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ウクライナとモルドバ
【旅程】
出張の帰りに少し寄っただけなので1泊2日の短い旅。ルートはいろいろとあるが、やっぱり直行便があるBAとした。
ウクライナに行ったら広大な大地をドライブしたいということでレンタカーを手配。あわよくばチェルノブイリ近くまで行ければと考える。
旧ソビエト連邦の国で車を借りるのは不安なものがあったが、ウクライナは観光に力を入れてきているということもあるので、まー大丈夫だろう。
あわよくば、ウクライナからモルドバまで行ければと思うが、距離を調べてみると、片道5時間以上かかる。まー、行った時に考えようということでとりあえず、Airチケットとホテル、レンタカーだけ手配する。


【今回のドライブ】
キエフからモルドバまで往復とキエフからチェルノブイリ近くまでの往復で1131.4Kmを走ることが出来た。ウクライナの広大な大地を走るのは気持ちよかったが、極端に道が悪いところがあって怖い。
ガソリンはモルドバとキエフでいれる。

モルドバ: 31リットル 614.95Lei(約4,305円) 1リットルあたり139円
キエフ:53.32リットル 593.98グリヴナ(約6、534円) 1リットルあたり123円


【旅行記】 10月1日〜3日
1日目 ロンドン・ヒースロー⇒キエフ(泊)

いつも日本に帰ると時差ボケがひどいので今回は早く寝て早く起きる作戦だ。前の日眠かったのもあるが21:30には就寝し、3:15に起きる。しばらくメールチェックしてパッキング&朝食だ。いつものシェパーズブッシュのiBisホテルを7時過ぎに出発。すぐにタクシーが拾え、ヒースローに向かう。BAなので、ターミナル5だ。ターミナル5はすべてBAの便である。新しい建物で綺麗なのだが、ヒースローの一番西側にあるので、遠い。30分ほどで到着し7:50にはチェックインできた。ないとは思ったものの、ウクライナの紙幣に両替しようとするが、やっぱりない。ロンドンに別れを告げるようにタバコをふかす。イミグレを通過し、8:40には搭乗口と思われる前に到着。出発まであと1時間もある。これだけ早く搭乗口に来るというのも珍しいので、何をやっていいのかわからない。とりあえず、ハロッズの店にいったりするが、飽きたのでウクライナのガイドブックを読んでいた。しばらくたつと、まだお呼びがかからないと思っていたが、よく見ると、下のフロアに行かなければならないことに気づく。まずいと思い、下に駆け下りるとがらんとしている。キョロキョロすると、一番端から「キエフ!」と叫んでいるおばちゃんがいる。全力ダッシュでいくと、おばちゃんが笑っていて、まだ大丈夫よと言ってくれる。バスで飛行機までいき9:30に搭乗し、9:45に出発だ。ゼーゼー言っている。となりのご夫婦はおそらくウクライナ人だろうが、飛行機に慣れていない感じで、フライトアテンダントにいろいろと説明されていた。英語がわかるのかは不明だが。

あまり天気が良くなかったので、飛び立つと雲の上になってしまった。景色を楽しむものでもなく、ひたすら寝ることにした。食事にときに起きると、ドイツあたりを飛んでいるのか、少し下が見えた。3時間ほどでキエフだが、着陸間際で、キエフ近郊がよく見える。モスクワに行った時とさすがによく似ている感じがしたが、キエフを作ったドニブロ川が見えたが、とてつもなく川幅が広くなっている。まさに海だ。そこでボートが動いているのが見えた。のどかである。キエフ空港に着陸すると、軍用機のようなものが並んでおり、ソビエト連邦時代の名残か、と思ってしまう。空港はそれほど大きくないが、最近作ったようで新しいターミナルだった。イミグレもそれほど長くなく、すんなりパス。観光に力を入れている国は早いのでありがたい。外にでると客引きのオンパレード。まずはタバコを吸うが、吸い終わるとちょうどよく白タク運転手が来たのでついていく。英語がまーまー話せるので、少し会話をする。ウクライナは初めて?ここはターミナルDだけどレンタカーはターミナルBだよ。遠いからタクシーで行こう。ということだ。どのぐらいの距離かわからなかったが、同じ空港なのですぐについた。10ドルと言われたが、持ってなかったので10ポンド渡した。少し高いがまーいっか。ターミナルBはとても古そうで、昔の空港といった感じ。ハーツの窓口がひっそりとあった。すると紳士っぽい人がいて名前を読んでくれて手続きをしてくれた。しかし、この人、とても几帳面でやたらと長い。かれこれ30分ぐらい書類を書いていたのではないだろうか。普通はサインはローマ字でOKなのだが、日本語でも書けと言われる。ようやく車を借りることができ出発!
  
(左)もうすぐ未知の地、ウクライナのキエフ!ワクワクする。 (中)巨大な川が見えてきた。 (右)ターミナルDの出口。新しいびるだ。このあたりにタクシー運ちゃんがゴロゴロしている。

ウクライナはソビエト連邦から1992年に独立した国である。昔から旧ソビエトの国々には興味があったのだが、ウクライナは農業国であり、また、かの有名なチェルノブイリがある国でもある。そして、最近では、世界で一番美人が多い都市がキエフということが話題になっている。実は、ソビエトの力が大きかったのは、結構な部分は、ウクライナの影響が大きかったのではないかと思っている。豊かな農業地帯を抱えるため、食料を供給するにも重要な地域。チェルノブイリは原子力ではあるが、エネルギーの供給地でもある。国旗も興味深い。ソ連時代はもちろん赤なのだが、まったく違う、青と黄色の国旗。青色は空を表し、黄色はステップ(草原)に豊かに実る小麦を表すということである(青色は水で、黄色は火とか、黄色は向日葵という説もある)。ウクライナ地方では、昔からこの青と黄色が国旗として使われてきたようだが、赤とは対照的なことが面白い。しかも、近年、観光地化を図っており、開放政策を進めている。前から興味があった国であるが、ようやく行くことができた。

しかし、やっぱり初めての旧共産圏というものは不安なものだ。道は広いが恐る恐る運転する。スマホの地図を駆使しながら、都心部へ向かって運転する。広い高速道路だ。だんだんと人が住んでいる地区になっていくが、マンションが結構多い。少し奇抜な感じのものもあるが、モスクワとよく似ている感じがした。しばらくいくとドニブロ川を越えて、川沿いを走る。高速道路が縦横無尽に入り組んでいて、かなりの都会のように感じる。確かに人口も300万人近くいたはずだ。川沿いを走っていると止まりたくなって、路肩にとめる。特に綺麗な川ではないのだが、母なる川ということか。もう運航していないのだろうが、遊覧船もある。そしてまたホテルに向かうが、どうも道を間違えたみたいだ。どんどん中心部から離れていき。また川をわたりそうになってしまった。次の交差点でUターンといっても、次までが長い。すると、交差点の曲がるとおろにハザードをつけている車が停まっているではないか!危ないし渋滞の原因になるし、なんだ!と思ってその車を避けていくが、おばちゃんのような人が電話していた。何があったのだろうか!?あんなところで停めるなんて只者ではない。ようやくホテルに向かうが繁華街のようなところを通り。石畳の道を走り、中心部にやってきた。ホテルがあるらしき場所があったものの車を停める場所がわからない。仕方なく道沿いにいくと、山に上り、いきなりソフィア大聖堂の前になった。いきなりメインの観光地を見ることができた。ただ、それも一瞬で車を停める機会が訪れない。ようやく細い路地でとめるとちょうど前にATMがあった。ウクライナの紙幣を、カードで下ろす。物価がわからないのでどのぐらい下ろせばいいのかわからなかったが、日本円で3万円ぐらいあれば安心か。そこからホテルがあるらしきところに引き返す。車を停めるが、ホテルがわからない。車を降りて探していくと、比較的小さな入口があった。フロントのおにいさんが流暢な英語で案内してくれる。駐車場はホテルの裏のバックヤードにあるようだ。一旦、荷物を部屋にいれる。この時点で18時すぎ。少し暗くなっているが、街歩きにGo!

(左)近代的なマンションだが、どこかモスクワに似ている。 (中)キエフの市街地を流れているドニブロ川。 (右)紅葉っぽい!?

先ほどいったソフィア大聖堂にとりあえず行ってみる。10月だけどもうかなり寒い。この日がたまたま寒かったのであるが、3度ぐらいでもうすぐ氷点下。ウクライナの冬は厳しそうだ。ソフィア大聖堂の方向はさっき行ったのでわかっているので、歩いてもすぐだった。鐘楼があってそこが入口になっている。ガードマンがいるが何言ってるかわからない。入れないのか入れるのか?するとチケット売り場があるので3買えと言っている。3グリヴナで入れるようだ。中に入ると大聖堂がライトアップされている。とても美しい。大聖堂の周りをぐるっと回って写真を撮りまくる。ミサがあるのか、仕事が帰りで家族連れできている家族が足早に歩いていた。鐘楼がとても綺麗なのだが、上れないのが残念だ。あっという間にソフィア大聖堂、世界遺産の観光が終わった。ソフィア大聖堂の前は大広場になっていて、ブランド品を売る高級店や誰かの像、そして高級そうなホテルが並んでいる。最初ハイアットに泊まろうと思っていたが、あまりの高さに無理で諦めた。さすがにハイアット前はゴージャスである。ソフィア大聖堂から聖ミハエルの黄金ドーム修道院までの道がなかなかいい。そこをブラブラと重厚な建物を見ながら歩くのはいいものである。修道院もライトアップして美しいのだが、近くのホテルや役所(っぽいところ)などもライトアップして、一体が美しくなっている。夜はライトアップに限るね。かなり満足して独立広場へ向かう。

(左)街のいたるところに観光案内板がある。観光に力を入れている感じがする。 (中)ソフィア大聖堂。ライトアップが美しい。 (右)ソフィア大聖堂の横から見た鐘楼。登れなかったのが残念。

独立広場はホテルの近くであるが、街の中心部になる。地下鉄があって地下街もある。人通りも激しい。地下を歩いていると、地図を売っている店があった。ピンバッチもあったので、ウクライナ全土とキエフ、そして国旗バッチを購入。とても満足である。店のおばちゃんは、無愛想であったが。広場に出るとかなり寒いのであるが、人が多くて活気がある。そしてなにより周辺の建物が重厚なのだ。これもスターリン建築なのだろう。旧ソビエト連邦の主要な都市を実感するし、国力があることを感じる地区だ。キエフは世界一、美人が多いということを雑誌で見ていたが、たしかにそうだ。とにかくスタイルのいい人が多い。モデルのような人が、普通に何人も歩いている。しかも金髪。美人が多いというのもよくわかる。キエフの街に、かなり満足してホテルに帰ろうとするが、少しお腹が減った。ホテルの道向かいに、コーヒーと書いた店があったのでそこにいってみた。食べ物はあまりないが、ホットドッグを頼む。すると店員さんもとても可愛いし、愛想がいい。料理も美味しく、コーヒーもうまい。外は3度ぐらいなので余計だ。ウクライナの地図を見ながら、明日はやっぱりモルドバに行こうと決心する。この街歩きで、キエフもだいぶ満足したこともあるし、ウクライナの大地をドライブしたいという気持ちが強かった。ホテルに帰ると21時。23時に就寝。

(左)聖ミハエルの黄金ドーム修道院。 (中)独立広場前から。力強さを感じる場所だ。 (右)キエフ美人!こんな感じの人が、たしかに道を歩いている!

2日目 キエフ⇒モルドバ⇒キエフ(泊)

この日はどこに行こうかと迷いに迷い、やはりかなり遠いけどモルドバに行くことにした。グーグルで検索すると5時間以上かかる道のりだ。それでもモルドバという国には興味があったのだ。またキエフはウクライナの北に位置するため、そこから南下してウクライナの大地を車で走りたいという気持ちもあった。モルドバには特に何があるわけではないが、小国には昔から興味がある。モルドバは黒海沿岸にある国であり、過去にはキエフ、モンゴル、オスマンなどの支配を受けた地域。ここも旧ソ連の国であり、1991年にソ連から独立した。ソ連といえども、ルーマニアの一部のような地域であり、過去にはルーマニアとなったこともあるようだ。国旗もルーマニアのものと似ている。首都はキシニョフだ。ルーマニアに併合されることが予定されているとか、旧ソ連時代に移ってきた人もいるからロシアの勢力をのばそうとしているとか、旧ソ連の方が住んでいる地域が独立するとか、などという話がある。国自体が不安定というのも、住んでいる人にとってみればとても不安だろう。

6時前に起床してメールチェック等をしたあと、7:20にホテル出発!ホテルの前の道を西南に向かうと黒海に通じる道にでる。キエフの市域は広くて、30分ぐらい走ると市街地をようやく出る。途中、出勤している人たちが歩いていたり、バスに乗っていたりと、平日の風景である。街の真ん中のホテルだったので、対した渋滞もなく街を抜けることができた。標識にはオデッサとよく書かれているが、黒海沿岸の大都市だ。450km以上あるので、モルドバと同じぐらい遠いところだ。郊外になるととても広い道になり気持ちよくドライブできる。地平線まで続いている道を見たかったのだ。気持ち良い。するとスピードが出すぎていたのか、いきなりスピード違反の取締があった。マジか!?と思ったら遅い。おまわりさんが左手を挙げながら、右手で原始的に写真を撮っていた。あれでプレートが映るのだろうか、と少し疑問。止まれるわけもなく、そのまま通り過ぎた。後で何か請求が来るのか不安であるが、まだ来てない。2時間30分ほど経過すると、だんだん疲れたこともあって休憩する。横道にそれて車を停めるが、ここも見渡す限り大草原。しかも、何か栽培しているし、ひまわり畑もある。夏に来るとひまわりがとても美しいのだろうと想像する。

  
(左)キエフ市街地。  (中)キエフの郊外。一番下がオデッサと書いてあり、まだ452Kmもある。191Kmというのが短く感じるのは麻痺しているのか!? (右)休憩したところ。左がひまわり畑。右手は広大な草原だ。


休憩したところを昨夜に買った地図で見てみると、まだモルドバの半分ぐらいか。先はまだまだ長い。1時間ほど走ると、モルドバ方面は右折する。高速道路のように書いていたので、綺麗な道かと思いきや、すごいガタガタ道。しかも道幅がとても狭くて、対向車がビュンビュン飛ばしてくる。思わず緊張感が走るが、それでも100Km近いスピードで運転する。アスファルトの表面がかなり剥がれているのだ。雪がふるのかわからないが、寒い地域は道が悪くなるのは仕方ないか。この日も3度ぐらいしかなかったのでとても寒い。10月でこの気温なら、真冬は何度になるのか?!道路も痛むはずだ。分岐から1時間ほど経つと、ようやく国境が見えてきた。ウクライナの国境を難なくパスし次はモルドバへ。緊張感があったものの、パスポートを出して、トランク開けて荷物がないことを見せると、簡単な質問だけで終わった。モルドバのどこに行くのか?何をするのか?泊まらないのか?と英語がわかる人がでてきて聞いてくる。いろいろと聞いていると、関係ないことも聞いてくる。これはレンタカーか?借りるのにいくら払った?230ユーロとは随分と高いな!などと言われる。笑顔はなかったものの、笑える質問であった。それでも、その検問で40分ほど経過していた。 実はウクライナの出国には緊張していた。なぜなら、ウクライナの入国には、カードの記載が必要で、しかも半券を大事に持っておくようにとガイドブックに書いていたからだ。昨日の空港でそんなカードもらっていないし、書かなくても何も言われなかったから大丈夫だろうとは思っていたが。レンタカーの変な質問はあったけど、特段問題なくて良かったよかった。

(左)モルドバに向かう道はずっとこんな感じ。 (中)ついにモルドバ! (右)モルドバの首都キシニョウは下から2つ目。まだ46Kもある。

国境を無事に通過!と思い、また同じような道をひた走る。のどかな風景だったので車を留めて写真を撮る。しかし寒い。国境から30分ほど走ると、首都のキシニョウに向かう道で警察らしき人たちがバリケードを作っていた。首都に向かう最終ゲートのように思えたが、あとから考えると、おそらくロシア人が支配している地域で、同様に検問しているのでは、と想像する。そこでは、パスポートと車検証(ハーツで借りたものでカードになっていた)を提示するとすぐに通してくれた。やれやれと思い、しばらく走ると、また警察に止められる。今度はなんだ?と思い降りると、ストップって書いているのに何故自ら止まらない!といきなり高圧的だ。小屋に案内され、何やら手続きをしている。モルドバに車を持ち込むには、お金がいるようだ。英語がまったく通じなかったが、一緒にいた通行人が英語で話してくれた。隣にあるガソリンスタンドにいってお金を払って来い、とのこと。ガソリンスタンドの中には、ちゃっかり銀行がある。受付のお姉さんに書類を渡すとお金と言われたので、紙幣をもっていなかったのでイギリス紙幣を渡す。すると珍しいようで、隣にいた人に、ポンドだと嬉しそうに話していた。でもポンドでは払えないようだったので、カードで払うことになった。銀行でもらった書類を、先ほどの小屋に持っていくとそれでようやく手続きが終わり。30分ほどはかかったであろうか。すでに13:40になっていた。

(左)最後の検問!?このガソリンスタンドで車の持ち込みの税を払う。 (中)領収書。 (右)ついにキシニョウ!市街地はもうすぐだ。

最後の検問が終わるとあとはキシニョウの中心部へ向かうだけ。広い道をひたすら走り、キシニョウの看板が見えるともうすぐだ。14時ぐらいにはキシニョウの市街地に入るが、特に目的地もないので、だらだら車で走ることになる。すると、かなりの車の量で、大渋滞の道ばかり。無駄に時間だけが過ぎる。何かキシニョウのシンボルになるものを、と探してみるが、特になし。事前に情報もそれほど仕入れてなかったので仕方ないか。そこで、比較的に賑やかそうな場所に車を停める。銀行が集まっている地域のようで、両替所もある。朝から何も食べてなかったので、店にはいろうとするが、モルドバの紙幣がないので、まずはキャッシングする。どのぐらい下ろしたらいいのかわからないが、とりあえず1、000Lei下ろす。日本円で7千円ぐらいか。すると近くに屋台のホットドッグ屋があったので、その絵にひかれホットドッグとコーヒーを購入。コーラも買って50Leiなので350円ほど。安いといえば安いのか!?モルドバの地図が欲しかったので、屋台の本屋を2軒あたってみるが、キシニョウの地図すらないようだ。お金をおろしすぎたかなと思い、再度キャッシュディスペンサーにいき、預けようと思ったが、やり方がわからず、追加で600Leiも下ろすハメになってしまった。ま、モルドバの記念になるかとあきらめる。ただ、後でガソリンを入れたので、だいぶ紙幣を使うことになったので、結果的に良かったのだが。

あとは特に行くところもなく、そろそろキエフに引き上げることにした。その時点で16時前。キシニョウに来て、1時間ほど街をぐるぐるドライブし、1時間弱滞在しただけである。それでも、キシニョウは普通の街で、ルーマニアの影響を受けていることは感じた。ホットドッグを買った時のおばちゃんはとても愛想悪かったが、モルドバ出る前のガソリンスタンドのお兄さんは、とても愛想が良かった。人によるのか。また、やたら車は多い印象である。しかも、高級車で新車も多く走っているのにはびっくり。ロシアの影響を受けているのかわからないが、それほど裕福とは思えない国ではあるが、車だけは立派である。道はとても悪いのであるが。なんとも印象に残りにくい国であった。

(左)モルドバらしい!? (中)銀行。中に入ってみたが、すごい人だった。 (右)右手の屋台でホットドッグを購入。決してうまいとは言えないが、お腹がすいていたのでおいしく感じた。

当初はキシニョウから北上し、来た道とは違うルートで帰ろうとも思ったが、もう遅いし、山道が入りそうだし、来た道が最短ルートということもあり、そのまま引き返す。帰りは国境前の、おそらくロシアが支配している地域の境でパスポートと車検証を見せ、そして本当の国境を通過する。モルドバは難なくパスし、ウクライナに入る。最初の検問で受け取るべき紙を受け取らずに2番目に行ってしまい、紙がいるぞと言われて引き返す。すると、検問にいた若いにいちゃんが、笑いながら渡してくれた。グッドラックとも言ってくれる。なごむ。2番目の検問で、パスポートと車検証を渡すとすんなりと入国OK。荷物もそれほど持っていないし時間はかからなかった。25分で通過。すでに17:30。キエフにつくのは何時だろうか?と遅くなるのに覚悟を決める。

(左)めったにお目にかかれないモルドバのLei。 (中)もうすぐひとつめの検問だ。 (右)すべての手続きを追え、ウクライナ入国!国旗と同じ色の看板だ。

M5とM13の高速を走るのだがその分岐までは約1時間。これは予定通り。そろそろ夕暮れになるが、とてものどかな風景があったので、車を止めて写真を撮る。牧歌的な風景と、池のようなものがあって、夕暮れどき、家では夕食の準備だろうが、煙があがっている。こんな風景をウクライナの田舎で見たかったのだ。野良犬が2匹近寄ってくる。とても可愛らしいので、持っていた食べ物をあげる。すると元気よく食べる。なんとなく和む時間であった。そこから分岐まで少し。しかし、曲がる方向をなぜだか間違えてしまった。方向を間違えてしまうと、方向転換するまで、かなり走らなければならないのが海外の高速の掟。ラッキーなことに5分ほど走ると反対車線に抜けることができる場所があった。中央分離帯に柵がなかったのだが、対向車が来ないことを十分に確認してUターンする。あとは一本道だ。ゆっくりと走っていこうと思っていたが、後ろから猛スピードの車が追い抜いてくる。そのときひらめいた。この車についていけば、警察に捕まることもなく、早く帰れるのではないか。そう思い必死でついていく。160KMは出ているのではないか。でも安心感を持って走ることができた。相当の区間、一緒に走っていたがキエフ近くになって、その車がガソリンスタンドに入る。しかし、もうスピードを緩めることができない。夜だし警察もいないだろうと思い、ほぼそのままのスピードで走る。途中。悪路になるので、そこだけは100Kmになるが、あとは猛スピード。行きは3時間半かかった道だが、帰りは3時間ほどでキエフのホテルまで帰ることができた。それでも22時前であるが。まだ余力があったので、昨日歩いた道を車で走ってみる。ソフィア大聖堂や黄金ドーム修道院などを車で周る。独立広場から見えていたホテルの裏にも行ってみる。すると裏道にある街になっており、若者が集まるような店もある。車で周ると行動範囲が広がり、いいものである。22:30に超満足してホテルに帰る。ほんとに疲れたが、モルドバにも行くことができたし、陸路国境越えができたしウクライナの田舎を見ることもできた。考えてみれば、この日990Kmも走っていたのだが、1日の運転距離は最高記録だ。アメリカのグランドサークルで800Kmというのがあったが、それよりも200Km近くも長い。よく運転したものだ。シャワーを浴びて0時に就寝。

(左)丘陵地帯なのか、小高い山をいくつも越える感じ。悪路が続く。 (中)M5とM13交差近く。 (右)のどかな集落から煙があがっている。紅葉といえば紅葉か。


3日目 キエフ⇔チェルノブイリ⇒ロンドン

短いウクライナの滞在も終わり。この日はロンドンまで行き帰国する。飛行機は午後の便なので、午前は時間がある。6時過ぎに起きて、とりあえずメールチェック。しかし、どーしても行きたいところがあった。それがチェルノブイリだ。原発関連の仕事もやっているので関心があるというのもある。最近、ダークツーリズムというジャンルもあるようで、天変地異などが起きた地域へのツアーがあるようだ。チェルノブイリへのツアーもあるようで、以前、チェルノブイリを訪れた旅行記というのも買ったことがある。そう思うと、チェルノブイリになんとしてでも行きたいということで、7:30にチェックアウトして出発!もちろん、近くまで行けず立ち入り禁止区域なでだろうが、とりあえず行ってみる。ホテル前の道から北上する。チェルノブイリ事故があった当時、キエフも放射能が結構強かったようだ。グーグルで調べてみると、2時間強かかるようだ。キエフの街は通勤時間。車が多いし電車にも多くの人が乗っている。しばらく街中を走ると、郊外に出た。するとあとは一本道だ。途中まで道が広いが、だんだんと狭くなり、集落がある地域ではさすがにスピードも出せない。いくつかの集落を過ぎていくと、林の中に道が通っており、スピードを出せるようになった。飛行機は13:20なので11:30ぐらいには空港についておきたい。逆算すると9:30ぐらいが限界か、と計算しながらひたすら走る。

(左)朝のニュースのキエフ美人! (中)レトロな電車! (右)ディメル手前の道。相変わらず悪路であるが、まっすぐなので運転しやすい。

大きな通りから、チェルノブイリ方面に曲がる道がある。そこからしばらく行くとディメルという街がある。地図ではチェルノブイリまで近いので、このあたりは人が住んでいないのかと思っていたが、意外に人が多い。比較的大きな街のようで、学校に通っている人がいたり、団地も多い。そこを抜けると、もう集落はほとんどない。ひたすら走る。来た道を引き返さないといけないので、行けば行くほど帰りは時間がかかる。9時を過ぎたあたりから、そろそろまずいかなと思いながらも、人気のない道をひたすら走る。そして分岐があった。チェルノブイリという看板だけでもと思うが、それらしき看板もない。もう少し行ってみようとしばらく走っていると、ついにお目当ての場所が突然見えた!立ち入り禁止区域である。検問となっており、許可のある車しか入れない。物々しい雰囲気である。放射能のマークもある。事故が起きたのが1986年4月のことだから、30年近く経った今でも立ち入り禁止になっているのだ。半径30Km圏内なのだろう。この事故による死者もでているが、関節被害を合わせると数万人ではないか、とも言われているのだ。こんな状況を見ていると、福島も長いのではないかと実感する。恐る恐る写真を撮る。何やら物々しい車も出入りしている。とにかく目的が達成できた。この時点で9:30だ。マズい。

(左)最後の分岐。ここを左に行けば、すぐに立ち入り禁止区域。 (中)検問所。放射能のマークが緊張感を増す。 (右)何が積んであるのだろうか?

来た道をひたすら引き返す。昨夜160kmで飛ばしたこともあるので、その勢いで同じぐらいのスピードで飛ばす。キエフが近づいた頃、ガソリンが無くなってきているのに気づく。比較的大きな綺麗なガソリンスタンでガスをいれる。店主らしき人がカウンターにいるが、とにかく言葉が通じない。英語を話すがダメ、奥さんが英語らしき言葉を言っているがわからない、筆談してもダメ。すると、お客さんが「フル?」と言ってくれた。なんだ、満タンにしたいのか、と聞いていたのだ。言葉がまったくわからないというのも辛いものだ。ぶっ飛ばしたこともあって、キエフの市街地に入った頃にはもう安心感があった。間に合いそうだったからだ。キエフの空港は市街地の東側にあり、結構遠い。それでも、ウクライナに入った日に通っているので距離感はわかっている。11:30にキエフ空港のBターミナル、つまりハーツが入っているターミナルに到着した。

良かったと思い、一服してハーツに返却に行く。すると、同じおじさんがいてくれて、車でDターミナルまで送ってあげると言われる。ありがたい、ということでその部下に送ってもらうことになった。その前に車のチェックをすると言われる。どうぞどうぞということで見てもらうが、タイヤについているホイールが少し浮いていると言っている。重大な問題だ!と言っている。パッと見た感じではほとんどわからないのだが、言われてみれば、といった感じ。マネジャーを呼ぶといって、さっきのおじさんを電話で呼び出す。おいおいさっきまで和やかに別れたじゃないか、と思いながら待つ。もう時間がないのだ、と言いながらも、渋い顔しているので仕方なく待つ。するとマネジャーがカード決済機を持ってきている。これは重大な問題だ!などとのたまう。わかったわかった、いくら払ったらいいの?と聞くと100ユーロだとか。飛行機の時間も迫っているし、ごたごたしても仕方ないし、100ユーロなら払うよということで、追加でカード決済。たまらんな〜。何が重大な問題だ!と思いながら、若手のお兄さんにDターミナルまで送ってもらう。いい加減、腹が立っていたので、その兄さんが何か行っていたけど、完全無視。Dターミナルについて荷物を取り上げて、すぐさま立ち去る。ほんま腹立つ。なんかいちゃもんつけられた感じだし。こんな悪路が多いのだから、少しぐらいは傷つくだろう。とてもいい思い出ができたのに、最後にケチがついてしまった。飛行機は予定通りチェックインできてイミグレも無事に通過。BAでは珍しく、時間通りに出発した。ヒースローにも時間通りに14:50に到着。少し遅れることを想定して、早めの時間にしていたのだが、こんなのだったら、もう少しキエフにいたかったな、と少し後悔。ヒースローのターミナル5に到着したので、一度、入国審査を行いターミナル3へ移動。ターミナル3はなぜかとても好きな場所であり、でゆったりと時間を過ごす。19:40に成田行きANAが出発した。ロンドンとウクライナ、モルドバ、またひとつ思い出が増えた。

(左)ウクライナでは田舎にいくと、道端で車を拾うために立っている人が多い。 (中)重大な問題がある!と言われたホイール。どこが!? (右)Dターミナルは新しいので綺麗である。

〜完〜


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