アフリカと中東のページ

アフリカ
思えばアフリカにも何回行ったのだろう。
まずは、南アフリカでの研修のついでに、ジンバブエ、ザンビア、ボツワナ、レソトを回った。また、エジプト、モロッコは家族と、チュニジア、セネガル、ガンビアはUKの後のドライブである。そして、2019年にアフリカ電力関係業務が獲得でき、マラウイ、ルワンダ、エチオピア、マダガスカル、コンゴ共和国と、なかなか旅行では行かないところを回れた。もう15カ国もいったことになるのか。アフリカは何かとハードな国であり、特に出張に行った後は、どっと疲れるのである。アフリカにはまる人もいるが、俺はそれほどまでではなかったか・・・。
アフリカには54の国があるが、フランス語圏が21カ国、英語圏が22カ国と、かなり拮抗している(外務省HPを数えた)。英語圏のほうが発展しているという声も聴くが、これから何回行けるだろうか。

中東は、アラビアの世界などがあって、哀愁を感じさせる。UAEのドバイからオマーンへのドライブも思い出深いし、カタールもとても美しい街であった。中東でいうと、最近、観光を解禁したサウジアラビアのほか、イラン、クウェート、バーレーンのほか、ヨルダン、シリア、レバノン、そしてイスラエルなども魅力的な国である。サウジアラビア、イラン、ヨルダンには必ず行ってみたい国である。シリアは内戦があって残念であるが、美しい国であったのだろう。
カタールかドバイまで直行で行くことになると思うが、なかなか遠いものの、またチャレンジしたい。
(2023年9月記載)

↓以下は、2007年10月に南アフリカにいったときのコメント。

ついにアフリカ大陸に到達!個人ではあまりいこうという気はしなかったが出張なので仕方ない。しかも、南アフリカなのでかなり遠い。旅行では行かない場所だっただろう。シンガポール経由で、乗り継ぎや飛行機故障もあったため、ケープタウンまで28時間かかった。いくだけで疲れるわ。行く前は不安だらけだったが、いってみれば天国だ。南アフリカのケープタウンはとっても綺麗で整備された街だ。しかも、昔社会で習った喜望峰もある。またジンバブエはいかにもアフリカって場所だ。ケープタウンで190Km、ジンバブエ、ザンビア、ボツワナで290Km、合計で480Kmのドライブも楽しむことができた。次の旅行はアフリカか?などと思ってしまうぐらい、はまりそうで怖い。確かにアフリカにはまる人も多いようだ。





旅行記

初めてのアフリカ大陸!(2007年10月)
イタリア・エジプト(2010年8月)
ものすごい暑さのドバイと自然豊かなオマーンへのドライブ(2015年8月
チュニジア 古代ローマ遺跡の旅 ~鳥肌遺跡のDougga~(2018年7月)
パリダカのダカールとガンビア ~バンジュールに渡れず~(2019年7月)

【友人のしょこらさんより】
しょこらさんのエジプト旅行(2004年9月)



以下は、2022年から2023年にかけてアフリカへの出張に関するメモである。

【マラウイ・ルワンダ 2022年3月~4月】
コロナでしばらく渡航できなかったが、久々の海外でいきなりアフリカ。しかも、マラウイとルワンダってあまり聞いたことのない国。
アフリカに慣れている方々と行ったのだが、マラウイもルワンダもとても慣れていて、圧倒される。
まだコロナが完全にあけていないので、シンガポール、ヨハネスブルク経由だったが、飛行機の便もあまりなく、待ち時間がとにかく長く、移動にとても疲れた。
アフリカも慣れていないので、現地でも自然に緊張していたのか、帰りの便ではぐったり。帰りはカタールとバンコク経由だったが、このときみたドーハの景色が印象的すぎて2023年5月に行くことになる。
いずれにしても、無事に帰国できてよかった。

3月16日(水)
平和島→成田(MKタクシーで成田まで 26,590円なり:連携会社と合流)9:40発→シンガポール16:30着→
3月17日(木)
シンガポール1:30発→ヨハネスブルク6:10着(空港は閑散としていた。コーヒーショップで金払えばたばこ吸えた)→マラウイ・Blantyre14:35着(移動だけで36時間。長かった!) Casa Miaホテル泊
3月18日(金)
ブランタイア(ESCOM、送電線サイト見学 夕飯は近くのレストラン)
3月19日(土)
ブランタイア(ホテルでのんびり仕事。夕食は香港大酒店)
3月20日(日)
ブランタイア(三国志の司馬懿にはまり、HPにまとめる。街ぶらぶら。夕飯はイタリアンでピザ)
3月21日(月)
ブランタイア(朝に30分ほど電気つかず水も出ず。EGENCO、ESCOM 夕飯)
3月22日(火)
ブランタイア(Blantyre)→リロングウェ(Lilongwe)(ESCOM・JICA近くで昼食・財務省) 夕飯  
3月23日(水)
リロングウェ(Kamuzu Central病院でPCR検査・夕飯インド料理)
3月24日(木)
リロングウェ(エネルギー省・JICA(近くにデロイトがあった!)・夕飯はマンマミーア)
3月25日(金)
リロングウェ→ナイロビ(初ケニア!トランジットだけ)→キガリ(Kigari) Park innホテル泊(ラディソン系)
3月26日(土)
キガリ(三国志まとめ・Simカード・夕飯で中華)
3月27日(日)
キガリ(ホテルで中村さんと朝飯・ホテル回りぶらぶら・Genocide博物館・夕飯はイタリアン)
3月28日(月)
キガリ(JICAミーティング・EDCL・昼食はバイキング・EDCL(ファイナンスチーム)・ホテル近く散歩・夕飯はパスして仕事
3月29日(火)
キガリ(ホテルで仕事とアポ取り・ホテル回り散歩・結局ホテルでずっと仕事・夕飯)
3月30日(水)
キガリ(Camp KigaliでPCR検査・EUCL・夕飯はオリエンタル)
3月31日(木)
キガリ(EUCLで財務Mtg(ケニアで勉強した会計士でとても優秀!)・変電所見学・夕飯は中華なべ)
4月1日(金)
キガリ(JICA報告)→キガリ空港23:25発→
4月2日(土)
→ドーハ6:20着 8:05発→バンコク18:55着 21:35発→
4月3日(日)
→羽田(PCR検査で1時間40分後にようやく外に出れる)→平和島 その後、3日間、平和島マンションで隔離生活・3日後にPCR検査で陰性ではれて外出可能。

マラウイ
久しぶりの出張がマラウイとは。名前はなんとなく知っているぐらいだが、どこにあるかわからなかった。シンガポール→ヨハネスブルクを経由して、ようやくブランタイアに到着。コロナであまり飛行機がなかったので、30時間ぐらいかかったか。シンガポールには喫煙所があるが、ヨハネスブルクは喫煙所はあるものの、コーヒーを買えと言われて、何回か買わされた。ヨハネスブルクは、新パートナー研修で、懐かしい場所でもある。
ブランタイアはとてもこんじまりしたいい街で、とても気に入った。ホテルものどかでよかった。水は電気がたまにこなくなるのは焦ったが・・・。街歩きをしても、1時間ぐらいでできてしまう。それでも、イタリアンなど素敵なレストランもいくつかあった。中華料理もあったが、味はまずますか。
その後、リロングウェに飛ぶが、マラウイ湖も見えて、ナイスフライト。ただ、街は工事ばかりで落ち着かない感じ。ホテルもあまり綺麗ではなく、電波も悪かった。ホテル近くのイタリアンは、まずまずの味であったが。政府機関にも行ったが、日本のどこかの田舎町の庁舎みたいであった。
政府機関の方々はとても真面目で、女性もかなり頑張っている感じ。紳士的で、これから国をよくしていきたいという思いを強く感じた。とても好きな国のひとつである。


ルワンダ
30年前のツチ族、フツ族の戦い、そして、大量虐殺があった国である。そんなに昔ではないところが怖い気もするが、いまではとても平和。首都のキガリだけだったが、山が多くて緑もあり、いい街であった。坂が多いので、散歩するにはなかなかきつかったが。ホテルは、ラディソン系ホテルでかなり綺麗でテンションがあがった。しかも、かなり安い。ジェノサイドがあったことから、世界からかなり支援を受けて、金がかなりあるらしい。政府の人も、とにかく金をよこせ、的な態度であるとは聞いたが、そんなには感じなかった。むしろ、会計を担当している方は、ケニアで勉強したようで、かなり優秀であった。話もかなり弾み、意気投合した感じであった。
街の中の中華もとても美味しかったが、遠くまで行って食べた中華も美味しかった。
出国するときに、空港に入るときに、車をかなり調べていたのが印象的。




【エチオピア・マダガスカル 2022年5月月】
この年の前半はアフリカ1000本ノックのようだ。
あまりアフリカはなじみがなかったのだが、いっきに業務が始まった感じ。思えば、この業務、当初は8カ国に行く予定だったのだが、コロナで4カ国+2カ国(スリランカ・コンゴ共和国)になったのだ。
コロナがなかったら、どれだけアフリカいくんだ、といった感じで、少しぞっとする。

でも、今回は前から行きたかったマダガスカルになった。バオバブがあって、固有種の動物がぴょんぴょん跳ねているイメージだった。が、これほどまでに遅れている国とは思わなかった。
アンタナナリボはとても美しい街なのだが、ホテル回りのバラック近くに行くと、ほんとにぼろぼろの服を着た子供たちが遊んでいる。すごい汚い池で、大人が入って何か採取している。
さすがにバラックのところまで行く勇気がなかったが、島国で資源もなく、かつインフラもほぼ整備されていない状況。バオバブを見に行こうと思っても、陸路は厳しいらしく、安全とは言えないマダガスカル航空で行くことになる。

エチオピアはあまりイメージがなかったが、アディスアベバは高地で2,300mもあるらしく、最初の日にビールを飲んだら、夜に動悸がすごくて寝れなかった。
これはコロナにかかってしまったかとひやひやしたが、たんなる高地における体の異変であった。
中国資本がかなり入ってきていて、50階建てビルを中国資本が建設しているのには度肝を抜かれた。
うちの会社にもエチオピア人と結婚している人がいるぐらい、すらっとした長身の人が多くて、特に女性はモデルのような方が多かった。他国支配がなかったことにかなり誇りを持っているとのことである。確かに王朝も古くからあったようだし。

5月2日(月)
あべの→伊丹→羽田→成田(はじめてのエミレーツだが、第2ターミナルは夜は何も店があいていない)22:30発→
5月3日(火)
→ドバイ4:50着(ラウンジで普通にオープンスペースでたばこが吸える!)10:30発→アディスアベバ13:35着 SWISSホテル泊
5月4日(水)
アディスアベバ(EEP・本橋さんと昼食・EEU・夕飯は中華・中華が辛くて胸が痛い)
5月5日(木)
アディスアベバ(ホテル回りぶらぶら・夕飯はイタリアン・呼吸困難であまり寝れず・・・)
5月6日(金)
アディスアベバ(EEU・レストラン・夕飯は韓国料理)
5月7日(土)
アディスアベバ(発電機修理工場見学・昼食はハンバーガー・トモカコーヒー・夕飯は日本食SAKURA)
5月8日(日)
アディスアベバ(散歩・夕飯はトルコ料理)
5月9日(月)
アディスアベバ(シェラトンでPCR検査・EEU・夕飯はイタリアン)
5月10日(火)
アディスアベバ(資源エネルギー省・JICAエチオピア・大使館)→空港22:00発→
5月11日(水)
→ナイロビ空港0:05着(まさかのラウンジで一晩過ごす)12:15発→アンタナナリボ 15:35着 ibisホテル泊 夕飯もibisで
5月12日(木)
アンタナナリボ(エネルギー省・JIRAMA・JICA川田さん・CEO mtg・夕飯はibisで)
5月13日(金)
アンタナナリボ(JIRAMAの売掛担当ヒアリング・地方電化庁・財務ディレクターMtg・ホテルでひとりで夕飯(なしごれん))
5月14日(土)
アンタナナリボ(湖周りを散策・ホテルのプールサイドで仕事・PCR検査・アーバンホテルのレストラン)
5月15日(日)
アンタナナリボ(SHOP RITE・ibisレストランでなしごれん)
5月16日(月)
アンタナナリボ(JICA川田さんに財務報告)→空港16:25発→ナイロビ19:50着→
5月17日(火)
→パリ・シャルルドゴール空港 7:05着 10:35発→
5月18日(水)
→成田6:55着(到着が遅れて7:35着、その後PCR検査で外に出たのが9:20、9:30から名古屋市のプレゼンをオンラインで・なんと獲得!)→日暮里→芝浦アイランドケープタワー


エチオピア
エチオピアといえば、アフリカの雄だ。ヨーロッパ列強から支配されたことがないため、誇り高いのである。確かに、人種も他とは少し違う。女性などはスタイルがとてもよく、街には8等身の女性が何名か歩いていて、あれはモデルだったのかと思ってしまう。わが社にもエチオピア人と結婚した方がいるが、それもわかる気がする。しかし、アディスアベバは高地で、かなり息苦しく感じた。夜にみなさんと食事してアルコールを飲むと、夜に胸が苦しくなって寝れなくなった。よって、アルコールは3日目から控えたものだ。2,300mしかないのではなるが、やはり空気は薄いのか。アディスアベバはかなりごみごみしていて、ホテル回りを散歩したが、人が多いし、街は汚いし、なんとなく治安が悪そうな感じだし。でも、小学校の横を通ったときに、手を振ってくれた子供の目は、輝いていた。アフリカではかなり発展しているほうではあるが、洗練されていくには、まだこれからなのだろう。中国資本がかなり入っており、50階建てビルを中国が建設しているとか、日本とは資金規模が違うようだ。街を歩いていても、ニーハオしか言われなかったのは、悔しいところか。トモカコーヒーはとても濃厚だったが、かなり苦かった。でも、これだけの濃さのコーヒーはなかなかないだろう。


マダガスカル
できれば旅行で来たかったところだ。アンタナナリボの中心部はとても美しい街であり、坂のなかに街があり。家並みもとてもきれいであった。しかし、アフリカのなかでもかなり貧しい国であり、島国であり資源もない。水道や電力の状況を検討したが、いずれも見たことがないぐらいの、採算性の悪さ。財務の方は相当忙しいみたいだが、とにかく料金値上げはできないの一点張り。住民は払えない、とのこと。まー、それもわかるが。確かに、止まったiBisホテル近くを散歩したが、汚い池で何かを探している人や、池のほとりでどこかで拾ってきた自転車部品を売っているぼろぼろの服を着た子供や、池の周りにあるバラックに近づくと、これまた服がぼろぼろの人たちがたむろっていたり。見た感じ、最も最貧国のように感じる。ホテルを一歩でれば、そんな世界だ。ホテルは快適なのであるが。
バオバブの木を見に行こうと思えば、よく事故を起こす航空会社か、道の悪いところを通るバスかになる。観光するにも、かなり大変そうだ。
行くまでの印象と、行ってからの印象がかなり違っていた国である。



コンゴ共和国

アフリカでの電力業務で5カ国目であり、最後の渡航になったコンゴ共和国。
コンゴという名前がつく国は2つあって、コンゴ民主共和国とコンゴ共和国がある。コンゴ共和国は、コンゴ民(みん)と言われているが、以前はザイールであり、内戦などがあって国名が変わったようだ。
治安は安定しておらず、かなり危険という話も聞く。連携会社は、何回か行っているが、危ない目にもあっているようである。
一方、コンゴ共和国のほうは石油が取れることもあって、比較的安全である。
コンゴ川を挟んで、コンゴ民のキンシャサ(Kinshasa)と、コンゴ共和国のブラザビル(Brazzaville)の首都が向かい合っているのは、世界でもここだけのようだ。
確かに川沿いを歩いていれば、すぐそこにキンシャサが見える。ブラザビルよりも人口が多く都会のようだが、建っているビルを見ていると、それほど立派なものはない。
フェリーですぐに行けるので、好奇心で行きたいと思うが、ビザがなかなか大変である。コンゴ共和国も、一般の旅行で行こうと思っても、なかなかビザが下りないらしい。
それほど貴重な場所に行かせてもらったのだ。


1月6日(金) (前日は安芸高田市で石丸市長とMtg。湯治村のPFIは断念!)
あべの→伊丹→羽田→芝浦マンション→羽田23:30発→
1月7日(土)
→パリ6:15着→ブラザビル18:26着 Olympic Palaceホテル泊(とにかくWifiがつながらないかとても遅くて、深夜にしかVDIがつながらなかった)
1月8日(日)
ブラザビル(スーパー買い出し・JICAのLeonさんミーティング・夕飯はインド料理)
1月9日(月)
ブラザビル(エネルギー省・E2C・夕飯はホテル前レストランでオリエンタル)
1月10日(火)
ブラザビル(E2C・変電所見学・夕飯はオリエンタル・ピザ・スパゲティ)
1月11日(水)
ブラザビル(E2C財務JimmyとのMtg・ホテルでレポート作成・ホテルのレストランでレバノンとモロッコ料理)
1月12日(木)
ブラザビル(E2C・JimmyからFSもらう・夕飯はピザ)
1月13日(金)
ブラザビル(部屋でのんびりレポート・夕飯は中華で美味い!)
1月14日(土)
ブラザビル(街を散策・ホテルでのんびり・夕飯はラディソンホテルのレストラン)
1月15日(日)
ブラザビル(ホテルで朝食・団内協議・スーパー買い出し・すごい雨になり散歩行けず・夕飯は中華)
1月16日(月)
ブラザビル(E2Cで財務担当Mtg・ホテルでレポートなど・夕飯はインド料理)
1月17日(火)
ブラザビル(E2C・AfDB・夕飯はHippocampe)
1月18日(水)
ブラザビル(エネルギー省・ホテルでのんびり・夕飯は中華)
1月19日(木)
ブラザビル(エネルギー省・E2C)→空港 22:20発→
1月20日(金)
→パリ・CDG 6:10着 11:45発→
1月21日(土)
→成田 9:10着(PCR検査なくなり30分でイミグレ通過して外へ)→羽田→伊丹→あべの



モザンビーク

2023年12月に、イギリスへIFRS導入支援でベトナム政府の人たちをイギリスに案内した後に立ち寄る。
12月1日(金) 芝浦→羽田(初の第二ターミナル国際線・NH)→ロンドン ibisヒースローエアポート泊
12月2日(土) LHR(4時のため荷物預けが開いていない)→フランクフルト→マルタ Marina Hotel Corinthia Beach Resort泊
12月3日(日) マルタでのんびり→フランクフルト→LHR(ロストバゲージで3時間ターンテーブル前で待つ) ibisロンドンシティ泊
12月4日(月)IASBまで、その後、ホテルまで歩く。夕方にDeloitteオフィス ibisロンドンシティ泊
12月5日(火)予定なしで、ホテル→ビックベン→グリーンパーク→Miyama(閉店)→シェパーズブッシュ散策(日本料理)→オクスフォードサーカス→ピカデリーサーカス ibisロンドンシティ泊
12月6日(水)ベトナム視察団はIASB。ホテル回りのロンドンブリッジを散策。夜はベトナムとの懇親会  ibisロンドンシティ泊
12月7日(木)IASB→フードコートでFoo昼食→FCA ibisロンドンシティ泊
12月8日(金)ICAEW(Institute of Charterd Accountants in England & Wales) ibisロンドンシティ泊
12月9日(土)ベトナム団見送り→パディントン→LHR→
12月10日(日)→アディスアベバ→マプート エスティワニ近くまでドライブしたが豪雨で断念 Montebelo Girassol Maputo Hotel泊
12月11日(月)マプート→アディスアベバ→
12月12日(火)→ダルエスサラーム(タンザニアで100ヵ国達成!)→しんどすぎてすぐホテルで爆睡 Protea Hotel by Marriott Dar es Salaam Courtyard泊
12月13日(水)ダルエスサラーム→アディスアベバ→
12月14日(木)→ソウル→成田→芝浦


昔から魅力的と思っていた国。
面積が広く、東海岸なので海もきれいなイメージ。マプートはかなり南にあるので、エチオピアからはかなりかかるため、ビジネス(無料航空券)にした。
着いたときは曇りだったが、ユーロカーを借りているうちに雨になり、運転しているとかなりの豪雨になった。雨季なのだろうが、しかしかなりひどい降り方。
適当に西に向かうが、道路がいまいちだし、渋滞もすごいので、なかなか進まない。コンビニに寄って水や食料を買うが、そのときもかなりの豪雨になり、車にも帰れず雨宿りする始末。
もうすこしすると、エスワティニなので国境超えを試みるが、雨が激しく、かつ暗くなってきて山道なのであきらめた。このあたりが年を取ったのだろうか、昔なら意地でも行っていた気がする。
マプート中心部でもすごい雨で、街中が水浸しの洪水状態。海が近いのだが、雨がすごくてあまり見えない。仕方なくホテルでのんびりすることにした。
ホテルは中心部の住宅街にあったが、これがかなり美しい。部屋は広いし、ベランダもある。とても快適だったので、次の日まで気分絶好調。
特に見るものもないので、ホテルからそのまま空港へ。1泊のモザンビークの旅が終わる。


タンザニア
100ヵ国目をどの国にしようかと、少し前から練っていたが、結局、タンザニアになった。この国はアフリカに詳しい人に聞くと、とてもいいと聞いていたので、100番目でいいかと思った。
ただ、行先を迷った。ダルエスサラームは世界でも有数の犯罪都市と聞くが、大都市ということで魅力的。ザンジバルの海はきれいなのだが、一人でいって海を楽しんでもなー。やっぱりキリマンジャロかなと思ったけど、あまり綺麗なホテルがなく断念。結局、行っておいてもいいと思ったダルエスサラームにした。
世界最恐とか言われといても、特に何もないものである。危ないところには行かないこともあるが、今回も無事であった。
しかし、夜中の4時ぐらいに着いたので、レンタカー会社は来ていないし、何も交通機関がなく、しかも、イギリス、モザンビークでエチオピアを2回も経由していることから、疲れはピークであった。なんとかレンタカー会社の人が迎えに来てくれてホテルに向かう。追加料金払ってアーリーチェックインするが、部屋が当初から変わり、窓が小さい暗い部屋になってしまった。それでもしんどすぎてすぐに爆睡。食欲もほぼわかず。夕方になってようやく動けるようになったので、レンタカーで街を散策。しかし、車が多いだけで、雑踏を見に行っただけのような感じになった。その日はラーメンを食するが、やっぱりうまい。
次の日は飛行機まで時間があったので、北の方の海岸に行く。海はきれいなのだが、ゴミがひどくてげんなり。その辺の浜辺においただけで駐車場料金とられるし、しかも、友人いるからと3ドル払う(一人1ドル)。街中もごちゃごちゃしていて、歩いて散策する感じでもなかった。
まー、予想通りではあるが、仕方ないか。とにかく、100ヵ国を達成である。


ナミビア

2024年に4年ぶりのCIPFAカンファレンスに参加して、そのあとにアフリカに行く。

7月8日(月) 羽田(NH215)→ロンドンLHR→シェパーズブッシュ ibis泊
7月9日(火)シェパーズブッシュ→マンチェスター・プレジデントディナーNovotel Manchester Center泊
7月10日(水)CIPFAカンファレンス(マンチェスター)国際部会懇親会+中華街での中華料理懇親会 Novotel Mancher Center泊
7月11日(木)CIPFAカンファレンス(マンチェスター)→LHR→
7月12日(金)→アディスアベバ(あきことだいきと待ち合わせ)→ウィントフック→ナミブ砂漠近く Tsauchab River Camp泊
7月13日(土)ナミブ砂漠・デッドフレイ(スタック) Tsauchab River Camp泊
7月14日(日)ナミブ砂漠・Duen45 Tsauchab River Camp泊
7月15日(月)ナミブ砂漠→ウォルビスベイ Iris Boutique Hotel泊
7月16日(火)ウォルビスベイ→ウィントフック Hilton Garden Inn Windhoek泊
7月17日(水)ウィントフック→アディスアベバ→ナイロビ Four Points by Sheraton Nairobi Airport泊
7月18日(木)ナイロビ→Email(街が封鎖!)→アンボセリ Amboseli Glass House泊
7月19日(金)アンボセリ国立公園 Amboseli Glass House泊
7月20日(土)アンボセリ→ナイロビ→アディスアベバ→
7月21日(日)→成田


昔から来たかったところであるが、いかんせん遠い。なかなか来れなかったが、ようやく来れた、しかも家族と一緒に。無料航空券のおかげで、またエチオピア航空のおかげで、家族も格安にここまで来れた。本当にありがたい。
お目当てはもちろん、ナミブ砂漠。事前に調べてはいたものの、どのあたりに泊まって、どうすればいいのかがあまり情報がない。しかも、ホテルがなかなかあいていない。
日程が変更したこともあって、ようやく取れたホテルが、Tsauchab River Camp(読めないが・・)。砂漠といっても広いし、入れるところも限られているということも現地でわかった。
Dune45が一番有名だが、そこが唯一、入れる砂漠である。また、近隣にはデッドフレイというところもある。薄っすらとネットで調べてはいたものの、現地に行かないとわからないものだ。
ホテルから、Dune45までは1時間30分ほどかかる。ナミブ砂漠観光のなかでも、最も遠い部類のホテルかもしれない。
しかし、ホスピタリティはよかったし、レセプションから部屋まで1kmも離れていて、ほかの部屋とはかなり離れているので、隔離された感があって、それはそれでかなり良かった。朝食と夕食がついているが、どちらもかなり美味しかった。
2日間、Dune45まで行ったが、片道1時間30分のダート道も、とくに苦にならなかった。

そして、ナミブ砂漠は、こんなに砂漠が美しいのか、と思うぐらい、赤い砂漠は最高であった。上るのが大変ではあるが、意外にも時間がかからない。一度、上ってしまうと、あとはそれほど苦にならない。
ただ、砂漠の尾根のようなところを歩いていくので、かなり高くなってくれば、怖くもなってくる。ただし、落ちるか滑って転んでも、砂なので死ぬまではないとは思うが。
ようやく平地っぽいところを見つけてのんびりするが、そこが最高である。富士山のような形をした砂丘がそこにある。あきこはそこまで上っていたが、俺は途中で断念。
しかし素晴らしい景色だ。砂もサラサラ。少し足で砂をかくと、水が流れるように下に落ちていく。最高の2時間である。残念なのはゲートが18:15で閉まる。日没が18時過ぎなのでそこまでいると、ゲートクローズになってしまう。
少し赤くなってきたところで、残念ながら下山してゲートに向かった。下りたときに、日没ツアーの方が来ていて、うらやましい。公園内のホテルなら、日没まで入れるのである。それも現地でわかったことだ。
ただ、公園内のホテルはなかなか空いていない。そもそもホテルのキャパがそれほどないと思われる。ひとつひとつのホテルの部屋数が10から20ぐらいだから、すぐに埋まってしまうのだろう。
とはいえ、最高の時間であったし、その帰りの山々の赤赤となった風景も最高であった。

そのあとにいったWalbis Bayもなかなかの街であった。南アフリカ領だったときもあったようだが、欧米風の建物が多いし、何しろ、大きな家が多い。ナミビアの海の玄関口なので、栄えているのだろう。
人口が3万人ぐらいとのことだが、それ以上に大きい街のように感じた。また、フラミンゴがたくさんいる場所でもある。浅瀬や干潟があるので、そこにたくさんいるのだ。何万羽いるのだろう、というぐらい多かった。
海岸沿いもかなり綺麗に整備されていて、歩いていて気持ちがいい。その海岸前のホテル(iris)だったが、そのホテルも最高である。レストランのテラスから見る海は最高に綺麗であった。
Walvis Bayから北上するときに、右手は砂漠、左手は大西洋と、なかなかの景色である。霧がかかっていたが、海に行くとかもめがいたり、釣り人がいたりと、いい景色であった。

首都のウィントフックはのどかな田舎町といった感じか。ヒルトンガーデンに宿泊したが、近くのショッピングモールまで歩いていると、何人もの人が声をかけてくる。
地方には欧州系の方がいたが、ウィントフックはあまりいない印象である。ただ、みなさんとても明るくて、人がいい。ナミブ砂漠でもWalbis Bayもどこも人がいい。悪い感じを1回も受けなかった。
ナミビアは期待以上の国であった。これで107カ国目であるが、数少ない、もう一度、来たいと思える国である。


ケニア
期待の大きな国であった分、失望が大きいか。ナミビアの後だったからか、とにかく残念な感じであった。
ナミビアからエチオピア経由して深夜に到着。空港内のシェラトンだったから歩いてもいいかと思っていたが、疲れていたので白タクに乗る。10分ぐらいなのに、46ドル請求されたが、Noといい、それでも40ドル支払う。
シェラトンはまずまずの部屋ではあるが、窓が開かない。風呂場でたばこを吸っていたら、翌朝、チェックアウトのときに、タバコ吸ったな、ときつく言われ、200ドルの罰金を取られた。これは俺が悪いのではあるが、後味がかなり悪い。
翌朝、空港でハーツレンタカーを借りる。受付のお姉さんはまずまず対応がいい。気を取り直して出発するが、ナイロビとモンバサの主要道路なのに、途中から1車線になる。
当然、トラックの往来も激しいので、トラックを抜きつつの運転となる。
そうこうしているうちに、Emailという街に入ろうとしたとき、様子が変になる。政府への抗議で街が封鎖されているのだ。どうしたものかと思っていたら、地元のバイクの奴らが裏道を案内してくれた。
バリケードのゲートが3つほどあったが、といっても石を置いているだけだが、そこを通貨するごとにドルを渡す。最後は案内してくれた3人にもドルを渡す。
だいきは結構びびっていたようだけど、まー、よくあることなのかも。金で解決できたからよかったか。
そこからキリマンジャロを目指すが、疲れはてていた。とりあえず、水を買いたかったので、途中のKimanaに寄るが、とにかくカードが使えない。
仕方なくUSドルをケニアのシリングに銀行で両替する。現地の人に交じって順番待ちしたが、30分ぐらいかかった。その間、だいきは車でかなりビビっていた。
そこからホテルに行くが、ホテルといっても、幹線道路からダート道を入り10分ぐらいいったとこと。サミュエルくん(23歳)に電話して、自転車で迎えに来てもらった。
サミュエル君がとてもいいやつで、滞在中にいろいろと世話をしてくれた。それで救われたか。ホテルのシャワーができくかったのは残念だが、とてもいいホテルだった。キリマンジャロは見たかったが。
最後に、ナイロビ空港でハーツに車を返した後、空港から少し離れて煙草を吸っていたら、警察官が寄ってきて、厳しい権幕で言っている。逮捕できるんだぞ、3日間拘留できるぞ、などと言っている。
要は、金渡せの類だから、10ドル渡してどっか行けした。金渡すと、空港近いところでたばこ吸っていいぞ、と何だこいつ。ほんとにアフリカの警察は腐っている。
エチオピア航空は、ナイロビ空港はかなり混むから早く来いと連絡あったが、カウンターあいてないし。まー、何かと疲れた国であった。
アフリカはこれを最後にしようと思っていたので、良くも悪くもいい思い出か。
また、何かのことで来ることもあるかもしれないが、とにかくしばらくはいいかなー。当面、来る予定はないだろう。
Amboseliの動物たち、キリン、象、シマウマなどが見れたのはよかった。
ケニア人はおそらく誇りが高いのだろう。ケニアいいとこだろう、次はいつ来るのか?と必ず聞いてくる。確かにとてもいい人が多かったのではあるが、最後の警察はよくない。
インフラも全然ダメだし、もっと先進かと思っていた。カードもまったく使えない。ナイロビの最後のガソリン入れるところは使えたが、地方はまったくだめだ。ナイロビとモンバサの幹線道路など、インフラ整備を早くしないとね。
さらば、ケニア!



中東

中東も魅力的な地域である。何しろ暑いが石油があるため基本的に裕福である。
ドバイはこの20年間で寒村からいきなり世界的な大都会に発展した場所である。石油がとれない地域のため、交易で栄えるべく金融都市を作り上げてしまった。800mを超えるバルジュ・ハリファやパームジュメイラなどが見どころで、当然ながら人工物ばかりが観光地だ。都市はすごい勢いを感じるものの、作られすぎた街という感じか。レンタカーで道を走っていても、相当広いが、ひとつ曲がるところ間違えると、かなり遠くまで行かないと引き返せないという、中東独特の道路のつくりだ。これは、カタールも同じような作り方をしていた。海で泳いだが、ジェットスキーはさすがに最新鋭で90km近くでるものであったが、海はさほど綺麗ではなかった。
ドバイからオマーンへドライブをしたが、砂漠の中のドライブは最高である。なんとも不思議な感覚になる。途中おりて砂漠を歩いたが、砂が熱くて、靴を履いていても熱気を感じた。オマーンは、のんびりした感じであり、個人的には好きだ。スヌークで売っているものを見ているのも面白い。
カタールは、期待以上に素晴らしい国であった!さすが裕福な国だけあって、中心部のビル群に圧倒される。しかも、海がとても美しいので、そのコントラストがとてもいい。アフリカに行くときに、トランジットで寄ったが、空から見る景色が美しすぎて、行ってしまった場所だ。2022年ワールドカップの会場をすべて回ったが、すべての会場は見る価値がある。跡地をどうするのだろう問題はあるが、スタジアムの美しさを楽しめる。また、砂漠ツアーもなかなか楽しかった。バギーで回るが、結構な急こう配を登ったり、下りたりとまずまずスリリング。そのあとランドクルーザーで砂漠ツアーがあったが、熟練ドライバーの凄腕で、エキサイティングなドライブが楽しめた。サウジアラビアの国境まで行ってみたが、立ち入り禁止区域が多くて、2回ほど怒られた。いつかはサウジアラビアに行くのだ!
(2023年9月記載)

カタール
 2023年5月
5月1日(月) (午前は在宅)伊丹→羽田→成田→
5月2日(火) ドーハ→Al Zubarah Fort(北の端の砦)→アルバイト・スタジアム(Albayt)→ルサイル・スタジアム(Lusail)→ホテルめぐり(ラッフルズ・パール)→ステートグランドイスラム美術館→シェラトン泊 380Km
5月3日(水) シェラトン→砂漠ツアー(バギー・ラクダ・4WD・ティー)→アルジャヌーブ・スタジアム(Al Janoub)→アルスママ・スタジアム(Al Thumama)→974スタジアム→パールシティ→スーク→シェラトンホテル 539Km
5月4日(木) ホテル→エデュケーション・スタジアム(Education)→ハリーファ・スタジアム(Khalifa)→サウジアラビア国境→アハマドビンアリ・スタジアム(Ahmad Bin Ali)→ホテル→空港 883.3Km
5月5日(金) ドーハ→成田 ホテルニッコー泊(中華) 5月6日(土)成田→KIX→あべの(昼から高松・おやじが一時退院、次の日、高松ソフトボール大会だが雨で中止・・・)


(左)ペルシャ湾を飛んでいるとなぜか興奮する (中)空港でレンタカーを借りて中心部へいくとびっくり。とても美しい街である! (右)北の端にある砦


(左)アルバイト・スタジアム (中)ルサイル・スタジアム (右)アルジャヌーブ・スタジアム。一番美しくて好きかも。


(左)アルスママ・スタジアム (中)974スタジアム (右)ハリーファ・スタジアム


(左)ハリーファ・スタジアム (中)アハマドビンアリ・スタジアム (右)ホテルから。海が美しい!



中東には面白い建物が多くある。マンションとホテル2つ。カニやパールをイメージしているのか?


旅行記

ものすごい暑さのドバイと自然豊かなオマーンへのドライブ(2015年8月
のどかで人がいいクウェートとバーレーン(2024年6月)