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チュニジア(Tunisia)古代ローマ遺跡 ~鳥肌遺跡のDougga~
【旅程】
いつもの出張にくっつけたプチ旅行。旅費を浮かそうと無料航空券を駆使するが、かなりの大回り。イギリス⇒ドイツ⇒エジプト⇒チュニジア入りし、帰りはチュニジア⇒トルコ⇒ドイツ⇒イギリス、そして帰国となった。チュニジアは昔から行きたい国であった。計画を何度もしていたものの、アラブの春もあってなかなか行くチャンスもなかった。外務省ホームページでもまだ安全ではない状態らしい、特にアルジェリアやリビア国境は危ないらしい。それでもなかなか行くチャンスもないだろうということで、今年決行。特に楽しみにしていたのはカルタゴ遺跡であった。調べてみると古代ローマ遺跡はそこかしこにある。なかでも評価が高いDouggaに行くことにしたがここがまた素晴らしいのである!

7月13日(金)
ロンドン⇒フランクフルト⇒カイロ・ノボテルエアポート泊
7月14日(土)
カイロ⇒チュニス⇒134.9km(2時間)⇒ドゥッガ⇒308.3km(2時間35分)⇒カイロアン(Kairouan)⇒422.9Km(2時間20分)⇒マーディア泊(Immeuble I'Espadon アパート風ホテル)
7月15日(日) 
マーディア⇒483.2Km(1時間10分)⇒エルジェム円形闘技場⇒708.8Km(2時間45分)⇒カルタゴ遺跡(大浴場・ピュルサの丘)⇒
730km(35分)⇒チュニスカルタゴ空港⇒イスタンブール・TAVホテル泊

チュニスカルタゴ空港にはハーツがない。ハーツが撤退するぐらいだから相当治安が悪いのかと不安になったが行ってみると多くのレンタカー会社がある。事前に予約していたユーロカーは客が多すぎてパニック状態。よほど地元のレンタカー会社で借りようかと思ったが、なんとか辛抱して借りる。イミグレ通過はそれほど時間はかからなかったのだが、窓口で待たされるし、車の受け渡しでもかなり手間どっていた。到着して1時間30分でようやく空港を出発した。チュニス市街地までは高速のような道があるが、市街地を越えてしばらく行くとごちゃごちゃしたところに入る。そこを抜けるとまた高速のような道になった。


【Dougga遺跡】
チュニスから2時間ほど走る。途中までかなりいい道であるが、Douggaに近づくにつれて田舎道になる。しかも山のほうだ。こんなところに大規模なローマ遺跡があるのかと思わせるような場所。小さな街をいくつかすぎていくとようやく遺跡らしきものが見えてくる。入り口は柵がされていて、近づくと開けてくれた。その近くで入場料と7ディナール(300円弱)とカメラ撮影料1ディナール(40円強)を支払って入る。ガイドはいらないかと売り込んでくるが、そんなに時間もないので断る。駐車場の横がすでに劇場になっていて鼓動が高鳴る。そこから見える景色がすでに何かを期待できるような雰囲気だ。まずは神殿(キャピトル)に向かう。劇場から少し行くと見えるが、もう興奮状態。かなり期待できそうな感じ。まずは神殿前で写真を撮りまくる。神殿の中に入ると鳥肌がたつ。身震いも覚える。奥に行くと何やら文字を書いた石が無造作に置いている。こんな状態で残っていること自体がすごいが、昔ここでどんなことが起こっていたのだろうと思うと、興奮する。しばらく神殿前で当時を偲ぶ。この遺跡はとても行きにくいこともあって、観光客が誰もいないのがいい。まさに独り占め。市場など街となっていたようなところを見下ろすと、当時の住人で活気あふれる様子が思い浮かぶ。その後、少し遠くにあるカエレスティス神殿へ行ってみる。こちらは離れのような場所にある。その近くにアレクサンデル・セブェルスの凱旋門がある。小ぶりながらここからまっすぐの道が見える。神殿も見える。トルクメニスタンで見た中央アジアのシルクロードの門を思い出す。再び神殿に帰り、下のほうに行ってみる。街の入り口と思われるところから見えるのがリビコ・ビュニック廟。オリーブ畑のなかにある。それを見つつ下っていくとリキニアの浴場がある。ここもいい保存状態であり、床にはモザイクが残っているのがびっくりである。風呂の床にこんな絵があったのかと思うと、とてもおしゃれである。時間があればじっくりと回ればよかったのだが、いかんせんここからマーディアまで行かなければならない。次にチュニジアに行くことがあれば、チュニスから日帰りで1日じっくりと回りたい遺跡であった。


(左)世界遺産のしるし。 (左中)当時の想像図、相当大きな街である。 (右中)これが神殿!街の中心である。 (右)カエレスティス神殿。離れのようなところにある。起源222年に女神たちを祀り、5世紀には教会になった。


(左)アレクサンデル・セブェルスの凱旋門 (左中)リキニアの浴場。大規模な浴場で冷浴場、温浴室、熱浴室などがある。(右中)雄大ななかにある遺跡。オリーブ畑の真ん中にリビコ・ビュニック廟が見える。紀元前3世紀のローマ時代以前の建築物。残念ながら当時のものは崩壊し再建されたもので21mある。 (右)劇場。なかなかの規模である。

Douggaに行ってしまうとあとは流す感じになってしまうのがつらいところ。宿泊先に選んだのはマハディア。チュニジアで一番海がきれいとあったので泊まった街であるが、海水浴客でごった返していた。海岸にも行ってみたが、それほど美しい水とは思わなかった。ホテルはマンションタイプで、家族総出で迎えてくれた。エルジェム円形闘技場は迫力があった。ここで昔、残酷な決闘があったのだろうか、かなり規模が大きい。ローマの円形闘技場よりも保存状態がいいかもしれない。149m×124mで高さは36m、アリーナは直径65m。なお、不覚にもエルジェム観光のあと、急におなかが痛くなり、野原でやってしまった・・・。最後のお目当てのカルタゴ遺跡。カルタゴ遺跡は広範囲であり、メインはアントニヌスの共同浴場。そしてその近くの丘を上がったピュユサの丘。ここからは見晴らしがとてもいい。遺跡もそこそこ規模が大きい。カルタゴはかなり期待していたのであるが、Douggaを見てしまった後に行ってしまうとダメだ。感動もときめきもなかった。とはいえ、大満足のチュニジアであった。


(左)マハディアのホテル。(左中)エルジェム闘牛場。観光客はとても多かった。 (右中)カルタゴ遺跡。アントニヌスの共同浴場。 (右)カルタゴ遺跡。ピュルサの丘。カルタゴや海、対岸の山と景色が素晴らしい。



パリダカのセネガル・ダカールとガンビア ~バンジュールに渡れず~
【旅程】
パリ・ダカ、つまりパリ→ダカールラリーの終点であるセネガル。治安の関係でなくなってはいるが、ダカールはあまりにも有名である。また、未知の地域である西アフリカ。いつかは行きたかった。セネガルは西アフリカのなかでも先進的なイメージがある国である。
西アフリカには前から行きたかったので調べていると、ダカールを拠点にして、セネガルに囲まれた国のガンビアのほか、頑張れば北のモーリタニアにも行けるのではないかと計画。道路事情はあまり良くないと思っていたが、一部、高速道路が整備されているが、一般道は案の定まったくよくなかった。しかも、船でガンビアの首都のバンジュールに渡ろうと思っていたが、車で渡るのは至難の業であきらめる。モーリタニアも船で渡る必要があったので、これも同じかと思い、断念。西アフリカの短期間の旅行の難しさと知ることになった。とはいえ、ダカールの活気あふれる街や美しい風景には癒された。

7月11日(木)
パリ⇒ブリュッセル⇒ダカール(ラックローズ)  ラディソンホテル泊
7月12日(金)
ダカール⇒Barra⇒ダカール  ラディソンホテル泊
7月13日(土) 
ダカール(市街地・アフリカルネサンス像)⇒ブリュッセル(翌朝着)  
772.5km



7
11日(木)

ダカール空港→ラックローズ 48.5Km 1時間30分 →ラディソンホテル 86.6Km 1時間10

前日までイギリスのバーミンガムにいた。夜に移動してパリのシャルルドゴール空港にあるノボテルに宿泊。ターミナル2Eに到着し、そのあとターミナル3近くにあるノボテルに到着。広い空港は空港内移動が大変だ。ターミナル3から1まではCDG VALという無料の電車ですぐ。730発の飛行機なので4時起き。ブリュッセルまで飛んでからの、ブリュッセル空港でアフリカ入りだ。ブリュッセル航空はかなり西アフリカ便が飛んでいる。パリを拠点にしたのは、フランス領が多い西アフリカなので、エールフランスが多く飛んでと見越してのものだったが、パリ拠点の予約をしてから調べていると、ブリュッセル航空のほうが便がいいし安かったので、一度北上してから南下することになるが、そのルートにした。かなり早くにチェックインしすぎてしまい、外でぶらぶらする。パリを730定刻に出発しブリュッセルには820に到着。電車でもすぐに距離なので、飛行機ならほんとにすぐだった。飛んでいる時間は30分程度ではなかったか。

ブリュッセルでもたばこを吸うために一度外に出る。ヨーロッパの空港はたばこに寛大なのか、喫煙場所がたくさんある。そして定刻の1055に間に合うようにゲートに向かうが、ブリュッセル空港もなかなかの広さである。余裕あると思っていたが、アフリカ便がでるゲートの前にイミグレがある。しかもアフリカ便が集中しているようで、長蛇の列。まずいなーと思っていたが、よく見ると並んでいるのはアフリカの方が多そうだ。これなら大丈夫かと思って気長に待つ。焦ったアフリカの方は割り込もうと必死である。それを見ていると、なかなかおもしろい。定刻20分前には搭乗できたが、やはりイミグレに引っかかっている人が多いのか、出発は30分遅れだ。仕方ないか。

フランス上空を過ぎたらスペインに入る。スペインも空から見ていると荒野が多い。砂漠のように感じる場所もある。モロッコに入ったてから、西サハラ、モーリタニアを通過してようやくセネガルだ。今回はモーリタニアもあわよくば行ければと思っている。セネガルはそれほど大きくないので、国に入ると降下していく。思っていた通りの茶色の大地だ。モロッコでもこんな景色が広がっていたように記憶している。そして定刻より10分遅れの1515に到着。フランス、ベルギーとは時差2時間だ。イミグレに行くが、これがなかなか遅い。一番後ろになってしまった。手続きが終わると、入国審査官が金を要求してくる。アフリカの旅が始まったと実感だ。どこもこんな感じである。やれやれと思い10ドルを渡す。これがなくならない限り、国の発展はないかもね。

外に出てまずは煙草を吸う。周りを見ると、やはりアフリカだ。黒人にみなさんがたくさんいる。アフリカに来たとまた実感だ。ハーツでレンタカーの手続きをするが、窓口のおじさん、とても几帳面。アフリカにもこんな人がいるんだと感心する。車を借りるが、持ってきているWifiが圏外になっているではないか。これはまずい。これがないと地図すら見れない。電話回線で地図機能を使うのは、電話代がいくらかかるかわからない。仕方なく空港内でWifiを購入することにした。窓口のお姉さんは手際がいい。さっさと処理してくれて購入。50,000西アフリカCFAフランだから、9300円ほどか。高くはない。

ようやく1715に空港を出発!車も快調。まずはラックローズというピンク色になるという湖に行ってみる。正式名称はレトバ湖というらしい。空港から高速に乗り途中で幹線道路に入る予定だった。快調に行くが幹線道路と思っていたところはかなりの渋滞。しかもそれほど道が広くない。アフリカらしい風景を楽しみながらドライブ。途中、街を通ると喧嘩している若者もいるではないか。これもアフリカらしいのか。何でもめているのだろうか!?空港から50Km弱だが1時間30分もかかった。しかも、ピンクになるのは冬から春にかけてなので、今回は残念ながら普通の湖である。それでも観光地化されているようで、ボートやら何らかのアクティビティもあるようだ。10分ほどゆっくりしてからホテルに行くことにする。

ホテルまでも30Kmほどであるが、これまた道がひどい。間に鉄道が走っていることもあり、幹線と思って走っていても工事で線路を超えられないところもある。何回もチャレンジしてようやく線路を超えてホテル近くに行くことができた。高速沿いにあるが、ラックローズから向かうと出口が難しいので途中でおりて、一般道を走る。これまた悪路もあるし、道がわかりにくい。ラックローズから1時間もかかってしまった。それでも20時だからいいか。ホテルはラディソンホテル。治安のこともあるし、いいホテルに泊まろうと思ってのことだ。さすがに美しい。レセプションに飾っている女性が印象的だ。チェックアウト時に本人から聞くが、「これは私よ」と。確かに美しい方だと思っていた。思わず一緒に写真を撮ってもらった。部屋に行けば、夕方の街とは別世界だ。美しいホテルである。夕食はホテルのレストランでバイキング。従業員もとても訓練されていて気持ちがいい。とても快適な夜となった。050に就寝。

712日(金)

ラディソンホテル→A1号線下りてMbour 149.6Km 1時間45分 →Kaolack 257Km 1時間50分 →ガンビア国境 346.8Km 1時間20分 →Barra(港)366.9Km 25分 →Kaolack 473.5Km 2時間10分(国境通過時間15分含む)→Mbour 583.3Km 1時間55分 →ダカール・ラディソンホテル 644.2Km 55


830に起床するが、少しホテルで仕事をする。この日はガンビアのバンジュールに行くだけだし、Googleマップで見ると、そんなに時間がかからないことになっている。それでラディソンホテルを1115に出発。いいホテルだったと余韻に浸る。すぐに高速に乗れると思っていたが、何故かダカールに行く方向だけ道があり、その逆は入り口がない。そこで一般道を行くが、これまた未舗装道路になったりする。そして幹線に入ると大渋滞。すぐそこに高速入り口があるというのに30分ほどは待ったであろうか。ようやく高速に乗る。乗ってしまえばとても早い。Mbourの手前まで高速があるが乗ってから30分ほどでMbour手前に着く。しかしここからが長いのだ。幹線とはいえ街を通るので、そのたびにかなりの減速になる。それでも景色を楽しみながら運転する。Kaolackで分岐となり、ガンビア・バンジュール方面への道へ行く。分岐あたりは塩を作っているところが多かった。湖が多いからだろうか。塩湖のようなところもあった。

Kaolackを過ぎると国境まではすぐ。渋滞もなく1時間20分ほどで到着。途中はサファリのような公園もあったが、国境近くになると村が増えてきて、少し雰囲気が変わってくる。国境はどこもそうだが、やっぱり緊張する。国境らしきところで車をとめると、すぐに人が寄ってくる。あそこにいって保険を払って、あそこで手続きをして、国境警察に行けとのこと。おまけに両替商もいる。いわれるがままに手続きをしていくが、警察はのんびりした雰囲気である。車がある場合には奥と言われて、中に入る。すると気前よさそうな警官が手続きをしてくれる。セネガルで手続きが終わって車を移動するとき、案内してくれた人たちにチップを渡す。これで生計が成り立っているのだろう。ガンビア側も車の止める位置を変えろと言われたぐらいで、そんなに嫌な感じはなかった。1時間もたたないうちに手続きが終わる。よかった。保険10,000CFA、そのほか2,500CFA、警察にも2,000CFA払う。ガンビア川でも警察に30,000CFA、そして警察にチップ?で100CFA50CFAを払う。総額44,650CFA8,314円だ。それほど高くはないか。そして港へ向かう。

港に近づくと、これまた違う緊張感が漂ってくる。人がとにかく多い。フェリーに乗るために待っていると思われる列に車をつけると、さっそく人が寄ってくる。愛想よさそうなお兄ちゃんだ。フェリー乗るのか?チケット買ってきてあげる、優先的に乗せるようにする、などと言ってくる。チケットは安いと思うが、チップ含めて15,000CFA2,793円)払う。するとそのお兄さん、すぐにチケットを持ってきてくれた。これはありがたい。すると近くにいた警察がこっち来いと言っている。警察署に入るが麻薬の検査みたいだ。荷物をすべてあけて説明する。何もないことは当然だが、検査が終わった後にチップを要求する。検査しただろ、じゃーチップよこせ、的な感じ。どんな警察なんだと思うが、100ガンビアダラシなので、35円ほどであるがこっちではまずまずのお金かな!?

そしてフェリーを待っていると、さきほどのお兄ちゃんたちがやってくる。いろいろと世間話をしてくるが、要はもっとお金くれといったところだ。うるさいので700ガンビアダラシを渡す。242円程度である。そのお兄さん、彼女がいるらしく、家族がいても彼女がいるのは当たり前だと言ってくる。若い彼女らしくとても自慢そうだ。確かに見た目はかっこいいし、いい感じではあるのでもてるだろう。お金を渡すといなくなり、フェリーを待つ。さっきそのお兄さんが紹介してきたミスガンビア!?といわれる綺麗なお姉さんから買ったピーナッツを食べる。これがまたうまい。しかし、フェリー乗り場にはトラックがかなり待っている。一般車も待っている。なかなか乗れないかと思っていると、やっぱりそうだ。人がたくさん降りてきて、歩いていく。それが終われば車が降りてくる。するとフェリー会社に誘導員はトラックを優先させている。そして一般車だが、割り込みがかなり激しい。1回目はもともと無理と思っていたが、フェリーもそれほど大きくない。2回目も待ってみるが、1回くるのに1時間30分は待たないといけない感じ。結局2回乗れずに、3回目は行けるだろうと思っていたが、すきを突かれて一般車にかなり割り込まれた。もう無理かと思っていると、後ろにいた車が激しくクラクションを鳴らして抜いてくる。お前がぼんやりしているから乗れなかっただろ!と言わんばかりだ。誘導員は何をやっているのか。もうこれで完全にあきらめた。3時間も待っているし、3本もフェリーを逃した。渡ったとしても明日、帰ってこれるだろうかという不安もあった。そうと決まれば、ダカールに帰るだけ。こんな港が嫌になった。チケット販売している人に、金返せ!と言うだけ言ってそこを走り去る。

もう21時だ。これからダカールに帰るのはどのぐらいかかるだろうと思うが、夜でそれほど車も走っていないし、国境も15分で通過できた。そこからはただひらすら夜の道を爆走する。行きがラディソンホテルから港まで6時間40分かかっているが、帰りは5時間でラディソンホテルに着いた。夜はやはり早いのか。チェックインが2時になり、しかも予約なしだったが、ホテルの男性受付係もなんとなく状況を察知したような感じではあった。ゆっくりしてね、という言葉がありがたかった。4時に就寝する。

713日(土)

ラディソンホテル644.2Km→ダカール市街地(ゴレ島ポイント)682.3Km 1時間15分→アフリカルネサンス像 696.4Km 30分→ 海沿い720.2Km 1時間15分 →ダカール空港 772.5Km 1時間55

昨夜4時に寝たが、930には起きる。西アフリカのチップ文化に辟易としていたのか、ホテルライフをのんびりしたいと思った。チェックアウト時間の12時までのんびり過ごす。この日の夜の便でブリュッセルに帰るが、時間がかなりあるのでダカールの市街地に行くことにした。チェックアウトした後、市街地まで高速で移動。かなり快適だが、市街地に近づくにつれて車が増えて渋滞となってくる。郊外にあるので市街地までは1時間ほどかかった。喧騒のマーケットのなかを突っ切り、その昔、奴隷が運ばれた拠点となったゴレ島が見えるポイントへ。海がとても美しい。こんな美しいところから悲劇が起きたとは想像がつかない。ゴレ島は16世紀からの奴隷貿易で、新大陸に黒人奴隷を送り出すためにこの島に集められた。かなり前にあった映画の「ルーツ」を思い出す。どんな思いで新大陸へ運ばれていったのか。悲しい歴史である。フランス時代の要塞なども残っているようだ。1978年に負の遺産としてユネスコ世界遺産に登録されている。時間があれば行きたかったが、船に乗るのはリスクと思ってやめておいた。

その次に向かったのが北朝鮮の企業が作ったという世界最大のブロンズ像である。ゴレ島ポイントから海岸沿いを走っていくと気持ちがいい。浜辺があり、ところどころで海辺で遊んでいる人がいる。周辺にはレストランもいくつかあった。そこを走っていくと、前方に異様な像が見えてきた。高さが50メートルもある。遠くからでもすぐにわかった。駐車場に車を置いて歩くが、大きすぎて近くにいくと全体がわからない。長い階段を上っていくが、その手前から。ご夫婦と子供の3名が大西洋を見つめている。これからはアフリカの時代。いまからこの像は脚光を浴びるだろう!?像からは市街地が良く見えた。今は使っていないが旧ダカール空港も見える。しかし、ごみごみしている街である。モロッコのカサブランカに似ているだろうか。アフリカの西はこんな感じの街が多いのだろうか。

観光地らしいところはとりあえず回ったので、まだ時間があるが空港に向かうことにした。アフリカルネサンス像からも海岸を走るが、これまた気持ちがいい。気持ちよく走っていると、急に渋滞しているではないか。それまでは2車線の綺麗な道だったのに、急に未舗装道路になって、しかも市街地へ行く道が曲がっていて1車線ではないか。これじゃ混むだろうと思うが、もう慣れてきている。飛行機の時間はまだまだあるので特に焦らないが、しかしまったく車が動かない。海岸で遊んでいる家族を見て、なごむ。その周りにいる犬も平和そうだ。

ようやくその市街地を抜けて、また海岸沿いの道路に行く。するとかなりいい道路で、現地の方々はとても飛ばしている。海が綺麗そうなので、適当な場所で止まり、海まで歩く。大西洋の荒波が美しい海岸に打ち付けている。とても気持ちがいいところだ。沖には波にのまれそうな小さな小舟が頑張って走っている。海水浴でもしたくなる場所であった。少しゆっくりして空港に向かう。まだ16時であるが渋滞を予測してのことだ。しばらく走ると、また市街地内の道になる。ガソリンスタンドがあったので、いれておく。いつものように満タンにしてもらって、ぎりぎりまでガソリンを入れることに執念を燃やしている。どこのガソリンスタンドでも、ぎりぎりまでいれて、あふれるかと思うぐらいだった。どうだ、満タンだろ!と言わんばかりの定員さんが愛らしい。少しガソリンが垂れるので、火災にならないか心配ではあったが。

そこから高速に乗るまでがまた大変であった。幹線道路っぽいところを走っていると、急に通行止めになっている。そこから横道にそれると、未舗装道路。仕方なく迂回しながら、なんとか高速に近づいていく。今度は入り口がわからないが、時間もあるので幹線を通って確実に走ることにした。幹線といっても、ところどころに街があるので、そのたびに渋滞になる。ようやく抜けると、昨日、ガンビアに行くときに入ったICがあった。昨日はかなり渋滞していたが、今日はすんなり入れた。日によって渋滞する時間が違うのだろうか。ともかく高速に乗れた。こうなれば空港まではすぐだ。ラディソンホテルを横目にみながら、南にある空港まですぐ到着。まだ18時前なので少し空港手前で休憩する。するとバオバブの木があるではないか。しかもかなり立派である。根っこ部分がとても太くて、象の足みたいである。これがアフリカか、といった感じだ。

ひとしきり今回の旅をかみしめる。西アフリカでドライブとは、やっぱりハードルが高かった。あわよくばモーリタニアと考えていたが、そんな気はガンビアの港で萎えてしまった。念のためこの日の便と明日の便を押さえていたので良かった。早めにヨーロッパに帰って、フランスでドライブしようと考えた(実際パリからモンサンミッシェルまで1泊ドライブした)。Googleマップではかなり時間が短く表示されることもある。実際に走ってみると、かなり時間がかかるのだ。ブリュッセルからかなりのアフリカ便がでているので、次回も西アフリカと考えていたが、少し間を置くことにした。今回のために黄熱病の予防接種も受けたが、幸い一生有効ということなので、また使えるだろう。しかし、歳をとってくると、西アフリカはかなりきついかもしれない。いろいろと考える時間となった。

空港でレンタカーを返却し、チェックインはすんなり終わった。時間があるので、空港外で煙草を吸いながら黄昏る。何人か寄ってきてタバコくれなどどいわれる。コーヒーを飲みながら、夕陽を見つめる。アフリカはしばらくお別れかな、と考えながら。イミグレを通過してゲートに行くとラウンジがあるではないか。そこに入ると、また別世界である。おいしい料理も食べて、ミッドナイトフライトに備える。機内でも夕食は食べたが、ラウンジの食事もなかなかのもの。2120定刻で2115と早めに出発。さすが、スターアライアンスに入っているブリュッセル航空だ。翌朝5時前にブリュッセルに到着すると、アフリカとはまったく違う世界が広がっている。やっぱりヨーロッパはいいな、と痛感するときであった。またいつか行くぞ、アフリカ!

~完~