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ドナウ川沿いにプラチスラバ・コマーロム・ブダペストのドライブ

【旅程】
今回は予定が変更になり、出張の行きに時間ができてしまった。そこで、フランクフルト経由でウィーンに入り、まだ行ったことのないスロバキアとハンガリーに行くことにした。9日の夕方にフランクフルトについて、10日の夜にはロンドンにいなければならない。それでも強行スケジュールで、ウィーンに入り、そこからドライブすることにした。ウィーンで借りてブダペストで返却するには300ユーロという巨額な乗り捨て料金が必要であるが、仕方ない。宿は昔からなぜか惹かれていたプラチスラバでほテルを予約する。

【今回のドライブ】
ウィーンからプラチスラバまで、そしてプラチスラバからコマーロムを経由してブダペストまで341.3Kmを走ることが出来た。オーストラリア、スロバキア、ハンガリーの道は快適である。
ガソリンは入れる時間なく、ハーツで距離精算。


【旅行記】 2月9日~10日
1日目 日本⇒フランクフルト⇒ウィーン⇒プラチスラバ(泊)
伊丹から羽田にいき、フランクフルトへ。ANAのヨーロッパ便はほとんど羽田から出発するので便利になった。成田にいくときには8時前の飛行機なのだが、羽田なので9時の飛行機で間に合う。行く前からちくのうやら、食べすぎの腹痛やらで体調はイマイチだ。フランクフルトについてもまだ体調悪い。機内食も珍しく和食を頼んでしまった。和食でも豚の角煮だったので、とても満腹感があり、とてもおいしかった。シベリアに入ってからしばらく寝ていたが、モスクワ北部あたりで目が覚める。やめときゃいいのに、豚骨ラーメンや生姜焼き丼、そしてアイスクリームまで食べてしまった。もう満腹。フランクフルトでしばらくラウンジで休憩。

(左)フィンランドあたりまでくるともう少し。 (中)この凍てついた感じの大地がとても好きだ。 (右)飛行機で食べる豚骨ラーメンは最高である。

フランクフルトに15:30と定刻よりも40分も早くついてしまった。ウィーン行は17:50発だ。しばらく待つ。17:30頃に搭乗口に行くが、まだ搭乗開始になっていない。しばらく待っていたが、どうも様子がおかしい。すると搭乗口変更になった。おいおい、まずいなと思っていたら当然ながら遅延。結局、19:55発と2時間も出発が遅れてしまった。ただでさえ時間のない旅なのに、2時間もなくなるとは痛い。オーストリア航空はいい印象があったのだが、遅延することもあるのだ。ヨーロッパは寒波が来ていることが影響しているのかもしれない。ウィーンには21:30に到着。そこからレンタカーを借りるが、とにかく外は寒い。ウィーンは2回目だが、レンタカーを借りるのは初めて。駐車場のほうにあると書いているが、オーストリアの言葉がよくわからない。マークを頼っていくしかない。すると、駐車場の1階のひっそりとしたところにレンタカーのオフィスが並んでいた。どこにいくのか?と聞かれたのでスロバキアとハンガリーと答えると、スロバキアにいくには許可証が必要とのこと。Border Crossingと書かれていたが8ユーロを取られた。そのかわり、車検証のようなものをくれた。

(左)近代的なウィーン空港。 (中)オーストリアとスロバキアの国境。 (右)スロバキアに入るときに必要なカード。

車のところに行くと、なんとベンツ!レンタカーでベンツというのもはじめてだ。道端には雪が積もっているので注意しながら運転する。空港はウィーンの東側にあるので、ウィーン方面ではなく、逆方面にいくことになる。高速道路だが、とても暗い。しばらく走っていると慣れてはくるが、寒そうだし、暗いし、時間も遅いしで、テンションはあまりあがらない。30分ほど走るとスロバキアの国境があった。昔は検問をやっていたであろうゲートなどもあるが、今はスルー。そこから30分ほどでプラチスラバの市街地に入る。市街地も雪が積もっている。最近降ったのであろうか。iPhoneの地図機能を駆使して走っていると、難なくホテルまで行くことができた。中心地だが少し裏手にある。地図機能はほんとにありがたい。23:30近くにチェックイン。ホテルは昔ながらの建物で、歴史を感じるものである。城みたい。部屋はそこそこきれいにしているので快適である。

教会の横に車を置いていたので、そこはダメということで、近くの地下駐車場に入れる。そのついでに街をぶらぶらしようと思ったが、寒くてたまらん。プラチスラバ城も見れなさそうだし、すぐに引き返す。雪が積もっているので、これ以上積もらないことを願うばかりだ。凍結も怖い。その夜は1時に寝る。海外出張のつらいところは、夜中でも電話があること。この日も2時や4時に電話がかかってきて、そのたびに起こされる。ま、仕方ないか。

(左)ホテル前の教会。車に積もっている雪にびびる。 (中)ホテルからでた表通り。人通りもなく早々に撤収。 (右)ホテルのなか。城みたいだ。


2日目 プラチスラバ⇒コマーロフ⇒ブダベスト⇒ロンドン・ヒースロー
実質的な観光日。しかも18時の飛行機でロンドンに行かなくてはならない。でも、プラチスラバからブダペストは2時間ほどで行ける。あまり焦ることもなく、ホテルでのんびり。朝食はこれまたお城の部屋のような雰囲気。メニューはそれほどないが、とても親切なおじいさんのようなホテルマンに親切にしてくれた。オムレツがとてもおいしい。昨日は食べすぎたので、今日はセーブと思いながらも、少し食べすぎた。煙草を吸いに外に行くと、ガーナからきた黒人さんと少し話をする。中国からか?と言われたので日本だよという。すると、アフリカには中国から多くの人が来ててめちゃくちゃしてる!と怒り始めた。なんでも水を多くくみ取りすぎて、地盤沈下で多くの方がなくなったのだとか。その彼はスロバキアの方と結婚したので、今ここにいるらしい。とても激しく怒っていたので、よっぽどなんだろう。最後は涙目になっていた。

そのあと、日本に電話したりしているとホテルをチェックアウトしたのが9:30になった。プラチスラバは城を見たかった。ホテルから近いはずだが、とりあえず車で向かう。曲がるところを間違えてしまい、山のほうに入ってしまったが、すぐに引き返す。すると城が見えてきた。側道に止めて城を見るが、どうも景色が悪い。しかも、そこに停めたらだめだよと言われたので、そこはすぐに立ち去る。城の中に行ける道があったので、そこにいってみた。すると中庭のようなところに入ることができ、城を下から見れた。しかも、ドナウ川が一望できて景色もとてもいい。一面雪であるが、いい場所を見つけたものだ。しばらくそこで写真を撮ったり煙草を吸ったりする。それでも極寒なので30分ももたずに退却。もう少し遠景で見たいと思ったので、UFOの塔がかかっている橋を渡る。するととても城がきれいに見える。道路沿いに車を停めるが、さすがに危ない。しばらく走っていると川沿いにいく道があった。そこからUFOの塔がすぐ見えるし、川越しに城がとてもきれいに見える。ここだ!と思ってそこからしこたま写真を撮る。ドナウ川の凍てつくような流れと、プラチスラバ城のコントラストがとてもいい!しかし、ここはさらに極寒。写真をとって少しだけ景色を堪能して、車に引き上げる。短い滞在だったが、プラチスラバはこれで終わり。ハンガリーに向かうことにした。

(左)プラチスラバ城の中庭から。 (中)ドナウが見事に見える。橋の向こうにUFOの塔がある。 (右)UFOの塔の下あたりから見た城。美しい!

さすがヨーロッパ、道はとても整備されていて走りやすい。しかも無料。雪原のなかをひたすら走る。すると30分ぐらい走ると、ハンガリーとの国境があった。ここも昔は検問があったのだろうが、いまはその名残だけ。止まることなくスルー。あとは雪原の中をひたすら走る。200㎞弱なので2時間ぐらいで着く距離だ。運転に飽きてきたころ、地図を見るとドナウ川にとても近い場所があった。それがコマーロムという街だ。川を渡ればスロバキアで、城塞もいくつかる街だ。1920年まで対岸はハンガリーであったが、やはり川が国境ということで、対岸のコマールノという街はスロバキアに返還されたようだ。ハンガリー川がコマーロム、スロバキア川がコマールノ。とても紛らわしい名前である。ハプスブルグ皇帝フランツ・ヨージェフ1世はここを拠点にナポレオン戦争を戦ったようだ。その後の1848年独立戦争でも主戦場となり、当時の砦が3つ残っているようだ。ガイドブックを見ていると、そそられる。しかも行きたいと思ったのか、該当箇所を折り曲げていた。まだ時間もあるし、寄ることにした。

幹線道路を左折して、20分ほど走るとコマーロムの街に入る。田舎の小さな街だが、こんな雰囲気はとても好きだ。しばらく走るとTESCOがあったので、そこに車を停める。極寒なので身支度をしっかりして、歩く。線路があってそこを超えるとドナウ川だ。昔ながらの橋がかかっており、その横の歩道を通る。ドナウ川を歩いて渡れるなんて、とても幸せだ。寒さに凍えながらもわくわくする。橋の途中までいくと、スロバキア領ということがわかるように国旗があった。そして渡りきるとここはスロバキアだよという看板もある。昔は繁盛していたであろう両替商のビルがある。いまは無人だ。ノスタルジーである。こんな国境の雰囲気はとても好きである。昔は緊張感があったであろうが、兵どもが夢のあとで、とても平和である。警官も国連もいない。しばし、ハンガリーとスロバキアにある国境を堪能だ。寒さも忘れる。ドナウ川には、かわいい子船が浮かんでいる。平和そのものである。

(左)ハンガリー側から。左手の橋がドナウにかかる橋。 (中)橋の真ん中。 (右)スロバキアに入ったところにある看板。


川を渡ったことで相当、満足したのであるが、城塞もあるということでいってみることにした。ひとつめのところまで車でいってみるが、どうもそれらしいものがない。地図で見る限りは広いのだが、整地されたのであろうか。ぐるぐる回るがない。仕方なく、街の入り口にあった砦に行く。ここもあまり整備されておらず、小山のようなところに上ると、昔作ったであろう堀がそれらしさを感じるぐらいだ。この砦はイグマーンディ要塞というらしい。さっと見ただけであった。橋を渡ったこともあり、この時点でもう13:30。意外に時間をかけて観光していたようだ。そこから約80Km、ブダペストに向かう。

ブダペストはさすがに大きな街だ。10Kmほどのところから、交通量が多くなってくる。市街地に入ると複雑化してきて、渡るつもりはなかったのだが、ドナウ川を渡ってしまい、ペスト側にいってしまった。幹線道をずっと行くが、街の雰囲気はとても重々しい。オスマン帝国の支配のあと、ハプスブルグ家のもとで繁栄しただけある。1700年代だから今から300年ほど前か。建物自体がとても重々しい。ペストの街をぐるっと回って、再びブダ側にわたる。マルギット島という中洲の島を通り、ブダ側へ。しばらくいくと王宮の裏についた。そこで車を停めて歩いて王宮へ。すこしだけの坂道を上る。雰囲気のいい街並みだ。王宮につくと閲兵さんがいて、笛をふきながら交代していた。そしてくさり橋が見える高台に到着。するととても素晴らしい景色が広がっている!ここに来て良かった。しばらく景色を見ていると、何やらがたごと音がする。みるととても可愛いケーブルカーが上ってくる。こんないい光景なかなかない。時間があれば、しばらくここにいたいぐらい。対岸に見える国会議事堂も素晴らしい。対岸を走る市電も見える。ドナウ川には、船が何隻が浮かんでいる。ほんと素晴らしい!くさり橋まで降りたいところだったが、もう時間がない。後ろ髪をひかれながら、その場を後にする。

(左・中・右)王宮からの眺め。最高である。


王宮を歩いていると、発掘しているような跡があった。かなり昔に作ったような壁などを掘っている感じである。こちらのほうも興味深い。柵をしてあったので近くで見ることはできなかったが、そんな場所もゆっくりと見たいものである。くさり橋と反対側の景色は山が広がっているのであるが、なだらかな丘陵に家が散在している。こちらの景色も何とも言えない風景である。この王宮からの眺めは最高だ。ここで何泊かして、ハプスブルグ家の繁栄ぶりを感じていたいものである。15:40に王宮の下をでて、ドナウにかかる橋をまた渡り、南東方面へ。空港まで30Kmもないが途中、渋滞が発生していた。渋滞の原因は事故であった。ハンガリーの人は運転は荒くはない印象だったが、どこの国でも事故は起こるものである。16:20に到着し、いつもよりも余裕をもって飛行機に乗り込むことができた。ほんとに数時間単位の旅行であったが、それなりに、スロバキアとハンガリーを満喫できた。やはり、こんな旅のほうが、俺には合っているのだろうか。これでヨーロッパはだいぶ制した。あとはアイスランド、フィンランド、ポーランド、バルト三国、ベラルーシ、そして地中海の小国か。まだまだ行くぞ!

(左)くさり橋。 (中)国会議事堂。 (右)ブダペストを後にする。


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