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再び鎮江。甘露寺に佇み長江からの心地よい風を受ける

旅程

  2015年5月2日
関空⇒上海⇒鎮江
Crowne Plaza Zhenjiang泊
5月3日
鎮江(甘露寺)⇒上海
レ スイーツ オリエント(上海東方商旅酒店) (Les Suites Orient, Bund Shanghai) 泊
5月4日
上海⇒関空

(写真は鎮江・甘露寺・鉄塔)

旅行記

三国志の旅の最終章である広元周辺を考えていたが、日程的にキツい。やはりまとまった日数がないと行きたいところには回れない。四川は断念。
でも中国のどこかに行きたいということで、江蘇省で探してみる。南京と考えたが、どうも気が進まない。そこで11年ぶりになるが、鎮江にいくことにした。鎮江は以前行ったときはとても気に入った街だった。のどかだし、甘露寺から見る長江は美しかったし、何より甘露寺の雰囲気がいい。上海からも近い。ということで短いけど2泊3日で鎮江に決定。
広元周辺はおあずけだ。いつになるかわからないが、最終章はとっておいたほうがいいのでは、とも思う。


5月2日
いつものANAで上海へ。GWなのでやはり人は多い。無料航空券なのに、飛行機が満席だからということでビジネスに変更してくれた。超ラッキー。ビジネスの料理を堪能したが、鶏料理がうまい。シートも堪能しながら上海へ。2時間30分ほどのフライト。この前の週にアメリカに行ったばかりなので、2時間30分はとても短く感じる。まだアメリカの時差ぼけがあるまま、中国に行くというのもつらいものがあるが、アメリカは急きょ決まった出張だったから仕方ない。さらに、来週にイギリスの予定も入っていたが、そちらはキャンセルになった。結果的には良かった。

浦東空港につき、そこから虹橋に移動しないといけないが、いつものバスにした。このバスは10年以上前に来た時からかわらず30元というのがうれしい。リニアや地下鉄などができているが、虹橋まではこのバスが一番早いような気がする。安くて早いのは最高だ。うとうととしている間に虹橋に到着、1時間ほどで着いた。虹橋は空港と新幹線駅が併設された交通の拠点である。相変わらず人が多い。鎮江までの新幹線チケットを買うが、1時間30分後にしかないとのこと。仕方なくラーメン食べて、スタバでコーヒー飲んで過ごす。新幹線には乗ってしまえば、あっという間だ。最高速度は300Kを超える。途中、蘇州や常州に停まるのかと思っていたが、ノンストップ。上海から50分ほどで鎮江に到着。かなりの雨が降っていたようで、地面が濡れている。最近、雨男になったのではないかと思ってしまうぐらい、最近よく雨が降る。

鎮江といってもかなり南のほうに駅がある。よって、鎮江南という駅だ。上海で切符を買うときにも、鎮江南と言わなければならない。最近作った駅だから周りはほぼ何もない感じ。これから開発が進んでいくんだろう。市街地までかなり遠いと思っていたが、タクシーに乗ってみると20分もあれば着いた。ホテルは川沿いのCrowneにしていた。鎮江ではほぼ最高クラスのホテルになるのだろう。最近、中国でも贅沢になってきていていかん。昔は1万円以内のホテルにしていたが、最近は2万円以上のホテルにしてしまっている。アメリカやイギリスで泊まるともっと高いホテルなので、中国では割安感があるのだが、質素倹約型の旅にしなければ、と反省だ。とはいえホテルは素晴らしい。夜はホテルライフを楽しんだ。

少しおなかがすいたので、街にでることにした。ホテル周りを歩いてみたが、何もない。仕方なくタクシーで鎮江駅に向かった。途中、繁華街があったものの、鎮江駅の北側は恐ろしいほど真っ暗だ。休日の中日なので人も少ないのだろうか。後でわかったのだが、鎮江駅は南側のほうが正面になっており、北側は裏口のようだ。だから人も少なかったのだろう。駅前といってもマクドナルドかKFCぐらいしかない。KECに入ってハンバーガーとコーヒーを飲む。この日はそのぐらいの活動でホテルに帰り就寝。後で思ったのだが、この時に上海に帰るチケットを買っておけばよかった・・・と後悔。

5月3日
この日は甘露寺でのんびりしたかった。ホテルからも歩いてすぐだ。そんなこともあり、ホテルも美しいことから、ホテルライフを午前中は楽しむ。遅めの9時に起床し、朝食会場へ。入り口からして豪華なのだが、中に入るとさらに豪華である。メニューもいくつあるのだろうと思うぐらいに、洋食、中華が並んでいる。シェフがいてオムレツも作ってくれるほどだ。中華も洋食もと欲張っていると、かなり大量にとってしまった。それでもおなかがすいていたので、完食。しかし、周りを見ると中国人だらけ。中国では高級ホテルの部類に入るだろうに、いつの間にこんなに裕福になったのだろうか。見れば子供連れの一般人のような方もいる。どんな職業なのだろうか、と最近、中国に行けばよく思うことだ。しかも、バイキングで自分で取った食事を残しているではないか。いくら裕福になったからと言って、それはいけない。なんとなく昔の中国が懐かしくなった。

ホテルでのんびりした後、時間通りの12時にチェックアウトをして、甘露寺まで歩く。ホテルの前が川なので、そのほとりが整備されていたので、川沿いを歩く。風が心地よい。ベンチに夫婦で寝ている人もいた。目の前の川と思っていたところだが、金山湖と書いている。地図で見てみると長江なのであるが、中洲がばかでかくて、湖のようになっているのでこのように呼ばれているのであろう。確かに長江とつながっているので、厳密にいえば湖ではないだろう。ま、あまり気にせずに甘露寺に向かう。川沿いはほんとにきれいに整備されている。甘路寺の昔の写真を見てあとでわかったのだが、11年前に来た時は埠頭になっていたところを整備して、人が歩けるようにしている。それだけ中国のクオリティオブライフも高まっているということか。のんびり歩いていると、甘露寺の裏側についた。おそらく溜馬澗(りゅうばかん)という三国遺跡と思われる場所についた。ここで孫権と劉備が馬術を競ったといわれいる場所だ。しかし、なんか昔と違う。公園外になっているし、少し崩れているようにも思う。甘路寺の案内図には掲載されていたが、これも整備の過程で遺跡が崩れたところかもしれない。

ぐるっと回るとゲートがあった。昔は30元だったのに、40元に値上げされている。他の博物館関係の値上がり率に比べるとかわいいものか。中に入って試剣石というのがあるはずだと思い探すがない。劉備と孫権が合体した像で、劉備が剣を振り下ろすと岩が真っ二つに割れたというところだ。ここは外せないが、地図を見ると公園外にあるようにも思えたので先を急ぐ。急な坂をのぼっていくと甘露寺に向かう道がある。ここは昔と変わらずに趣があっていい。甘露寺の門構えはほんとに好きだ。城のように見えるが、どっしりとしていて安定感がある。天下第一江山という文字もいい。阿倍仲麻呂もここにきたという石碑をみながら甘露寺に入る。

甘露寺に入って奥のほうにいくと、劉備と孫権がここに座って曹操対策を練ったという狠石(こんせき)がある。羊の形をしているが、言い伝えでは劉備孫権対談の生き証とのこと。確かに古い石だ。11年前とは配置が変わっていたが、それでもそのままあるというのは嬉しい。またそこから眺める長江が最高である。しばしたばこをふかしながら風を受ける。多景楼が近くにあるので、上ることにしたが、どうも新しい。11年前の写真と比べると、2階が3階になっているし、豪華になっているように思う。土足禁止らしく、靴の上からカバーをして上らなければならない。それでも上まで上ると、長江や鎮江の景色が一望できて、それは絶景である。悠久の流れをした長江に、開発が進んでいる鎮江の景色のミスマッチさが何とも言えない。川沿いには豪華そうな別荘風の家が4軒あり、1億円ほどはしそうなところもある。高層マンションも立ち並んでいる。昔、鎮江に来た時は、田舎っぽさがよかったのだが、だんだんとそんな感じもなくなっているところは寂しい。複雑な心境になりながらも、劉備と孫権の時代に思いをはせる。その頃はどんな風景だったのだろうか。もっとも、甘露寺ができたのは、劉備や孫権が亡くなってからだいぶ経ってからなので、史実ではないのだが、とんでもない田舎だったのだろう。そんなところに、この甘露寺は2000年近くもあるというのもすごい。

しばし、多景楼で甘露寺を堪能した後、境内にある三国遺跡にいくことにした。魯粛墓と太史慈墓だ。これもきれいに順路まであり、道も整備されている。11年前は、土の道をどろんこになりながら行った気がする。このあたりには何個もある魯粛の墓は綺麗に掃除されている。その先にある太史慈墓も、太史慈像までできており、これもかなり綺麗だ。甘露寺の端っこにあるので、すぐそこに道路があり、喧騒となっているのは11年前と変わらない。きれいに整備されている墓もどうよ、と思いながらも、呉の国の2人の英雄の墓というのもいいものである。だいぶ甘露寺を堪能した。太史慈墓からすぐそこは出口。そこを出ると、あった!試剣石!完全に甘露寺外になっており、道路に面しているので、無料で見れる空間になっている。11年前は甘露寺内ににあったのに、市民の憩いの場とでもしたいのか、道路からも見えるところに像があった。試剣石もきたない池の中にある。なんとなく風情もないものであるが、鎮江における三国志の名場面であるので、公園の一番目立つところにおいているというのもうなずけるか。人民がバイクを置いているのを横目にしながら写真をとる。これで満足だ。中学校内に魯粛の墓がもうひとつあるのだが、この調子じゃ、もうなくなってしまったかもしれない。

この時点で15時前。今から駅に行けば15時台の電車に乗って上海に帰れる。そう思ってタクシーに乗る。鎮江駅のほかに、新幹線がつく鎮江南駅もあるが、鎮江駅のほうが便数が多そうだったので、そっちに行く。長蛇の列に並びようやく切符を買おうとするが、久しぶりに「メイヨー!」と言われた。しかも、英語も少し話す駅員だった。そんなこと関心している場合ではないが、22:30の最終便だけチケットがあるとのこと。しかも鎮江南駅。マジか!?昨日は人が少なかったので油断していた。すこし考えようと思い、とにかくその場から離れる。隣がバスターミナルだったので、バスのチケットを買いに行く。すると16:30があるということで、即決。バスの時間まで、KFCのアイスを食べたりして時間を過ごす。鎮江駅に座って、鎮江駅前を見ていても、かなり綺麗になって発展いていることがよくわかる。

満席のバスは16:30を少し過ぎて出発した。バス旅は中国では慣れているとはいえ、昨日の新幹線に比べると快適さがまったく違う。しかも、新幹線と20元ほどしか値段が変わらない。なんとなく不思議な料金体系である。iPhoneの地図機能で調べると上海まで車で4時間かかるそうな。ここは観念して、ひたすら寝るしかない。高速に乗ったはいいが、何回か渋滞があった。ひとつは事故だ。これだけ車が増えてくると、片道4車線あるとはいえ、かなり混んでいる。結局上海駅まで5時間もかかった。途中の休憩は1回だけだったので、疲れた。上海到着が21:30だ。夕方には上海について、バンドの夜景でも楽しもうと思っていたが、ホテルに着いたのは23時過ぎ。もう、夜景も暗い。明日の朝楽しむことにした。

5月4日
もう最終日。3日というのは短いものだ。上海では2回目になるバンド沿いにある東方商旅酒店にした。上海にしてはそれほど高くなく、ホテルのグレードもいい。朝食も贅沢な感じだ。バンドの景色を見ながら食べる朝食というのもおつなものだ。しかし、上海だからでもあるが、ホテルマンはほとんど英語を話すようになった。急速に英語化しているところもすごいところだ。経済規模では日本を抜いて世界2位。国民一人当たりの所得はまだまだ低いけど、まじめで優秀な人も多いだろうから、これから日本としても脅威であることは間違いない。上海のバンドを見ていると、また新しい高層ビルが増えている気もする。いったいどのぐらいのビルを建てるのだろうか。この場所はとても好きなので、また何度か来たいが、来るたびに景色も変わっているだろうから、写真を並べるのも面白いかもしれない。

9時にホテルを出て、バンドをのんびり歩き。南京東路で地下鉄に乗り、龍陽路駅でリニアモーターカーに乗り換えるのはいつもと同じだ。三国遺跡めぐりも、あと1回で予定していたすべての行程が終わるのであるが、四川の広元はどうしても遠い。最低5日は絶対にいるし、ロウ中まで行こうとすれば、さらに日数も必要かもしれない。四川に新幹線ができたら時間も短縮されるだろうが、それまで待つか。三国遺跡最終章をしばらく残しておくというのも、おもしろいかもしれない。いずれにしても、今回で中国の旅も20回となった。これからもまだまだ行って、変わっていく中国を見ていきたいものである。

~完~



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