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花の都パリと情熱の国スペイン+アンドラ
【旅程】
2013年8月10日  関空⇒北京⇒パリ      ラ ブルドネ (La Bourdonnais)
8月11日 パリ観光(エッフェル塔、コンコルド広場、ノートルダム寺院、サン・ルイ島、凱旋門など)
     ラ ブルドネ (La Bourdonnais)
8月12日 パリ観光(エッフェル塔、ルーブル美術館(入れず)、モンマルトルの丘など)
     ラ ブルドネ (La Bourdonnais)
8月13日 パリ⇒フランクフルト⇒バルセロナ
     ヒルトン ディアゴナル マル バルセロナ (Hilton Diagonal Mar Barcelona)
8月14日 バルセロナ観光(サグラダファミリア、グエル公園、グラシア通りなど)
     
ヒルトン ディアゴナル マル バルセロナ (Hilton Diagonal Mar Barcelona)
8月15日 バルセロナ⇒アンドラ⇒サラゴサ     Suites Apartamentos Los Girasoles泊
8月16日 サラゴサ⇒コンスエグラ⇒トレド     パラドール デ トレド (Parador de Toledo)
8月17日 トレド⇒マドリッド(ゲルニカ鑑賞)     ヒルトン マドリード エアポート (Hilton Madrid Airport)
8月18日、19日 マドリッド⇒フランクフルト⇒パリ⇒北京⇒関空
写真はパラドール デ トレドホテルのベランダから見たトレド

【旅行前】
今回も無料航空券を駆使する旅。家族投票の結果、ドバイも人気があったものの、パリとスペインに行くことが決定!例年になく、メジャーな観光地になったが投票なので仕方ない。
パリとスペイン、しかもバルセロナとマドリッドなので、旅程のなかに、以前から興味があったアンドラを組み込んだ。フランスとスペインに挟まれた小国、ピレネー山脈のなかにあるので、あまり支配を受けなかったのか!?
ガイドブックを見ても、その歴史的な経緯がよくわからない、変わった国だ。
パリはフリーにしたのでレンタカーも借りず。スペイン国内は車で移動しようと考え、バルセロナからマドリッドまで借りることにした。

【今回のドライブ】
スペインでレンタカーを借りる。スペインで1,275Kmを走ることが出来た。スペインの一部だけを走っただけなのだが、大きな国だ。南にいけばアンダルシアがあるし、ポルトガル方面にもまだまだ距離がある。
乾燥地帯だからか、走っていても荒涼とした大地が広がっている感じ。ただ、バルセロナからアンドラに向かう道は、山岳地帯にはいっていくと、ヨーロッパらしいのどかな風景となっていく。

ガソリン代(ディーゼル)は以下のとおり。アンドラは無税なので安いけど、スペインはやっぱり高い!
@アンドラ 25.96ユーロ (22.34L) 1リッター1.162ユーロ = 156円
ATorija(マドリッド手前) 53.38ユーロ (37.17L) 1リッター1.436ユーロ = 194円
Bマドリッド空港前  32.63ユーロ (22.74L) 1リッター1.435ユーロ = 194円


【旅行記】
8月10日 関空⇒北京⇒パリ
関空北京行きは定刻10時。自宅を6:40に出てはるかに乗る。指定席がいっぱいだったので、仕方なくグリーンを予約。日本出国する前に思わぬ出費だ。ここまでは去年とまったく同じ。荷物を預けにカウンターにいくが、関空⇒北京⇒パリで預け、ANAラウンジでしばらくゆっくりする。なお、北京までANA、北京から中国国際航空になるので、北京で一度発券が必要とのこと。去年はできたような気がするが??定刻10時のところ、北京上空の航空路混雑により20分ほど遅れて出発。それが実は効を奏すことになった。北京には定刻の15分ほどの遅れで到着したのだが、飛行機を出ると、中国国際航空の方が待ってくれていた。そして誘導してくれ、チケット発行したあと、国際線乗り継ぎ口へ。すると、お盆休みということもあって長蛇の列。待っていてはパリへの乗り継ぎに絶対に間に合いそうにない。すると、係員の方が交渉してくれて、列の一番前にいかせてくれた。当然ながら、並んでいる人達からは苦情がでる。そりゃそうだ、関空から北京のANA便が遅れたからその人たちだけを前にいかせて、定刻についた人はそうじゃないのだから。。。俺でも怒りそうだ。それでも乗り継ぎ時間が1時間もなかったので、ごめんなさいということで先にイミグレ通過させてもらった。その時間はパリの他、ロンドン、ローマなどヨーロッパにいく飛行機が出る時間帯。何名かは乗り継ぎができなかったのではないか??と感じる。イミグレ通過あとも搭乗口まで走る。トイレやタバコを吸う時間すらない感じ。飛行機に飛び乗り座席に向かうが、なんと一番うしろであった。

(左)北京着陸前、相変わらずスモッグがすごい。黄砂なのか公害なのかわからない。 (中)このお姉さんが飛行機降りたところで待っていてくれて、チケットを発券してくれた。 (右)一番うしろ!
 
関空から北京までのANAでは、小型だったのでテレビが面すらなかったが、中国国際空港のヨーロッパ線はなかなかのものだ。パネルタッチの画面がある。日本語版の映画はさすがにないが、そこそこ数はある。ゲームもあるし、フライト情報も充実している。眠かったので、食事する以外はほとんど寝ていたが、おきている時間は楽しめた。機内食は中国独特の味であるが、嫌いな味ではない。今年3回目のシベリア上空であるが、シベリアは何回通っても好きだ。たまに見る景色は荒涼とした大地であり、川が悠々と流れている。無数の湖があっておそらく人が入れないようなところであろう。しかもヨーロッパ線は、ずっと日中になるので暗くならない。景色を楽しむことができる。ウラル山脈を越えるともうすぐ。モスクワをとおり、ドイツに入るともうすぐ。長い時間ではあるが、今回は短く感じたものだ。家族がいたからかもしれない。

 (左)シベリア上空は好きだ。この川はどこだろうか? (中)フライト情報もいろんなバージョンで楽しめる。ドイツ上空だからもうすぐだ。 (右)フランスののどかな風景だ。
フランスに来たことはあるが、パリは初めて。シャルルドゴール空港の変わったターミナル1に到着。後でわかったのだが、ターミナル1は空港のなかにぽつんとあって、地下通路でその周りのいくつかのエプロンにつながっている。エプロンには3機ほどしか飛行機をつけることができない。18:30に到着して、外に出ようと思うが、一番後ろなのでなかなか列が動かない。ようやく少し動いたかと思ったが、なかなか進まない。すると、出口近辺でパスポートチェックをしていたのだ。こんな狭い通路でやるから、渋滞になるんだ、と思いながらも仕方ない。そしてイミグレを通過して荷物を取りに行く。ターミナル1は中が空洞になっていて、エレベーターが交差するようについている。ややこしいつくりだ。荷物をとって外にでるが、それがほぼ最上階になっている。外にでるといきなりタクシーの運ちゃんが声をかけてきた。荷物もあるのでタクシーで行こうと思っていたが、疲れていたのですぐにそのタクシーにする。85ユーロだったので、相場より高いが、荷物もあるし、まーいっか。45分ほどすると突然ホテルに着いた。シャルルドゴール空港は北のほうにあって、パリの名所といわれるところを通ることなく、ホテルに着いた感じ。20時にチェックインするが、疲れているものの、街をぶらぶらしたい衝動にかられ、ぐずるこどもたちをつれてエッフェル塔まで行ってみる。


(左)シャルルドゴールの第1ターミナル。ぐるぐると車が走っているのが見える。 (中)中心部に来た!アンバリッドである。 (右)ホテルに到着。閑静な場所にある。
 
エッフェル塔が見えるホテルにしていたので、歩いて10分程度だ。だんだんと見えてくると感動するものだ。そして全体像が見えるシャンドマルス公園までいくと、日暮れで逆光になるものの、これが有名なエッフェル塔か、とさらに感動。夏の夕暮れ、しかも日没が22時ぐらいとまだ明るい。公園の芝生の上で、のんびりとワインやビールを飲んでいる人たちがいる。いい風景だ。近づいていくと、300メートルあるだけあってとてもでかく感じる。あわよくば上に行こうと思ったが、チケットを購入するのに長蛇の列。すぐにあきらめた。反対側のセーヌ川沿いにいくと、屋台や船上レストランがある。屋台でピザを購入して家族みんなで食べる。すでにライトアップされておりとても美しい。すると22時になったようで、ライトアップのうえに、フラッシュになりはじめた。さらに美しい。パリに来て良かった。セーヌ川が穏やかに流れ、美しいエッフェル塔が目の前にある。女性たちがあこがれるのもわかった気がする。その日は23時前にホテルに帰り、こどもたちとトランプをしていたが、あまりの眠さにそのまま寝てしまったようだ。

(左)初エッフェル塔!やっぱり美しい! (中)初セーヌ川!この近くの屋台で晩御飯。 (右)ライトアップもまた美しい!

8月11日 パリ
さー、ついにパリ観光だ。7:30におきてホテルで朝食。フロントの横にある素敵なレストランだ。メニューはそれほどないが、満足できる食事であった。そして9時すぐにホテルを出発!とりあえずエッフェル塔に向かう。どのように移動しようかと考えていたが、循環する観光バスにしようとしたが乗り場がわからず、とりあえず地下鉄に乗る。しかし、1駅行った所で電車が止まった。一緒に乗っていたおじさんが、親切にも、これ以上は工事で行かないよ、と教えてくれた。仕方なく地上に出るが、コンコルド広場までもうすぐだった。歩いて向かうがセーヌ川越しにみるエッフェル塔も格別。コンコルド広場につけば、エジプトからかっぱらってきた、もとい、持ってきた塔が場違いな感じもするが、目立っている。パリのど真ん中という感じ。そして、シャンゼリゼ通りのずっと向こうには凱旋門も見えた。初めてみる凱旋門だ!興奮する。コンコルド広場と凱旋門、エッフェル塔が3角形の位置関係か。

(左)エッフェル塔はいつ見てもいいものだ。 (中)昼のセーヌ川。ほとりでのんびりしていても気持ちがいい。 (右)コンコルド広場。

コンコルド広場で、黄色の循環観光バスに乗ることにした。バスで2日券を購入するが、親子4人だと結構高い。124ユーロもした。それでも日本語案内あってイヤホンで聞けるし、二階建てなのでとても気持ちがいい。2日間で乗り倒したので、元は取った感じだ。循環バスは、一方通行なので、コンコルド広場から乗ると、凱旋門からエッフェル塔に行ってしまう。今来たところを戻る感じになるが、まー仕方ない。のんびり観光することとする。凱旋門に向かう道は、かの有名なシャンゼリゼ通り。とてもにぎやかで人通りも多い。世界に名だたる通りだけある。そして凱旋門が近づいてきたが、近くで見るととても大きい。また後で来るとして、今はスルー。そしてエッフェル塔に向かうが、これまた素晴らしい。エッフェル塔はやはり美しい塔なので、何回見ても美しいと思う。ここもスルーで、ホテルの横を通って、ロダン美術館やエールフランスビルの横を通りながら、コンコルド広場に戻り北上。オペラ座までいき、そこから南下してルーブル美術館へ。そして目的地のノートルダム寺院に着いた。なんとここまで2時間もかかった。のんびりと何箇所かバス停を走っていくので時間はかかるのだが、パリの主だった観光地をバスから見ることができたので満足する。ノートルダム寺院もすごい人で、中には到底入れない。外から観光して、サン・ルイ島へいき、クレープを食べるためにレストランに入る。おしゃれな通りであり、ここも人通りが多い。パスタとクレープを食べるが、それがまたおいしい。パリのお昼にこんなおいしいものをおしゃれな店で食べているだけで満足である。

(左)シャンゼリゼ通りから見た凱旋門。素晴らしい! (中)オペラ座。 (右)ノートルダム寺院。世界的観光地が目白押しだ。

15時前だ。日暮れまではまだまだ長い。今回家族のたっての希望で、「笑ってこらえて」という番組のパリ支局を探しにいこうという目的があった。サン・ルイ島からは比較的近い。黄色の循環観光バスで近くまでいってみる。4つの大きな建物があるが、これは国立図書館らしい。広大な敷地の真ん中は空けていて、ガラスが多い建物で、蔵書が見えるほどだ。貴重な書類もあるだろうにガラスで見えるところに置いていても大丈夫なのか、と心配になる。そこから歩いていくが、手がかりとなることは、5区と13区の間のセーヌ川沿いぐらいの情報しかない。とりあえず歩いてみるものの、それらしきものはない。パン屋が近くにあるのだが、それもわからない。迷って地図を見ていると、パリの方は親切で、初老夫婦が声をかけてくれた。どこに行きたいのだ?というが、笑ってこらえてって言えないし説明もできないので、適当な駅に行きたいんだけどと。。。と濁す。こっちから行けば近いよ、15分ぐらいだ、と英語で答えてくれる。フランス人は英語を頑なにしゃべらないと聞いていたが、それは昔の話なのか?とてもホスピタリティがあって、親切な方ばかりのように思う。結局、そのあたりをプラプラと歩いただけで、まったくそれらしきところは発見できず。1時間ほど歩いたか。気分を取り直して凱旋門に向かう。

(左)とても辺鄙なところで下ろされ、パリ支局を捜索。 (中)シャンゼリゼ通り。すごい人である。 (右)凱旋門から見たシャンゼリゼ通り。とても美しい。

これも近くの循環観光バス亭から乗る。またコンコルド広場、シャンゼリゼ通りを通る。凱旋門の手前のシャンゼリゼ通りで下りて歩くが、とにかくすごい人。シャンゼリゼ通りのオープンテラスでコーヒーを飲むのが夢であったが、人ごみがすごすぎて、飲む気にもならない。凱旋門へ向かい、地下通路を通り、入り口までいく。チケットを購入して、螺旋階段で上る。グルグル回るので目が回りそうだが、それほど時間がかからず到着。大勢の人が凱旋門からの景色を楽しんでいる。まず行くのはシャンゼリゼ通り方面だろう。大きな通りの周りに木が植わっており、確かに美しい通りだ。真ん中の中央分離帯から、凱旋門の写真を撮っている人が大勢いる。次はエッフェル塔方面だ。エッフェル塔をバックに、自分撮りをしている中国人の女性がいる。仲間がいるので撮ってもらえばいいのに、と思いながらも自分も景色を堪能する。エッフェル塔はここから見ても美しいのだ。そしてシャンゼリゼ通りの反対側には、新市街地が見える。新凱旋門といわれる近代的な門がある。やはり、あまり感動しないものだ。こどもたちが、凱旋門から放射状に伸びる12本の道路を数えている。一緒に数えるが、確かに12本だ。風が心地よい。パリに来て、初めて観光施設に入った気がするが、とても満足だ。下におりると、無名戦士の墓があるので、追悼式のようなものをやっていた。火を焚いて兵士が祈っている。それが終わると、兵士と撮影ができる時間があった。息子はかっこいい兵士と、娘は女性兵士と写真を撮ってもらった。こどもたちは満足。でもその兵士たち、あとで凱旋門近くでタバコを吸っていたので、こどもたちは指摘していた。夕陽に照らされる凱旋門をしこたま写真を撮る。どこから撮っても絵になる。ナポレオンはいいものを作らせたものだ。小さい凱旋門を最初作ったが、もっと大きい門を作るように命令した。その後、セントヘレナ島に流され、死後、この門をナポレオンは通ったというから悲しいものだ。結局、凱旋門で2時間もいた。その後、循環観光バスで、またエッフェル塔へ。今日もすごい人が上にいくために並んでいる。今日も並ぶのはあきらめよう。凱旋門の上にいったので、家族もだいぶ満足しているみたいだ。夕暮れのエッフェル塔を見ながら、ホテルに向かう。ホテル着が21時。この日も疲れ果てたので、うたた寝していたが、夜中にシャワー浴びて1時に就寝。


(左)凱旋門からのエッフェル塔もなかなかのものだ。 (中)シャンゼリゼ通りの反対側にある新凱旋門。新都心である。 (右)夕陽に映えるエッフェル塔。1日の締めくくり。


8月12日 パリ
この日はベルサイユ宮殿に行く予定だった。事前準備がまったくなかったのでダメなのだが、よくよく調べてみると月曜日は休館日らしい。ホテルのフロントに聞いても休みとのこと。ベルサイユはパリ中心部からは離れているので、結構時間はかかる。近くまで行って近くでのんびりするのもアリだと思うが、パリでも行っていないところに行こうということになった。前日、循環観光バスばっかりに乗っていたことを反省しながら、とりあえずルーブル美術館に入ろうということにした。8時に起きて、朝食を食べてホテルを10時に出発。エッフェル塔が近いホテルなので、ついついまずはエッフェル塔に行ってしまう。エッフェル塔の南に伸びるシャン・ド・マルス公園は気持ちがいい公園だ。朝のさわやかな風と美しいエッフェル塔を見ながら、朝のひとときを楽しむ。何回も写真を撮っているのだが、やはりこのときも写真を撮ってしまう。

(左)朝のエッフェル塔もいい。朝はこちら側からが綺麗だ。 (中)エールフランスビル。2回建てバスから。 (右)一番前は特等席だ。パリの街がよくわかる。 
黄色の循環観光バスに乗り込み、ルーブル美術館へ目指す。ぐるっと回っていくので、かなり時間がかかるのだが、パリの名所を通っていくので楽しめる。50分ほどかけてルーブルに到着。予想通りではあるのだが、すさまじい人と長蛇の列。よく見ると2つの列があるが、係員に聞いてみるとチケット買うのに2時間ほどかかるらしい。その時点でルーブルはあきらめた。並ぼうとしているときに、日本から来た女性観光客に声をかけられる。チケット買う裏技みたいなものないですか?と。チケットを持っていれば、違う入り口のほうから入れば、人も少ないということは知っているが、チケットがない以上、チケットを買うしかない。裏技はこっちのほうが聞きたいぐらいだ。仕方なく近くの日本料理屋へ行く。ラーメンが食べたかったので、キムチラーメンを食べる。「ひぐま」という日本料理屋でガイドブックにも載っていた。そこからブラブラと北上しオペラ座まで歩く。そこで循環観光バスに乗り、モンマルトル方面に向かう。このルートは初めて乗るが、やはりグリーンラインのほうが見所が多い。45分ほど乗るとモンマルトルに一番近いバス停に到着。そこから坂をあがっていくと、芝生の公園があり、その上にモンマルトルでも一番の見所であるサクレクールがある。そこからの景色はとてもいいらしいので、中に入ることにする。しかし、中は教会であって展望台にいける入り口がない。一度出ると地下から上にいく入り口があった。そこは入場料が必要だが、15時だったこともあり係員が休憩しているみたい。自動販売機もあるが、買い方がイマイチよくわからない。少し待ったらようやく係員が帰ってきて20ユーロ払って展望台へ。こどもは無料だ。螺旋階段でぐるぐる回りながらひたすら上る。螺旋階段のところどころに小さな窓がついているので、たまに景色が見える。そして一番上に上ると、天気が悪いものの、パリの街が一望できた。凱旋門、エッフェル塔が見える。昨日、凱旋門からはこの教会が見えたが、今日が逆から見ている。天気が悪いのが残念であるが、風が心地よい。しばらくそこでたたずむ。教会の下は街になっていて、店がたくさんあるので人でにぎわっている。壁から人が通り抜けているオブジェ(壁抜け男)があったりと楽しめる。少し下ったところには、ゴッホが住んでいたというマンションもある。そのマンションから少し下ればムーランルージュがある。モンマルトルで3時間ほど楽しんだ。

(左)サクレクール前の広場から。結構急な上りだ。 (中)サクレクールの一番上からの眺め。凱旋門やエッフェル塔が遠くに見える。 (右)ムーランルージュ。大きな通り沿いにある。 
すでに17時だったので、もう入れるところはないだろうが、とりあえずオペラ座までいってみる。あわよくばオペラ座に入れれば、と思ったが、循環バスに乗ってしまったので、ぐるっと回っている。途中、パリ北駅や小さな凱旋門などを見ながらオペラ座へ。モンマルトルから50分ほどかかったのでオペラ座はすでにクローズしていた。そこからまた下っていき、ナポレオン像があるバンドーム広場を通り、1903年創業のアンジェリーナというカフェにいってみる。ミルフィーユが食べたかったのだが、並んでいると、すべてのケーキが終わりましたといわれる。ここでお茶だけ飲んでもな、ということで、コンコルド広場まで歩く。せっかくなのでセーヌ川沿いも歩くことになり、カギがたくさんかかっている橋まで行く。カギを橋にかけるのは、恋人たちが願いをこめてかけるのだそうだ。橋は歩行者専用なので、ベンチもあって気持ちがいい。パリの中心部はこれで観光終わり。花の都パリというのはよくわかる。華やかな街である。

そこから、ホテルに向かうが最後にエッフェル塔には上ってみたいと思っていた。循環観光バスで、コンコルド広場、シャンゼリゼ通り、凱旋門を通り、シャイヨー宮で降りる。シャイヨー宮から見る、夕陽のエッフェル塔というのは、また素晴らしい!しこたま写真を撮る。ここからの眺めは素晴らしいので、人も多い。景色を楽しみながら、エッフェル塔まで歩いていく。まだ、エッフェル塔に上るには、多くの人が並んでいるし、陽が沈んでいない。一度、ホテルに帰って夕食を食べることにした。近くの店で、ケバブとピザを買ってホテルで食べる。ケバブはトルコに行ってからというもの、はまってしまった食べ物である。パリで食べてもうまい。そして、疲れた体に鞭打って、22時にホテルを出発。この時間になるとさすがに人が多くはない。一番列が短いところに並んでようやくチケットを購入するが、階段でしか上れないチケットだった。階段でもいいのだ。鉄格子のような塔なので、周りの景色を見ながら上っていく。一段一段と、高くなっていく。高さは324mであるが、第1展望台は、57.6mとそんなに高くない。あっという間についた気がする。セーヌ川方面、凱旋門方面など、堪能するが、やっぱり低いのですぐに第2展望台へ向かう。第2展望台は115.7mとほぼ倍になる。途中、ほぼ垂直に上がっていくエレベーターが見えるが、垂直なので、見ているほうが怖くなってくる。そこに大勢の人が乗っているのだ。ちなみに、第3展望台は276.1mなので相当高いのだろう。第3までのチケットは持っていないので、今回はあきらめることにした。第2展望台から、セーヌ川や凱旋門を眺めるが、パリの街は意外に暗いのだ。期待していた通りの景色ではなかった。が、ちょうど23時のフラッシュになる時間帯だったので、エッフェル塔にいながら、チカチカする光景を楽しめた。パリともこれでお別れか、ということでパリでの2日間を回顧する。下りは早いものだ、すぐに下りることができた。0時近くまでエッフェル塔にいたことになる。ちなみに、この時期、エッフェル塔は0時45分まで営業している。ホテルに帰る道すがら、エッフェル塔を見ながら帰るが、やはり美しい塔である。後ろ髪引かれながらエッフェル塔に別れを告げる。この日は0:50に就寝。

(左)シャイヨー宮から見たエッフェル塔。夕陽に映えて美しい! (中)夜のエッフェル。何回見ても美しい。 (右)この美しい塔を作ったエッフェルさん。


(左)エレベーターは結構急な角度なのだ。 (中)シャイヨー宮方面。圧倒的なネオンというのはなかったが、こちら方面が一番綺麗だった。 (右)階段で上ると鉄骨がよく見える。


8月13日 パリ⇒フランクフルト⇒バルセロナ
バルセロナ空港⇒カンプノウ(33.8Km)⇒ヒルトン・ディアゴナル(44.3Km)
花の都パリのあとは、情熱の国スペインだ!無料航空券で予約したため、スターアライアンスでいけるルフトハンザにしたので、フランクフルト経由になってしまう。時間はロスだが仕方ない。ホテルを8時に出発して、予約してあったハイヤーに乗る。ホテルを出発してエッフェル塔が少し見えた、なんだか名残惜しい。シャルルドゴール空港まで40分ほど。チェックインはすぐにでき、ターミナル1からさらに長い地下通路を通って搭乗口へ。近くにラウンジがあったので、そこで1時間ほど過ごす。日本はちょうど夕方だった。仕事の電話がかかってきていたので、かけ直す。メールもたくさん入っていた。なんだか休暇気分が一気になくなってしまった・・・。気分を取り直して飛行機搭乗。フランクフルトまでは1時間20分。フランクフルトは大きすぎて、ターミナルが変わったら乗換えに時間がかかるのだが、同じルフトハンザなので、バルセロナ行きはすぐだった。乗り換え1時間で13:20に出発。バルセロナまで2時間ほどであるが、途中、スイスらしき上空を通る。高い山の上に氷河が見える。あわよくばマッターホルンが見えるかな、と思ってずっと見ていたが、残念ながら見られず。その後はパリ観光の疲れからか爆睡。バルセロナに15:15に到着。ついにスペインだ!

(左)アルプスらしい山。夏でも雪がある。 (中)さすがバルセロナ空港、いきなりメッシがお出迎え。 (右)レンタカー借りて出発!
 
バルセロナで荷物を受け取り、空港内でまずは地図を購入。売店の横には、バルセロナのサッカーチームの店がある。当然、メッシが主役だ。多くの写真が張ってあった。スペインではレンタカーを借りている。空港で手続きをして、16:20に出発!まずはFCバルセロナのホームスタンドである、カンプノウに向かう。バルセロナの空港は南にあり、高速を北上する。カンプノウはバルセロナの北西にあるが少しわかりにくい。入る道がよくわからず、サグラダファミリアの近くまで行ってしまい、また、近くの大通りを一度通り過ぎるが、何とかたどり着くことができた。カンプノウはさすがにバルセロナの観光地だけあって、試合がなくても大勢の観光客がいる。スタジアムの横に、ショップがあり、ユニフォームをはじめ、いろんなグッズが売っている。こんなのはほんとにサッカー業界はうまい。これでかなり稼いでいるのだろう。こどもがサッカーをやっているので、まずはユニフォームを購入し、名前を入れてもらう。背番号は当然メッシの10。それ以外にもバックなどをこどもが購入する。意外に時間がかかっているので、あまり興味がない上の女の子と外のカフェでコーヒーを飲む。しばらくすると、満足そうに下の男の子が出てきた。旅に出ていて、こどもの満足そうな顔を見るのが、一番の幸せだ。

(左)これがかの有名なカンプノウ。10万人収容できるので滅多に満員にならないのだとか。 (中)メッシユニフォームが多い! (右)ありがちな人形。
 
早く予約すれば安かったので、海岸沿いにあるヒルトンにした。旧市街地を抜けていくが、サグラダファミリアを過ぎたあたりから、海沿いのリゾートっぽい町並みに変わる。わかりやすい場所にあるので、すぐに行くことができた。20時過ぎにチェックイン。コネクティングルームを要求すると、少しだけ追加料金が必要だが可能であった。4人いると2部屋必要なので、コネクティングルームはありがたい。ホテルに満足するとお腹がすいた。周りに店がいろいろとありそうだったので、近くのスペイン料理を作っているレストランに入る。スペイン料理を食べるが、これがまたうまい。スペインではまったイベリアハムのほか、肉とジャガイモなどを入れて炒めた料理が最高だった。家族はパエリアで満足。ホテルでサグラダファミリアの予約をして1時に就寝。
 
8月14日 バルセロナ
いいホテルでのんびりと9時に起床。この日はバルセロナの観光日。観光といってもサグラダファミリアだけで十分だ。11時に出発してサグラダファミリアへ。12時過ぎに予約していたので12時ごろに到着し、車を道端において歩く。ここもすごい人。これが有名なサグラダファミリアか、と近くで見るが、街の真ん中にあるし、パリに行った後ということもあり、彫刻もすごく雑に感じる。少しイメージと違うか。ガウディが完成させた「生誕のファザード」と4本の鐘楼は東側。持っているチケットで入れるのは、その反対側である西側の「受難のファザード」。こっちはガウディの死後に建設されたようだ。1882年から建設を行っているが、2026年の完成を目指して、現在も工事中。工事をするのも、大型クレーンが何台もあるのは少し違和感があるか。内部の聖堂は2010年に完成している。チケットがあるので、その時間になるとすぐに入ることができた。キリストの受難の場面が、彫刻で描かれている。中に入ると森をイメージしただけあって、とても落ち着く空間だ。柱が木のようで、大きな枝が途中からわかれているようだ。椅子がおいているので、そこに座って中を眺める。ステンドグラスが何枚もあって、とても美しい。本当は上に上ってバルセロナの景色を見たかったのだが、前日ホテルで予約しようと思うと、すでに一杯で聖堂のなかしか入れないチケットしかなかったのだ。聖堂から外に出て、西側からもサグラダファミリアを眺める。暑かったのでアイスを食べるがそれがおいしい。次に東側に池があるが、そこから見るサグラダファミリアがいいというのでそこにいく。近所の人たちが集まるような公園だが、確かに美しい。2時間30分ほどのサグラダファミリア観光だ。



(左)確かに森林っぽい。心に安らぎを与えてもらえる。 (中)ステンドグラスも見ごたえある。 (右)よくあるアングル。池の向こう側から。大型クレーンが雰囲気壊すけど。


サグラダファミリアに行けば、後は特にこれといって行くところがない。でも、ガウディの街なので、ガウディちなみのグエル公園にいくことにした。グエル公園は、実業家のグエルが高台に60戸の宅地を造成したが、資金難などで工事も中断し、公園になったもの。住宅は2戸完成し、ひとつはガウディの住居だった。現在はガウディがデザインしたデザインした家具や遺品を展示するガウディの家博物館となっている。サグラダファミリアからグエル公園は地図で見ると近いのだが、レンタカーで行くととても行きにくい。道を知らないからだと思うが、大通りをいってしまうとまったく違うところにでてしまう。しかも坂道なのでマニュアル車ではかなりキツい。細い道を通りながら、なんとかグエル公園の駐車場に到着。そこから中に入るが、土むき出しの道があったりと、まだ未完成?と思われるような公園だが、バルセロナを見下ろせる展望台までいくと、いい景色だ。サグラダファミリアも見える。そこから公園を一回りするが、公園の端のほうに十字架がある展望台のようなものがあったので、行ってみる。すると、十字架の下ではおもしろいおっちゃん?が歌を歌っている。それがなかなかおもしろい。こどもがしばらくその歌を歌うぐらい、耳に残るような歌だった。女の子にちょっかいを出しているのもおもしろい。十字架は石を積み上げた上にあるのだが、その石は上れるようになっている。そこから見る景色は、また美しい。

(左)グエル公園でよく使われるアングルの写真。すごく暑かった。 (中)サグラダファミリアもよく見える。 (右)展望台のような十字架のある場所で歌っていた面白いけど変なアーティスト。

せっかくなので、街の中にあるガウディ建築も見ることにした。もはや観光地になっているカサ・パトリョとカサ・ミラだ。メイン通りであり、観光客も多いグラシア通りにある。道端に車を停めて歩いて観光。おしゃれなショッピング通りであるが、そこに突然、ガウディ建築が現れる。ガウディは曲線をよく使うのであるが、現代的なビルの横にあると違和感がある。ガウディのライバルといわれていた人がデザインしたビルもある。中には人がたくさんいたので、外から見るだけにした。これでバルセロナの観光も終わりだ。こどものリクエストがあったホテルでプールにいくことにした。18時過ぎにホテルに着いて、すぐにプールへ。スペインもまだまだ明るいし、この時間でもまだ暑い。プールに入っているのも気持ちがいい。20時前までプールで遊び、そこからまた近くのショッピングセンターへ。鉄板焼きの店があったので、そこに行く。新鮮な魚介類が置いてあり、好きなものを選んで焼いてもらう。それ以外にもすでに料理しているものがバイキングであった。寿司も置いてあったが、寿司はまずくて食べられるようなものではない。絶妙な味を出せるのは、日本人職人だからか。たらふく食べる。バルセロナの夜の食事はとても満足だ。

(左)カサ・パトリョ。隣にガウディのライバルがデザインしたビルがあるのも面白い。(中)カサ・ミラ。(右)バルセロナはガウディ一色と思いきや、ピカソもあった。
 
8月15日 バルセロナ⇒アンドラ⇒サラゴサ
(距離はバルセロナ空港からの距離、時間は前の地点からの距離で実走時間)
バルセロナ(70.9km)⇒アンドラ(269.0Km、2時間40分)⇒サラゴサ(593.5Km、4時間15分)
バルセロナを後にする。この日はほぼ移動日だが、単にマドリッドに行ってしまうのも面白くない。しかもヨーロッパの小国には興味があったので、フランスとの国境にあるアンドラに行くことにした。アンドラは、ピレネー山脈の中にある、人口8万人程度の国だ。標高は1000mのところにあり、ピレネー山脈の中に位置する国だ。ここは歴史的にはよくわからなかったのだが、外務省HPでは、13世紀にウルヘル司教とフォア伯爵との間で対等の封建領主権(徴税権,裁判権,徴兵権)を共有する「対等の宗主契約」を結び、以後,両者がアンドラの共同領主となったようだ。フォア伯爵側では、フォア伯爵がフランス王(ブルボン朝初代のアンリ4世)として即位して以来、フランス国王に引き継がれ、フランス共和国となった後はフランスの国家元首(大統領)に継承されている。1993年2月には新憲法がアンドラ国会で可決し、同年3月住民投票で賛成多数で承認され、アンドラは国家として独立したようだ。フランス及びスペインは1993年6月1日に,アンドラ公国を主権国家として明示的に承認した。ただし、国家元首は引続きフランス大統領とウルヘル司教が共同元首。また、同年7月国連加盟国の全会一致で国連加盟が認められた。

(左)バルセロナから1時間以上走るとだんだんといい風景になってきた。 (中)山の中のこじんまりとした街。 (右)アンドラ市街地。イメージとまったく違う。
 
とのことである。そもそもは、この地に人が住んでいたが、共同所有となり、近年になって独立ということか。よって、ルクセンブルクやリヒテンシュタインは産業、サンマリノは天然の要塞、バチカンは宗教であるが、ほかの小国に比べると、イマイチぴんとこないところもある。ただ、アンドラは免税のようで、スペインやフランスから、電化製品や時計などを買いに来る方多いようで、買い物客で賑わっているところだ。確かにスーパーで買い物をしても、税がない分とても安い。フランスやスペインの2桁の消費税に慣れてしまったら余計そう感じる。また、冬はスキーができるようで、大きなスキー場もあるようだ。ピレネー山脈のなかにあるし、人口も8万人ほどなので、スペインもフランスも、独立するならどうぞ、といったところなのか。なお、城はなく、大きなデパートをはじめ商業の街という感じがイメージが違ったものだ。

(左)近代的な街に近代的な橋があり、時計のモニュメントがある。 (中)デパートや電気店が多く買い物客が多い。 (右)遠くに目をやれば昔からの家らしきものもある。

バルセロナからアンドラに向かうには北上していくのであるが、1時間ほど走ると山の中に入っていきとても美しい景色が広がる。マドリッドから2時間30分ほどでアンドラに到着。スペインとアンドラの国境では、ゲートがあるもののノーチェック。街の中に入っていくと、確かにデパートやら電器店やら店が多い。買い物の街といった感じだ。正確には、アンドラ・ラ・ベリャというらしい。駐車場に車を置いて、アンドラの町を散策。バルセロナを出たのが11:30と遅かったので、もう14:30だ。昼食も食べていなかったので、まずは食事をすることにした。レストランのメニューを見ても、いままでとあまり変わらないようなピザぐらいしかない。なので、この旅で初めてのマクドナルドに行くことにした。メニューは変わらないが、ポテトが2種類あった。デラックスなものと、日本のポテトと同じもの。ハンバーガーの味は日本とほとんど変わらない。満足したところで、街を散策するが、デパートいくでもないので、プラプラと歩く程度。政府や市役所から街を眺めるが、普通の街であるものの、山のほうを見ると、山間部らしい家もある。やはり、小国でも城があれば雰囲気が違うのであろうか。16時過ぎたこともあり、そろそろサラゴサに向かうこととする。駐車場の近くにスーパーがあったので、飲み物のほか、おみやげも買う。さすがに無税だけあって安く感じる。ガソリンを入れてアンドラを出発

(左・中)アンドラの街の中心部。道が狭いので少し危ない。 (右)アンドラ国旗。

あとはひたすらサラゴサに向かうだけだ。サラゴサはピラール聖母教会があり、スペイン中の信仰を集めている街だ。ただ、バルセロナとマドリッドの間にある街なので、泊まるだけになりそうだ。アンドラを出てずっと下っていくのだが、その景色が素晴らしい。途中から平原になるが、その境目になると、平野にでてきたという感じがする。川沿いを走る区間もあるので気持ちがいい。ただ、平原に出てしまうと、ほとんど変わらない景色が続く。大平原を見ていると、スペインもかなり広いと実感するものだ。サラゴサにつくころに、ちょうど日暮れになった。日暮れといっても21時過ぎないと暗くならないので、もう十分に遅いか。スペイン第5の大きさの街だけあって、市街地はそこそこ広い。といっても人口は60万人ほどである。街の真ん中のホテルだが、例によってなかなか見つからない。近くまでいくが、それらしきものがあるもののよくわからない。車を置いて一回り歩くがない。近くにいたタクシーの運ちゃんに聞いてみると、スペイン語で丁寧に教えてくれた。すると、やっぱり最初に行ったところであった。マンションを改築したのか、入り口はホテルっぽくないが、中に入ると確かにフロントがあった。とても親切なお兄さんで、駐車場の場所などを親切に教えてくれた。チェックインが22時前になったが、部屋に入ると、キッチンはあるし、リビングがあるし、ベッドルームが2つもある。まさにマンションだ。ホテルの周りにはレストランらしきものもなく、日本から持参した食事をキッチンで調理して食べる。この日は0時に就寝。

別左)国境では一応止まるが特に何もない。 (中)ピレネー山脈をおりるとひたすら大平原。城らしきものもあった。 (右)夜のサラゴサの街。


8月16日 サラゴサ⇒コンスエグラ⇒トレド
(距離はバルセロナ空港からの距離、時間は前の地点からの距離で実走時間)
サラゴサ(593.5Km)⇒コンスエグラ(1,053.6Km、4時間)⇒トレド(1,137.4km、1時間)
朝7:30に目が覚めた。家族はまだ寝ていたので、一人で散策することにした。最初、行きたいピラール聖母教会とは反対にいってしまい、平日の出勤風景があった。早足で歩く人とぶつかりそうになる。街の中はごみごみしている感じ。反対と気づき、逆に歩く。ホテルを通り過ぎエブロ川まで行く。川沿いはやはりきれいだ。川沿いにきれいなホテルがあったが、ここに泊まれば朝は部屋から川が見えたかもしれないと少し後悔。橋から見るピラール聖母教会はとても美しい。堪能してホテルに帰るとこどもたちが外で待っていた。そしてお母さんが怒っている。まーまーと言いながら、ホテルで朝食。ホテルの最上階、しかもオープンテラスなので、とても気持ちよく食事ができる。朝の風も気持ちがいい。8階なのでそんなに遠くまでは見れないが、それでも街から少し離れると、荒野が広がるのもわかる。ホテルを10:20に出発して、家族の希望でピラール聖母教会を見に行く。エブロ川の対岸の公園に車を停めて、歩きながら見るが、正面から見るととても迫力がある。さー、この日は、ラマンチャ地方の風車と、そして旅のメインともいえるトレドだ。その公園には15分ほどの滞在で、サラゴサを後にする。

(左)ピラール聖母教会。スペイン中から集まってくるとか。 (中)サラゴサ市街地。ライトレールが走っている。 (右)ホテルの最上階レストランからの眺め、気持ちいい!
 
サラゴサからマドリッド方面に少し走ると風力発電のプロペラが見えてきた。しかも大量だ。荒野の向こうまで果てしなくプロペラが見える。ヨーロッパはどこにいっても風力発電が盛んである。それを抜けると荒野をひた走る。丘陵のようなところもあるが、ほぼ荒野である。ひたすら車を走らせる。サラゴサからマドリッドまでは200km以上もあるのだ。途中、ガソリンスタンドで給油しなければならない。そこで20分ほどの休憩を挟み、またひたすら走る。ただ、この日はマドリッドには行かず、その手前を南下してラマンチャのコンスエグラという村まで行く。風車を見るためだ。サラゴサを出てから4時間、ようやくコンスエグラに到着。すでに15時過ぎ。小高い山の上に、昔の風車が並んでいる。とてものどかな風景だ。山を登っていくと、最初に2つ風車があるが、そこが案内所だ。ただ、休憩時間か、空いていない。そのまま上にいくと、さらに7基の風車があった。そこから見る風車と、眼下に広がるコンスエグラの街並みと、美しい畑。素晴らしい景色である。畑は緑の部分と黄色い部分があるが、よく見ると黄色の部分は何も作物を植えていないようだ。遠くを見ると、雨が降っているのがわかる。もうすぐこちらも雨かな、と思わせる天気だ。次に城に行ってみるが、こちらも休憩時間なのか開いていない。上から見ていると気になったので、畑まで行くことにした。コンスエグラの街まで降りて、近くの未舗装の道を進んでいく。ごみ処理場などがあるので、街のはずれだ。すごい砂煙をあげながら車を走らせる。上から見ていて気になっていた場所に到着。すると、植えているのはぶどうであった。黄色い部分は、やはり雑草などが生えている。ここも耕作すればいいのにと思うが、そうもいかないのか。そうこうしているうちに天気が良くなってきた。風が強かったので、雲があっという間になくなってきた。これはチャンスということで、再び風車がある高台まで行く。すると、これまたさっきとは違って、素晴らしい景色が広がっている。やはり晴れているのとそうでないのとでは、景色の見え方が違うものだ。しこたま景色を堪能する。ツアーなら、もう一度、というのはできないのだが、これが個人旅行の醍醐味か。先ほどの城が、開いていたが、もう満足したので、立ち寄らない。観光案内所も開いていたので、パンフレットぐらいをもらおうと立ち寄る。すると二人が座っていて一通り説明してくれる。さっきの城も有料だし、この案内所である風車の2階に行くのも有料らしい。お金を持っていないと言って、案内所を出る。コンスエグラに満足したので、トレドに向かう。

(左)こんすえぐらの風車。ここからのアングルが美しい。城も見える。 (中)風車は木で出来ている。 (右)ひまわりなどを植えていたであろう畑もとても美しい。


調べてみるとコンスエグラからトレドまでは近い。しかも道が広いので70Kmぐらいあるが、1時間ほどで到着。ホテルはトレドが見渡せるところにしていたので、トレドの手前だ。山を降りるところでホテルへの入り口がある。フロントは結構込み合っていたようで、荷物運びのおじさんのような人がチェックインをしてくれた。部屋に入ると、トレドの街が一望できる。これは素晴らしい!しばらく夕陽に映えるトレドを堪能する。まだ19時前なのでプールに行ってみる。ここもプールからトレドの街が見えるし、芝生があって気持ちよさそうに寝転んでいる人がいる。トレドでプールに入るという優雅な時間をすごすことができた。せっかくなので、トレドの街までいって夕食を食べる。21時過ぎに車でトレドの街に入る。城壁のようなところをくぐり、アルカサル近くの駐車場に車を置く。そこから歩くが、噂に聞いていたとおり、素晴らしい町並みだ。1561年まで首都であり、歴史的経緯からキリスト、ユダヤ、イスラムの3つの文化が共存している。711年から400年間にわたってイスラム教徒の支配下に置かれたこともあるのだ。狭い路地を通りながら歴史を感じる。いい感じのレストランがあったので入ってみる。すっかりお気に入りのイベリコハムのほかに、ステーキを食べる。なかなかおいしい。観光地トレドだけあって、値段も高めだ。その後、トレドの中心部であるソコドベール広場近くを散策する。23時過ぎなのに、まだまだ人は多い。街の中にホテルもたくさんあるので、人も多いのか。結局0時前に、ホテルに帰る。2時前に就寝。

(左)ホテルのベランダから見るトレドの街。スペインで最も人気があるというのもよくわかる。 (中)プールサイド。ここからも街が見れる。 (右)ホテルのレストランからも一望だ。
 
8月17日 トレド⇒マドリッド
(距離はバルセロナ空港からの距離、時間は前の地点からの距離で実走時間)
トレド(1,154.7km)⇒マドリッド(1,243.8km、1時間)⇒マドリッド空港(1,275.0km)
8時起床。いいホテルなのでのんびりとしたいところだが、1泊だけの予定だ。少しだけホテル内を散策。その後、朝食を眺めのいいレストランで食べる。トレドの街が見える。料理のメニューも豊富だ。とても優雅な朝だ。朝食後、レストラン前のテラスに出て、いろんな角度からトレドの街を楽しむ。写真もしこたま撮る。名残惜しいが、ホテルを12時前にチェックアウト。とてもいいホテルで、できればもう1泊したかった。

何度見てもいい景色だ。何枚写真を撮っただろうか。
 
トレドの街に昨夜に引き続き行く。同じ駐車場に停めて歩く。お目当てはカテドラルだ。トレドの道は小路が多くて、迷いやすい。地図を見ながら行くが、少し迷ってしまった。表通りのようなところに出ると、カテドラルが見えたのでそちらに行くが、裏口みたいで中には入れない。仕方なくぐるっと回る。市庁舎のなかに案内所があるので、トレドの地図をもらう。その地図だが、トレドの道の名前が書いてあり、しかもほぼ正確に作られているのがすごい。いいものを手に入れたものだ。カテドラルは小学生はチケットがいらないようなので大人3人料金で24ユーロ。入り口の前のチケット売り場で購入。音声案内もあったが、日本語がないのでパス。中に入ると見所が多い。1226年から建設が始まり1493年に完成したもので、スペイン・ゴシック建築の大聖堂である。金キラの礼拝堂や、参事会室、グラナダ戦争の様子が書かれた聖歌隊席などがあるが、中でも人が多かったのが宝物室。16世紀初頭に総重量200kgの金、銀、宝石などで細工された高さ3mの聖体顕示台があって、写真を撮るのも順番待ち。そのなかの一部の金はコロンブスがアメリカから持ち帰ったものがあるといわれている。パリでは、ほとんど建物の中に入れなかったので、トレドで十分に堪能することができた。ここに入れれば、もう満足。あとはおみやげ物屋でお土産を購入するだけ。街をブラブラした後、トレドの街を出発し、マドリッドへ向かう。

(左)昨夜きたレストラン。なかなかの味だった。(中)カテドラルの中。この旅初めてのきんきら金を見た気がする。(左)カテドラル外観。さすがスペイン・カトリックの総本山。どっしりとしている。


マドリッドまでは高速と一般道があるが、どちらも高速道路みたいにスイスイ走れる。iPhoneのナビが、高速を示していたので、高速に入ってしまった。反対側の車線あわせても、まったく車が走っていない!こんなんで大丈夫だろうか?と心配になる。途中で一般道と近いところがあったので、そこで有料区間を降りて、一般道へ向かう。確かに一般道も高速道路みたいなものだ。マドリッドが近づいてくると、さすがに交通量が多くなってきた。お目当ては「ゲルニカ」の絵。ゲルニカがあるのはソフィア王妃芸術センターだ。ナビどおりに行くと、すんなりと近くに行けた。しかも、道路の端に車をおけるのだが、たまたま1台空いたのでそこに停める。有名な絵画があるにもかかわらず、こどもは無料だし、大人2人で16ユーロととても入館料は安い。その日はダリの特別展をやっていたが、そこは入らずに一般展示だけだったからかもしれない。一般展示といっても、ピカソ、ミロなど、世界的に著名な人が書いた絵が見れる。
 
「ゲルニカ Guernica」は、1937年にバスク地方の小さな町ゲルニカがドイツの軍機ユンカースに爆撃され、2000人以上の死傷者を出したことを知ったピカソが、パリ万博の作品のテーマとして描いたものだ。戦争への怒りを表したものである。ゲルニカは思っていたより、巨大な絵であり、大きな壁の大部分を占めていた。描かれている人や牛、こどもなどの表情を見ていると、ピカソらしいタッチであるが、迫力がある。しばし、端から端まで目を凝らして見る。ゲルニカの作品の近くには、ゲルニカを作成するまでの下絵があって興味深い。最初に書いた下絵は、完成版とかなり違っている。牛は同じ配置であるが、途中まであったものが完成版ではなくなっていたりする。何を思ってそうしたのか解説がなかったのが残念であるが、描いているうちに、変化があったのだろうか。ゲルニカを見てしまうと、あとは消化となってしまうが、それでもピカソの絵がところどころにあったり、見ながら興味がひかれる絵があったりする。しかし、館内はとても広く、1枚ずつ見ていけばキリがないと途中で気づく。もともと絵の才能もないので、2時間弱で外にでる。2時間でもがんばったほうか。表にはピカソやダリなどの関連グッズが売っているが、写真を取れない絵というのは、ついつい買ってしまう。今回もゲルニカのマグネットとキーホルダーを買ってしまった。うまい商売ではある。
 
これで予定していたすべての観光を終えた。今年の観光は短かったような気もするが、それだけ充実していたということか。この日はマドリッドでも、空港近くのヒルトンを予約していた。明日の朝、それほど早くはない便であるが、安全を期して、空港近くのホテルを予約していた。ホテルに向かう前に、エル・コルテ・イングレス(El corte ingles)というデパートに行きたいと、家族が言うのでよることにした。何でも揃うデパートであるが庶民的であり、地下のスーパーではみやげ物の買出しに便利とガイドブックに書かれている。みやげを買うためだが、行って見るとなんと多くの日本人を発見。ちょうどツアーで寄ったからなのか、何せ大勢いる。みんなみやげを買っているのか。

(左)トレドからマドリッドへ。後日、日本に送付されてきたのだが、この区間でスピード違反(オービス)をしていたと思われる。合計4枚通知が来ていた、痛い。。。
(中)ソフィア王妃芸術センター。ダリの特別展示もやっていた。 (右)マドリッド市内。さすがに首都だけあって、重々しい建物が多かった。

市街地から空港までは約15kmとそれほど遠くない。案内表示もたくさんあるので迷うことはなかったが、やはり空港近くになると、とても道がややこしくなる。最初にホテルに行こうと思ったが、ホテルが見えているものの道がややこしくてわからない。よって、まずは空港にいってレンタカーを返却することにした。ターミナル1になんとかたどり着き、レンタカーを返却。1,275kmも走ったんだと思うと、やっぱりスペインは広いと実感。カンプノウでタックスフリーの手続きをしていたので、返金してもらおうと窓口にいくが、なんだかんだといわれ結局、明日来てくれ、とのこと。なんと不親切な感じ。1時間も空港にいたことになる。ヒルトンからのお迎えバスを待ってチェックインするが、すでに21:30であった。ヒルトンの1階でグリルがあったので、そこに入る。ステーキにパスタに頼むが、さすがヒルトン、どれもとてもおいしい。ビールもうまい。最後の夜に、最高の食事であった。今年も旅を堪能することができた!
 
8月18・19日 マドリッド⇒フランクフルト⇒パリ⇒北京⇒関空
8:40起床。そしてホテルで朝食。いいホテルでのんびりしたいところだが、飛行機の時間がある。10:30過ぎにチェックアウトして、空港送迎バスに乗ろうと待つ。しかし、なかなか来ずに、来たと思ったら、これは空港に行かない、だってさ。客の乗り込みが終わると、ホテルマンが、空いているので空港に寄ってくれると言ってくれた。ラッキー。11時前にターミナル2に到着。チェックインするが、今回の旅程はすごい。改めて遠くまで来たものだと痛感するが、マドリッドから3回経由してようやく日本だ。荷物タグも4つも空港コードが書いている。しかも、パリ以降はここでは発券できないので、パリで手続きしてくれ、とのこと。なんとなく不安だが仕方ない。荷物だけでも日本まで送れたので良しとしよう。すべて定刻どおりならいいが、ひとつでも遅延があったらどうしようか、と不安になることもあるが、フランクフルト、パリまでは問題なく、ほぼ時間どおり。
 
シャルルドコールは今回初めて使うので不安であったが、中でトランジットする方法がよくわからなかったので、一度、外に出ることにした。出ようとするときに、とても不安そうな韓国人のおばさんが一人で迷っていた。嫁がハングルが少しできるので説明するが、顔からしてとても不安な感じ。おそらくツアーだったが、はぐれてしまったらしい。シャルルドゴール空港は、後でわかったが、搭乗ゲートから地下の長い通路を通ってターミナルの真ん中に来て、さらにうえに登る歩く歩道に乗ってしまうと、後戻りができなくなっている。そうなると、もう一度、チェックインのところまで行かなくてはならない。その韓国のおばさん、間違って一人で歩く歩道に乗ってしまったんだろう。仕方がないので、一緒に外に出て、搭乗口までおばさんを見送ってあげることにした。そこから先は、まだチケット発行していないので、われわれ家族はいけない。不安がるおばさん、手をつかんでくるおばさんを見かねたのか、係員が一緒に行くことになった。あとで、アシアナ航空と同じゲートだったが、そのおばさんはもういなかったので、飛行機に乗り込み無事に帰国できたのだろう!?

(左)さらばスペイン!こんな景色のイメージだ。 (中)おそらくフランスのボルドーあたり。海岸線がよく見えた。 (右)シャルルドゴールのこの看板は印象的。

チケット発券はすぐにできたが、座席が家族4人バラバラ。窓口で言っても仕方ないので、機内で交渉することにした。再び歩く歩道に乗り、地下の長い通路をいくと、搭乗ゲートに到着。まだ乗り込んでいないようで、多くの人がゲート前にいた。ありがたいことに、ゲート近くに喫煙コーナーがあったので、長旅だし吸っておく。搭乗開始になり、機内に入って、席を替えてもらうことを交渉する。たまたま近くに一人だけの客がいたので、うまく2席、2席で変われることができた。さすがに長旅になるし、こどもだけでは不安だろう。一安心して北京へ向かう。北京には翌日の12過ぎに到着。定刻より少し早く到着だ。トランジットといえども、イミグレの通過のほか荷物検査には時間がかかる。13時ぐらいにようやく荷物検査を通過する。関空行きまでまだ時間があったので、中国国際航空のラウンジにいく。北京のラウンジはとても好きで、料理が豊富なのである。ラーメンがほしかったので、そのコーナーに行くが、まだない。待っていると、肉ラーメンがきたらすぐになくなる。次のものまで待ってようやくゲット。中国らしい味つけのラーメンだ。長旅のあとはとてもうまい。ラウンジで少しゆっくりして、関空いきにのる。このあたりでは時差がぐちゃぐちゃになっているので、頭はすでにボーっとしている。関空には定刻より少し早く18:15到着であるが、機内では爆睡。意識朦朧である。そして20:30に帰宅。この瞬間が一番ほっとする。家族4人楽しく、怪我なく、今年も旅行することができた。また、家族で行くぞ!かけがえのない時間であり、思い出である。
〜完〜

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