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ナバホの研究を始めたからには、公園をできるだけ回らなければと考えるようになった。そして、その公園を回っていると、他の公園の案内がたくさんある。そこで新たな場所を発見して、予定変更して訪問することもある。
公園で特に多いのは、昔、そこで暮らしていたナバホ、ホピなどのインディアンの暮らしぶりがわかることだ。遺跡で特に多いのが、住居跡だろう。岩の下に作るタイプが多いのだろうが、独立のものもある。
しかし、このような場所によく作ったなと思うし、よく生活していたものだ。Wupatkiなどでは、何年かは住んだが移住したとか、ウォルナット・キャニオンでも、定住の地ではなかった、とか書かれてあった。
もともと、水が少なく、草木もあまり生えていないところなので、生活するのはかなり苦労したのだろう。
各地を回っていると、その場所では集団だったのだろうが、多くて数百人、少なければ数十人ぐらいの集団で住んでいたようだ。なので、各地に小集団が散らばっていたのだろうと想像する。
とはいえ、外国を含めて、交流や貿易があったとの記載もあり、地域間の交流を含めて、他との接触は盛んであったのだろう。
あまり物質がない場合には、外から入れてくるしかないのだろう。
いずれにしても、現地を訪問し、いろいろと感じ、これからもさらに追求・研究していかねば!
- Mesa Verde -
2024年9月訪問
おそらく、以前ならあまり行くことを予定に組まなかった場所だったかもしれない。やはり、ナバホの研究をするからには訪れなくてはならないと思い、訪問。
北の聖なる山であるへスぺラス山に近い。ここも行ってみると驚きばかり。Mancosの街は平地にあるのだが、少し東に行くと目立った高い山がある。
メサベルデはそのうえにあるというではないか。何故、このような山のところに?と思うが、入口からかなりの距離を走り、奥の方に住居跡などの遺跡がある。
遺跡がある場所は、山をいくつ越えたかわからないが、平地に近いところなのかもしれない。とはいえ、断崖や深い谷のところに作られていたので、昔なら行くのが大変だっただろうと思う。
ここはまさに岩の下に作った遺跡の最高峰であろう。そういう意味では、崖にある岩の下というのは住みやすかったのかもしれない。
ただ、川までかなり遠いし、水の確保なども大変だっただろうと想像する。
(左)Cliff Palace。メサベルデといえばここ。よくこんな岩のくぼみがあったものだ、そしてよく見つけたものだと感心する。集団生活をしていた様子が垣間見れる。
(中)Oak Tree House(AD1,250)。このような住居がいたるところにある。残念ながら西側の道は閉鎖されていて、行くことができなかったが、いくつか遺跡があるようだ。
(右)メサベルデのゲートシティだったMancos。それで発展したのだろう。近くには聖なる山のへスぺラス山もあるし、特別な場所という感覚を受ける。
- Chaco Culture -
2024年11月訪問
フラッグスタッフ近くのウォルナット・キャニオンで、ナバホ系公園をまとめたマップがあったが、他と比べても明らかに大規模そうで、急遽、予定変更して行くことにした。
途中、スタックするわ、後日、パンクしてタイヤ交換・修理するはで、かなりの代償?はあったものの、行く価値はあった。
ただ、東からの道も途中はダート道となり、かなり状態が悪いところもあるし(スタックしている車もあった)、途中まで行った南側からの道は、天気悪ければ使えるものでもなく、まさに秘境である。
ナバホ系の遺跡はいくつもあるが、そのなかでも規模的には群を抜いていると感じた。メサベルデも規模は大きいのだが、ひとつの遺跡の大きさが違っていた。
このChakoバレーで、こんなに都市になっていたのかと、感動する場所である。さすがに世界遺産だ。
- Navajo National Monument -
2024年9月訪問
Kayentaからラスベガスに帰るときに必ず通る道、そして2023年3月のスタックから41号の存在を知り、その反対側にあるこの地は気になっていた。
どこもそうなのではあるが、世界的に有名なグランドキャニオンやモニュメントバレーなどがあるために、陰に隠れがちだが、やはりインディアンや西部のことを知ろうと思えば、行くべき場所であると思う。
ここは他に比べると、比較的小規模ではあるが、それなりに工夫されていて、3つのトレイルで楽しめるし、トレイル沿いには草木の説明が書いている・
しかも、ナバホ族、ホピ族ではこんな使い方をしていた、とガイドがあるので、非常にわかりやすい。時には薬になり、時には家具になり、時には衣服になるなど。
いつか、草木のものをまとめたいものだ。なお、他の遺跡でも、草木の説明はあったので、照合したいものである。
以下が全体図。他の公園に比べると、それほど大きくないので手軽に回れる公園である。
(左)キャニオン・ビュー・トレイルから。さすがにキャニオンが美しく見える。トレイルはとても短くて、え、もう終わりって感じ。一番奥にHistoric
Ranger Stationがあり、歴史の説明あり。
(中)サンダル・トレイル。最も長いトレイルだがちょうどいい運動。Betatakin Overlookからは住居跡が見れ、ナバホの生活が岩の下に垣間見れる。景色もなかなかいいし、道の両側に植物の説明があって面白い。
(右)アスペン・トレイル。さすがに同じ日に3つはきつくて、別の日に行った。トレイルはそれほど長くないが、アップダウンが激しい。谷の下側からキャニオンの森を見れる。谷までのトレイルはクローズだった。
- Hovenweep National Monument -
2024年9月訪問
以前もこの近くまで行こうとしたけど、冬だったので、突然のあられが降ってきて断念したところだ。
へスぺラス山とメサベルデの後に、ゴールディングスに帰る途中、ふらっと寄ってみようと思って行ってみた。残念ながら営業時間終了ぐらいに着いたのでビジターセンターには入れなかったが、遺跡を見ることはできた。
遺跡は散在していてダート道を10マイル以上いかないといけない場所があったりする。しかもそのダート道がかなり狭い。ビジターセンターの近くにある遺跡なら、ほぼ一通り見れるので、そこだけで十分かもしれない。
ゴールディングスからメキシカンハット、バ●●を通って行けば、●分ぐらいで行ける。
(左)公園の入り口。●号を南下していると東側にある。
(中)谷をかこんで街になっていたようで、いろんな建物が散在している。1周45分ぐらいなので散策するには手頃。時間の関係でビジターセンター近くの展望台までとした。
(右)谷を囲んで遺跡がいくつかある。特徴的な作りなので、それぞれが個性があって面白い。ゆっくりと回りたいものだ。
- Wupatki National Monument -
2024年9月訪問
1100年から1200年あたりで、少なくとも100年以上、この地に人々が住んでいた。Hopi族とZuni族が中心であり、収穫を祝ったり人生を称え合ったりと、かなり繁栄していたらしい。
人々はここに住んでいた人もいるだろうが周辺に住んでいて、ここではパブリックスペースとして、Ceremonial ballcourt(裁判所?)、大きなプラザ、コミュニティルーム、重要会議などで使っていた。
いずれにしても、かなり大きなコミュニティであったことは間違いない。
以前から気になっていた遺跡ではあるが、グランデキャニオンが近くにあるので、どうしてもそっちに行ってしまっていた。
ようやく行けたのだが、こんなに素晴らしい遺跡があったのか!と感動。集合住宅はとにかく大きくて立派。
ビジターセンター後ろの遺跡が、名前の通りではあるが、一番大きくて見ごたえがある。公園内はかなり広くて、他の住居は散在していて、ひとつの遺跡は時間の関係でパスしてしまった。
(左)北側の入口から入ると最初にあるのがLomaki Pueblo。ここもいくつかの住居跡があるが、サンフランシスコピークを身ながらの生活もなかなかおつなものだっただろう。
(中)Wupatki Puebloでビジターセンターの後ろにある。規模の大きさにド肝を抜かれた。
(右)他の遺跡でもよく見られるが、円形でここに集まっていろんなイベントがあったらしい。輪になって仲間意識を高めるとか、そういう効果は昔も今も一緒なのだろう。
- Sunset Crater -
2024年9月・11月訪問
上るのが禁止されているのが残念だが、月の山のような雰囲気で一見の価値あり。Wupatkiから来ると、サンセット・クレーターの看板が目につき、そこから少しだけ上にあがると展望台がある。
かなり小さいロータリーなので、あまり車も停車できないぐらい。ビジターセンターがそこから89号に向かう途中にあるのだが、9月ときも11月ときも閉鎖されていて、ずっと閉鎖なのか?
9月のときは工事をしていたのだが、11月はほぼ工事が終わっている感じだったが、まだ閉鎖されている感じだった。上にも上れないし、あまり説明することもないのか?
また、サンセット・クレーターのすぐ下に「Bonito Lava Flow」がある。ここも同じ土壌の感じではあるが、月面のような場所で散歩すると不思議な感覚があるようだ。
(左)2024年11月に行ったときには雪がすごかった。途中の道が凍っている感じがして怖かった。
(中)この山は登るのが禁止されている。静岡県伊豆にある大室山を思い出してしまうが、ロープウェイがあればいいのに。クレーターの内部は見てみたいものである。
(右)サンセット・クレーターのすぐ下にある「Bonito Lava Flow」。月面のような雰囲気であり散歩できる。時間の関係で車で駐車場から見ただけ。
- Walnut Canyon National Monument -
2024年11月訪問
インディアン関係の遺跡はとても綺麗に整備されている。ここもそうだ。ビジターセンターもしっかり完備されているし、案内板がとても多くてわかりやすかった。
花の種類から、インディアンの考え方や、住居のつくり方などなど。すべて写真撮ったので、いつかは整理したいところである。
印象に残った説明として、フラッグスタッフあたりで火山活動があって、少なくとも400年間はこの地に住めなかったとあった。
それまで暮らしていた人々は他の地に行き、収穫で使っていた畑もダメになったとある。その山とは書いてなかったが、おそらくサンフランシスコピークのどこかだろう。
それ以降は、Walnut CanyonとWupatkiに分かれて住むようになったらしいが、それぞれの交流はかなりあったと記載があった。
1915年に制定されているから歴史は古いのだろうが、看板はとても新しかった。2つのトレイルがあってどちらも制覇。住居跡がたくさんあって、こんなところに住んでいたのかと感動。
ホピ族らしいが、ここは永住の地ではなく、しばらく住んでから、違うところに移り住んだそうだ。ただ、この地を捨てたのではない、と最後に締めくくられていた。
なお、Wupatkiも、水や穀物の資源がなくて、定住の地ではなく、他に移ったという記載があったので、それ以降はどこに行ったのだろうか?
(左)「Digging in」と説明があったが、ここは他の遺跡と違ったスタイルらしい。Pit Houseと記載されていたが、このような家は様々な用途に長年使われていたそうだ。大きさや形も様々。
家の形も、手元にある材料次第だったらしく、当時に方の工夫が伺われる。ここは、当初は住居だったが、そのあとは倉庫として使っていたと説明があった。
(中)このようなキノコ型の岩が多くて、その下に壁を作って住居としているものが多かった。地形をうまく利用している。火も浸かっていたようで、岩の上部は黒く焦げていた。
(右)トレイルの最後にあった印象的な看板。結局、この地は定住の地ではなかったが、見捨てたわけでなく、末裔は再訪問しているし、共鳴できる地ということで結ばれている。
- Walnut Canyon National Monument -
2024年9月訪問
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- Factory Butte -
2024年9月訪問
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