく、不安であればダンボールなどに入れてください、といわれた。預け中に破損しても保障し
ない、ということの同意書を書く必要があるので、破損しないための防衛が必要だ。私の場合、クッションになるようなビニールを、とにかく、 あらゆるところに巻き、ガムテープで止めまくった。その上から、他の航空会社製(知人ルートで入手)の大きなビニール袋に自転車をすっぽ りと入れた。現地に着いて破損していたらシャレにならないからね。おかげでまったくの無傷であった。
なお、私の場合はANAであるが、梱包の仕方は航空会社によって違うようである。これも、事前に要確認である。また、私はANAのプラ
チナ会員であるため、多少の荷物の取り扱いなどの優遇があったのかもしれない。
C工具類はすべて持っていくこと
私は折りたたみ自転車を日本で買って持っていったが、それに付随する工具はすべて持っていった。組み立ての必要があるため当たり前
であるが。工具は後記の「ちょっとした失敗談」のときは大活躍であった。なお、念のため自転車組み立ての説明書ももって行ったが、それ は全く使わなかった。
Dパンクの場合の対処について
これはかなり悩んだ。簡単な修理道具を持っていくか、スプレー式のものを持っていくか、パンクしないという楽観視するか。修理道具を持っ
ていくと荷物が増えるし、スプレーは飛行機の手荷物検査でひっかかる可能性があるし、ということで、楽観視することにした。結局はパンク しなくて済んだわけであるが、自分で何かを持っていくという心配はまったく無用である。というのは、中国は自転車大国、自転車屋はどこ にでもあった。たく州の少しはずれにでも、何軒もあったから、まったく問題ないだろう。ただし、今回行った劉備故里など、ど田舎に行くとき は覚悟が必要かもしれない。ただし、自然と車輪の進むコースをチェックしながら走っている自分がいた。視力は1.5あるので、道にクギなど が落ちていないかは十分にチェックできた。
E自転車はタイヤに空気が入っていなければかなり重い荷物である
行く前までは、18Kgなので何とかもてるだろ、という安易な考えであった。しかし、実際に持ってみると、かなり重い。これを持ってバスに乗っ
たりするのは、少し無理だと思い、金がかかるものの移動にはタクシーを使うことにした。片手では到底持つことができなかった(持つ部分が ない、持ちにくいという理由はあるが)。なお、日本においては、関空まで家から近いので車で送ってもらった。
Fおしり対策を万全に
おしりはかなり痛くなる。私の場合、2日目からは痛くて顔がゆがむぐらいで、最終日になると、おしりを浮かす立ちこぎばかりしていた。立ち
こぎは早くていいものの、優雅に景色を楽しむ余裕はなかった。これについては、結局、克服策は考え付かなかった。タオルを座るところに 巻くことも考えたものの、もう一緒かな、と思い、結局、無策であった。しいていえば、折りたたみ自転車を購入するときに、おしりのバネがど のぐらいなのか、チェックするぐらいだろうか。とはいうものの、どの自転車でも長時間乗れば、おしりが痛くなるのは宿命なんでしょうね。日本 を出発する前から、自転車に慣れておしりの皮を厚くしておくしか対処法はなさそうだ。
G埃や排気ガス対策を!
もともと中国はほこりっぽい。自転車で車の横を走るのであれば、かなりの埃や排気ガスを浴びることになる。予想していたものの、大丈夫
だろ〜、と安易に考え特に対策もとっていなかった。しかし、予想以上にこれはすごかった。何度かマスクを買おうと思ったぐらいだ。2日目に 気分が悪くなったのも、確実にこれが原因だろう。
【ちょっとした失敗談】
そういえば、初日に少々トラブってしまった。これは完全に自分の準備不足なのであるが、ペダルの左と右を間違えて、逆につけてしまって
いたのだ。たく州のホテルで組み立てているときに、なんか、ペダルが半分ぐらいまでしか入らないな、と思っていたが、まーえーか、といういつも のええ加減さが「あだ」になった。
到着初日、たく州中心部から張飛廟へ向かう坂道のとき、左ペダルに力を入れた瞬間、「ばしっ」という音とともに、左ペダルがぼとっと地
面に落ちてしまった。半分までしかペダルの接合部分が入っていなかったから仕方ない、当たり前のことだ。仕方なく、また付け直すが、どう も半分までしかつかない。この時点では、ペダルの右と左をつけ間違えているのに気づいていない。というか、ペダルに右と左があったなん て知らなかった・・・(完全に準備不足!)。
その後、ペダルをつけてははずれ、また直し、またはずれの繰り返しで、これじゃ到底2日目以降の日程が消化できない!と思い、道端で
悪戦苦闘する覚悟を決めた。すると、ペダルに「L」とか「R」とか書いているではないか。なんじゃこりゃ? えっ、ひょっとして、レフトとライトで っか!? しかし、気づくのが遅し!右側は難なくがっぽりとペダルがはまったが、左側がどうも半分ぐらいまでしか入らない!というのは、接 合部分のかみ合わせ部分が、半分ぐらい磨り減っていたのだ。
もー勝手にせい!と思い、また付けてははずれ、付けては外れの繰り返しであったが、すでに夕暮れ時。あたりは暗くなり始めている。何回
目かペダルが外れて、あーまたか、と思いまた付け直すと、奇跡的に接合部分がすべてがっぽり入ったではないか!よかった〜、なんかよく わからんけど、がっぽり入った瞬間は、何とも言えない「快感」であった。これでめでたしめでたし、2日目からも快適なチャリンコ生活が送れ る、とありなりました。
こんな完全な自分の準備不足で、ここまで長く文章書くか、といった感じですが、あの時は本当に四苦八苦でしたよ!マジであせりまし
た。自転車もって行くときは、組み立ての予行演習を行っていきましょう!
また、私が買った自転車を日本で試乗しているとき、チェーンが「ブチッ」と切れてしまった。しかも、買ってからまだ3Kmほどしか走っていない
のに!それで、あわてて商品交換してもらった経緯もある。チェーンが切れた原因は、変則切り替えを頻繁に行っていたためであるが、それ にしても試乗をしておいてよかった。さすがに中国でチェーンが切れると、それを修復するだけの自転車屋があるかといわれると、おそらく簡単 には見つからないだろう。特に今回のようなたく州であれば、チェーンまで直してくれるような自転車屋はなさそうだった。
とはいうものの、高価な折りたたみ自転車を持っていくつもりは毛頭なかった。チェーンが切れるぐらいのリスクを負っても、盗難などを考える
と、安いものを買って、最悪、中国においてこよう、あわよくば売ってこようと思っていた。結果的に盗られましたが。
いろいろとやらなければならないことはあるものの、いったんもって行けば、中国の大地をマイチャリで疾走できる! あれは本当に
気持ちいい! それまでの苦労も吹っ飛び、苦労以上の喜びがある!
その一例として、以下の胡同(フートン)を紹介する。今や胡同は旅行者に人気の場所だ。胡同とは、要は北京の横町や路地なので
あるが、北京には昔は3000を越す胡同があったらしい。しかし、今は再開発でどんどん姿を消している。そんな開発ラッシュの中、胡同め ぐりというツアーまで出来ているようで、昔の中国らしさを懐かしむ人が増えているのだろう。
しかし、自転車があれば、自由に胡同に行くことができる。以下の胡同は、石碑胡同と言われるもので、天安門からそう遠くない場所に
ある。ここも再開発をあやうく免れたようで、この通りからは、北京オリンピックで使われる建設中のドームが見えていた。ある種、バブル期の 西新宿のようである(当時、住んでいたもので)。
(左)左の道をしばらく行けば天安門。(右)ひっそりとして生活観がある。
【マイチャリ追悼コーナー】
このコーナーは、マイチャリが元気に日本に帰ってきて、このチャリが中国のこんなところも走ったんだ!というコーナーにしようと思っていた。し
かし、盗難により追悼コーナーになってしまった。こんなはずじゃなかったんだけどね〜。ペダルがなかなかつかなかったことが懐かしく感じる わ。誰や!返せ〜!(って、しつこいか)
(左)たく州の107号線沿いでペダル修理中
(右)天安門広場とマイチャリ
(左)人民大会堂とマイチャリ。(右)大和門とマイチャリ。
【次回に向けて】
今回は使わなかったが、自転車を持ち運ぶときに使う「輪行バック」というものがあるらしい。また、電車やバスに載せるのであれば、小さな
自転車のほうがいいかもしれない。自転車を使わない移動が多いのであれば、これらの小さな自転車と輪行バックを活用するのも手であ る。
【旅のメモ】
黄色は三国志関係遺跡
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